その二 隣の芝生は青い哉
「お母さん、 ただいま! あのね、マミちゃんが、今度の日曜日、一緒にお祭りに行こうって、言うんだけど、行ってもいいかな?」
「エミカ、その日、塾のテストでしょ? 」
「そうなんだけど、休んでもいい?」
「ダーメ」
「だって、テストはいつもあるけど、お祭りはもう、二度とないかもしれないんだよ。二度と!」
「お祭りだって、毎年やってるんだから、また行けるわよ。それに、今度のテストでクラスが分けられるんでしょ? 上のクラスにいかないと、来年六年生で、受験もあるし。高津戸中学に入るためには、今頑張らないといけないんだから」
「わかってるけど……」
「わかったのなら、テスト勉強でもしなさい。ピアノの方は一旦お休みするように今日、先生に話したから。これからは勉強の方に集中するのよ」
「えー?!なんで、勝手にピアノやめちゃったの? わたし、ピアノ続けたいよ!」
「エミカにとって、この方がいいの。それに、ピアノはこれからだってできるわ。 ……ピアニストになるわけじゃないんだし。いまはもっと勉強して、将来のためになることをした方がいいと思うの」
「お母さんひどい! 勝手だよ!」
「エミカ!」
エミカは泣きながら家を飛び出した。行くあてもないけれど、とにかく、どこか遠いところへ行きたかった。誰も私の気持ちなんか分かってくれない――。そんな思いが、胸の中でぐるぐる回っていた。
エミカは神社に向かう鳥居の石段にうずくまっていた。ここは山を切り崩したところにある高い場所で、町の中心がよく見渡せる。マミちゃんが、おじいちゃんと二人で境内の前の道をこちらへ歩いて来るのが見えた。
「マミちゃん!」
「エミカちゃん!」
マミちゃんは走ってきた。
「どうしたの?こんなとこで一人でいて。あっ、泣いてるの? なんかあったの?」
マミちゃんのおじいちゃんは、ゆったりとした足どりでこちらへ歩いてくる。
「……やっぱり、お祭り行けない」
「だめって?」
「うん……」
「そっか……。しょうがないよ」
「マミちゃんは高津戸中学に行かないの?」
「高津戸中学なんて、行けないよ。ものすごく頭のいい中学校だよね。全国から受験してくるくらいだもん。そうか……、エミカちゃん、そこを目指しているんだね。すごいね。わたしは家から近くの市立桜中学……かな。エミカちゃん、塾とか、これから忙しくなりそうだね」
「そうなの。お母さん勝手にピアノやめてきちゃったの。わたしはピアノ好きだったのに……」
「でも、エミカちゃんはいいよ。だって、お母さん、好きなことさせてくれてんだもん。わたしだって、本当はピアノとか、スイミングとか、いろいろ習い事したかったけど、うちはお金がないからダメだって。エミカちゃん、中学にいったら、また好きなピアノさせてもらえるんじゃないの?」
「……どうかな。これからもずっと、勉強勉強って、言ってきそうだし。わたしのうちは自由じゃないし、厳しいんだ。全然よくないよ。マミちゃんちの方が、ずっといいんだよ。お母さん、なにも言わないし、優しいし」
「……そうかな? なにも言わなすぎるのも、なんか寂しいなって思うこと、あるよ」
「そうかな……」
「まさしく、隣の芝生は青い哉……」
突然、おじいちゃんがぼそっと二人の後ろで言った。
「なに? おじいちゃん」
「なんでもないさ」
そう言うと、おじいちゃんはスタコラサッサと、歩いていってしまった。
「おじいちゃん、ちょっと待ってよ~ 。じゃあ、またね!」
「…うん、またね……」
その時だった――。おじいちゃんはエミカの方を思い出したかのように急に振り返ると、また、ぼそっと言った。
「カエルの子は、カエル」
なに???
マミちゃんは、なんの用でおじいちゃんと歩いていたのだろうか?
それに「カエルの子はカエル」っていう、ことわざは知っていたけど、どうして急に、そんなことを言ったのかよく分からなかった。けれど、そのお陰で、ピアノをやめさせられたことや、お祭りにいけないこと、なんでも勝手に先回りしてしまうお母さんのことなど、すっかり忘れてしまっていたのは良かった。帰り道は、ただカエルのことしか頭になかったのだ。
「ただいま~」
「エミカ! こんな遅くまでどこに行ってたの? 宿題は終わったの?」
お母さんの一言を聞いた途端、一度に思い出して、嫌な気持ちになった。




