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誠意

 もう一度夏がやって来た。

 アレクスは王都の、赤を基調にした屋敷の壮麗な廊下を歩いていた。一階の庭に面した部屋の前に立ち、少し緊張した面持ちで、服と呼吸を整えて、扉を叩く。


「開いてるわ」


 アレクスは扉を開けた。レティは窓を背に机に向い、何か書いている。繊細な動きを要求される手の機能を取り戻すために、レティは字を書いたり、はさみを持ったり、よりによって今までほとんどやったこともない刺繍を刺したりしていた。出来上がった刺繍は、何をやらせても完璧なレティの作ったものとは思えないほどおかしな仕上がりだけど、持ち前の粘り強さで、コツコツと真面目に取り組んでいる。


 レティは、目を上げてちらっとアレクスを見て、それから少し笑った。アレクスは自分がずっとこの笑顔を近くで見る幸運に恵まれて来たのに、それを見過ごして来たことが、どれほど勿体の無いことだったのかを、ここに来るたび痛感する。


 年頃になって周囲の男たちが、レティを見て騒いでいても、アレクスには一向に理解できなかった。でも、今ならその気持ちがすごくわかる。レティと話したい、一緒にいたい、触りたい、抱きしめたい、そしてできればその先のことさえも、つい考えてしまうのだ。


「また来たのね」


 レティは、立ち上がって、呼び鈴を鳴らした。侍女が現れ、レティがお茶の用意を言いつける。アレクスはその間もレティに釘付けになっていた。


「座ったら?」


 レティがアレクスに席を勧める。アレクスは、以前のようにレティの隣に座りたかった。しかし、レティがいつも指さすのは、向かいの席だ。がっかりした気持ちで、アレクスは大人しくそちらに腰を下ろす。今まで当たり前のように隣に座り、近くにいたのは特別なことだったのだ。


「毎日、来なくてもいいのに」


 レティに言われて、アレクスは首を大きく横に振る。


「婚約は解消になったのよ。あなたが気を使うことなんて、何もないわ」


 侍女が入ってきて、レティとアレクスにお茶を出し、下がっていった。お茶には、おいしそうな焼き菓子もついている。


 レティは、お菓子を一つ、美しい指でつまみ、口に入れた。


「私はこういう状態だから、もう、跡はつげないと思うの。だから、私のことは、心配してもらわなくても大丈夫よ」


 レティは、アレクスが来るといつもこの話をする。レティはアレクスが義務感から自分のところを訪れていると信じて疑わないが、それも今までのことを思えば仕方がないのかもしれない。


「もうすぐ、夜会だね」


 アレクスはお茶の揺れるティーカップを見ながら言った。


「レティは行く?」


 レティは、ちょっと考えた。


「うーん。まだあまり体も動かないしね。踊ったりするのは無理だけど、皆に心配をかけたから、顔を出すぐらいはしようかと迷っているの。いずれにせよ、まだ決めてないわ」


 アレクスは思い切って顔を上げた。


「行くなら、迎えに来たいんだけど」


 男女が家族以外と夜会に行くのは、二人が特別な関係だと周りに宣言するようなものだった。レティとアレクスの婚約は解消になっていたから、アレクスと一緒に行けば、自分たちは特別な関係だと周りに意思表示することになる。


「さっきも言ったけど、アレクス。あなたは来る必要はないのよ」


「でも…」


「でも、なによ?」


 レティは、ちょっと困ったような顔をして聞いた。アレクスは、もじもじとして、歯切れが悪い。


「あの…」


「あのねぇ、アレクス。本当にもう、いいのよ。気を使わなくて」


 レティは、お茶を一口飲んだ。


「俺、君が好きなんだ」


 唐突に、アレクス口から出た言葉に、レティは、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。


「アレクス。それは気の迷いよ。あんなことがあったから、一時的に同情心が芽生えているのよ。小さい頃からずっと近くにいるけど、あなたが私をそういう目で見られないのはわかってるわ」


 アレクスは、目を合わせられないのか、またもじもじして言った。


「でも、今は違うよ」


 レティは、明らかに困った顔をした。


「…困ったわね」


 アレクスはちょっと間を置いてからレティに聞いた。


「君は、俺のことどう思ってるの?」


 レティはまたお茶を吹き出しそうになる。


「ちょっと、なんで、そういう話になるの?」


 アレクスは真剣な目でレティを見た。


「うん。でも、君の体もだいぶ良くなってきたみたいだし、君に新しい婚約者ができたらと思うと、毎日気が気じゃない」


「それは…。四公がお決めになることよ。私たちの場合も、そうだったでしょ」


 アレクスはやおら立ち上がって、レティの隣に腰を下ろした。


「ちょっと、アレク、来ていいなんて言ってない」


 アレクスたちの属する階級では、許しもないのに、必要以上に異性の近くに寄るのは無礼な振る舞いなのだ。レティはソファの端に寄った。アレクスがすかさず間を詰める。


「レティ」


 アレクスはレティを抱き寄せた。


「アレク、離して」


 弟たちに比べたら、小柄で貧弱なアレクスだったが、それでもレティよりはるかに力が強い。もちろん、レティには、アレクスの急所を殴って、逃げ出すこともできる。だけど、レティはそうしなかった。


「レティ、今度シルバルドへ来ない?城じゃなくて、小屋で過ごそう」


 アレクスの体は以前と同じ温かさで、レティを包み込んだ。アレクスの小屋には、小さい頃何度か行ったことがあるが、泊まったことはない。すぐ前に綺麗な池がある、アレクスが自分で作った素敵な小屋だ。以前のレティなら、このワクワクするような提案に、すぐにうんと返事をしていただろう。


「…」


 レティが黙っていると、アレクスが体を外した。


「昔みたいに、一夏一緒に過ごそうよ」


 そして、にっこりと笑う。小さい頃から、アレクスのこの笑顔に弱かった。レティは、答えずに曖昧な笑顔を浮かべた。すると、アレクスがレティの頬にキスをした。


「他にもキスするところは色々あるけどね…」


 その晩、レティはマルトの部屋に呼ばれた。

 アレクスとの婚約を、正式に破棄するのか、継続するのか、四公たちの間で話し合いが持たれたという。アレクスは、レティとの婚約の継続を主張しているが、婚約中にも、婚約前にも、二人の間に何もなかったことは四公の耳にもすでに届いていた。四公は、アレクスに不満を持ち、アレクスの意見ではなく、レティの意見を尊重することに決めた。決定権は、すべてレティに委ねられていた。

読んでいただき、ありがとうございました。


明日3話あげて終わりです。

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