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ラド

 ラドの森も、落葉の季節を迎えていた。葉が落ちて、山の中はかなり見通しが良い。


 アレクスたち三人は、ラド族に出会うべく、ラドの中心部へと足を進めていた。


 森の中で、こちらからラドを見つけるのは、不可能に近い。しかし、ラドは、自分たちの領地に入るものに、絶えず目をみはらしている。ラドの集落を目指しながら、向こうからの接触を待つ方がはるかに容易い。


 ラドに入って二日後、ユルドがサクにうさぎのさばき方を教える傍らで、アレクスは粉を練って薄いパンを枝に巻きつけ、汁を作っていた。寄せ集めの三人での野営は、それなりに上手く回っていた。


 食事の後、アレクスは水場に行った時に綺麗に洗っておいた布を広げた。すごく綺麗にとはいかなかったが、布は、幾分さっぱりしていた。

 布にはアレクスの印があったが、アレクスは自分の印の入った布を、どうしてレティが持っていたのかわからなかった。婚約後、間違って紛れ込んだのならば話はわかる。しかし、この布は明らかにもっと古い。


「アレク」


 ユルドがアレクスに声をかけた。


「それに見覚えはない?」


 アレクスは少し考えてから答えた。


「ああ。今も、なんで、こんな古い布が落ちてたのかって考えてた」


「そうか…」


 ユルドは言うと、黙ってしまった。


「…今度のことだけど。どうして君が姉上の相手に選ばれたかわかる?」


「いや…、全然だよ。仕組まれたことだっていうのはわかるけど、なんで俺だったんだろうってずっと思ってる」


 ユルドは答えず、ゆっくりと上を見上げた。すっかりと葉が落ちて空が見えるようになった木々の隙間には、星がたくさん光っている。


「姉上は、生きていないだろうな…」


 ユルドが今まで誰も言わなかったことを口にした。火の向こう側で静かに話を聞いていたサクの体が、かすかにこわばる。


 アレクスも、ユルドの見ている空を見上げた。夜空は多数の星で、とても明るい。しかし、そのうち、星がぼやけ始め、何も見えなくなった。


 アレクスの目から、涙がとめどなく溢れた。アレクスは、レティがいなくなったことを聞いてから、初めて泣いた。


 薪の燃える音とアレクスのあげる嗚咽だけが、暗い森の中に静かに響きわたる。ユルドも、サクも、ただ静かに黙っていた。


「アレク、短い間だったけど、姉上のこと、愛してあげてくれたか?」


 アレクスの目から、また涙が激しく流れ出した。涙とともに、後悔が喉の奥から込み上げてくる。


「俺、俺は…。レティがいつかナシルと幸せになれたら一番いいと、思ってたんだ。それが、まさか、こんなことになるなんて…」


 感情の高ぶりに捉われて、アレクスはもう話せない。


「君が、リュネの人間だというのに、三ヶ月たっても妊娠の兆しもない。その上、姉上が国境に行くなんて言い出すから、僕たち家族も、どこかおかしいのはわかってた。でも、君なら、姉上を幸せにできるんじゃないかと、どこか期待してたんだけどね…」


 ユルドはただ淡々と話した。その言葉に一切の責めはない。

 アレクスには、それが余計にこたえた。


 出発の一週間前の、自分が拒絶した後のレティの顔が目に浮かんだ。あの時、レティに応えていたら、今、何かが違ったのだろうか?今更考えても仕方がないのに、考えずにはいられなかった。

 すると、また涙が出てきて、アレクスはさらに泣いた。



 少し木々が揺れた。反射的に、サクがそばに置いてあった剣の柄に手をかける。すると、その手を優しく制するものがいた。


 いつの間に現れたのだろう、サクのすぐ隣にいたのは、薄い髪の色をしたラド族の女だった。


「能天気なお前が泣くなんて、珍しいな」


 女は、サクの手を離して、アレクスにむかって言った。気づけばいつの間にか、他にも二人、ラド族の男と女がユルドとアレクスの隣に座っていた。


 ラドは、音も立てずに移動し、急に目の前に現れるという。ユルドとサクは驚いて、隣に座っているラドを、穴があくほど見つめた。


「お前が何で来たかは、わかっている」


 髪の色の薄い女は、アレクスの隣に座った男に目で合図を送った。男は、深紅のマントを差し出してから、自分の名をルスラと名乗った。


「あの日、我々は馬車を追うお前たちの軍を遠くから見ていた。もちろん、我々の土地を侵さない限り、手出しをするつもりはなかった。しかし、我々の恩人であるプロガムの娘が、矢で動けないのをいいことに、連れ去られようとしていた。サーリの命を受け、私が娘を担いでいる男に矢を射た。矢は男にあたり、娘は谷の底に落ちた」


