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翻弄されたのは

作者: 平野あお

 

 レイラは溜息をついた。


「レイちゃん今日も可愛いね! 僕と付き合って!」

「嫌よ」

「く〜っ、つれない! でもそんなレイちゃんも好き!」


 顔を合わす度にレイラに熱烈な告白をしてくるこの男の名をロドギウスと言う。

 星を集めたような美しい銀髪に、深海を思わせる碧い瞳。バランスの整った甘い美貌に惹き寄せられた人は数知れず。

 またロドギウスの凄さはその顔の良さだけでなく、筆頭王宮魔術師として名を馳せ、国王の覚えめでたい。


 世界にもその実力が認められている、そんな国一番の魔術師は、今日もレイラのそばでワンワンと騒がしかった。


「レイちゃん、こっち向いてー! レイちゃんてばっ!」

「なによ」

「うふふ、レイちゃんが僕を見てる。幸せだなあ」

「……」


 ころころと表情を変えて纏わりついてくる様子はまるで犬のようで、最初こそ可愛いと思っていたこともあったが、こうも続くと抱く心情も変化するというものだ。


 そもそもどうしてこうなったんだっけ、と思考をレイラがロドギウスと出会った約一年前に飛ばす。

 それは普段は領地で過ごす私が珍しく王都に上っていて、王宮で働く父の忘れ物を散歩がてら届けに行った日のことだった。



 *



「……困ったわ」


 案内役の文官が前を歩いていたはずなのに、見回してみてもどこにもいない。十中八九興味の赴くままに周りに視線をやっていたレイラのせいだろう。


 王宮の構造を知らないレイラが動けばいっそう迷子になることは確実だったので、レイラは近くにある美しい庭を観ながら案内役が見つけてくれるまで待つことにした。


 なかなか見る機会の無い花を見れたことで気分が浮かれていたレイラは、自分に近付いてくる人がいたことに気付くのが少し遅れた。

 自分に影がさしたことに気付いて顔を上げると、そこには神秘的な色を持った美しい男が立っていて、レイラはぐわりと目を見開く。


「君は、」

「不審者じゃないですから!」


 不審者と間違われるのを恐れて慌てて口を開いたレイラが勢いよく男の言葉を遮る。

 するときょとんと目を丸くした男は破顔したかと思うと、楽しそうに笑い声をもらした。


「ふ、ふふっ、分かってるよ。君が不審者じゃないってことぐらい」


 思わず首を傾げると、男はおもむろにレイラの手を取ってそこに唇を落とした。

 声にならない悲鳴を上げるレイラを逃がさないとばかりに、男は指を絡め力を込めてくる。


「僕はロドギウス・グロー。君の名前を聞いてもいい? 可愛い人」

「……レイラ・オラーヌよ」


 答える気はなかったのに、結局ロドギウスと名乗る男の瞳に負けてしまった。

 さすがに初対面でいきなり手を握ってくるなんてろくじゃない人物なことは確かなので敬語は取ったが。


「レイラ、レイラだね。 なんて可愛い名前なんだ! 君にぴったりの名前だね!」

「そ、そうかしら」

「レイちゃんって呼んでもいい?」

「……良いわよ」


 褒められて悪い気がしなかったレイラは思わず了承して頬を緩めてしまう。

 そんな締まりのない表情をロドギウスが凝視してきたかと思うと、レイラの前に跪き最高に幸せそうな顔をしてこう言った。


「レイちゃん、僕の恋人になってください!」

「お断りします」



 *



 おかしい。昔を思い出してもなぜロドギウスがレイラを気に入ったのかがさっぱり分からない。

 あの後告白を断ったレイラに、どうしてどうしてと縋り付いてきたロドギウスを案内役が発見して、ちょっとした騒ぎになった。

 その騒動の中でレイラはようやくロドギウスが有名な魔術師で、十歳も年上であることを知った。領地から出ないレイラは王都の情報に疎かったのだ。

 慌てて敬語に戻そうとしたが、当の本人に敬語禁止令を出されてしまったのだから結局そのままでいる。


「ねーってばー、またボーッとしてるよ。僕といる時ぐらい僕のことだけを考えててよ。欲を言えば離れてても僕のことを考えていて欲しいけど!」


 あれ以来、毎日のように会いにきては告白を欠かさないこの男。そろそろレイラに興味を失ったりしないのだろうかと不思議に思う。

 なぜレイラに固執するのか分からないが、これだけつれない態度を見せるレイラに見切りをつけてさっさと違う女の人を見つけたほうが絶対良い。レイラなんか選ばなくても、ロドギウスが求めればその想いに応えてくれる人なんてこの世には山のようにいるのだから。


