4.ルナ
僕はランク外の人間に会うために農場に向かった。ジョンとモハメドは担当のランクに接触を試みるが、賭けの結果を確認するために正午すぎの雨の時間には一緒に居るという約束をしていた。
僕は農場に立ち入った。そこには土があり野菜が植えてあった。そして、天井からの光で作物が育っていた。
誰かいないかと周囲を見回すと麦わら帽子を目深にかぶりサングラスを付けた白髪の少女らしき人物が目に留まった。服装は白いシャツの上にお腹のあたりに大きなポッケが付いている青いオーバーオールを着ていた。体つきは華奢だった。顔は見えないが何故か心を惹かれた。
彼女は僕を見つけるな草むしりを中断して僕に近づいてきた。
「あら、新人さん?事務所はこっちよ?」
若い女性の声だった。彼女は僕の手を引いた。
「あの、僕は」
僕の言葉を遮って彼女は言葉を続ける。
「私は白草・月菜、アルビノなの、あなたはどんな先天性の遺伝子異常なの?」
「いや、僕はクルセイダーズの煌々院・詩音だ」
「クルセイダーズ?ああ、あなたはダウン症なのね。大丈夫、ここでは農作業はあるけど怖いことは無いわ。ちゃんと休みもあるし有給だってとれる。だから、安心して働けるのよ。給料もちゃんと支払われるからクルセイダーズの玩具も買えるわ」
なにか、壮大な勘違いの上に、僕は障害者として扱われた。その理由は左手の甲に何も記されていないからだと気が付いた。月では免疫能力の高さでランク分けが行われる。僕の手の甲には何もない。それはランク外の人間だった。
僕は、誤解を解くための努力を放棄した。理由は、しかるべき人に会えば誤解が解けると思ったからだ。
彼女に案内されてたどり着いた場所は、農場の中に立っている一軒家だった。家の中にはふくよかな中年の女性が居た。痩せてた時は美人だったんだろうと思われる。
「小林さん。新人さんを連れてきました」
「え?今日は誰も来ない日だよ?あれ、あんたクルセイダーズの一人だね。ニュースで見たよ」
「え?本当にクルセーダーズの一人だったんですか?」
「ああ、間違いないよ。煌々院・詩音さんだろう?これから危険な惑星エスポワールへの移住者を集めるって聞いたけど、本当に活動してたんだね」
「ごめんないさい。シオンさん。私てっきり農場の人員補充かと思って」
「いや、いいんだ。月では手の甲に何も印が無い場合はランク外の人間だと判断してしまうのは仕方のない事だ」
「シオンさんは優しいのね。私に出来る事だったら何でもするから遠慮なく言ってね」
「ありがとう。でも、女の子が簡単に何でもするって言っちゃだめだよ」
「私は分かって言っているわ。シオンは優しい人、私が嫌だと思う事を強要しない人だとすぐに分かったから、何でもするって言ったのよ」
「その勘が外れたら、どうするつもり?」
「そんな事は起こらないわ。だって、私の勘は外れたことが無いのよ」
彼女は自信満々にそう言った。
「大した自信だね」
「本当だよ。ルナの勘はよく当たる。たまに予知でもしてるんじゃないかって思うぐらいだよ」
小林さんも肯定している。
「なるほど、折り紙付きってわけか、だが信じられないな」
「じゃあ、一つだけ当てて見せるわね。あなたには親友が二人いる」
「本当だ。当たってる」
僕は、素直に感心した。
「ね。凄いでしょ?本当はもう一つ感じたことがあるんだけど、こっちは秘密」
「ふむ、気になるけど聞いても教えてくれないんだろう?」
「そうね。もし、私の勘が当たったら後で教えるわ」
「それだと、勘が当たったか分からないだろ?」
「それもそうね。私、うっかりしてたわ」
そう言って笑った。彼女が笑ったことが何故か嬉しかった。
「一つだけ、お願いがあるんだけど良いかな?」
「ええ、なんでもどうぞ」
「君と話がしたいんだ」
「小林さん。良い?」
「良いよ。ただし、仕事中だから仕事しながらにしなさい」
小林さんは笑顔で言った。
「シオンはそれでいい?」
「ああ、もちろんだよ。僕も手伝うから」
「じゃあ、行きましょう」
そう言ってルナは来た時と同じように僕の手握って畑を進んでいった。最初は面食らったが、落ち着いた後で改めて手を握られると少し気恥ずかしかったが、何故か振りほどきたくなかった。