 ここで、ルスラは一旦言葉を切って、全員を見回した。皆が黙って聞いているのを確認して、話し続ける。


「サーリが、生きていても、死んでいても、必ず連れ帰るように言ったので、私はすぐに谷底へと向かった。谷底に行けば、確実に娘を連れて帰れるはずだった。しかし、行ってみると、これが落ちていただけで、娘の姿はどこにもなかった」

 

 そう言って、ルスラが差し出したのは、ところどころちぎれた赤いマントだった。


「私は急ぎ水に入り、川も下って探したが、娘の姿はどこにもなかった」


 ルスラはここでまた、みんなを見回した。それから、また話を続けた。


「娘は、消えてしまった。その後、他のラドたちも手伝って娘を探したが、やはり見つからなかった。どこか、深いところに引っかかっているのか、はたまた下へ流されたのか。あとは、お前たちの軍が来て、お前たちの知っているとおりだ。我々は、娘が知らぬ土地で辱められるのを防ぐため矢を射たが、娘を見つけてやれなかったことは、すまなかったと思っている」


 ルスラは静かに話し終えた。


 しばらくの沈黙の後、ユルドが尋ねた。


「一つ知りたいのだが、姉上を連れ去ろうとしていたのは、賊なのか?相当な手練れがいて、多くの兵がその矢に倒れたと聞いたが」


 薄い髪の色の女がサーリと名乗って答えた。


「それは、お前たちの世界の話であって、我々の関するところではない。教えたところで、つまらないいざこざを起こすだけだ。我々神の民は、神の命ある時以外は、下界には関与しない」


 予想通りの回答にユルドは肩をすくめて理解を示した。



 風が薪を揺らして、再び一同に沈黙が流れる。みんな、しばらく炎を見つめていた。すると、どういうわけか、サーリがまた話し始めた。


「一つだけ、教えてやれることがある。あの出会いで、不運なのは数に利のない馬車のように見えた。しかし、本当に不運だったのは、あの馬車に出会ってしまったお前たちだ。あの馬車を追ってしまった時点で、お前たちに犠牲が出ることは決まっていた」


 ユルドが炎に薪をくべた。火勢は一瞬静まり、すぐに勢いよく燃え始める。


「なるほど。君たち神の民は慈悲深い。教えられないといいつつ、教えてくれるのだから。姉が連れ去られるとまずい相手で、死をも覚悟して矢を射た。多分、そこらへんの賊ではないのだろう。手練れの人物は、アズヴェルト軍の精鋭がまとまってかかっても、最初から勝ち目のない相手。…そんなのはノードリアのハミル将軍ぐらいしかいない。ハミル将軍は、今、ハンニス2世のお守り役を命ぜられているというから、馬車に乗っていた子供は、ハンニス2世というところかな」


 ユルドは、ラド族三人の顔を試すように見たが、誰も肯定も否定もしない。


「助けてもらった上に、これ以上の情報を望むのは厚かましすぎるね。姉が他国に連れ去られるのを防いでくれてありがとう。礼を言うよ」

 

 ユルドはしっかりと座り直して、三人に頭を下げた。


「お前、さっきから娘を姉と呼んでいるが、プロガムのものなのか?」


「そうだ。プロガムの第四子、ユルドだ」


 サーリはユルドの顔を失礼なぐらいじろじろと見た。


「おお、言われてみれば、その派手な外見、確かにプロガムっぽいな。私の中では、プロガムの男は美形だが、あの双子のようにどこか間抜けなところがあると思っていたけど、お前は違う。姉の跡を継ぐのはお前か?」


 サーリは相変わらず空気を読むということを知らなかった。すかさずメリカが咳払いをし、サーリは慌てて黙った。


「プロガムの娘のことは、我々ラドも引き続き気にかけておきます。何かわかれば、すぐに使いをやります。ただ、今年は葉の落ちるのが例年よりも早い。冬が来て、山が閉ざされるのも、同じだけ早くなると思っておいたほうがいいでしょう」


 メリカは美しい声で言った。


 国境あたりの秋は短く、あっという間に冬がくる。冬が来たら、レティの捜索は一旦打ち切らざるを得ない。もうあまり時間は残されていなかった。

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