婚約祝い
夜会からほぼ一月たったある日、プロガムの屋敷では、二人の婚約式が執り行われようとしていた。アレクスは、この日のために誂えられた緑色の正装を着込んで、めかしこまされていた。
昨夜、アレクスはベッドの隅に押しやられることなく、久しぶりによく眠った。式当日は、レティとは会ってはいけないという決まりで、昨夜からレティとは会っていない。
この一月の間に、アレクスはレティのいる生活にすっかり慣れていた。レティのいないベッドは、広くてさみしかった。
婚約式には、プロガム、リュネの一族のみならず、大勢が招待されていた。
開式の合図がなされると、人々の見守る中、レティがマルトと会場に入ってきた。赤い刺繍が施された特別優美なドレスを身につけたレティの姿に、その場にいる人全てがため息を漏らした。
レティはマルトに伴われ、アレクスの隣に立った。ハクス家のラムカが、立会人として二人の婚約を宣言し、二人は指輪を交換する。
四公家同士の婚姻の伝統にのっとって、アレクスは自分の印とリュネの緑の石が刻み込まれた指輪を、レティもレティの印とプロガムの赤い石が刻まれた指輪を、お互いのために用意した。指輪は、正式な婚姻の際、持ち主の印を刻んで正式なものとなる。
宴が始まった。庭にも食べものや飲み物が用意され、客たちは好きなところでくつろいでいる。酒も入り、剣や弓など、プロガム特有の出し物もあって、みんな大いに盛り上がっている。
レティとアレクスは、次々に祝いを述べられ、ほとんど休む暇もない。アレクスは楽しそうに客とお酒を飲んでいるが、レティは朝からの緊張で、少し疲れを感じていた。これで本当に婚約が成立したのだと思うと、やはり普段と同じ気持ちではいられない。客たちの祝いが途切れた隙をみて、レティは少しの間、部屋へ戻ることにした。
戻ってみると、部屋中が、たくさんの花で飾り付けられている。丁寧にしつらえられた部屋からは、この家に仕える者たちが、今日という日を祝ってくれているのがひしひしと伝わってくる。アレクスとは、きっと上手くやっていけるはずだ。
休憩を終えたレティは、宴の会場へ戻ろうと廊下を歩いていた。誰もいない廊下はしんと静まり返り、ゆったりとしたレティの足音だけが響いている。
レティが通り過ぎた部屋の扉が、突然開いた。
レティは後ろから腕を掴まれ、いとも簡単に部屋の中へと引きずり込まれた。
扉が、静かに閉められた。
身構えると、そこには、リュネ家のイェレとユルキがいた。アレクスの二番目と四番目の兄である。
「レティ」
イェレがレティの名を呼んだ。イェレを王都で見かけるなど、滅多にないことだ。急に部屋に引き込まれたのも驚いたが、その相手が、イェレだと知ってレティはさらに驚いた。
「レティ」
次はユルキがレティに声をかけた。ユルキの声で、レティはやっと我に返った。
「はい」
「急に部屋に招き入れたりして、すまない」
ユルキが申し訳なさそうに言う。
「いいえ。お二人とも、こちらへお戻りだったんですね」
ユルキは微笑んで頷いたが、細身で背の高いイェレは、冷たい表情のまま憮然として答えた。
「弟の一生に関わることだからね。帰ってこないわけにはいかないだろう」
アレクスはリュネ家の兄弟全員に愛されていたが、とりわけ次男のイェレの溺愛は有名だった。国中の新しい建築物にその印が刻まれるこの天才は、一番下の弟を何よりも愛していた。
「工事はいかがですか?」
イェレとユルキはプロガム領で大きな治水工事にかかっていた。
「ああ、今度のはなかなか厄介だな」
レティの問いに興味なさげな答えをし、イェレはすぐに本題に入った。
「レティ、今度のこと、君も戸惑っているだろう。僕もそうだ。父や兄は四公が決めた以上、仕方がないとあきらめているが、僕はそうは思っていない。僕は弟が、今回のようなことをするわけないと信じている。君だって、昔から弟を知っているなら、わかるはずだ」
レティの中にあった、さっきまでの満たされた気持ちが一気に消え、違う種類の嫌な何かが蠢き始めた。
「君は、弟ではなく、ナシルが好きだったんだろう?だったら、力を貸して欲しい。犯人を探して、あの夜のことは、全部でっち上げだった、弟ではなく、ナシルと婚約したいと、君の口から四公に言って欲しい」
レティの目は、すがるようにイェレとユルキの二人の上を行き来した。
「でも、私たちはすでに一月、一緒に暮らしています」
「あいつとは、まだ何もないはずだ」
レティは思わず、きつい目でイェレを見た。
「アレクが何か言ったんですか?」
「あいつが言うわけないだろ。君もわかってるはずだ。あいつは、婚約させられたからって、昔からの友達に、急に態度を変えられるやつじゃない」
レティは何も言い返せず、ただ、黙っていた。さらにイェレは、冷たい声で言い放つ。
「レティ、今回のことは、プロガムのものがやったことだ。こんな形で、弟の人生が決まるのは、到底受け入れられない」
レティは、先ほどからだんだん寒くなっていた。この部屋のせいかもしれない。少しでも暖かいところへ行きたいと、窓際へ寄った。
下で、アレクスが楽しそうに、客たちとはしゃいでいる。
「レティ?」
心配そうに、ユルキが声をかけた。レティは、アレクスと、その周りで楽しそうに過ごす人たちを眺めながら、震える声で答えた。
「ラムカ様は、犯人探しは必要ないとおっしゃっています」
「でも、それは、君とプロガムのためで、弟のためではない」
イェレが憮然と呟く。窓枠にかかるレティの指に力が入る。
「プロガムにとっては単なる駒かもしれないが、僕にとっては、大事な弟だ。絶対に見過ごせない。君が、協力できないというのであれば、僕にも考えがある」
イェレは、言外に北の工事のことをほのめかしていた。工事が長引けば長引くほど、水害の可能性が高まり、費用がかさんで民にも負担がかかる。
「レティ。仮にこの決定を覆せるとしたら、君がアレクスを拒否した場合だけだ。君が二人の間には何もない、やはりナシルと一緒になりたいと言った場合にのみ、事態は動く」
レティは、楽しそうに盛り上がる外の様子をじっと眺めた。客と話していたアレクスが、ふと上を見上げ、窓際にいるレティに気づいた。アレクスが、大きく笑って、おいでおいでと手招きする。レティは軽く手を挙げた。
「レティ?」
外を眺め、何も答えないレティに、ユルキがまた心配そうに声をかけた。
みんなに囲まれて、アレクスはとても楽しそうだ。アレクスの周りは、いつも暖かくて明るい。あの暖かさとともに、この先、生きていけるのかと思ったが、戦いの世界に生まれ落ちたレティには、そんなことは許されていないのかもしれない。レティは息を深く吸い込んで、イェレを振り返った。
「おっしゃることは、わかりました。アレクが、この婚約をどうしても受け入れる気がないのであれば、協力します。アレクの気持ちを確かめたいので、もう少し、私に時間をいただけませんか?」
「構わない。でも、頼んだよ。レティ」
イェレはレティの肩に手を置いた。
一人になったレティは、部屋の中ほどに置かれている長椅子に、優雅な動きで腰を下ろし、肘掛にもたれかかった。椅子は、薄暗くて、外の光が届かない。
日の光は、レティの先ほどいたあたりを、さんさんと照らしている。
天井には外の葉陰が反射してゆらゆらと影を作っている。
レティは、影と一緒に現れては消える光を、一人ぼんやりと眺めていた。




