書こうとして書いているわけではない、という番外編
どうでもいい、番外編です。
こんにちは。自称BL作家ときどき号泣作家のたびーです←半笑い&自嘲ぎみ。
いぜん、Twitterでアンケートを実施しましたらば、拙作は「号泣」ポイントが高いということが判明しました。
アレとかコレとか、人さまのツボにはまると号泣らしい……自分では良く分からないけれど。
一言お断りを入れさせていただきますが、私はとくべつ「泣かすものを書こう」と思って書いているわけではないのです。
出来上がったら、そうだったということだけで。
なんせ、自分の書いているものがなんであるか、さっぱり分からないまま書いているというのが実情です。
ですので、いただいた読了ツイートや感想等で「ああ、そういう話だったのかーー」と思うことが大半です(だから、どの年齢層を狙った作品を書いているのかと問われるのが一番こまる)。
泣く物語を自分自身が欲しているからかもしれません(色恋ものではないあたりが……)。
日々どたばたと過ごして、強めのストレスの負荷がかかるためか、思い切り泣きたい! と深層心理で思っているせいでしょうか。
なので、出来上がるまで、頭の中で構成してウルウル、実際泣きながら書くという(かなりバカだと思います)。
簡単に言うと、自分のなかでグッと来るシチュエーションを集めて作るとあんな感じに。
自分の泣きのツボ、例えば子ども、動物、老人。
けなげ、いたいけ。
勇気を出すこと、頑張ること、でも叶わぬこと。
父と息子、時間軸の違うロボットとヒト、何かしらの過去。秘密、内緒の内密の秘匿すべきもの。
さあ、組み合わせてみようじゃないか!
ちなみに、わたしは思い出すだけで泣けるものがいくつもありますよ。
「かわいそうなぞう」の、子ども時代に読んだ漫画バージョンとか。
シナリオ版「北の国から」のラスト、宮部みゆき「小暮写真館」は本屋でカバー写真見ると泣く。
「みをつくし料理帖」は泣きどころ満載(/ー ̄;) 重箱のふたを開けると、雲外蒼天と書かれた紙が←号泣。
とか。
自分自身が泣けるならば、共鳴する誰かも泣くはずです!
別に泣かなくても、泣かせなくても話は成立しますよ。泣かすより、笑わせるほうがよほど高度な技術とセンスが必要だと、わたしは思っております。
なんか、どうでもいい話でしたm(__)m
泣きながら書く、ということは、ハードなことを書いていると体調を崩す、という不便な体です。




