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純粋かもしれない修道女の復讐マニュアル

作者: 夕鈴

伯爵令嬢ロザリーは目を開けると、大分昔に使用していた部屋にいることに口元が緩んだ。

ベッドから起き上がり、鏡の前に立つと女性らしい体への成長を始めたばかりの姿が映り満面の笑みを溢した。


「絶対に復讐してやる!!許さないんだから!!」


ロザリーの新たな人生の幕開けである。

高らかに宣言したロザリーの声は邸中に響き渡った。

淑女らしく淑やかに育っている自慢のお嬢様の奇行のに侍女が駆け付け、医師を呼ばれ診察を受け、伯爵家を騒がせたがロザリーにとって些細なことだった。


***


新たな歩みを決意したロザリーの最初の幸運は両親は王都の邸に、嫡男の兄は全寮制の学園に通っているため留守なことだった。

両親からの宿題を終えたロザリーは、戸惑う護衛を笑顔で制し外出した。

目指すは父の愛人メロディーの住む家だった。


「何かあれば呼びますので、待機してくださいませ。罪なき、未婚の女性の家に騎士が入るのは、わかりますよね?」


今朝から様子のおかしいロゼリーに戸惑うばかりの騎士を、ロザリーは笑顔で制し一人で中に入った。

突然の訪問者に警戒した家主はロザリーを見て、絶句した。

ロザリーが微笑み淑女の礼を披露すると、家主のメロディーは青い顔で震え、土下座をした。

メロディーの肩をロザリーは優しく手を置く。


「初めまして。挨拶するにふさわしい場ではありませんので、先に用件を伝えます。貴女のことはお母様は知らないし、これからも邪魔するつもりはありません。私は貴方に教えを請いにきたの」

「お、お嬢様?」

「堅物のお父様の心を掴んで、放さない手腕!!複数の男を手玉にとるも、悟らせない管理能力!!犯罪にならない物なら、お金、宝石、なんでも好きな物を用意するから、私に教えて欲しい」

「ど、どうして、それを」

「私には私だけの情報を得る手段があるのよ。私は貴方を尊敬しているから、お願いしているの」

「脅せば簡単でしょ?」


たどたどしく話していたメロディーの言葉が流暢になっても、ロザリーは気にせず懇願する。

愛らしいだけの女性が何人もの愛人を持ち、愛人達に気付かれずに務めあげるなど不可能だと知っている。

愛人のとらえ方は様々だが、ロザリーは正妻を尊重し、愛人に権力を与えず、当主としての役目さえこなすなら、愛人を持っても構わないという考えである。

父が母に言わないのは、父なりの思惑があるのでロザリーは今後も母に話すつもりはない。愛人の許しなく、権力で従えているなら、思うところがあるがメロディーは不満を持っていないので、父達の関係に干渉するつもりは一切なかった。

父達の関係に干渉はしないが、ロザリーがメロディーと関係性を築くのは別問題である。

懇願に必死で、淑女らしい態度が抜けているが、ここには教育係も家族もいないので、ロザリーに淑女らしさを説く者は誰もいない。


「教えを乞うのは私だもの。貴方の力が必要なの。お願い!!」


必死に懇願する伯爵令嬢らしくないロザリーにメロディーは小さく笑みを溢し、立ち上がった。


「お茶でも淹れようかしら」

「手伝います。得意ですのよ」

「あの人は何もできないのに、本当に伯爵家のご令嬢?」

「女は秘密を持つものでしょう?お姉様?」


愛らしく首を傾げるロザリーにメロディーは微笑み返す。


「お姉様も悪くないわねぇ。お嬢様の気まぐれに付き合ってあげてもいいわ。ただし、」

「訪問する時間はお姉様に合わせるし、他の者に見つからないようにします。もし見つかれば、お姉様の生活は責任持って私が整えます。子供ですが、資産のある伯爵家の出身ですから、それなりに資産もありますのよ」

「決断力の速さは血筋を感じるわ。淑やかなお嬢様が私に教えを乞う理由を教えていただける?」

「淑やかさだけで生きていけるほど世の中は甘くないと知りましたの。それに、どうしても欲しい物があります。欲しい物を手に入れるには、淑女らしさなんて、役に立ちませんでしたのよ。むしろ、なんでしたっけ?飛んで火にいる夏の虫?」