「好き、大好きだよ。レイちゃん」


 なのにロドギウスの態度は一年前と一貫して変わらない。

 そろそろ断るのも面倒くさくなってきたレイラが再び大きな溜息を吐いたその時、ふと最近読んだ本の内容を思い出した。

 男は自分から逃げるものを追いかけたくなる生き物で、男性に根付く狩猟本能がそうさせている、みたいなことが書いてあった気がする。


「……そうか」


 ここでいう『逃げるもの』とはレイラのことだ。

 レイラが首を縦に振らないから、つまりロドギウスから逃げているから、本能とやらに縛られてこの男はいつまでもレイラにしつこいのだ。

 きっとロドギウスも自分に靡かないレイラが珍しかったのだろう。付き合うことに了承すれば、レイラを手に入れたことで時も経たぬうちにロドギウスの興味も薄れるに違いない。


「レイちゃん、お願いだから僕の恋人になって」


 そう思い至ったレイラは何度目になるかも分からない告白を受けて、初めて笑みを作った。


「いいわよ」

「……え?」

「貴方と付き合うわ」

「え、え、えええええ!?」


 レイラの答えが想定外だったのか、ロドギウスは目を最大限まで見開いて固まってしまった。


「何、嫌なの?」

「嫌なわけない! ほんとに? ほんとにほんとに本っっっ当に僕と付き合ってくれるの!? 付き合うって僕の恋人になることだよ?? 分かってる? 撤回ならまだ受け付けるよ? うそでーす! もう受け付けてませーん!!」

