2.月の政府
僕らは月に向かっていた。船の操縦はジョンが行っている。そして、月があるべき場所に黒い衛星を見つける。
「どうみても月に見えないが、あれが月なのか……」
ジョンが呟く。
「ああ、そうらしい」
僕はジョンに同意した。モハメドは無言だった。黒い衛星に近づくと、黒く見えた理由が分かった。月の表面に太陽光発電パネルがびっしりと隙間なく設置されていたのだ。
「黒く見えるわけだ」
ジョンが納得した表情で言った。
「これだけの発電が必要だという事は、中にはそれなりの人数が居そうだな」
「ホークアイ。あそこに着陸できそうだぞ」
モハメドが指さした場所には太陽光パネルが無く、クルセイダーズが着陸できそうな広さがあった。
「分かった。行こう」
ジョンはそう言うとすぐに船を着陸させた。月に着陸すると、着陸した地面が長方形の形で陥没した。この場所はエレベータだった。エレベータはゆっくりと下降していき、入り口は左右からせり出してきた鉄の扉で閉まった。
僕は緊張していた。ここからは未知の世界だった。人類が住んでいると知らされているが、どういう状況なのか分からなかった。本当に居るのか、居たとして歓迎されるのか?人口はどれぐらいなのか?ジョンとモハメドも同じ気持ちなのか、全員無言だった。
エレベータ内には明かりが灯っていて暗くは無かった。一番下についたのかエレベータが止まった。そして、正面の壁が左右に開いて格納庫らしきものが現れる。誘導灯が点いて中へ誘っているようだった。
月の重力は地球の六分の一のはずだが、重力発生装置が作動してるのか地球と同程度の重力が発生しているようだった。
ジョンが無言で船を操作し誘導灯にしたがって中に入った。すると、後ろの扉が閉まり、空気が充填される様なシューという音が聞こえた。そして、暫くすると格納庫の扉の一つが開き、五人の人間が姿を現した。
人間を見て張り詰めた空気が和らいだ。
「どうやら、人類は無事だったらしいな」
ジョンが安堵したような声で言った。だが、僕は彼らが武器を携帯しているのを見逃さなかった。
「イーグルアイ。やつら武器を持ってるぞ」
「ソードマスター。なら、俺達がやる事は一つしかない」
「武装するのか?」
「当たり前だ。私達は英雄のはずだ。それに武器で持って答える連中に何の遠慮をする必要がある。私達は命がけの任務から帰って来たんだぞ。侮辱される謂れはない」
僕の問いにモハメドが静かに怒っている声で答えた。
「ソードマスター。日本人は優しすぎる。俺は日本人が好きだ。だが、その優しさは自分の為にならない」
「分かったよイーグルアイ。君が味方で良かった」
「それは、こちらのセリフだ。ソードマスター」
僕たちは完全武装で外に出た。外に出るなり五人は銃口をこちらに向けてきた。
「君達は、クルセイダーズなのか?」
黄色人種の中年男性が不安そうな顔で質問してきた。ジョンは油断なく相手に銃口を向けている。僕もいつ戦闘になっても良いように、腰を落とした体勢で刀に手をかける。モハメドもいつでも相手の懐に飛び込める体勢だった。
「ああ、そうだ。ジョン・スミス、煌々院・詩音、モハメド・オサマの三人が惑星エスポワールに居住可能だという情報を持って来た。それに対する答えが銃口か?」
ジョンは、怒っていた。僕もモハメドも怒っていた。なぜ、銃口を向けられるのか、その理由が知りたかった。
「本当に帰って来たのか、銃を向けてすまない。君達が帰ってくると信じていた者は少なくてね」
そう言って、彼らは銃口をこちらから逸らした。
「それで、移住計画はどういう扱いになっている?」
ジョンが状況を確認する為に質問をした。
「それについては今の月の大統領に直接聞いてもらうしかない」
隊長格の男性が苦しそうに言った。
