3.クルセイダーズ事務所
伊集院さんの案内で僕達は街を歩いていた。道行く人たちの服装に違和感を覚えなくなったころ、僕は住民の左手の甲にアルファベットが書かれている事に気が付いた。
アルファベットは、A、B、Cと三種類あり、Aの割合が一番少なく、Cが一番多かった。
「伊集院さん。手の甲にあるアルファベットは何ですか?」
僕の質問に伊集院さんは顔をしかめた。
「あれは、差別だ。私はあんなやり方は好きではない。だが、国民の三分の二が賛成した法案の結果だ」
「どういう差別なんですか?」
「先ほど大統領は免疫能力を高めると一言で言っていたが、現実的には免疫能力の高さで人をランク分けして、ランクによって人権を侵害している悪法だ」
伊集院さんは、嫌悪感を露わにしてそう言った。そして、手の甲にはAと記されていた。
「伊集院さんはAなんですね」
「ああ、私はたまたま高ランクを得たが、D以下のランクでは悲惨な人生が待っている」
「具体的に聞いても良いですか?」
「もちろんだ。大統領も国民もその事を隠してはいない。公然としたルールとして受け入れている。地球に帰る為の正当な手段だと殆どの人間が疑っていない。反発する者は居るが少数だ。
具体的に説明すると、Aランクの人間は何の制限も無い。むしろ優遇措置が取られている。税金の免除、学費の無償化、生活の保護、武器の携帯、犯罪を犯した場合には減刑される」
「特権階級じゃないですか!」
酷い差別だ。貴族制度の復活だった。
「月は中世以降に文明が退化しているようだな」
ジョンは、嫌悪感を露わにした。
「本当に、なんでそんな法案が通ったのだ。理解できない」
モハメドはショックを隠し切れなかった。
「私もそう思う。だが、そうしなければもっと酷い事が起こっていた。DNA改変による新人類の誕生と新人類を旧人類が地球に強制的に帰還させての人体実験とかな、それをしないために、今の制度が出来上がった」
伊集院さんは苦悩の表情でそう言った。
「でも、免疫能力を高めて戻ったとしてウイルスに勝てる保証は無いんですよね?」
「ああ、だからAランクの人間が一定数に達したら、志願者を募って地球に降り立つ」
「それって自殺と変わらないじゃないですか」
「いまでも、Aランクの人間の中には地球に帰りたいと思っている者が多い。法律で禁止しなければならない程にな」
「どうしてそこまで……」
「地球を知っている世代がいかに地球が素晴らしかったか誇張して伝えているからだ。しかも、月での生活が地球と比べて不便で苦しいからなおさらな」
「じゃあ、エスポワールに移住すればいいじゃないですか」
「見て来た君達はそう思うのだろうが、エスポワールがどういう惑星だと伝わっているのか教えておこう。エイリアンが住んでいる危険な星、毒と瘴気に覆われ人の住めない惑星だと言われている」
「なんで、そんな事に」
「理由は私にも分からない。だが、月に移住して暫くしてから噂が広まっていた。私が産まれて物心ついたころには、エスポワールに向かった若者たちはエイリアンに殺されたと言われていた」
「そんな、片道だけでも四十二年かかるのに」
「全くだ。大人になってからエスポワールまで片道四十二年かかると知ったがとんでもない噂だ。だが、その噂が今では真実のように語られている。だから、君達が移住者を募ったとしてもなかなか集まらないだろう」
「伊集院さんは移住したいと思わないんですか?」
「私は無理だ。妻も子供も今の生活が大切だと思っている。二人ともAランクだからな、私のように今の世界が間違っているとは思っていない。だが、私の家族だ。思想が違ってもそれだけで離れて暮らしたいとは思わんよ」
「そうですか」
「さて、話を戻そう。Aランクについては分かってもらえたと思う。次にBとCだが、Aランク程の特権は無いが、職業選択の自由があり、結婚も制限付きだが認められている。武器の携帯はAランクだけの特権だ。また、子供の数は一人までとされている。だが、ランク外の人間と結婚した場合は子作りを禁止される」
