第9話 魔王、異世界人が気になる
沙良はゼインと共に執務室を退室していった。
人間の暮らしに詳しい者か。人間に敵意がある奴だったら……いや、ゼインがいるから大丈夫だろう。
それにしても不思議な女だ。魔界では見たことが無い黒髪と夜空の瞳。
転移魔法で突然現れて、俺の威圧が効かず、恐れもせずに意見してくる……
――俺、魔王だぞ?
もっと恐怖してひれ伏すのが普通だろう? なんでアイツは平然としているんだ?
それに、どうやって転移してきたのかもわからず仕舞いだ。
そんなことを考えながらも、手元の書類は次々と処理出来ていく。
沙良が纏めてくれたファイルのおかげで、いつも面倒だった書類作業が捗るのだ。
それに、部屋の中もスッキリと整理されて気持ちがいい。
――これだけでも、沙良を雇った甲斐があるというものだな。さすが、俺。
あの時、人間だからといって排除しなくて良かった。
しばらく書類に集中していると、軽い音を立ててドアがノックされた。
「誰だ?」
「ゼインです。ご報告がありますので、入ってもよろしいでしょうか?」
やっと戻ってきたか。案外時間がかかったな。
ゼインに入るように伝えて、報告を受けることにする。
執務室に現れたゼインは、少し眉間に力が入っていて、いつも真っ直ぐに俺に向ける視線が、少しズレている。
なんだ? いつもと少し様子が違っているようだが……
「ご報告いたします。沙良さんに、近衛軍の中でも人間の暮らしに詳しい者を紹介いたしました。その者の名はジェスター・クライン。魔族の父親と人間の母親を持つ半魔族の兵士です」
ジェスター? ああ、あいつか。
沙良が現れた謁見の間にも居たな。面倒な経緯を説明しなくて済むというものだ。
「そいつが沙良に危害を加えることは無いのか?」
「それについては問題ないでしょう。以前も迷い込んだ人間を保護して、送り届ける任務をこなしていますし、彼の母親も魔界で幸せに暮らしているそうですから」
ふむ、それなら大丈夫そうだな。
沙良の整理術は有用だ。そばに居てくれると助かるからな。
「それより魔王様、本当に沙良さんを幹部会議に同席させるのですか?」
ああ、それで部屋に入ってきた時の様子が変だったのか。
ゼインは優しい奴だからな。
人間とはいえ、沙良のことを心配しているんだろう。
「ああ、出席させる。それがあの女の望みだろう? まあ、ガルディオスあたりはうるさそうだが、この俺が認めていれば問題あるまい」
問題無いと示しても、ゼインの顔色はまだ優れない。
なんだ? 他に何かあるのか?
「何か言いたそうな顔だな」
椅子の背もたれに身体を預けながら問いかける。
視線をゼインに向けると、僅かにみじろぎしながら思案顔を見せた。
「とりあえず言ってみろ。どんな内容か知らんが、聞かなければ良いも悪いもわからん」
「そうですね……では魔王様、失礼ながらお聞きします」
ゼインが改まって姿勢を正し、真っ直ぐに俺を見ながら問いかけてくる。
「先程の沙良さんの言葉……『どんな戦術で負けたか、共有していないのでは?』という言葉を覚えていますか?」
「ああ、そんな事を言っていたな。それがどうした?」
負け方を共有しているか? などという問いかけだったが、所詮は戦を知らぬ者の意見だ。
一考の価値も無いだろう。
「その言葉を聞いて、こうお考えになられたのでは?――『負け方を知って何になる』と……」
確かにそう考えたし、今でも考えは変わらん。
軽く頷いて先を促す。
「ガルディオス将軍を圧倒できる存在など、そういません。しかし、沙良さんの言葉を聞いて、ふと疑問に思ったのです」
確かに、ガルディオスは簡単に倒せるような弱者ではない。前魔王の時代からの歴戦の将軍だ。
「魔王様、不思議ではありませんか? もし勇者がそれほどまでの強者ならば、なぜ人間の王になっていないのでしょう?」
「……何が言いたい?」
「恐らく、勇者は個人としては、ガルディオス将軍を圧倒できるほど強くない。ならば、なぜ我が軍が負けたのか……」
ゼインが言葉を切る。
「『戦い方』の問題ではないでしょうか?」
「戦い方」だと? 思わず眉根を寄せて見返すが、ゼインは怯むことなく続ける。
「勇者達は戦術を駆使して、戦力の差を覆してみせたのではないでしょうか? それならば、同じ戦い方をしても、また同じように敗れるだけのような気がして……申し訳ありません。私もまだ考えがまとまっていないので、結論をお伝えできません」
そう言うと、ゼインは深く頭を下げた。
「沙良さんの言葉がヒントとなって、何かに気付きそうなんです。もう少し沙良さんと話が出来れば、この考えが明確になりそうで……」
「よくわからんが、気になるなら沙良と話すといい。お前の考えがまとまったら、また報告してくれ」
そう言って書類に視線を戻す。
もうそれほど時間もかからずにこの仕事も終わりそうだ。
「失礼します」と告げて退室しようとするゼインに、片手をあげて応える。
沙良のあの言葉……
ゼインにはなにか感じることがあったのか。俺にはわからない何かが。
少しだけチリリとする胸に、気づかない振りをしながらペンを走らせる。
広くなった室内に、ペンの音だけが響いていた。
◇◇◇◇◇
翌朝、執務室の扉を開けると、既に沙良の姿があった。窓から差し込む朝日が黒髪を照らし、その横顔を柔らかく浮かび上がらせている。
隣には白髭を蓄えた事務官が立ち、二人で本棚の前で何やら話し込んでいた。
扉の音に気づいた沙良と事務官が振り向く。
「おはようございます、魔王様」
「ああ、おはよう」
軽く手を上げて応えて机に向かうと、いつも暗い顔をしている事務官が笑顔で近づいてきた。
「いや〜、沙良さんは凄いですね。私も昨日見てましたけど、幾つか確認された後に、どんどん部屋が片付いていくものですから、本当に驚きましたよ」
「そうか。綺麗に片付いて、お前もやりやすくなったろう」
俺の言葉を受けた事務官は「それはもう!」と嬉し気に何度も頷いている。
執務を始めようと椅子に腰を下ろすと、沙良が手帳を閉じて歩み寄ってきた。
「魔王様、新たなご指示がなければ、資料整理の続きをしたいのですが、よろしいでしょうか?」
え、続き? これ以上綺麗にするのか!?