「分かってるわよ。だからいいって言ってるんじゃない」

「っっ!! やったあああああ!!」


 今にも空へ飛び立ちそうなほど全身で歓喜を表す男を見ながら、果たしてその熱がいつまで続くのか見ものだと、レイラは目を細めた。


 その日、王都の空から花が降ってくるという奇妙な体験をした人が続出したとか。



 かくして恋人としてのお付き合いが始まって早三ヶ月が過ぎた。

 熱が収まりやすいのも三ヶ月と耳にしたことがあったため、そろそろロドギウスも私に飽きてきただろう。

 と、そんな安直な考えを簡単に裏切ったロドギウスは、レイラに飽きるどころかべったりと離れなくなってしまった。


 最近では引き剥がすことさえ一苦労がある。

 会う度にハグやキスは欠かさないし、どこかへ出掛けようとすれば仕事をサボって付いてこようとするし、男性に挨拶するだけで不機嫌を露わにする。


 早三ヶ月、されどもう三ヶ月。

 付き合う前と変わらない、否、さらに鬱陶しくなったロドギウスにレイラは少しだけ嫌な予感がしていた。


 どうしようかと頭を悩ませていたレイラに不思議そうな声がかけられる。


「レイラ?」

「あ、ごめんなさい。ボーッとしていたわ」


 友人のプリシアとお茶をしていたところだったことを思い出し、いけないと頭を振る。


「ねえ、プリシア。恋人がいる男性ってどういう時に彼女に対して熱が冷めやすいと思う?」

「あら、恋人になって間もないのに、もうそんな心配? 大丈夫よ、ロドギウス様はレイラしか目に入ってにないから」

「違うわよ。分かっているくせにからかわないで!」

「うふふ、ロド、なんて愛称で呼んでるくせに。いつもクールなレイラも恋に関しては乙女だったのね」

「違うって言ってるでしょっ。愛称だってあっちがしつこいから……!」


 プリシアはレイラがロドギウスと別れたいことは知っているはずなのに、こうしていつもからかって遊んでくる。

 ムキになって言い返すのが良くないのだということは分かっていのに、レイラの口は反論しないと気が済まないのだ。


 むすりと頰を膨らましたレイラに小さく笑ったプリシアは、飲んでいたカップを置いた。


「そうね、物ばかり強請る女性は嫌われると聞いたことがあるわ。彼女が付き合ってくれたのは僕の金目当てだったのかー! ってね」


 友人の言葉にレイラは目を輝かせた。

 それならすぐに実践できるし、効果が出るのも早そうだ。


「素晴らしいわ、プリシア。私、今日から早速実行してみる!」

「はーい、頑張って〜」


 やる気のない声援を背にプリシアと別れると、レイラはあれこれと頭の中で作戦を巡らせながら早速とばかりに自宅にいるであろう恋人に会いに行った。


「レイちゃん!? どうしたの? 何かあったの!?」

「貴方に会いに来ただけよ」

「っっ、レイちゃんが自分から僕に会いにきてくれるなんて……っ。初めてだ!」


 感極まって涙ぐんでいるロドギウスを見て、そうだったかしら? と首を傾げていると、腰に手が回り家の中にエスコートされる。

 客室のソファに腰かけたレイラに、ロドギウスはいそいそと世話を焼いてきた。


「これからレイちゃんに逢いに行こうと思ってたところだったんだ。それなのにレイちゃんが僕の家にいるなんて夢みたい……ほんとに幸せ」


 顔が緩み切ったロドギウスは、レイラの頭に、頬に、首に、手に、口付けを落としていく。

 それが妙に気恥ずかしくて、レイラは甘ったるい空気を吹っ切るように口を開く。


「ねえ、ロド」

「なあに、レイちゃん」

「私欲しいものがあるの」

「えっ、なになに? レイちゃんが欲しいものなら僕何でも用意するよ!」


 鼻息を粗くするロドギウスに若干引きながらレイラはずっと前から欲しかった花の名を口にする。

 するとロドギウスはきょとんとした顔をしてレイラの顔を覗きこんだ。


「それが欲しいの?」


 花と言っても野花とは比べ物にならないほど美しい稀少な花で、なかなかに高価だと聞いたことがある。それこそ王族に献上されるような代物だ。

 付き合って半年にも満たない女に高価な物を強請られれば流石のロドギウスもレイラに良い感情は抱かないだろう。

 最初は良いかもしれないが、これを幾度か繰り返していればロドギウスはいつかは私という幻想から目を覚ましてくれるに違いない。


「だめ?」


 内心ほくそ笑みながら甘えたように首を傾げた途端、ロドギウスの顔がデレッと崩れ、ダメなわけないよ! と叫んだ。


「待っててね、すぐ持って来るから!」

「え? すぐって、」


 なにが? と最後まで言い切る前に目の前から消えたロドギウス。

 突然魔術を使ってロドギウスが消えてしまった現状に困惑するも、数分もしないうちにロドギウスは帰ってきた。


 満面の笑みではい、とレイラになにかを渡してきた。

 自分の手に乗る『なにか』を理解した瞬間悲鳴が漏れそうになったが、なんとか飲み込んで褒めてと言わんばかりに頭を差し出して来るロドギウスを見下ろす。


「あ、ありがとう」


 まさかこんなにもすぐに願いが叶えられると思っていなかっただけに、苦笑しながら手触りの良い髪を撫でると、もっともっとと言いながら私の手に頭を擦り付けてくる。


「あっ、ろ、ロド」

「レイちゃん……ね、キスしていい?」

「も、してるじゃないっ」

「うんうん、ごめんね。レイちゃんがあまりにも可愛いから……」


 謝罪に全く気持ちがこもっていない。


 いつのまにかソファーに押し倒されたレイラは真っ赤な顔をして、落ちてくるキスの嵐に耐える。

 キスが一瞬止まった隙に瞑っていた目をおそるおそる開けてみると、雄の目をしたロドギウスが見えたので、レイラは気付かないフリをして再び目を閉じた。



 花を強請った日からしばらくして、レイラは自室で一人頭を抱えていた。

 レイラの自室には色とりどりの美しい花々、動物をモチーフにした可愛らしいぬいぐるみたち、王家御用達の超人気服飾店で作られたドレスに貴族ですらなかなか手に入れにくいという高価な宝石が使われたアクセサリー類。

 殺風景だったレイラの部屋は多くの贈り物で賑やかになっていて、今や昔の様子は見る影もなかった。


 この贈り物の主は他でもないレイラの恋人、ロドギウスからで、これがレイラを大いに悩ませた。

 レイラが強請ったのは花だけであり、それも数度望んだまでで、ぬいぐるみもドレスもアクセサリーもレイラは一つも欲しいと言っていないのだ。

 それなのにロドギウスは最初の花束を皮切りに際限なく私に贈り物を送ってくるようになってしまった。

 最初は喜んで受け取ればちょうどいいと思っていたが、ここまでくるとなると話が変わってくる。


「ちょっと、プリシア! 話が違うじゃない!」


 困惑がピークに達したレイラはその日の茶会で声を大きくして最近のロドギウスの様子を語った。

 するとプリシアは目を丸くした後、ころころと笑い始める。


「ロドギウス様のレイラに対する愛がよーく分かるわ」

「本当にどういうこと!? ロドは嫌がるどころか喜んで物を貢いでくるのよ……!」

「きっとあれね。レイラに甘えられたことが相当嬉しかったんだわ、ロドギウス様は」

「甘え……? 私はロドに甘えた覚えなんてないわ」

「そうそう、そういうところ」


 意味が分からなくて眉間に皺を作るとそこをツンと指で突かれた。


「恋人になってもならなくても、ロドギウス様に対するレイラの何も望まない姿勢は変わらなかったものね。あんなすごい恋人捕まえたんだから少しぐらい我儘になったって誰も文句は言わないのに」