「よくわからないけど、知らない言葉は使わないほうがいいわよ。沈黙は金よ」

「かしこまりました」


伯爵家自慢のお嬢様が秘密の愛人に心酔しているおかしな状況だったが、メロディーの許容できる距離感を守り、家事の腕も万能なロザリーにメロディーは徐々に親しみを覚えていく。

ロザリーは家族からの課題は完璧にすませ、メロディーの指導のもと伯爵家に怪しまれないように立ち回りをしている。

そのため、最近はロザリーの変化に気付いているのはわずかな者だけだった。

わずかな者はメロディー直伝の心を掴む技で、ロザリーの味方に引き込んだのでいたので、順風満帆だった。

ロザリーはメロディーの教えに疑問を持たないため、どんなことも真面目に吸収し、身に着けていく。


「ロザリーは顔立ちがはっきりしているし、スタイルがいいから、社交デビューは魅力を最大限に生かす方法がいいわよね」

「社交デビューは可愛らしいより美しいのほうが望ましいのね。いずれ落としたい方々がいるけど、今ではないってことね」

「権力に弱い殿方、両親に溺愛されている年下の素直な女が趣味の少年、そんな少年が趣味の素直な女、鞍替えが早い青年、ロザリーの好みは変わっているわよねぇ」

「応援してくれるお姉様が大好きですわ」


メロディー直伝の子供らしい可愛らしい笑みをロザリーが浮かべる。

淑やかに美しく微笑むことは淑女教育で身に着けられるが、愛らしい仕草は教えてもらえない。

厳格な伯爵家で教育を受けるロザリーの傍には愛らしいものがないため、メロディーの教育により愛らしさを学び、子供という立ち位置の利用の仕方も身に着けた。

父親の許容範囲もメロディーと話し合い、許容範囲内でできることも増やした。


未婚の貴族令嬢が注目を集める大きな場は二つある。

一つは社交デビュー。

8歳になったロザリーは社交デビューを迎えた。

社交界では艶やかな真っすぐな髪、スタイルの良さが際立つマーメイドドレスが流行している。

ロザリーは同世代の令嬢と比べると身体の発育が早く、マーメイドドレスを着ても寸胴になることはない。

艶やかな髪を背中に流し、スタイルの良さをアピールしつつ露出は最小限のマーメイドドレスを着て、子供らしくない艶やかな微笑みを浮かべ礼をした。


「お嬢様が美しすぎる!!」


侍女達は自慢のお嬢様の美しい姿にうっとりした。

愛らしさではなく、成長途中の少女が持つ魅力を最大限にアピールしながら、社交界に足を踏み入れた。

社交デビューのエスコートは婚約者が務めるが、ロザリーの婚約者は2歳年下でまだ社交デビューしていないため兄だった。


「婚約者のエスコートがなく、寂しい?」

「経験豊富なお兄様のエスコートを受けられるなんて、光栄ですわ」


煌びやかな会場で両親とともに回る挨拶も終わると、豪華な料理には目をくれず、ダンスホールに向かう。


「未来の従妹殿と踊る栄誉をいただけますか?」


ロザリーはダンスを申し込む青年、婚約者の従兄のジェームズに微笑み手を重ねた。


「美しいご令嬢を婚約者に持つ従弟が羨ましい」

「ありがとうございます。ロザリーで構いませんわ。従兄様とお呼びしたら失礼かしら?」

「こんなに美しい従妹は大歓迎しますよ。ロザリーか、惜しいな」

「これからも色々教えていただけますと嬉しく存じます。頼りにさせていただいても?」


首を傾げるロザリーにジェームズは微笑みながら、腰を抱く手に力を込めた。

ロザリーの頬がほのかに赤く染まったことにジェームズは満足げに笑う。


ジェームズは侯爵の弟の二番目の子供である。

侯爵の弟は領主を務めており、いずれ嫡男が引き継ぐ予定である。

長子継続が主流の国で、ジェームズ(嫡子以外の男)の道は王宮に仕官し出世し爵位を賜る、嫡子のいない家への婿入りが栄誉のある道である。

王宮での仕官は拍がつくので、婿入りして爵位を得るには、王宮での士官が一番可能性の高い道である。

侯爵家にアイビーが生まれなかった時期は、ジェームズは養子になり侯爵家を受け継ぐつもりだったので、王宮の仕官試験を受けなかった。

12歳から貴族が通う学園は、領主、武官、文官、行儀見習い、淑女、研究の選抜コースがある。

ジェームズは学生時代は領主コースを選択し、侯爵家を受け継ぐつもりだったため、誤解を生み、社交界での情報網が杜撰な家の令嬢達に人気だった。

侯爵夫妻はアイビーが生まれなくても、ジェームズを養子に向かえるつもりがなかったが、ジェームズは気付いていなかった。

アイビーが生まれてからは、侯爵夫人の座を狙っていた令嬢達はジェームズではない、継承権のある子息達に鞍替えした。凡庸なジェームズは冴えない人気のない男のグループに入ってしまい、憧れや恋慕の視線を受けることはなくなった。

