白紙
国境の山々が真っ白に塗り潰された日、マルトは、レティの捜索を打ち切った。レティの死は公にされ、国中の赤という赤に黒い喪章がつけられた。
アレクスが、捜索の打ち切りを知ったのは、雪の積もり始めたプロガム城でのことだった。
雪が降るまでに見つけようと、みんな必死にレティを探したが、結局、見つかったのは、最後まで、布とマントだけだった。
アレクスはプロガム城の窓際に立って、国境の山々を眺めた。雪は、真っ白に山々を覆い、眩しいぐらいに白く輝いている。そして、この先さらに降り積もり、辺りを春まで閉ざすという。
ここの気候はアレクスの育った南西部とは全く違う。そそり立つ山々は、神々しいぐらい美しくて、その気品は、どこかレティを思い出させる。レティは、生涯のうちの半分近くをこの地で過ごした。レティはここに生まれ、愛された戦いの女神の娘だった。プロガムの山々は、自分たちの娘を返すのを、はっきりと拒んでいるように見えた。
アレクスは、レティに幸せになってほしいと願っていた。レティに見合うのは、自分ではなく、ナシルなのだと思っていた。レティと自分は男女の仲ではなく、親友のはずだった。
なのに、レティがいなくなってから、自分の半分がどこかに行ってしまったかのような喪失感に苦しめられている。体も心も、ばらばらで、意思もまとまらない。今日一日まともに眠ったのか、まともに食べたのか、何を話したのかさえ定かでない。
自分で生きているのに、まるで他人事のように、現実感のない日々がただ過ぎていく。半分になった自分の空っぽの部分を、何とかしてもう一度埋めようと思う。しかし、そうしようとすると、どうしてもレティのことばかり考える。この空白は、レティがいなくなったから生まれたもので、レティ以外の何をもってしても、埋められない。アレクスは、自分にとって、レティがどういう存在だったかに、今やっと気付き始めていた。
王都のマルトの執務室には、重苦しい雰囲気が漂っていた。重く悲痛な空気は、マルトの執務室だけなく、プロガムの屋敷全体を包んでいる。
久しぶりに会うマルトは、だいぶやつれて、老け込んでいた。アレクスはマルトと向かい合ってソファに座った。部屋には二人しかおらず、沈黙が嫌というほど現実を突きつける。
「まさか、あの子がいなくなるとは、思いもしなかったが…」
マルトは、言葉を詰まらせた。
「あの子は、小さいころから、いろんなことを我慢してきた。真面目で、面倒見のいい、優しい子だった。長子にさえ生まれなければと、何度も思ったよ…」
初めて聞く、マルトの本音だった。
「夏になると、リュネに行くのを楽しみにしていてね。君といると、子供らしく笑ったり、はしゃいだりして、普段ここで見せる顔とは全く違った。君の前で、あの子は自分を作らなくてもよかったんだろうな。君と、少しの間でも一緒にいられて、本当によかった…」
そう言うと、マルトは、顔を抑えて泣き出した。
マルトには、アズヴェルト軍の総帥として、強いイメージしかない。マルトに、涙を流す一面があるなどと、アレクスは想像してもいなかった。
今、目の前でマルトが流しているのは、父親としての涙だ。普段は絶対に人に見せないマルトの本当の心の一部なのだ。
総帥としてのマルトと、本当のマルトは、全く違う人物なのかもしれない。しかし、プロガムの当主として生きる限り、マルトは強い自分を見せ続ける。
レティもずっと、本当の気持ちを一人で抱えていたのだろうか。アレクスは、レティが、どんな思いで毎日を生きていたのかを、考えたこともなかった自分を恥じた。
不意に、初めてあった時、池のそばで一人、大声をあげて、目を真っ赤に泣きはらした幼いレティを思い出した。
『自分が泣くと、皆が不安になるから泣いてはいけない』
あの時、レティは確かにそう言ったのだ。
「すまない…」
マルトは、バツが悪そうに、手で涙を拭った。瞬時に、父親としてのマルトは消えて、いつものマルトが戻ってきた。
「あの子はいなくなったのだから、君はリュネへ帰りなさい。あの子のことは忘れて、幸せになってほしい」
アレクスは、せめてレティの喪が明けるまでプロガムにいたかった。
「でも…」
「まだ正式な婚姻ではないのだ。早いほうがいい。君はリュネに帰りなさい」
マルトは立ち上がって、アレクスを抱きしめた。それは、アズヴェルト軍総帥としての抱擁ではなく、同じ悲しみを持つものへの抱擁だった。
マルトから、レティを失った悲しみが、アレクスの中にどっと流れ込んできた。アレクスの目から涙がとうとうと流れた。アレクスは、マルトの胸で声をあげて泣いた。