「だって別にロドに頼ることなんてないし、欲しいものがあったって自分の力で手に入れるわ」


 欲しいものは自分で得てこその喜びがあるとレイラは思う。

 それに恋人だからと言ってロドギウスになんでもかんでも望むのは違う。たとえ相手がどんな願いも叶えられる人であったとしても。


「これはロドギウス様も苦労するわねー」

「ちょっと、どっちの味方してるのよ」


 ジトリとした視線を送っても、プリシアはどこ吹く風で砂糖菓子を口に含む。

 品のある友人の姿を見ると憤っていた自分が少し恥ずかしくなって、こほん、と咳払いを一つした。


「とにかく、ロドにこれ以上私にお金を使わせないようにさせなきゃ」

「じゃあ大人しく恋人のままでいるの?」

「そんなわけないじゃない」

「あら、だったら良い策でもあるのかしら」

「ないわ」

「ないのね」


 呆れた顔をされてしまったが、今のところ頼れる人がプリシアしかいないレイラは、プライドも無くお願いをして作戦を練ってもらう。


「そうねー、……あ! ロドギウス様の職場に押し掛けてみるのはどう?」

「どうして?」

「仕事を邪魔されて不快にならない人なんていないわ。誰だって公私は分けたいものでしょう?」

「なるほど」


 これは良いことを聞いたとばかりにレイラはほくそ笑む。

 さすがはプリシアだ。レイラだったら絶対にこんなことは思いつかない。



 翌日、お気に入りのワンピースを着て差し入れ用のバスケットを持ったレイラは、意気込んでロドギウスの職場に赴いた。

 まではいいものの。


「何の用だ」


 顰めっ面をした門番の兵士に見下ろされたレイラはその眼差しに怯みそうになったが、グッと耐えてバスケットを握り直す。


「あの、私、ロドギウス、様に会いたいのですが……」

「面会の約束は?」

「約束」


 そこでレイラはようやく自分の失態に気付いた。

 ロドギウスの職場は警備の厳しい王宮に隣接する場所なのだから、何の約束もしていないレイラは、会うどころかそこに足を踏み入れることすらできないのだ。

 プリシアか父の名を出せば入れるかもしれないが、それだと別のところへ案内されかねない。


「して、ないです……どうしてもダメですか?」

「ダメだな。そもそもお前は師長とどんな関係だ?」


 関係を問われ、心臓が跳ねる。

 レイラは即座に答えることができなかった。


「……友人、です」

「友人なら事前に約束ぐらいするものだろう。約束がない限りここを通すわけにはいかない」


 門番の正論になにも言い返すことが出来ず、これ以上は無理だと判断したレイラは謝罪をして踵を返そうとした。

 その時朗らかな声がレイラを呼び止めたので振り向いてみると、明るい茶髪の男性がこちらに向かって走って来るのが見えた。


「君、もしかしてレイラちゃんじゃない?」

「確かに私はレイラですが。貴方様は?」

「あっ、ごめんね。俺はロドギウスの同僚でアーツって言うんだ。レイラちゃんはロドギウスの恋人だよね? アイツがよく君のことを話すから見た瞬間ピンときたんだ」


 ロドギウスか職場でどんな話をしているのか知りたくなかったレイラはそうですか、と返して沈黙する。


「レイラちゃんはどうしてここに?」

「……ロドギウス様に会いに来たんですが、会う約束をし忘れていたので今から帰るところです」

「え、帰っちゃうの? 会いに行ったら絶対アイツ喜ぶよ。俺が居れば中に入れるからさ」

「いえ、大丈夫で、」

「そんなこと言わないでさ! ほらほら」


 腕を取られ、目を丸くしている兵士の前を通ったレイラは、そのまま魔術師が働いている宮へと連れて行かれた。


「ここだよ」


 アーツに案内された扉の前に立った瞬間、全身に緊張が走る。


「ロドギウスを驚かせたかったからアイツには何も言ってないからね」

「その、やはりお邪魔になるのでは」


 お邪魔するために来たにも関わらず、すっかり怯んでしまったレイラは既にこの場から逃げ出してしまいたかった。


「大丈夫大丈夫。そろそろ休憩させようと思ってたところだし」


 やっぱり、とレイラが制止の声を上げる前に、アーツは扉を開けてしまった。

 仕方ないと覚悟を決めて部屋を覗くと、レイラは思わず息を呑んだ。


 どうやらロドギウスはレイラに気付いていないようで、凍てついた表情で部下たちに指示を飛ばし、大量に積み重なった書類を目にもとまらぬ速さで捌いている。