侯爵家への養子入りを勘違いした残念で頭に花の咲いている男と嘲笑の視線はあるが。

ジェームズはしばらく感じていなかった美しい少女からの憧れ、尊敬、恋慕等の自尊心を高めさせる感情に気持ちを良くする。


ダンスを終えたロザリーは小さな手に口づけを落とした、ジェームズに礼をして他の子息とのダンスの誘いに応じる。

ロザリーは他の子息と踊る自分に向けられるジェームズとジェームズの様子を不満そうに睨む令嬢の欲の籠った視線に緩む頬を隠して、淑女らしく微笑む。



「私に興味深々ですわね。侯爵の椅子を狙う義従兄様も、婚約者になる予定のお嬢様もちょろいわ。でも油断は禁物ね」


ロザリーの呟きはパーティーの喧騒の中では誰にも拾わない。

社交デビューを終えてからは、母と共にパーティーやお茶会、兄と視察に行くなどやることが増えたが、ロザリーにとっては貴重な学びの場である。

しばらくして家族から及第点をもらい、ロザリーのみでの視察を任された。

率先して出かける孤児院の視察では子供と活発に遊ぶ愛らしいお嬢様、教会でのお祈りでは神秘的なお嬢様、美術館の視察では聡明で淑やかなお嬢様、メロディー直伝の化粧や仕草で別人に化ける方法と試し、周囲の反応を観察する。


「ロザリーは没落しても生きていけそうだ」

「褒めてくださりありがとうございます。お兄様が没落なんて許すとも思えませんが、まぁ、何があるかわかりませんものねぇ」

「未来の侯爵夫人の未来は明るいだろう?」

「さぁ?」


ロザリーが愛らしく首を傾げると、微笑んだ兄の瞳は冷たかった。


「向上心の高い妹の成長が楽しみだ」


ロザリーは愛らしい仕草をやめ、扇子で口元を隠し、淑女らしく上品に微笑んだ。


「思ってもいらっしゃらないことを、顔に出さないところは、さすがですわ。でも腹芸は私達(貴族)の十八番、心の内は誰にも見せないほうがいいのでしょう?」


微笑んでいる兄の瞳から冷たさが消え、兄の許容範囲と適切な距離感をロザリーは理解した。

愛らしさは稚拙と認識する兄は、身分関係なく老若男女に礼儀正しく優しく、紳士な令息として大人気である。兄に憧れる令嬢達は兄の真っ黒な心の内は知らない方が幸せだとロザリーは思ったが口に出すことはない。