「禁止されるってどういう事です?」
「強制的に避妊手術を受ける事になる」
「そんな、家畜みたいに」
「だが、法律で決まっている事だ。そして、ランク外として認定されるのは、先天的な遺伝子異常を持つ者に限られている。ダウン症等がランク外とされる。だから、誰も反対しない」
「地球ではありえない法律だ」
「そうだな、月の地下都市という環境が生み出した法律だ」
「Dランク以下はどんな扱いになるんですか?」
「DランクからFランクまでは、職業選択の自由は無い。学校も中学校までの義務教育だけだ。高校や大学への進学は出来ない。基本的に農場や下水道、工場での単純作業しか許されない。結婚は認められるがAランクとの結婚は禁止されている。子供の数は一人まで、医療費には保険が適用されない」
「それって……」
「ああ、病気になったら治療も出来ずに死ぬこともある」
「どうしてそんな事に」
「Aランクの人間を増やすための合理的な措置さ」
「Dランク以下の人間は反乱を起こさないんですか?」
「武器の携帯を許可されていない。持っていた場合は即刻反逆罪で死刑だ。しかもDランク以下は選挙権を剥奪されている」
「慈悲は無いのですか?」
「そんなものは資源の限られた環境では何の意味もなさない。こうしなければ月の都市は遠からず滅びる。意外に思うかもしれないが、Dランク以下の人間達はいつかAランクの人間が地球を取り戻し、ウイルスを克服する方法を見つけ出して、月から全ての人間を地球に住めるようにしてくれると信じている」
「Aランクの人間達もそう思っているんですか?」
「もちろんだ。彼らはエリートだ。全ての特権は人類を救うために与えられていると教えられている。そして、法律にも明記されている。全ての特権は地球を取り戻す為に必要なものだと、その代わりAランクの人間は命を懸けて地球に戻る義務を負っている」
僕には想像出来ない世界だった。差別が当たり前の世界。弱者を淘汰するのが当たり前の世界。
「僕には理解できそうにないですね」
「ああ、君達は理解する必要は無い。だが、知っておく必要はある。これから君達はエスポワールに移住する仲間を探すのだから」
「分かりました」
「最後にランク外についてだ。先ほど言ったように先天的な遺伝子異常を持ったものがランク外とされる。ランク外の人間の手の甲には何も書かれていない。知的障害や身体的障害があるので就職先は農場しかない。
単純な作業を任される。義務教育も受けれない。そして、結婚は許されていない。知的障害が酷く性欲を抑えられない場合には避妊手術も行われる」
「人間扱いされないんですね」
「ああ、だが誰も文句を言わない。それが月という場所だ」
「教えてくれてありがとうございます」
「なあ、伊集院さん。俺達は選挙権を持てるのか?」
今まで黙って話を聞いていたジョンが急に喋り出した。
「君達がエスポワールに行かずに地球に帰還する意思を示せば持てるだろうが、先ほど言ったようにCランク以上でなければ選挙権は与えられない」
「それでも、この制度を変えたいと言ったら?」
ジョンの瞳に危険な炎が宿っていた。まるで戦ってでも変えてやると言う正義の炎だった。
「ジョン。君の気持は分かる。だが、月の国民の殆どは君に賛同しないだろう。そればかりか秩序を乱す厄介者と思われるだろう。もし、Dランク以下の人間を哀れと思うのなら出来るだけ多くエスポワールに連れて行けるように努力したまえ、大統領は百人と言ったが、Dランク以下の人間なら何人でも食料を用意するだろうよ。地球への移住計画が早まったと喜ぶだろう」
「そうか、分かった。Dランク以下の人間を全て連れて行く」
ジョンはそう断言した。僕も同じ気持ちだった。免疫能力が低いと判断されただけの人間が家畜のような扱いを受けている。それが我慢ならなかった。