「……」


 レイラの知っているロドギウスはころころと表情を変える犬のような煩い男であって、こんなにも静かで、大人びた表情をするひとではない。


 心臓が逸り始め、足を一歩後ろに退げようとしたその時、ふいにロドギウスの顔がこちらに向き、体が固まった。

 そしてレイラの存在を目に留めたロドギウスは目を大きく見張り、勢いよく立ち上がる。


「レイちゃん!? どうしてここに!?」

「あ、あの」

「嬉しい! 僕に会いに来てくれたのっ?」

「……」


 レイラは猛烈に己の行動に後悔した。

 職場に押し掛けてきたレイラに対し、ロドギウスは嫌がるどころか嬉しそうにレイラを抱きしめてくるではないか。


「ん〜レイちゃんの匂いだ。……ん? アーツの匂いがする。最悪。すぐに消毒しようね〜」


 首筋に顔を埋めたロドギウスの肩越しに、こちらを驚愕の瞳で凝視してくる部下の人たちが見え、レイラは焦る。

 それに加えロドギウスの手が不穏な動きを見せ始めるものだから、冷や汗が流れた。


「あ、あのっ、ロド? 他の方もいるし、その」

「えー? んーそうだね、じゃあ今から休憩。はい、ってことでレイちゃん、一緒にご飯食べよ。わざわざ持って来てくれたんでしょ? それ。僕のために」

「えっと、うん、そうです」


 素直に頷くとロドギウスは他人には見せられないくらい相好を崩すものだから、レイラはロドギウスの師長としての対面を守るために部屋から連れ出した。


 その後、レイラはロドギウスの腕の中で食事をさせられ、仕事場へ戻らせるのに一悶着あったことは言うまでもない。



「仲睦まじくてなによりだわ」

「……」


 恨みがましい視線を送ると、プリシアは仕方のなさそうに頰に手を当て息を吐いた。


「だいたいレイラの態度が原因なんじゃないかと思うのよね」

「私の態度?」

「だってレイラってロドギウス様に対して素っ気ないところがあるもの。付き合ってからロドギウス様に一度だって好きって言ったことある?」


 プリシア曰く、その素っ気ない態度こそがロドギウスがレイラに嵌る要因なのではないか。


 ああそうか、とレイラはそこでようやく腑に落ちた。

 最初に自分が考えていたことを思い出したのだ。


 好きと言わない状態も、ロドギウスからすれば『逃げている』に該当する。だからレイラを追いかける。

 何をしたって効果はないはずだ。レイラはロドギウスへの想いを口に出して応えたことはないのだから。


「プリシア」

「なにかしら」

「私、ロドに会いたい」

「……まあ! なら今から会いに行ってくるといいわ。どうせここから近いのだし。わたくしが先に連絡を入れておいてあげる」


 嬉々として侍従になにかを告げたプリシアに背を押され、レイラは意を決した表情でその場をあとにした。


「レイちゃん、僕に会いたかったんだって!? レイちゃんが。あのレイちゃんが! 僕も会いたかったよー!!」


 ロドギウスのいる宮に訪れると、入り口で待ち構えていたロドギウスに即座に確保され、彼専用だという部屋に連れて行かれた。

 ソファーに座らされたと同時に、ロドギウスに抱き寄せられ深く口付けられる。


「レイちゃん、好き、大好き」

「ん……私もロドが好き」

「っ!?」


 突然体を離されて寂しくなったレイラはロドギウスの反応を気にすることなく自ら首に腕を回す。


「すき、好きよ」

「え、うそ、これ夢?」

「夢じゃないわ。大好きよ、ロド」

「……っ!! ヤバい、破壊力半端ない。僕今日で死んじゃうのかも」


 死なないで、と耳にキスすれば、ぶわりとそこが赤く染まる。

 それが面白くて調子に乗って他のところにもキスをするとロドギウスの体が震え出した。

 そしてロドギウスはガッとレイラの肩を掴み再び身体を離したかと思うと、もう我慢できないと呟き、目を潤ませてレイラの前に跪いた。


「レイちゃん、僕と、結婚してください……!!」

「──うん?」

「ほんとに!? 僕と結婚してくれるの!? やばい、どうしよう、幸せすぎる。死にそう、うそ、死なない。レイちゃんおいて死ぬなんて絶対しない! 籍はいついれる? 式はどんな感じにしたい? 家は新しく作ってもいいね! 新婚旅行はレイちゃんの行きたいところに行こうね!」