沈黙は金であり、わが身が一番可愛いものである。



ロザリーが10歳になると淑女教育も及第点をもらい、ドレスや装飾品もロザリーが好きな物を選び、伯爵令嬢として相応しいかの家族からのチェックが入ることはなくなった。


「お姉様のおかげで武器が増えたわ!!いつでも使えるように磨いておかないと」

「ロザリーの成果を頼みにしてるわ」


ロザリーが10歳の春、自由に過ごせる(子供)時間の終わりの鐘が鳴った。

ロザリーの婚約者は侯爵家嫡男のアイビー。

10歳からは侯爵邸を訪ね、未来の侯爵夫人としての教育が始まった。

侯爵夫人がロザリーに求めるのは、侯爵夫人として相応しい、愛息子を支える能力である。

そのため侯爵邸ではロザリーは、子供らしさの欠片もない大人びた、どんなときも落ち着いている伯爵令嬢である。

教育の終わりにロザリーは婚約者のアイビーとお茶を飲むが、アイビーはつまらなそうである。

侯爵夫人はロザリーには厳しいが、遅くにできた待望の一人息子には砂糖菓子のように甘い。

8歳の表情を繕えない、素直で甘ったれたアイビーは昔から頼りにならない。

ロザリーが苦手な鳥を勇敢に追い払い、ロザリーを気遣う優しさにうっとり(恋焦がれた)したこともあったが、恋の魔法はすでにとけた。

アイビーは侯爵から命令されているのか、好きなお菓子を食べ、お茶を1杯飲み終えると、ロザリーの反応を気にせずマイペースに、立ち去る。

素直なアイビーを可愛らしいと思ったこともあったが、今のロザリーにはただ頼りない少年としか映らず、婚約者との時間は高級なお茶とお菓子の時間を楽しむことにしている。

無関心な婚約者の視線を向けるための策はあるが、今ではなかった。

今は婚約者との関係よりも、侯爵夫人からの教育に及第点をもらうことが優先のためお茶会では淑やかさをアピールしていた。


「愛息子を託す者に厳しくなるのは当然よ?厳しくされるのは、伸びしろがあるってことでしょ?」

「頑張れよ。辛い時は助ける努力はするから」

「助けてくださるとはおっしゃらないのね。妹にだけは嘘をつかないお兄様は嫌いでなくてよ?」

「しがない伯爵家が侯爵家に物申すのは…」

「物申せないが、ロザリー様の味方にはなりますよ。未来の侯爵夫人の」

「まぁ、嬉しい!!私は独り占めせず、利益はきちんと還元する夫人になります。能力を発揮し、利に敏い方には、贔屓してしまうかもしれませんが…。」


ロザリーが侯爵邸で厳しい教育を受けているのは有名だった。

ロザリーの兄は自分よりも厳しい教育を受けても、泣き言を言わず前向きな妹に優しくなった。

ロザリーが兄にとっての理想の妹を身に着けた努力の結果でもある。

ロザリーは兄の友人達に挨拶するとお茶に誘われ、同席した。

いずれアイビーの側近になる予定の兄の友人の言葉に嬉しそうに笑う。

社交界では背伸びをして、大人びている少女の愛らしい姿に庇護欲をそそられた少年達は頬を緩ませる。愛らしさを嫌う、兄の目のない所で愛らしさを披露する配慮も忘れない。

婚約者との関係は冷めているが、関係者との関係は良好である。


未婚の貴族令嬢が注目を集める大きな場は二つある。

一つは社交デビュー、もう一つは婚約披露である。

ロザリーが11歳の春、侯爵家嫡男のアイビーの社交デビューとともにロザリーとの婚約披露が決まった。

婚約披露の日、ロザリーが新たな武器を披露すると侍女の悲鳴が響き渡った。


「賑やかねぇ…。自分でできるから、手伝いは必要ないわ。休んでいてもよろしくてよ?」


侍女の悲鳴を気にせず、正装したロザリーは侯爵邸に向かう馬車に乗った。

ロザリーは執事にエスコートされ、侯爵邸の部屋に案内された。

婚約者が迎えにくるべきだが、アイビーより家格の低いロザリーはエスコートがなくても、落胆しない。婚約披露に夢を見るほどの乙女心もなかった。

しばらくして、正装したアイビーは部屋に入ってきた。


「ロザリー?」


正装したロザリーを見て、戸惑うアイビー。

ロザリーは愛らしく微笑んだ。


「ごきげんよう。どうされましたの?」

「本当にロザリー?」

「まぁ!?私の顔を忘れないようにしっかり覚えてくださいませ。アイビー様に覚えていただけないなんて」


ロザリーはアイビーの顔に手を伸ばし、ぐっと引き寄せた。

吐息がかかるほどの距離で、子供のように頬を膨らませ、拗ねた顔で見つめるロザリーにアイビーの顔が真っ赤になった。

アイビーはロザリーの肩を押して、距離を取り、後ろを向いた。


「お、覚えているよ。ち、近すぎるよ、いつもと身長が違うから」

「女性は変幻自在ですのよ。でも愛する殿方にはどんな姿でも気づいてほしいものですわ」


ロザリーは拗ねたように話すが、顔は満足げに微笑んでいた。

アイビーが動揺しているのには理由があった。

今のロザリーの姿は普段の落ち着いた装いとは正反対である。

またアイビーは今日が社交デビューのため正装したロザリーを見たことがなかった。


「歳の差はどうにもなりませんが、外面はどうにでもなりますのよ。アイビー様好みにしましたが、お気に召しませんか?」


ロザリーより2歳年下で、小柄で顔立ちに幼さが目立つアイビ―と並ぶとロザリーの大人っぽさが目立ってしまう。

そして、素直で愛らしい年下が好きな婚約者の好みに合わせて、ロザリーは着飾った。

ロザリーは真っすぐな髪をふわふわに巻き、ふんわりしたプリンセスラインのドレスを着て、今朝侍女を半狂乱させたが笑顔で押し切った。

もちろんロザリーより身長の低いアイビーと同じ身長になるための調整も忘れていない。

ロザリーは4年間、伯爵令嬢として相応しい振舞を徹底し、周囲とも円満な関係性を築いた。

侯爵夫人にもアイビーをさらに魅力的に見せるための正装だと理解をえており、婚約披露の場で、婚約者好みに着飾ったロザリーを品がないと嗜める者が出ないように策を巡らした。


