第6話 魔王、異世界人に遭遇する
その日、俺は謁見の間で報告を聞き終えた時の事――。
「――以上が、今年の収穫予測でございます」
「ふん、豊作か。まぁ良かろう、下がれ」
「――はっ!」
最近は我が国を荒らす勇者のせいで、イラつく事が多かったが、今日は良い報告を聞けた。
今年は豊作の予兆があるらしい。
久しぶりの良い知らせを受けて、思わず鼻歌を歌いたくなってくる。
少し緩んだ空気の中、近衛軍団長のゼインがこちらに顔を向けた。
「魔王様、今年は豊作になって欲しいですね」
少し目尻を下げて、声もわずかに弾んでいる。
昨年は実りが悪かった。
備蓄が心許ないのは周知の事実だ。
「ああ、そうだな。豊作になってくれるならありがたい」
謁見の合間のちょっとした時間。
いつものように雑談をしていた、その時――。
突如として、謁見の間に暴力的なまでの魔力が吹き荒れた。
その重圧に床は軋み、空気が爆ぜる。
「な、なんだ? 何が起こった!?」
「防衛線を張れ!魔王さまをお守りしろ!」
不測の事態に、精鋭であるはずの兵士たちが狼狽える。
その喧騒を、ひと筋の雷鳴が切り裂いた。
「――鎮まれ!」
ゼインの一喝が、雷鳴のごとく広間に轟いた。
「魔力こそ膨大だが、それだけだ。マナの励起状態も安定している。――これは攻撃魔法では無い!総員、怯むな!」
雄々しく響く声。
威風凛然たる姿を兵士たちに示し、荒れ狂う魔力の奔流を正面から見据えている。
その堂々たる佇まいに、浮足立っていた兵士たちも落ち着きを取り戻していく。
「総員、持ち場を死守せよ! 無暗に動けばマナの流れを乱す。落ち着いて対処せよ!」
精鋭達は「ハッ!」と短い応諾を示し、警戒態勢を取る。
俺はそれを眺めつつ、吹き荒れる魔力の渦に注意を向けた。
ゼインの分析通り、攻撃魔法の可能性は低い。
だが、この奇妙な波長……この魔王たる俺も知らぬ魔法に、密かに眉をひそめる。
「魔王様、念の為この場を離れた方が……」
「馬鹿を言え。魔王たるこの俺が、危なそうだから逃げろと?」
ゼインも万が一を考えての進言だろうが、そんな事を出来る訳がない。
何が起ころうとも、力でもって道を切り拓くのが魔王たる姿だ。
「そんな事をしてみろ、あっという間に下剋上が起こるぞ。弱い魔王に誰がついてくる?」
ゼインの進言を鼻で笑って退け、未だ暴力的な魔力の渦を睨みつける。
「……そろそろ、何か起きそうですね。防御結界で御身をお守りします!」
ゼインが両手をかざすと、その周囲に蒼と黒の魔力が迸った。
宙に描かれた神代文字が術式を刻んでいく。
幾重にも重なり合い、玉座を包み込むような堅牢な半透明のドームを形成する。
術式が完成すると、結界は空間に溶けるように不可視となった。
張り詰めた静寂の中、誰かが息を呑む音が聞こえた。
謁見の間を満たしていた膨大な魔力が、中央の一点に向けて収束していく。
ガラスを指で弾いたような高く澄んだ音が耳を打つ。
目に視えるほどに凝縮した魔力の塊が、空間を軋ませている。
――来る。
その瞬間、視界を全て塗りつぶす、純白の閃光が炸裂した。
――眩しい!!
くそっ!目を開けることすらできない。
200年の魔王としての経験の中でも、これほどの光を見たことは無いぞ。
攻撃魔法でないのはわかっていたが……いきなり強烈に光るとは予想外だった。
くっ、まだよく見えん……。
目を擦り、まだ霞む目で凝視する。
徐々に光が収まり、霞む視界の中に、一つの人影が浮かび上がる。
魔力が爆発した場所には女性がひとり、目を閉じて立っていた。
あれは……角が無いな、人間か。
漆黒の髪が、月光のように艶めいている。
閉じられた瞳は切れ長で、すっと通った鼻筋に紅い唇。
紺色の奇妙な衣服と短い腰巻きから覗く白い足。
魔族の女とは違う、人間特有の柔らかな雰囲気。
目を閉じて佇む姿は神秘的で、目を惹きつけられ――。
「――は!?」
待て!待て待て!! こいつの容姿などどうでもいい!
なんだこれは? 突然人が現れるなど……はっ!まさか、神話時代の転移魔法だとでもいうのか!?
まずいぞ。
それほどの使い手となると……俺でも厳しいか?
心の中で戦々恐々としていると、ふと気付いた。
――こいつ、魔力が無い?
そんな馬鹿な! 全く魔力を感じないぞ。
では、転移自体はこの女の仕業ではないのか?
俺は混乱しながら現れた女を見ていると、わずかに指が動いた。
ゆっくりと瞳を開いていく。
喉が渇く……口の中がカラカラだ。
耳鳴りがするほどの静寂の中、女の目がゆっくりと開いた。
その瞬間、俺の体に雷撃が走った。
それは、夜空を閉じ込めたような黒い瞳。
初めて見るその神秘的な瞳に、目を奪われる。
――美しい。
素直にそう思った。
目を開けた人間の女は、ゆっくりと首をめぐらし――
「――は?」
女から声が漏れた。
視線がせわしなく辺りを彷徨い、強張った表情で周囲を見回している。
あの女に動きがあったからか、兵士達もハッとして牽制する。
「どこから入ってきた!?」
「人間め!魔王城に直接乗り込んでくるとは!」
突然の怒声にびくりと肩を揺らしているが、それだけだった。
魔族の兵士に取り囲まれているのに、恐怖に震えている様子ではない。
……やはり、かなりの実力者なのか?