温かい何かが彼女の手から流れ込んできているように感じた。暫く歩いた後、彼女は手を離した。そして、僕の目の前で優雅に一回転して手を体の後ろに隠した。そのしぐさがとても可愛かった。
「今日は、ここの畑の草むしりをするのよ」
そう言って最初に出会った畑で草むしりを開始した。僕は少し見惚れたが、すぐに同じように草むしりを始める。
「それで、どんな話をしたいの?」
作業をしながらルナが聞いてきた。
「ああ、君はランク外と認定された事をどう思っている?」
僕はオブラートに包まず質問をした。それは、相手を傷つけるかもしれないと思いながらも、他の聞き方を思いつかなかったからだ。ルナは一瞬手を止めたが、すぐに答えた。
「しかたのない事だと思ってる。でもね。私はそれで良いと思っているの。だって、私は地球に帰っても普通には暮らせないから」
そう言って悲しそうな顔をした。アルビノは紫外線に対する抵抗力が弱い。地球では紫外線対策をしないと外をまともに歩けない。
「もし、帰れるとしたら地球に帰りたい?」
「そうね。みんなに迷惑が掛からないのなら海を見てみたいな。後、砂漠と湖と空と太陽と雪と氷と夕焼けと朝日と星空と森とジャングルと川と山、それに紅葉も見てみたい」
ルナは人類が失った当たり前の風景を見たいと言った。
「映像は残ってないの?」
「残っているし今でも大人気よ。みんな見ている。でも、殆どの人が実物を見たことが無いの。だから、みんな地球に憧れているの。映像は美しいけど何も分からないの」
「何も分からない?」
「そうよ、だって海の香りも海の触感も海の味も、雪の冷たさも、朝の空気の匂いも、何もかも分からないの。だから、地球に行ってみたい」
僕は全て知っていた。ルナが知らないと言った全てを知っていた。そして、それを体感できる場所も知ってた。
「ルナ。もし、君さえよければエスポワールに移住しないか?地球にそっくりな惑星なんだ。君が見たいと言ったものが全てある」
「エスポワールって危険な星なんでしょ?」
「確かに危険な生物は居る。でも、僕たちはそいつらに勝利した。一緒に行く人たちは僕と僕の親友が必ず守る。だから一緒に来ないか?」
ルナは作業の手を止めて真剣に考えている。
「すぐには決められないわ。だって、ここの生活もそんなに悪い訳じゃないもの」
「差別されていても?」
「差別じゃないわ。区別よ。ランク外だからと言って馬鹿にする人は、ここにはいないわ。小林さんはDランクだけど、私や他のランク外を見下したり人権を無視したりはしない。対等の人間として、私達に出来る作業を出来る範囲でやらせてくれる」
確かに、小林さんがルナを見下している雰囲気は無かった。普通の人間として接していた。そして、作業もルナを信頼して任せている。
「分かった。じゃあ、もし僕と一緒にエスポワールに移住する気になったら、僕たちの事務所に来てくれ、いつでも歓迎するよ」
「ありがとう。ねぇ、私からも質問していい?」
「良いよ」
「エスポワールでのあなた達の冒険を聞きたい」
「ああ、良いよ。口下手だけど、頑張って話すよ」
「ありがとう」
それから、僕たち二人は草むしりをしつつ会話をした。僕の冒険譚をルナは嬉しそうに聞いていた。そうこうしているうちにお昼になった。
「お昼だけどシオンさんはお弁当持ってきてますか?」
「ああ、ちゃんと持ってきてる」
朝起きると事務所の郵便ポストに食料が入っていた。それはクッキーのような食料だった。必要な栄養分は入っているようだが味はいまいちだった。それと水の入った五百ミリリットルのペットボトルが一人一本支給されていた。これが一日の食料だった。
ルナが弁当袋から取り出したもの同じものだった。
「この食糧ってみんな同じなの?」
「ええ、ランクに関係なく配給される食料はこれだけよ」
「そうか、そこは平等なんだな」
「ただ、お金を払えば街で料理を食べられるわ。私は行かないけど」
「どうして?」
「理由は、行ってみれば分かるわ」
そう言ってルナは悲しそうな顔をした。
「分かった。後で行ってみるよ」
「気を悪くしないでね」
「分かった」