月の事情を一通り理解したころで、僕たちは事務所についた。雑居ビルの三階が事務所だった。事務所はなかなか広く十人分の机を並べても余裕がありそうだった。
しかも、最初から三つの机と電話が置いてあった。さらに本棚も設置してありトイレもあった。トレイは水洗式ではなくバイオトイレだった。また、電気コンロも置いてあり、ベットも用意されていた。ここに住めそうだった。
「ここが君達の事務所兼住宅になる。一通り必要なものは揃っているはずだが、足りないものがあれば私に連絡してくれ、連絡先は電話にすでに登録してある。まあ、用意できない事もあるができるだけ善処しよう」
「伊集院さん。ありがとうございます」
僕はお礼を言った。
「なに、礼には及ばん、全て税金で賄われている。私の財布は痛まない」
そう言って初めて笑顔を見せてくれた。
「あなたでも冗談を言う事があるんですね。もっと真面目な方かと思っていました」
「なに、月の現状を話している時に冗談は言えなかっただけだ。どう話しても面白くならないからな」
「確かにそうですね。あの内容で茶化して話されていたら、人格を疑うとこでした」
「それで、君達は明日からでも動くつもりかね?」
「ええ、そのつもりです」
ジョンが答えた。
「なら、最初に言っておく、区画Fには行かない方が良い。あそこは無法地帯だからな、それ以外の区画から仲間を集めた方が良い。エスポワールに犯罪者を連れて行きたいのなら止めはしないがね」
伊集院さんは皮肉交じりに言ってきた。どうやらユーモアもあるらしい。
「なるほど、情報ありがとうございます。ですが、俺は自分で見たものしか信じないことにしてるんで、本当にそうなのか確認に行くことにします」
「さすがはクルセイダーズだな、人の話を鵜吞みにしないことろは感心できる。だが、忠告は聞いた方が良い。武器は必ず持って行った方が良い」
「さっき、Aランク以下は武器の携帯が許されていないって言ってませんでした?」
「何事にも例外はあるのさ、法律では禁止されている。だが、区画Fには法の支配が及んでいない。政府もそれを放置している。だから、武器だけは絶対に持っていけ、君達に死なれた寝覚めが悪い」
伊集院さんは本当に心配そうな顔で言っていた。
「分かりましたよ。あなたが良い人で良かった」
「忠告を聞き入れてくれてありがとう。これで枕を高くして眠れるよ」
そう言って、手を振って伊集院さんは帰っていった。
「なあ、ソードマスター。俺はこの世界を壊したい。君はどう思う?」
「同じ気持ちだよ。でも、ここにはここのルールがある。そして、住んでいる人たちの気持ちを僕たちは想像で知ったつもりになっている。だから、まずは話を聞いてみる必要があると思っている。僕たちの正義が、本当にここの人達の為になるのか確認したい」
「そうか、ソードマスターはそう考えるのか、日本人らしいな。それで、チャンピオンはどう思った?」
「私には分からない。何が正しくて何が間違っているのか。シオンと同じ気持ちだ。ここの人達の心が知りたい。話してみれば見えてくるものがあると思う」
「そうか、なら明日からは現地調査だな」
「ああ、全てのランクの人と話をする必要があると思う。僕はランク外の人間から調査したい」
「弱者の意見を聞きたいのは俺も同じだったんだが、ソードマスターに譲るよ。じゃあ、俺はD~Fランクの人間から話を聞いてくる。チャンピオンはA~Cランク担当で良いか?」
「最初はそれでいいが、最終的に私は一人で全てのランクの人間と会話がしたい」
「言葉が足りなくてすまない。俺も同じだ。とりあえず明日はって事で宜しく頼む」
「ああ、分かった」
「さて、必要そうな資料は本棚にありそうだな、明日の予定を立てる為に情報収集を始めるとしよう」
ジョンが本棚を指さしてそう言った。
『異議なし』
僕とモハメドは一緒に答えた。こうして、僕らは現地調査から始める事になった。差別が当たり前にある階級社会で僕達は新たな仲間を募るのだ。