 どうやらレイラの漏らした困惑の声が肯定の返事と捉えたれたらしく、ロドギウスのテンションは最高潮だった。

 何が起こっているのか分からずパニックになったレイラは、ロドギウスがなにか喋っているのを聞き流し、おもむろに立ち上がる。


「……レイちゃん?」


 不思議そうに首を傾げるロドギウスの視線に耐えられなくなったレイラは、くるりと背を向け走り出す。


「レイちゃん!?」

「付いて来ないで!!」


 レイラを呼び止める声を全力で拒否して。



「あら、レイラ。戻って来たの? わたくしとしては今日はもう会えないと思っていたんだけれど」


 クスクスと笑うプリシアは、レイラの暗い表情を見て顔を強張らせた。


「どうしたの? なにかあった?」

「……プリシア、私」


 ポツポツと先程あった出来事を語ってみせると、プリシアは口に手を当て、顔色を悪くした。


「ごめんなさい、わたくしの言葉が軽率だったわ。レイラが別れることに関してこんなにも本気だとは思ってなかったから。……そもそもどうしてレイラはロドギウス様と別れたいの? 求婚(プロポーズ)までされて、愛されているのは一目瞭然なんだからレイラこそもう諦めて彼の胸に飛び込んでしまった方が良いと思うのだけれど」


 プリシアの言うことはもっともに聞こえる。


 けど、けれど。


「怖いの」

「怖い?」


 ずっとずっと思っていたこと。


「ロドが私と付き合っている状況が怖いの」

「……どういうことかしら」

「『みんなの憧れのロドギウス様』が私なんかのために時間を作って、お金を割いている事実が恐ろしい」

「どうしてそう思うの?」

「私がロドと釣り合わないから」

「レイラが、ロドギウス様と、つり合わない……!?」


 なぜプリシアが驚愕するのか分からず首をひねる。


「侯爵家で宰相の娘の貴女が伯爵のロドギウス様とつり合わない!? 冗談でしょう?」

「……身分の問題じゃないわ」


 身分だけ見れば十分につり合っていると言えるだろう。

 だけどレイラが言いたいのはそういうことじゃない。


「地味で、頭も口も悪くて、お子ちゃまな女より、ロドを幸せにしてくれる人は沢山いるわ。なにもわざわざ私を選ぶ必要はロドにはないもの。ロドは毛色の珍しい私に興味を惹かれただけ。だから早く目を覚まさせてあげないといけないの」

「レイラは他の人と比べものにならないくらい素敵な人よ。だからこそロドギウス様も必死で、」

「プリシア、私決めたの」


 プリシアの話をこれ以上聞きたくなくてわざと言葉を被せたレイラは、真剣な表情を作る。


「……嫌な予感がするのだけど、一応なにを決めたのか聞いてもいいかしら」

「私、──ロドと別れる」

「ッ、ま、待って、レイラ。その決断を下すのは早計、」

「浅はかだったのよ。ロドから別れを切り出してもらおうなんて考え自体が。やっぱりこういうのは自分から告げるのが当たり前よね」


 レイラは勢いよく立ち上がるとプリシアに向かって無理やりな笑顔を作った。


「だからね、プリシアには私の成功を祈っていてくれると嬉しいわ」

「何を?」

「別れることよ」

「誰と?」

「だから、ロドと……え?」


 プリシアと二人きりのはずなのに、レイラの後方から男性の声が聞こえた気がした。しかも物凄く聞き覚えのある声だ。

 目の前にいるプリシアが静かに首を横に振ったので、レイラは背筋が凍った。


 ギギギ、と首だけで後ろを振り向くと、そこには全ての感情を削ぎ落としたような表情をしたロドギウスが立っていた。


「ろ、ロド」

「レイちゃんは突然いなくなるし、王女の侍従が早く来いって言うから、さ……」


 思わず近寄りかけて、足が止まる。


「……ロド」


 ロドギウスの頰に一筋の涙が伝っていた。

 芸術かと思わせる姿に一瞬見惚れたレイラは、次の瞬間力強く抱きしめられていて、パチパチと瞬きをする。


「ねえ、やだ、やだよ。僕はレイちゃんと別れたくない。どうして。僕を捨てるの? 別れて他の男と付き合うの?」

「ち、違うわ」


 否定したところで聞く耳を持たないロドギウスは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔でレイラを求める。


「僕に悪いところがあったらなおすから、レイちゃんが嫌がることは絶対にしないから、レイちゃんの願いならなんでも叶えるから、だから、だから! お願い、別れるなんて言わないで……ッ!」