「まぁ、私達は政略結婚ですので多くは望みませんわ。まだ時間がありますので、私はバルコニーにいますわ」


アイビーのエスコートを受け入場するまで、まだ時間があった。

口ごもるアイビーの背に声を掛け、ロザリーは休憩室のバルコニーに出ていった。

バルコニーから見える庭園で、顔見知りを見つけ、上品に微笑みながら手を振る。

手を振られた者の頬が赤くなったことに、満足げに微笑む。


「ちょろいわね。私の目に狂いはなかったわ。情報を制し、努力を怠らない、切なる願いを持つ者に勝利の女神は微笑むのよ」


アイビーをはじめ、周囲の様子にロザリーは満足し、高笑いし、自分を褒めちぎりたい気持ちになったが、場にふさわしくないので我慢して、淑女の仕草で空を見上げ、自由に飛ぶ鳥を見つけた。

昔は怖かった鳥も、鳥のことを知ってからは怖くなくなった。


「ロザリー、そろそろ」


平静を取り戻したアイビーに呼ばれ、差し出す手に、ロザリーは愛らしく微笑み手を重ねた。

伯爵令嬢として、侯爵家嫡男の婚約者として、完璧に役割をこなした先にロザリーの復讐は繋がると信じて。


「お役目の挨拶もダンスも終えましたね。お疲れさまでございました。もうお友達と遊んでいらっしゃいませ。私もお友達とお話してまいりますわ」


豪華な会場で挨拶とダンスを終えて、ロザリーはアイビーのエスコートの手を解く。

婚約披露の場で、婚約者にエスコートされながら社交を覚えたり、交友を深める者もいるが、ロザリーは必要としない。

ロザリーはアイビーの紹介がなくても、交友を広める武器を持っている。

大人びた伯爵令嬢の愛らしい少女への変貌に驚く視線に微笑み返し、周囲を魅了する。

好奇、憧れ、嫌悪、集まる様々な視線にロザリーは極上の笑みを浮かべる。

絆を紡ぎたい者からの反応で、一番恐れるのは無関心である。


「人はね興味のないものは認識しないの。視界に入っても、記憶に残らない。私はそんな者は時間の無駄だから、相手にしない。縁がないと、そのまま通りすぎるわ。相手を選ぶのは大切よ」

