その七 カエルの子は帰る
エミカは急に不安になった。
「おじいちゃん! どこに行ったの? 帰ろうよ!」
サトシはそんなエミカを見て、
「大丈夫?」と聞いた。
「どうしよう……。おじいちゃんがいなくちゃ私、家へ帰れない!」
エミカは泣き出しそうな顔をした。
「そんなに焦るなよ」
「焦るよ!」
エミカは今度は怒っているような顔をした。
サトシは言った。
「おじいちゃんは大丈夫だよ。それに僕がエミカを家までちゃんと送るから。ね、安心して。それと……またカエルの祭りに来てくれるよね?」
「……うん」
「きっとだよ?」
「うん」
サトシはエミカの手をつなぐと、山の上の神社へ続く急な石段を登りだした。
「ううん。家はこっちじゃない。反対方向よ」
「ううん。こっちでいいんだ」
「これ登るの?」
「そう」
何千段もある石段を一つ一つ踏みしめていく。途中、霧が立ち込め始めた。どこから登ってきたかも見えなくなった。
「戻ろうよ。怖い」
「大丈夫。僕の手をしっかり握っていて。カエルが守ってくれるから」
かなり高いところまで登ってきたように思えた。屋台や、ぼんぼりや家がとても小さく見えたからだ。
「どこまで行くの?」
「もう少しだよ」
ようやく鳥居のところまできた。
「見てごらん。朝日が上ろうとしているよ」
振り向くと、遠くの空にオレンジ色の光をまとった太陽が、今まさに顔を出そうとしていた。
「さあ、走ろう。 太陽が完全に昇るまでに家に帰ろう」
サトシはエミカの手を引いた。目の前に見えていた神社は一瞬のうちに消えて、一つの道がずっと先まで続いている。黄色っぽい光がこちらへ降り注いでいる。
「この道の先が、エミカの家だよ」
「どこ?」
「走るよ!」
二人は見えない家に向かって、一本道を走り出した。エミカはサトシの手に、違和感を感じ始めていた。いやにヌメヌメして、冷たく感じた。サトシの方を見ようとすると、「だめだめ。まっすぐあの光を見て走るの」と言った。
「ケロッ! ケロッ!」
カエルの鳴き声がする。いよいよサトシが気になる。横目で見ようとすると、すかさずサトシは言った。
「ああ、だめだめ!あともう少し!」
ケロッ!
その時――。目の前がぴかっと光った。それは一瞬の出来事だった。
エミカは急に、自分が塾の屋根の下で立っていることを思い出した。
「エミカ! お待たせ!真っ暗になっちゃったね。ごめんね、遅くなって! 」
お母さんが車の窓から叫んだ。
雨はもうやんでいた。月の光がエミカの手を照らす。カエルの玩具を持つその手を――。
「……エミカ、そのカエル……どうしたの……?」
「カエルの子は、ちゃんと帰ったよ」
お母さんは笑って言った。
「そっかぁ……。あの子も元気にしてたんだね。よかった。……エミカ、お母さん考えたんだけどね、ピアノ続けたい?」
「……うん」
はっとして、お母さんの顔を見上げる。
「そっか……。ピアノ続けていいよ」
「えっ?」
「ピアノ本当に好きなんだね。いいよ。エミカがやりたいことをやるのがいいんだって思ったの。高津戸中学も無理しなくていいんだからね」
「ううん。私、頑張る。頑張りたいんだ。ピアノも勉強も」
「そっか。わかった。応援してるね」
「うん。それでね、カエルの子がね……」
お母さんとエミカが、カエルの子のことを語り合ったのは、唯一この夜だけだった。でも、エミカは嬉しかった。
お母さんも子どもの時があって、カエル祭りに行っていたんだ。そう思うと、なんだか嬉しい。時間が経って記憶を忘れてしまっても、お母さんもエミカもどこか楽しげだった。
【終わり】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