 悲痛な叫びが私の心を打つが、グッと唇を噛み締めて無理やり身体を離させる。

 そして真っ青になったロドギウスを見据えた。


「私はロドにそういうことを望んでいるわけではないわ」

「じゃあっ!」

「私じゃロドを幸せにできないから! ……だから、別れたいの」

「!?」


 こんなにも素敵な人が自分のことなんか好きになるはずもないって、冗談だろうって、思っていた。

 でもロドギウスがレイラを大切にしてくれることを実感してしまったとき、急に怖くなった。

 レイラでは自分が貰っただけの幸せをロドギウスに返してあげられない。


「じゃあ、レイちゃんはなんで僕に好きって言ったの?」


 ギクリと肩を強張らせるとロドギウスはすっと真顔になる。

 なにも言えずに黙っていると、ロドギウスはレイラの顎を掴んで視線を合わせようとしてくる。

 その少しだけ乱暴な仕草からロドギウスの怒り具合が窺い知れた。


「……レイちゃんは僕を弄んだんだ。レイちゃんの言動に一喜一憂している僕を見て楽しんでたんだ」

「っ、違う!」

「違う? 違わないでしょ。全部全部嘘だったんだね」

「──違う!!」


 付き合ってからのレイラの全てを否定されて、レイラは感情任せに否定する。


「好きよ! あんなに想いを告げられて! あんなに大切にされて! ロドを好きにならないわけないじゃない……!」

「だったら離れようとしないでよ! ずっとずっとそばにいてよ! 他の人なんて目に入るはずがないよ。僕の目には昔からずっとレイちゃんしか映ってないんだから……っ」


 再び泣き始めたロドギウスに、レイラは昔? と訝しげに眉を寄せる。ロドギウスと出会ってから、『昔』というほどまだ月日は経っていない。


「……レイちゃんは忘れてるみたいだけど、僕とレイちゃんが初めて会ったのは十年前なんだよ」

「え?」


 ロドギウスは静かに昔のことを語ってみせた。

 それはレイラが六歳、ロドギウスが十六歳の時の話だ。



 *



「チッ、めんどくせえ」


 魔術師としての実力が認められた途端、王宮魔術師として勧誘されたり個人で仕事を依頼してくる者が増えた。それに比例するように、擦り寄って来る女が──ただでさえ多かったのに──更に増えた。


 働く気もなく、気が向けば適当な女と遊ぶロドギウスは、ただ無意味に日々を過ごしていた。

 何に対しても本気にならないし、なれない。そんな人生をこれから先も送るのだと思っていた。


 しかしある日を境にロドギウスの人生が百八十度変わることになろうとは、本人ですら想定しなかったのである。


「おにいちゃんだあれ?」


 追いかけてきた女から逃げるように飛び込んだどこかの屋敷の庭で彼女と出会った。

 やべえ、と焦ったロドギウスは逃げようとして、こちらを不思議そうに見る少女を視界に入れた瞬間、一時息をすることも忘れた。

 透き通るようなピンクブロンドの髪に、蜂蜜を溶かしたような瞳。


「……可愛い」


 気付けばそう口から出ていた。

 ロドギウスにとって、少女との出会いはまさに運命だった。


「おにいちゃんのかみ、とってもきれいだね! てんしさまみたい!」

「……君の方が天使だ」

「ほんとう? うれしい! ……わっ、きれいなおはな」


 ロドギウスは魔術を使って少女に一輪の花を手渡した。

 今王都ではなかなか手に入れることのできないほど人気だから少女も喜ぶはずだと考えて。


「おにいちゃん、もてるんでしょう? とってもかっこいいもの。わたしもおにいちゃんみたいなひととけっこんしたいなあ」

「結婚しよう。今すぐに」

「しらないのー? けっこんは十六さいにならないとできないんだよ〜」


 クスクスと笑う少女にすっかり骨抜きにされてしまった。幼女趣味なんてないはずなのに、ロドギウスはとにかく少女の気を引きたくて仕方がなかった。


「じゃあ君が十六になったら結婚しよう」


 十歳年下の、しかも六歳の少女に対してするものじゃないなんて分かっていた。

 それであったとしても、これは冗談でもなんでもない、ロドギウスの本気の求婚(プロポーズ)だった。


「いいよー!」


 少女がどこまでロドギウスの発言を本気にとったのかは分からなかったが、言質は取ったとばかりにロドギウスは少女の頰に口づけを贈った。


 その後使用人がやって来そうになったものだから一旦お暇して、翌日改めて訪問しようとロドギウスは考えたが、その考えは甘かったと後日になって知ることになる。




 *




「次の日、屋敷に行ったらレイラはもう領地に帰ったと知った。しかもその時いた宰相に、娘を守れもしないような堕落した人間にはレイラはやれん、なんて言われちゃってさ」


 だから僕頑張ったんだよ、とロドギウスはレイラを見つめる。

 必要のない関係はすっぱり断ち切って、仕事では立場を手に入れて。レイラの父の信用を手に入れられる人間になるまではレイラが王都に上ってきても会いにいかなかったのだと言う。