「選り好みできない時は?」

「共通の目的があれば、仲良くできるってロザリーがよく知ってるでしょ?欲を刺激、満たしてあげるのも有効よねぇ」


情報と欲が渦巻く社交界でロザリーは可憐に踊る。

伏魔殿で見つけた、ロザリーの欲を刺激するものに極上の笑みを溢す。

ただし、伯爵令嬢らしさは絶対に忘れない。

伯爵夫妻はロザリーの変化に驚くが、上品な仕草で挨拶し、ダンスを踊り、同世代では一番淑女らしく振舞っているため何も言わず見守っている。

家族の理解を得るための、努力を惜しんではいけない。

復讐は伯爵令嬢のロザリーが成し遂げたいことだから。


***


貴族は12歳になれば、全寮制の学園に入学する。

11歳の冬、ロザリーはとうとう侯爵夫妻から及第点をもらった。

授業の後の婚約者との親睦を深めるお茶会は婚約披露からは会話も増えた。

侯爵夫人好みの淑やかなロザリーでもアイビーの関心は薄れなかった。



「入学の準備は終わった?」

「はい」

「来週の授業が終わった後に出かけないか?」

「侯爵邸での教育は及第点をいただきましたから、次にお会いするのは閣下のお誕生日ですよ」

「は?」


怪訝そうな顔をするアイビーにロザリーはニコリと愛らしく笑いお茶を飲む。

公式の場や侯爵家の目がある時は、淑やかな令嬢だが、婚約者との私的な場で愛らしい仕草をするのは侯爵邸の家人達から微笑ましく受け止められていた。


「父上の誕生日は半年後だよ。全寮制の学園に入学しても、休日は帰宅が許されるだろう?来月の伯爵閣下の誕生日に会えるだろう?」

「いえ、長期休みまで帰りません。お父様から勉学を優先するように言われてますの」

「伯爵邸から学園まで馬車で2時間だろ?父親の誕生日くらい」

「隣国まで三日かかりますし、お父様も望まれていませんもの」

「隣国?なんで?」

「隣国に留学しますので、」


アイビーは大事なことを明日の天気のように話すロザリーを見つめた。

ロザリーはアイビーではなく、注がれたお代わりのお茶の香りにうっとりしていた。


「このお茶美味しい。どちらのものか」

「待って。お茶は包ませるから、もう少し詳しく教えて」

「注がれるお茶から香る」

「お茶の話は終わりにして、話さないといけないことあるよね?」


お茶の魅力を語ろうとするロザリーの言葉をアイビーはは止める。

ロザリーは首を傾げ、愛らしい考える仕草をした後に、思いついたフリをして目を輝かせ、アイビーを見つめ返した。


「閣下のお誕生日のドレスの色は」

「大分先の父上の誕生日のことではなく、留学のこと、なんでわざわざ隣国に」

「まぁ、閣下のお誕生日のドレスコードの話をしたいのではないんですね。アイビー様には関係ないことですが、あぁ、丁度隣国のことをお勉強してますのね。学びを深めようとする姿勢は素敵ですわ」

「あ、ありがとう。留学する理由を教えて欲しいんだけど」


「文化はうちのほうが優れていますから、アイビー様の気持ちもわかりますわ。私は、伯爵令嬢としてではなく、ロザリーとしてどうしても親しくしたい方がいますの。海を隔ててるので、会いにいかなければ偶然の出会いなどありませんでしょう?危害を加えることはありませんのでご安心を。私、理解のある方なら愛人として厚遇派ですので、心配いりませんわ。あら?大変。お兄様が帰ってきますので、ここで失礼しますね。閣下のお誕生日のドレスコードは招待状に記載してくだされば、合わせますので心配いりませんわ。では、アイビー様、失礼しますね」


ロザリーの言葉に衝撃を受け、固まってしまったアイビーに微笑み、礼をして退室していった。

アイビーが机に手をつき、頭を抱えている。

淑やかで淑女としては完璧と周囲に評価され、アイビーよりも優秀と囁かれている婚約者は時々突拍子もない言葉や仕草でアイビーを翻弄する。

婚約者と仲睦まじいと家臣達に言われても、アイビーは物足りなかった。


「デートもしたことないんだろう?会うのは公式な場か義務のお茶会。まぁ、政略結婚だから十分だろう?」

「ロザリーは神出鬼没だから、待ち伏せて偶然を装うのは難しいよな。予定を聞けば、教えてくれるけど、3回に1回位しか会わないんだよなぇ」

「ロザリーを誘えないアイビー様の甲斐性のなさが問題なのでは?」


偶然王都で買い物をしているロザリーを見かけて一緒に散策した友人、伯爵邸でロザリーが作ったお菓子と、淹れたお茶をふるまわれた兄のような側近、過ごす時間はアイビーとロザリーのほうが多いのに、親密度はアイビーのほうが低かった。


*******

ロザリーは留学し、休養日に子爵領を訪問していた。

町娘風の装いのロザリーに、兄に見えるように着替えさせられた護衛騎士は子爵領を歩いていた。


「こんなに寂れた場所に何の用が?」

「ここに愛らしいお嬢様がいるはずなの。是非ご挨拶をしたいと、お嬢様の好きな甘い物も用意しましたの」


恋人が用意した砂糖菓子に目を輝かせ、幸せそうに食べていた子爵令嬢のベルナの姿をロザリーは遠い記憶から探し出した。

砂糖は輸入品のため高級品である。砂糖を大量に使う砂糖菓子を手に入れられるのは資産力のある者のみ。資産力のある伯爵家の令嬢のロザリーには簡単だが、貧しい子爵令嬢は贈り物としか手に入らない。砂糖より手に入りやすい蜂蜜が好きという記憶もあったので、お土産の蜂蜜も用意した。