「地球にはもう住めない。なら結論は決まっていると思うが?」
ジョンの言葉に隊長格の男が拳を握りしめ静かに辛そうに反論する。
「俺達は、それでも地球に帰りたい」
その言葉を聞いてジョンは動揺していた。無理もない、それは僕達の調査を否定する言葉だったからだ。モハメドは冷静なように見えたが握っていた手が震えていた。
持っていた武器は取り上げられなかった。そのまま徒歩で移動した。
「乗り物は無いのか?」
暫く歩いた後でジョンが疲れたのか隊長格の男に聞いた。僕とモハメドは惑星エスポワールで慣れていたので、長距離を歩くことを何とも思っていなかった。
「限られた資源で都市を機能させている。無駄に電力を消費する訳にはいかないんだ。すまないが歩いてくれ」
兵士達も顔色一つ変えずに歩いていた。ジョンはうんざりしたような表情で歩いていた。なぜなら、武器を携帯していたからだ。たった一人だけ十キロの重りを背負って歩いているのだ。敵性生物ではなく人間が相手なのだから拳銃でも良かったのに、なぜかレールガンを持って来ていた。
僕とモハメドは普段から携帯しやすい武器だから苦にはならない。月の都市は、学校の体育館を連想させた。天井は体育館等比較にならないぐらいに高いが光源である電球が敷き詰められていた。上を見ると眩しいぐらいに光っていた。
そして、空気は淀んでいた。地球やエスポワールで感じていた空気と根本的に何か違っていた。そして、道行く人達の服が全てプラスチックのような素材だった。僕は疑問をそのまま口に出した。
「なあ、隊長さん。なんでみんなプラスチックのような服を着てるんだ?」
「ああ、あれか、理由は明日になれば分かる事だが月では水が貴重品なんだ。飲み水は一週間で飲む量が決められていて、病気でもない限り追加で支給されることは無い。そして、体を洗える日は一週間に一度きり、しかも天井から一時間雨が降る時に洗うしかない。
雨が降ったら服を脱いで、みんな外で体を洗う。だから、濡れても大丈夫なプラスチック製品を着ているんだ。
ちなみに、使えるシャンプーや石鹸は全て支給された物しか使えない。まあ、他のものを使おうにも他の物なんて月にはないがな」
「え?男も女も裸になるのか?」
ジョンが驚いて聞き返した。
「ああ、月ではそれが普通だ。各家庭で水を使わせたら水の浄化が間に合わなくなる。苦肉の策だった。最初は抵抗もあったが、慣れれば混乱も起きない。今では習慣となって裸を見ただけで発情する男は居なくなったよ」
「俺達には刺激が強そうだな」
ジョンは生唾を飲み込んで言った。僕は複雑な気分だった。人前でシャワーを浴びるなんて出来るのだろうか?船に帰れば当然シャワー室もあるし水の浄化装置も健在だ。僕だけ船のシャワーを使う事も検討しておこうと思った。
「私は、女の裸ごときで心を乱されたりしないがな」
「言ったな、チャンピオン。なら勝負だ。発情しなかったら俺のカレーをやるよ。発情したら俺にハンバーガーをよこせ」
「良いだろう。後悔するなよ」
「そっちこそ」
ジョンの好物はハンバーガーで、モハメドの好物はカレーだった。二人は宇宙食として支給されたレトルト食品を賭けていた。レトルト食品は数が限られていたので、エスポワールで調査していた時もお金代わりに賭けの代金として使用していた。
「カレーにハンバーガーか、いまなら大金を払ってでも買いたいってやつが月には五万といる。あまり、その手の話はしない方が良い」
「どういうことですか?」
「月には動物が居ない。蛋白源は大豆しかない。後は分かるな」
僕の問いに、隊長は真剣なまなざしで答えた。
「もし、他の人が聞いたらどうなるんです?」
「この前、肉の缶詰を持ってた老夫婦が強盗に襲われて殺された。その缶詰はオークションで百万ドルで落札されたよ。ちなみに犯人は捕まってない」