 それからレイラが王都に居住を移し、レイラの父からもようやく認められたロドギウスは、意気揚々とレイラに会いに行った。

 しかし当のレイラは完全にロドギウスのことを忘れてしまっていた。だから改めて一から口説くことにしたのだそうだ。


「ロドが、あの時のお兄さんだったのね」

「覚えてるの?」

「思い出したの。あの時もらったお花、栞にして今でも持ってるわ。……私の、初恋だったから」


 あの一輪の花のおかげでレイラは花を見たり、集めたりすることが好きになった。


「僕だってそうだよ。あれからずっと、ずっと、ずーっと、君のそばにいることだけを目標に生きてきたんだ。レイちゃんがいなかったら、僕は人生になんの意味も見出せず早々に死んでいたかもしれない」

「それは大袈裟なんじゃ」

「大袈裟じゃないよ。僕を幸せにできるのはレイちゃんしかいないんだ。信じて。周りのことなんて気にしないで。僕のためっていうなら僕の隣で僕だけを見てて。……レイちゃんがいないと、僕、生きていけないよ」


 切実な言葉がレイラの心に染み渡っていく。

 レイラはロドギウスにこんなにも愛されていた。レイラが想像していた以上の深い愛で。

 結局、レイラが考えていたことは全て的外れだったのだ。


「……ロド、ありがとう。そんなに前から私を愛してくれて。ロドが私を必要としてくれていること、ちゃんと理解したわ。そして私もまた、ロドの隣にいたいということも」

「!」

「だから、虫がいい話かもしれないけど、……これからもロドのそばにいてもいい?」

「もう、別れるなんて言わない?」

「ええ」

「ずっとそばにいてくれる?」

「私で良ければ」

「他でもないレイちゃんがいいんだ。僕を幸せにできるのはレイちゃんだけなんだからちゃんと覚えててよ。離れたいなんて言っても絶対に離してあげないからね!」


 ギュウッと息ができないくらい抱きしめられたが、憑物が落ちたように晴れやかな表情をしたレイラも全力で抱き締め返した。


 それからお互いが落ち着いてきてロドギウスを見ると、頰が膨れているのに気付いく。

 どこの二十七歳児だろうと思いながらも、レイラは改めて謝る。


「その、ロド……いろいろとごめんなさい」

「ゆるさない」

「……許してくれないの?」


 自分本意にしか物事を考えられない女なんてやはり嫌になったのだろうか。

 ツンとそっぽを向いてしまったロドギウスを見たレイラは、じわりと涙が出そうになって慌てて目を押さえる。泣くなんて卑怯だってわかっているのに涙はとめどなく溢れてくる。


「あわわ、な、泣かないで。レイちゃんが泣くと僕も悲しい」

「どうしたら許してくれる……?」


 ロドギウスは考えるように少し黙った後、レイラの唇を親指でゆっくりとなぞった。


「……愛してる、って言ってくれたらいいよ」


 顔を真っ赤にさせたレイラは何度も深呼吸を繰り返し、まだかまだかと待っているロドギウスを見て覚悟を決め、なかばやけくそに叫ぶ。


「私」

「うん」

「その、ロドを」

「僕を?」

「……あああいあい、あい、愛してるわ……!!」

「〜〜っ!! レイちゃん〜〜!! 僕も愛してる! 愛してるじゃ足りないくらい、愛愛愛してるよー!!!!」



 *



「……えーと、その節はお世話になりました」

「ええ、本当に。バカップルの痴話喧嘩に巻き込まれたわたくしの身にもなってほしいわ」

「バカップル……痴話喧嘩……」

「これをそう呼ばないで逆になんて言うのか教えてほしいわね」


 なんとも言い返せないレイラは唇を引き締めるだけにしておいた。

 そんなレイラを見たプリシアは、ようやく本当の意味で恋人と結ばれた友人を祝福するかのように優しく微笑んだ。


「わたくし、貴女のちょっとおバカで正直なところ、大好きよ」




「にしても昔と性格が全然違うわね」

「レイちゃんに対する愛が積もり重なった結果だねー」

「ふ、ふーん」

「あ、照れてる。レイちゃんてばかーわい」



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