1
シャンデリアの光が、やけに目に刺さる夜だった。
王立学院の卒業記念パーティ。着飾った若者たちが将来の夢や愛を語らうこの場所で、私は今、この国で最も「公式」な断罪を突きつけられていた。
「――エカテリーナ・フォン・グランバッハ! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄する!」
第一王子、ヴィルヘルム様の高らかな宣言がホールに響き渡る。
彼の傍らには、守ってあげたくなるような儚げな少女が寄り添っていた。今代の『聖女』として平民から見出された、リンネ。彼女は震える肩を王子に預け、怯えたような瞳で私を見つめている。
「……婚約、破棄、でございますか」
私は手に持っていた扇をゆっくりと畳んだ。
周囲からは、隠そうともしない嘲笑と、そして「ついにこの時が来たか」という安堵の溜め息が漏れている。
「そうだ。貴様がリンネに行った陰湿な嫌がらせの数々、最早見過ごせぬ! 教科書を破り、階段から突き落とそうとし、さらには夜会への出席を妨害した……その嫉妬に狂った醜い心根、公爵令嬢として、いや、人間として恥ずかしくないのか!」
殿下の糾弾は止まらない。
けれど、私は心の中で、今日この日のために用意していたチェックリストにペンを入れるような気分でいた。
教科書を破った?
――ええ、その教科書には王国の機密魔術が誤って記載されていたから、他国のスパイが紛れ込んでいる学院内で彼女に持たせておくわけにはいかなかったのよ。
階段から突き落とそうとした?
――背後から彼女を狙っていた暗殺者の毒針を、私が割り込んで弾き飛ばしただけじゃない。
夜会への出席を妨害した?
――その夜会を主催していた伯爵は、人身売買の黒幕。世間知らずの聖女様が迷い込んだら、今頃は海の向こうに売り飛ばされていたわ。
「貴様のような『わがまま』で傲慢な女は、王妃の座に相応しくない。真実の愛に目覚めた私には、清らかなリンネこそが相応しいのだ!」
ヴィルヘルム殿下の言葉に、聴衆の貴族たちが同調する。
「全くだ。グランバッハ公爵令嬢のわがままには辟易していた」
「先日も、王室御用達の宝石商から、新作の首飾りを強引に買い取ったとか」
「あれも殿下の贈り物になるはずだったものを、横取りしたらしいですよ」
ああ、あれね。
あの宝石には呪いがかかっていたの。呪物収集が趣味の隣国の呪術師が、殿下を呪い殺すために仕込んだものよ。私が「わがまま」を言って買い上げなければ、今頃殿下の首は腐り落ちていたはずだけど……。
説明する気にもなれなかった。
真実を語ったところで、恋に盲目な男と、それを担ぎ上げて利権を得ようとする取り巻きたちが信じるはずもない。
何より――私は、この瞬間に「わがまま」の仕上げをすることに決めていたのだ。
「……殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
私は、震える声を作る必要さえなかった。溢れ出しそうな笑みを隠すために、伏せ目がちに、声を低める。
「なんだ。今更命乞いか?」
「いいえ。私がこれまでに『わがまま』で通させていただいた、数々の要求。……例えば、私の領地から王都へ供給している魔石の優先配分や、我が公爵家が肩代わりしていた王立騎士団の装備新調費、そして……私の個人資産で維持していた、北方の防衛結界の維持管理費」
私は顔を上げ、最高の微笑みを浮かべた。
「これら全て、私の『わがまま』による独断で行っていたことですので……婚約が破棄されるとなれば、当然、全て引き上げさせていただきますわね?」
「……は?」
ヴィルヘルム殿下は、何を言われたのか理解できないといった様子で目を丸くした。
横にいる聖女リンネも、ポカンと口を開けている。
「な、何を言っている。あれは公爵家の義務だろう!」
「いいえ、殿下。あれは『将来の王妃となる私の、わがままな贅沢』として予算を組んでいたものです。公的な支援ではなく、あくまで私の『私物』。……愛するリンネ様という新しいパートナーがいらっしゃるのですから、これからは彼女の清らかな祈りだけで、国を守っていけるのでしょう?」
一歩、私は前へ踏み出した。
コツン、とヒールの音が静まり返ったホールに冷たく響く。
「わがままな婚約者で、本当にごめんなさい。……でも、もう安心してくださいませ。今日この時を以て、私はあなたの前から、そしてこの国から、跡形もなく消えて差し上げますから」
「待て、消えるとはどういう――」
「それでは皆様、ごきげんよう」
私は優雅に、完璧な角度でカーテシーを決めた。
混乱が広がる会場。ヴィルヘルム殿下が何かを叫ぼうと手を伸ばしたときには、私は既に背を向けていた。
ホールの扉が開く。
そこには、王室の影に隠れ、この国を実質的に支えてきた「裏の支配者」――そして、私が密かに連絡を取り合っていた『ある人物』が立っていた。
「……お待たせいたしましたわ、クロード様」
黒いマントを翻し、私を迎えに来た隣国の皇帝(予定)、クロード。彼は私の手を取り、跪いてその甲に唇を寄せた。
「いいや。最高のショーだったよ、エカテリーナ。……さあ、行こうか。君という宝石を捨てた愚か者たちが、明日からどうやって『魔法の消えた国』で泣き叫ぶのか、高みの見物といこう」
私は、一度も振り返らなかった。
さようなら、無能な元婚約者。
さようなら、私の努力を「わがまま」と切り捨てた救いようのない祖国。
明日、この国は、私が止めていた「ツケ」を一気に支払うことになるのだから。