「あ、ああ構わん。好きにしろ」
もう充分綺麗に整理されてるのに……さすが整理の達人。まだ満足しないという訳か……
まぁいいさ。綺麗になるならそれに越したことはない。
俺が鷹揚に頷いてみせると、沙良が軽く頭を下げて再び本棚へと向かった。
さて、仕事だ仕事。
軽く背筋を伸ばし、書類に目を落とす。毎日書類と睨めっこでは気が滅入るが、これも魔王の仕事だ。
嘆願書に目を通していると、机にそっと置かれた紅茶が目に入る。
立ち昇る香りと一緒にふと顔を上げると、沙良がトレイを片手に目の前に立っていた。
「お砂糖とミルクはお使いになられますか?」
「あ、ああ。砂糖だけ入れてくれ」
俺が答えると、沙良は「かしこまりました」と紅茶に砂糖を入れた後、また棚に向かって整理を始め出した。
その横顔をしばらく眺めていると、沙良がこちらを向いた。
「……何か?」
「!? な、何でもないぞ!」
慌てて視線を逸らしてしまうが、なんで俺が慌てなくてはならんのだ!?
「ちゃんと仕事をしているか、確認していただけだ!」
沙良が少し眉をひそめるが、何も言わず小さく息を吐くと再び本棚に向き直った。
いかんいかん。仕事に集中しなければ――
頭を振って雑念を追い出す。女性を不躾に見るのは良くなかったな、と反省するが、どうしても沙良の方が気になってしまう。
なんとか書類に集中していると、扉がノックされた。
「失礼します」
扉が開き、ゼインが入ってくる。
「おはようございます、魔王様」
「ああ、おはよう」
沙良にも挨拶をしているが、何か思うことがあるのか表情が優れない。
今日の仕事についてやりとりをした後に、ゼインが切り出した。
「沙良さん。本当に、今日の幹部会議に出席されるのですか?」
その声には心配の色が滲んでいる。俺は書類に目を落としながら聞き耳を立てた。
「ええ、参加させてもらいたいです。ご迷惑でなければ」
沙良の声が静かに響く。
「迷惑という訳ではありませんが……」
口元に手をやり、小さく咳ばらいをしながら、言葉を探すように視線が宙を泳いでいる。
「……今は人間の勇者達に荒らされている最中です。お伝えした通り、ガルディオス将軍は人間に対して敵愾心を強くされています」
忠告を受けて、沙良が少し考える風にアゴに手を当てている。
だが、その瞳は揺るがない。
「そのガルディオス将軍も、見境なく襲うような方ではないと伺っています。隅の方で目立たないようにしてますから」
その目を見たゼインが小さく息を吐いた。
「わかりました。何かあれば私が守りますが、幹部達を刺激しないようにお願いしますね」
「はい、ありがとうございます」
話は終わり、ゼインが俺の方を向いた。
「では、魔王様。朝の報告を――」
ゼインの報告を聞きながら、書類を処理していく。
沙良が頻繁に執務室を出入りしていたが、何をしているのかはよくわからない。
なにやら忙しそうにしているので、声を掛けるのは憚られた。
そして、いよいよ幹部会議の時間が迫ってきた。
「では、行くか。沙良も準備はいいな?」
書類を閉じて椅子から立ち上がると、革張りの背もたれが小さく軋んだ。
「はい、問題ありません。本日は同席させていただきますので、よろしくお願いします」
その声がわずかに高くなっていた。
視線を下げると、小刻みに震える指先が目に入った。
思わず視線を向けると、沙良の肩が強張り、落ち着いた佇まいとは違う様子が伺えた。
――緊張しているのか。
無理もないか。人間の女が魔王軍の幹部会議に出るなど、前代未聞だ。
ガルディオスがどんな顔をするか、想像に難くない。
俺は敢えて気付かない振りをして、扉に向かって歩き出す。
「ふん、何があろうとも、例え勇者が襲ってこようとも、この俺が守ってやる」
胸を張り、前を見据えながら堂々と告げる。
「だから、安心しろ」
横目に見える沙良の瞳が大きく見開かれた。その瞳が揺れている。
顔を伏せた沙良は、一度短く息を吐くと、こちらに向き直った。
その顔から硬さが取れて、唇の端がそっと持ち上がっている。
「頼りにさせていただきます」
いつもより温度を感じるその声に、胸が熱くなる。
俺は咳払いをして、扉に向かった。
「行くぞ」
「はい」
沙良が俺の後ろを歩いてくる。足音が二つ、廊下に響いていった。




