閑話休題 こころの奥底
書くことについて、少しだけ。
あまり、メンタル的なことは書かずにおこうと思いましたが、一つだけ書かせていただければと思い、筆をとりました。
私が小説書きを再々開したのは、2013年4月でした。
前年の四月に、腎臓結石で救急車で運ばれること二回。
なぜそうなったか、さらにその前年の2011年のこと。
大震災がありました。津波で仕事仲間の一人が亡くなりました。
命は助かっても、家や家族を失ったかたや、仕事を休まざるを得なくなった仲間も。
「働ける自分が働かねば」と妙な使命感で、無茶苦茶働いた結果に腎臓結石に。
そんな無茶な働きぶりから落ち着いた2013年。
「あ、ケータイのメール機能で書いて投稿すればいいんだ」とアホは気づきました。
そして、一作目(某ゲームの二次)を書きあげたらば、その後は……現在に至る。
震災当初は、気が張っていたのか一日一日が必死だったためか、今となっては記憶があいまいです。
娘を学校まで迎えに行ったこと、停電してラジオだけが頼りだったこと、そのラジオから流れてくる情報が、どんなSFよりもSF的であったこと。
そして、3月11日の星空は今まで見た中で皮肉なことに一番に美しかったこと。
阿呆のようにゲームの二次・かつBL/R18ばかりを書いていましたが、「震災」の影響が見て取れます。
元になったゲームの舞台が2011年だったからという要因もありますが……。
自分が意外なほどに、震災で傷ついたのだと今なら分かります。
でも、言えないのです。
被災県である岩手に住んではいても、私の住まいは県央部。津波とは無縁です。
何もかもなくしてしまった方々を前にして「辛いです」とは言えないのです。今も言えません。
けれど、遠野に住んでいた時に幼い娘を連れて何度も家族で出かけた海辺や町が無くなってしまったことが辛くて辛くてしかたなかったのです。
ことに、震災の前年の夏に高田松原で海水浴した思い出などあると……一年後に見た高田の街は何もかもなくなっていました。
あれほど堅牢で何キロも続いていた分厚いコンクリートの防潮堤はすべてが崩され、白砂青松の浜辺が消えていました。
今でも沿岸部に行くと、胸が苦しいです。津波の映像を見るのが怖くなりました。
二次からオリジナルに切り替えた時の作品が『ソラとカナタ』です。
これは震災がなかったら、絶対に書かなかった物語です。
二次が主流のpixivで書き始め、いつか登録したいと思っていた「小説家になろう」にようやく投稿することができた作品です。
おそらく、私は震災がなかったら物語を再び書くことはなかったと思います。
心の奥底にあった、やるせない思いが書かせたのかも知れません。
湿っぽくなっていかん。