僕とジョンとモハメドはお互い見つめ合い。生唾を飲んだ。
「あの、僕たちの食料の事は」
「秘密にしてやる。幸い、俺も俺の部下も口が堅い。カレーで手を打とう」
この隊長、強かだった。
「しょうがない。命には代えられない。ソードマスターとチャンピオンも良いか?」
「ああ、だが、二つずつ出すと一個余るな、どうする?イーグルアイ」
「そういう時はジャンケンだ」
そして、僕が勝った。
「ソードマスターは相変わらず強いな~」
「全くだ。私の動体視力でも何を出すのか見極められん」
「いやいや、君達もなかなか凄いよ」
三人ともそれぞれの武器の達人だった。動体視力はみんな良かった。だが、三人の中で僕だけが指を高速で動かすことに長けていた。だから、ジャンケンで僕が負ける事は無かった。
それから暫く歩いて着いた場所は十階建てのビルだった。どこにでもありそうな雑居ビルらしかったが、入り口には「月の宮」と書かれていた。たぶん建物名なのだろう。
周りには同じようなビルが立ち並んでいた。
「ここが月のホワイトハウスなのか?」
「そうだ」
ジョンの質問に隊長が答えた。
「武器は預ける必要があるか?」
「ああ、街では武器の携帯は許可されているが、この中だけは別だ。入り口で預けてもらう」
「分かった」
僕たちは武器を預けて、ビルの十階に案内された。その部屋は赤い絨毯が敷いてあり、奥に机が一つ置いてあるだけの簡素な部屋だった。窓は無く、装飾品が無ければ牢獄と間違っただろう。
一つしかない机には初老の白人男性が座っていた。机の右側には日本人らしき長身の偉丈夫が立っていた。年齢は四十代ぐらいに見えた。手は後ろで組んでいた。
僕たちは案内されるがまま、机の前に三人で並んで立った。
「私が月の大統領、ケビン・ワシントンだ。エスポワールから帰還したそうだな」
「はい」
初老の男性の問いかけにジョンが代表して答える。
「居住可能か?」
「ええ、俺達三人で調査した結果、携帯可能な武器で全ての敵性生物に勝利しました。また、大気の成分、気候、食料、全て人間が住める環境であると断言します」
「なるほど、だが事情が変わってしまった。政府としては移住計画を大々的に後押しするだけの予算は割けない。もし、移住したいのなら、個人的に活動してくれ、ある程度の食料支援はするが、百人規模でしか用意できない。これが月の政府の現状だ」
「なぜです。ここに居ても未来は無い。一緒にエスポワールに移住しましょう」
ジャンは熱っぽく語ったが、相手の心には響かなかったようだ。
「我々は地球に帰る為の準備をしている。月に移住して六十年になるが、ようやく成果が出始めたのだ」
「ワクチンが出来そうなのですか?」
「いや、あのウィルスの研究はしていない。代わりに人間自体が持っている免疫能力を高める研究をしている」
「DNAの改変を行っているのですか?」
「いや、そんな研究ではない、単純に免疫力の高いもの同士で子供を作っている」
「なるほど、それは任意で行っているんですか?」
「ああ、もちろんだとも」
「分かりました。では、我々は独自に移住者を募ってエスポワールに向かいます」
「そうしてくれたまえ。こちらも全く協力しないという訳ではない。事務所と住む場所、それに生活に必要な食料と水を提供する。移住者が集まったらまた来てくれ、その時は百人が一年暮らせるだけの食料を提供しよう」
「ありがとうございます」
「私の隣に居るのは、今の宇宙開発局長の伊集院だ。君達の事務所まで案内を務める。月の街に関して聞きたいことがあれば彼に尋ねてくれ。調査任務ご苦労だった。健闘を祈る」
「私は伊集院だ。君達の事務所まで案内する。付いてきてくれ」
そう言って中年の男性は、僕達を先導してくれた。僕達は素直について行った。