慌ただしく巡らせていた視線が止まり、短く息を吐いた。
姿勢を正すと顔を上げ、凛とした表情を見せる。
「いえ、乗り込んだ訳ではなくて、突然ここに連れてこられたんですけど」
まるで、日常会話のように気負いなく兵士に返事をしている。警戒して女を観察するが、やはり魔力は感じない……
「状況を把握したいので、ここの住所と、今日の日時を教えて貰えますか?言葉が通じるという事は、ここは日本でしょうか?でも、角が生えた人間なんて日本には居なかったし……あっ!コスプレか映画の撮影ですか?」
「……なに?」
ゼインが思わずといった感じに反応した。
気持ちはわかる。この女、何を言ってるんだ?
「コスプレじゃないなら、もしかして異世界ですかね?それなら、もしかして家に帰れない?じゃあ、どこかで仕事を探さないと……あ、ここがどういう組織なのか教えて貰えますか?労働法とかはありますか?」
「……魔王様」
ゼインが小声で囁く。
「この人間、おかしいのでは……」
「いや、肝が据わっているのかもしれん。この俺の前に立って、震えていない人間など初めてだ」
ゼインが眉根を寄せながらあの女を見ているが、考えている事は恐らく同じだろう。
「あの人間から魔力は感じませんが……何か、只者ではない気配を感じます。あの落ち着きは、訓練されたものではない。まるで、生まれつき恐怖を知らないかのような……」
「ふん、お前もそう感じたか」
俺はもう一度その女を観察する。
その瞳には、恐怖の色が無い。
いや、それどころか――好奇心すら感じる。
200年間、この俺を前にして震えなかった者など一人もいなかった。
人間も、魔族も、魔獣すらも。
なのに、この女は違う。
まるで、俺が魔王であることなど知らないかのように……いや、知っていても気にしていないかのように、平然としている。
――面白いぞ。実に、面白い。
俺の中で、何かが動き始めた。
それが好奇心なのか、それとも別の何かなのか――この時の俺には、まだわからなかった。
「多分、貴方がこの中で一番偉いんですよね?返事を頂けますか?」
ほぅ、面白い。この俺に正面から意見までしてくるとは。
なんとも命知らずな女だ。
「ふん、面白い。仕事を探すと言っていたな。よかろう。お前、ここで働いてみるか?」
ただ、この俺の威圧を受けて失神するようなら、この話は無しだ。
威圧の度にいちいち気を失われては面倒だからな。
暑苦しい兜を脱ぎ捨てる。
頬に感じる涼やかな空気を感じていると、そいつが驚いたように目を見開いている。
……なんだ? 俺の顔に何かついているのか?
まぁいい。とりあえず軽めに威圧をしてみるか。
「……え?就職のお誘いですか?」
こいつ……何も感じないのか?
魔王の威圧だぞ! この圧倒的な魔力を感じないのか!?
くっ……なんだこの負けたような気分は!
「……命を助けてやるというのに、随分な返事だな。お前、ここが何処かわかっているのか?」
仕方ない。さっきより強めに威圧するとしよう。
安心するがいい。脆弱な人間でも死なない程度に抑えてやる!
「いえ、ですからさっき言ったでしょう。突然ここに連れてこられたと。ここが何処なのか教えて欲しいとも言いました。聞いてなかったんですか?それと、就職についてですが、こちらの就業規則はどのような内容でしょうか?勤務時間は?福利厚生は?休日日数と有給休暇についても説明が欲しいです。あと――」
「待て待て!」
全く効いていないんですけど!?
200年間、この魔力を前にして平然としていた者など一人もいなかったんだぞ! なのに、この女は……
悔しさと、好奇心が入り混じる。
この感覚は、一体何なんだ?
好奇心で前のめりになっていたが、兵士達が騒めきだしているのが目に入った。
「魔王様……どうしたんだ?」
「あの女は一体……」
ま、まずいぞ、この雰囲気はよくない。とりあえず勢いで押し切るしかない!
「いっぺんに言われてもわからん!とにかく、面白そうだからお前を雇ってやる。見習い近侍としてな!」
兵士達に合図して、謁見の間から退室させる間も何やら言っていたが、もう勘弁してくれ。
静寂が戻った室内を眺めて、椅子にもたれかかる。
ふぅ……何かどっと疲れたぞ。
「魔王様、本当によかったのですか?人間達の間者かもしれませんよ?」
眉を顰めてゼインが聞いてくるが、まぁ大丈夫だろうさ。
「はっ、間者だろうと、あんな魔力も無い人間が、この俺に何ができる?むしろ、あの恐れを知らぬ態度……興味深い。しばらく観察させてもらおう」
――俺は、沙良の事を『面白い人間』くらいの気分で傍に置いた。
だが、この時の俺は知らなかった。
この出会いが、俺の全てを――
200年間築き上げてきた魔王としての在り方を、根底から覆すことになるとは。
そして、この胸の高鳴りが何を意味するのか、気づくまでにそう時間はかからなかった。