「愛らしいお嬢様?間違いじゃないか?」

「うちのお嬢様は変人、」

「子供がすまないねぇ。変人ではなく変わっているんだよ」


給仕の少年の口を塞いだ愛想のいい女将のフォローは、フォローになっていない。食堂の従業員の話に食事をしながらロザリーは困惑した。

遠い記憶の愛らしい少女との共通点が見つからない。


「お嬢様が好きなのは草!!」


遠い記憶の名前と外見のみ一致している子爵令嬢ベルナが頻繁に趣味のフィールドワークをしている情報を入手したロザリーは森に向かった。

困惑して立ち止まるほど、ロザリーは暇ではない。自分の目で見て、策を練ることにした。

休養日のたびに、子爵領の森に通い一月経った頃にようやく目当ての人物を見つけた。

スケッチが趣味の資産家の少女風の装いのロザリーは敷物の上に座り、絵を描いていた。

ローブを着て、一心不乱に草を刈っている少女にロザリーは近づく。


「ごきげんよう。今日はフィールドワーク日和ですね。ご心配なさらないで。私は絵を描きたいだけなので、森の恵みを手折ることは致しませんわ」


ロザリーが声を掛けても、草の採集に夢中で振り向かない。


「あとで一緒にお茶でもいかが?珍しい砂糖菓子をいただきましたの」


好物なはずの砂糖菓子にも見向きもしない少女にロザリーは悩む。


「限定発売予定の新種の植物も記録された図鑑に興味ありませんか?」

「え!?」


採集の手が止まり、驚く声に、ロザリーは声が聴こえていたことに安堵の息を吐く。

ロザリーは子爵令嬢ベルナを図鑑を餌にお茶に誘うことに成功した。


「これ、もらってもいい?」

「ええ」

「砂糖は高く売れるのよ!!」

「そうですね…」


ロザリーは茶菓子として用意した砂糖菓子を形が崩れないように、採集用の透明な瓶に丁寧に入れるベルナに戸惑いを隠して笑顔で頷いた。

ベルナの薬草の話を聞きながら、家の事情について少しづつ聞き出していく。

ベルナは薬学が好きだが、進学して研究するよりも資産のある家に嫁ぐことを求められている。


「貧しい子爵家と親交のある裕福な令息なんていないでしょ?学園で婚活するって説得したら、父上の許可が出たの。隣国は薬学の研究の先駆者の博士もいるし、全寮制で奨学金制度も充実した学園、留学して、自由に研究させてくれる男の愛人枠でも狙おうと思ってるの」