そして、味気ない食事を終えた。十三時から雨の時間なのだが、その時間が差し迫っていた。僕は船に戻ろうとした。
「じゃあ、僕はこの後用事があるから、もう行くよ」
「え?もうすぐ雨が降るのよ?体を洗わないと一週間洗えないのよ?」
僕は引き留められると思っていなかった。
「いや、大丈夫だよ。エスポワールでは一ヶ月体洗えなかったこともあるし平気だよ」
「駄目よ。ちゃんと体を洗わないと」
「いや、でも」
「子供みたいなこと言ってないで脱ぎなさい」
「いや~~~。やめて~~~」
僕はルナに剥かれた。
「この服って濡れても大丈夫なの?不思議な感触の服だけど」
「うう、女の子に乱暴された」
エスポワールでは、どんな凶悪な生物も殺してきた僕がルナには手も足も出なかった。小さい頃に母さんに無理やりお風呂に入れられた記憶がよみがえる。まるで母親のようだった。
「何言ってるの?あなたが子供みたいなこと言うからでしょ?それで、服は濡れても良いの?」
「あい、すみません。服は濡れても大丈夫です」
僕は胸と股間を隠し、地面で小さくうずくまりながら答えた。僕の来ていた服はエスポワールでのサバイバルに耐えれるクルセイダーズのユニフォームだった。耐刃性もある。
「じゃあ、ここに畳んでおくわね」
そう言ってルナは僕の服を畳んで置いた。そして、ルナも脱ぎ始める。そこには恥じらいは何もなく当たり前の様に脱いでいた。
僕は、気恥ずかしいのと見てはいけないような気がして目を瞑った。
「もう、何してるの?もうすぐ雨が降るから、ちゃんと立って。それと、石鹸は持って来た?」
僕は目を瞑ったまま立ち上がった。
「石鹸は忘れました」
「もう、しょうがないわね私の貸してあげるからって、なんで目を瞑っているの?」
「いや、僕には刺激が強すぎて」
「私の体、やっぱり気味が悪い?」
ルナの声のトーンが下がった。それは、とても悲しそうな声だった。
「いや、違うよ」
「いいよ。気にしないで、私は慣れてるから」
その声は、とても慣れているように思えなかった。傷ついている声だった。僕は目を開けた。そこには天使が居た。全身真っ白で目だけが赤いほっそりとした体形の天使が居た。そして、ルナは泣いていた。
「ごめん。君は美しいよ。ただ、僕は女の人の裸を見た事なくて、それで、僕の無様な姿を見られたくなくて目を閉じていたんだ」
「ぶざまな姿ってなに?」
傷ついて震える声で僕に聞いた。僕はルナが悲しんでいる事が自分の事のように苦しかった。だから、包み隠さず話した。
「君に発情している姿を見られたくなかった」
僕は仁王立ちでルナの正面に立った。
「こんな不気味な私を見て発情しているの?」
「不気味なんかじゃない。とっても綺麗だ」
「ここからじゃ良く見えないから近づいても?」
「いいよ。ちゃんと確認して、でも触らないで、衝動を抑えられなくなる」
「分かった」
そう言ってルナは近づいてきて僕の股間を凝視した。
「本当だ。本当に私を美しいって思ったの?」
「そうだよ。だから……」
ルナは立ち上がって僕を抱きしめた。
「ありがとう。嬉しい」
「ちょっと、待って」
このまま抱きしめて押し倒してしまいそうな自分が居る。だが、僕はルナが好きだった。だから、無理やりなんて嫌だった。
「いいよ。シオンがしたいならする。だって、私」
ルナも同じ気持ちらしい。だが、僕は女性に先に告白させるなんて甲斐性無しになりたくない。だから、言葉を遮って言った。
「待って、僕から言わせてくれ、一目惚れだったんだ。僕はルナが好きだ」
「知ってた。私もあなたが大好きよ」
「だから、みんなが居るところではしたくない」
ルナの姿を独り占めしたかった。そう思うと情動は収まった。でも、抱き着いているルナの温もりは心地よかった。そして、幸せだった。
「分かった。じゃあ、ちゃんと体を洗いましょ?」
「ああ」
僕の告白が終わった後で雨が降ってきた。僕とルナは一つの石鹸を交互に使って体を洗った。
体を洗い終わった後で、もう一度抱きしめ合った。
『ただ抱き合ってるだけなのに、なんでこんなに幸せなんだろう?』
僕とルナは同じ疑問を口にして、同じように笑い合った。これが、僕とルナの出会いだった。