指揮
ギュンたちが率いるアズヴェルト軍は、ゆっくりと行軍していた。昨日の雨で地面がぬかるみ、あまり早く進めない上に、数ヶ月に渡る駐留明けの帰路である。隊は全体的にのんびりした雰囲気に浸っていた。
のんびりと行軍する隊に向かって、後ろからすごい速さで駆けてくる馬が見えた。馬に乗っている人物は、マントを深くかぶり、顔を布で隠している。行軍中の隊に単騎で突っ込んでくる馬など、まさかあろうとも思えない。隊は馬が馬足を緩めるのを待った。しかし、馬足は緩まるどころか、さらに早まり近づいてくる。
最後尾にいる兵たちは、ユルドを守るよう陣形を整えた。
「止まれ!」
ヴィサが剣を抜き叫んだ。
レティはそれを無視し、振り下ろされた剣をすんでのところでかわした。ヴィサの剣筋は、体の深いところに刻まれている。横をすり抜けたレティは、太鼓手目指し駆け抜けた。そして、太鼓を奪い取った。
ドン!
太鼓の音が響き渡る。
ドン!ドン!ドン、ド、ド!
行軍がピタリと止まった。全軍が進行方向を反転させる。そして、足並み揃えて元来た方へと駆け始めた。レティが、太鼓を奪い返そうとしがみついてきた兵たちに向かって何か叫んだ。
一斉に、皆の顔色が変わった。レティは、太鼓手に太鼓を戻して、耳打ちをした。レティから太鼓を受け取った太鼓手は、先ほどと同じリズムで力強く太鼓を叩き、元来た方へ走り始める。
レティはすぐに、もう少し先にいる輜重車の方へとかけていく。
太鼓手の元へヴィサがやって来た。
「太鼓を止めよ」
太鼓手は、はっきりとそれを断った。
「できません」
ヴィサは太鼓の首に剣を突きつけた。
「切られたいのか?」
太鼓手は、ヴィサの顔をしっかりと見て言った。
「レティ様のご命令です」
ヴィサは、先ほどの馬の行った方を見た。それから、急いで駆け出した。
レティは、輜重車のところへ着くと、土嚢作りに役立ちそうな道具を全部出すように指示した。
命令に従わない工兵たちを前に、レティは顔を隠していた布を外した。兵たちは一瞬息を飲み、すぐにそれは歓声に変わった。工兵たちは、急いで必要な道具を集めた。レティは、後ろから上がってきた騎兵に工兵と工具を振り分けて、川へ急がせる。
「レティ様…!」
ヴィサが叫んだ。フードを被った人物の顔は、まだ見えない。それでも、その場の高まった士気から、自分たちの主がそこにいるのだと、はっきりわかる。
「レティ様!」
ヴィサの2度目の呼びかけに、やっとレティが振り返った。
久しぶりに見るレティは、とても痩せて、痛々しいほど血の気がない。生きていただけでも信じられないのに、この数ヶ月を一体、どこでどう過ごしていたのか。ヴィサは目に熱いものがこみ上げるのを抑えることができなかった。
レティは馬を返して、ヴィサに近づいて、毅然と言った。
「この先のリュネの工事現場で、土嚢を積んでほしい。川が決壊すれば、民に類が及ぶ。指示を出せ。私は後で行く」
ヴィサはただ頷き、先頭へととって返した。
隊が到着した時、川には全く危険がないように見えた。にも関わらず、リュネの作業員たちは必死で作業を続けている。この辺り出身の兵たちが、山の上にかかる雲を見て、わーわーと騒ぎ出した。
「全員、下に降りて作業を手伝え!念のため、対岸と、要所要所に縄をはれ」
言われて兵たちは、急いで堤へと向かっていく。
反転して、隊のしんがりをつとめることになったギュンとアイは、途中、何度も姉の名が繰り返されるのを聞いた。
「何故引き返す?兵たちの口に姉上の名が登っていたが」
問いかけに答えたのは、ユルドだった。
「姉上が、生きていらしたのです。リュネの工事している川に決壊の恐れがあって、隊を呼びに来られたようです」
ギュンとアイは、川を見下ろした。リュネの作業員たちの必死さからすると、いつ水が来てもおかしくない状況なのかもしれない。
「本当に決壊するのか?」
「わかりませんが、地元の人間が騒いでいるのですから、危険なのでしょう。我々も行きましょう。一人でも多い方がいい」
「姉上は?」
「ヴィサに後から来ると言われたそうですが、見かけられませんでしたか?」
ユルドが聞いた。
「見ていない」
ギュンは心配そうに首を振った。
「とにかく、まずは土嚢を積むんです。生きていらっしゃったのだから、必ずまた会えます」
ヴィサに指示を出したレティは、みなの後を追うつもりでいた。しかし、途中で、ひどくふらついていることに気づいた。せめて行軍を妨げないように、森の中へと馬を避けながら進んだ。軍は、だんだんとレティを追い抜いていく。ギュンとアイも駆けて行った。
もうこれで大丈夫だと思うと、レティはとても眠くなった。まだ馬にまたがっていられるのが不思議なぐらい、力が入らない。馬の背にもたれながら、随分揺られていた気がするが、いつの間にか手綱を握る力も尽きてしまった。レティはずるりと馬から落ちた。落ちた瞬間、鋭い痛みを感じて、ぬるりとしたものがその周りを覆った。
ラートの言うことに従わなかったから、どうやら良くないことが起こったらしい。でも不思議とすっきりしている。やるべきことをやった達成感というのだろうか。四公家の、しかもプロガム家の長子として生まれたのだ。これが、自分に定められた役目だ。
落ちてから、どれだけの時間が経ったのかわからなかったが、レティはとても疲れてきた。休んでいると回復すると思ったが、いつの間にか夜が来たようだ。先ほどまで少しだけ見えていた光も、暗闇にかき消されてしまった。レティは、ゆっくりと目を閉じた。
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