3日後
夜会の日から、3日経った。
執務室の机に向かって、若きアズヴェルト国王シアは、ハクス家のアシュリに教わりながら、今日も書類の山に向き合っていた。王の従者アキは、片付けられた書類を次の間へ運んだり、また新しい書類を運び入れたりと、忙しそうに動き回っている。
そんな三人を横目に、部屋の端に置かれたテーブルを挟んで、シアの兄、パヴェルと、アレクスが向かい合って座っていた。パヴェルの忠実な従者ソマは、いるかいないかわからないぐらいひっそりと、主のそばに控えている。
パヴェルが優雅な動きでティーカップを持ち上げ、ゆっくりと口を開いた。
「それで、レティと婚約するのか?」
アレクスはなんとも居心地悪そうに、椅子の中にずぶずぶと沈みこんだ。
アシュリが、ちらりと二人に視線を投げ、眉を軽くあげる。シアは素早く書類にサインして、次の間への扉を見た。アキが急いで、次の間へ王の休息を告げ、扉を閉める。
「レティか。悪くないな。あれほどの美女は他にいない。家柄だけならば、文句なく釣り合う。…家柄だけだけどな」
「レティも俺も、そんなつもりは…!」
パヴェルは、カップを揺らして、中に入っているお茶が波立つのを眺めた。
「でも、隣ではその件について、四公たちが集まっているのだろう?それに、お前たち、噂じゃ…」
アレクスは、叫びながら、おもむろに立ち上がった。
「違う!違うんだ。俺たちはなにも!…本当に何もないんだ!」
「よい。よい。わかっている。誰だってそういうところを人に見られたら、言い訳をしたくなる」
パヴェルは了解したと言わんばかりに、洗練された動きで軽く右手を上げた。
「それに、身に覚えがないと言っても、しっかりと見られてしまったんだろ?」
その場にいる全員が息を飲んだ。パヴェルは、周囲の緊張に頓着せず、残りのお茶をゆっくりと飲み干した。
「…一糸纏わぬ姿で、二人きりで夜会の続きを楽しんでいたところを」
パヴェルの言葉が終わらないうちに、アレクスは声にならない呻き声をあげて、頭を抱え椅子に座り込んだ。
「違う!違うんだ!レティは…、少なくとも、レティは何か着ていた」
それを聞いて、パヴェルは愉快そうに笑った。
「噂では二人とも何も着ていなかったというが…。じゃ何か?二人とも寝間着をがっちり着込んで、今後の国の行方について、夜通し語り合っていたのか?」
アレクスが苦しげに答える。
「俺はともかく、レティは一枚は…。ほんとに何か一枚は着ていた!」
シアが、おもむろに書類を広げ、真剣に読み始めた。アキもまた、急に書棚の方に向かい、せわしなく本を整理し始める。
「服を着ていたとか、どうとか、そんなことは大したことじゃない。要は、若く年頃の二人が、朝まで一つのベッドで、ほぼ何も着ずに抱き合って、家族が来るまで目覚めぬぐらい疲れ果て、ぐっすりと眠り込んでいたということが重要なんだ」
「抱き合ってなんか、ない!」
アレクスは絶叫に近い声で否定し、また立ち上がった。
シアとアキは、一瞬アレクスに目を向けたが、大急ぎでまた視線を元に戻す。
「さっきから立ったり座ったり落ち着かん男だ。仮にも四公家の一員で、かつ、次期プロガム家当主の婿になるかもしれぬというのに。少しは落ち着きをみせたらどうなのだ」
言ってパヴェルは人差し指で机を軽く叩いた。アレクスは、頭を抱え込み、再び椅子の中に沈み込んだ。
「なんでこうなったんだ。夜会には行ったけど、全く記憶がない。身に覚えはないのにすっかり噂は広まってるし、何がどうなってるのか、さっぱりわからない」
「レティといえば」
さっきから黙って聞いていたアシュリが口を挟んだ。
「少し前の四公会議で、シンド家のナシルと婚約話がまとまっていたと聞いております。王の承認を受ければ、すぐにでも発表される予定だったはず。プロガムも、シンドも、そして当主たち全員が、そのつもりだったのに、この騒ぎですから…」
アレクスは、絶望的な呻き声をあげて、身悶えした。
さっきまで書類に目を通していたシアが思わず呟いた。
「やっちゃったな、アレク」
アレクスがシアを振り返って叫んだ。
「俺は、何もやってない!」
シアとアキは、とうとう堪えきれずにお腹を抱えて笑い出した。つられてパヴェルも笑い出し、アシュリやソマまでなんとか笑いを嚙み殺そうと苦しそうに顔を背けている。決して笑い事ではない事態が展開しているのに、王の間は大笑いに包まれていた。