「家族の許しを得て、研究さえできれば、権力のない愛人で満足ということ?」

「貴族の夫人なんて義務ばかりで、平民よりも憐れじゃない?衣食住が保証され、自由に研究ができれば、素敵!!」


無邪気に笑うベルナの笑顔は可愛らしい。

アイビーと同じ歳だが、言葉の中に確固たる決意を感じる。


「夫人になってくれと望まれれば?」

「逃げるか、未亡人になれるように努力しようかしら」


恋に夢見ていいはずのお年頃の2歳年下の少女の物騒な発言にロザリーは寒気に襲われた。

欲に忠実な者はやる時はやるということを良く知っているロザリーは、少女の夢物語とは思わない。

ロザリーが求める愛人の素質を持っているベルナと友人になることを決めた。


****


留学して2年後、14歳の春にロザリーはベルナと共に故郷に帰った。

アイビーが入学するので、ロザリーも同じ学校に転校した。

婚約者の義務として、ロザリーがアイビーに会いに行くと、アイビーは固まった。


「入学おめでとうございます」

「なんで、ロザリーが」

「お友達のベルナです。親しくしても構いませんよ。アイビー様の学園生活を邪魔するつもりはありませんので、安心なさって」


上品に微笑むロザリーはベルナを教室に案内し、物言いたげなアイビーに礼をして教室を出ていく。


「教えてくれれば迎えに行ったのに…。邪魔って」


アイビーの呟きはロザリーには聴こえない。

学年が違うので、ほとんど会う機会がないと思っていたアイビーとよく会うが気にせず、勉学と交友関係を広めるために専念する。

婚約者とランチデートが流行していたが、ロザリーは友人とのランチが日課だった。

偶然アイビーを見かけても、挨拶するだけである。


「ロザリーの男の趣味が悪すぎる」

「将来侯爵家を支えて下さる方と仲を深めているだけですよ」

「ロザリーは誰にでも優しいのよ。たとえ、役立たずや将来に希望が持てない方でもねぇ…将来は侯爵家を牛耳る姿が目に浮かぶわ」

「面白いお話ですわね」


同性の友人達と淑やかに微笑みながらお茶を楽しむロザリーは、良家への嫁入りを狙う令嬢達に敵視されないように気をつけている。

婚約者に不満はなく、近づく異性は侯爵家の関係者だからと公言し、無害とアピールしている。

婚約者の侯爵子息のアイビーより家格が低いが、ロザリーのほうが周囲からの評価が高い。

侯爵夫妻に溺愛されている息子に嫁ぎ、苦労するだろうロザリーへの同情の視線もあるが、肯定も否定もしない。

16歳になると侯爵夫人としての仕事を任されるようになった。

侯爵邸にロザリーの部屋が用意さて、伯爵邸よりも侯爵邸で過ごす時間が段々長くなっていった。


「ベルを愛人に向かえる準備は整っているので、安心なさって。ベルとはこれからもお友達ですから」

「僕は彼女を愛人にするつもりはないんだけど」

「私は理解のある愛人でしたら容認派です。愛する人を妻に迎えたいお気持ちはわかりますが、適材適所、ベルは侯爵夫人になるなら逃げてしまいますよ。私が侯爵夫人として、務めます。私的な面ではベルが優先で構いません」


愛らしいベルナに惹かれているのに、告白できないアイビーの背中をロゼリーは優しく押す。

アイビーに任せると、ロゼリーと婚約破棄してから告白し、ベルナに捨てられる未来が見えていた。

アイビーは浅慮なところがあり、そこを利用されても、根に持たないから改善しないという、一人だと買い物にも行かせられない男である。

ロザリーはお互いに利のないことには手を出さない。騙されたら、絶対に仕返しするまで追い詰める執念深さと諦めない根気強さを持っている。

敵に回せば怖いという、上位貴族夫人の資質に恵まれていると自負していた。

ロゼリーはベルナと一つ取引をして、アイビーが成人する日に仕掛けることを決めた。






アイビーが成人した日に薬を盛ったロザリーは、一夜の過ちで新たに宿った命に微笑む。


「お酒の過ちとはいえ、責任とってくださいませ」

「もちろんだよ。ごめん、僕は」

「合意ですから、生まれてくる子に継承権さえいただけるなら十分ですわ」

「お腹が目立つ前に式を挙げないとだね。でも予定が早まったのは嬉しい誤算だ。ロザリーの要望があれば、叶えるから教えて」


ロゼリーはお腹が目立つ前に、アイビーと結婚式をした。

ロザリーに騙されたとは気付かずに、責任を感じているアイビーの言葉に、ロゼリーは愛らしい笑顔で頷きお願いをした。

結婚式が終わる頃には、ロザリー念願の侯爵邸の改装が終わった。

ロゼリーは建築責任者を買収し、極秘で夫婦の寝室から隠し扉で繋がる個室を二つ作った。


「この部屋は使用人達は知りません。ですから、私はこちらの部屋を使います。寝室はアイビー様が使ってください」


初夜ではないが、夫婦として初めて迎える夜にロゼリーはアイビーに笑顔で告げた。


「もう一つの隣のお部屋はアイビー様が好きに使ってください。愛人に与えても構いませんよ。では」

「待って。身重の君に無体はしないよ。でも、夫婦なんだから」

「周囲の目をごまかすために作りましたのよ。完璧ですわ」


物言いたげなアイビーに、ロザリーは愛らしく笑い、夫婦の寝室から繋がる個室に入り、鍵をかけた。

仲睦まじい様子を周囲にアピールしながらも、実際は異なる夫婦生活の始まりだった。

侯爵として頼りないアイビーではなく、利用されっぱなしは許さないロザリーが堂々と侯爵家を仕切っていく。


「子供も生まれたし、もう安心です。アイビー様が亡くなったら、私を支えてくださる恋人を探してもよろしくてよ?」

「生きている限りは僕だけの妻でいてくれるのか」



妖艶に微笑み男を魅了するロザリーの腰をアイビーが引き寄せた。

アイビーは結婚してしばらく経つが、愛人を作っていない。

成長したアイビーはスキンシップを好み、頻繁にロザリーに触れる。

ロザリーは不思議に思いつつも、アイビーのスキンシップを受け入れている。


「おかしい」

「僕達は互いにそうゆう感情は一切ないから。それに、ぼ、僕は妻だけを大切にするって決めてるから」


ベルナは侯爵家の薬剤師見習いとして働き、愛らしさの欠片もない研究熱心な変わり者の女性に成長した。

かつての恋人である二人の関係に恋愛の欠片も見つからない。

むしろアイビーよりもロゼリーのほうがベルナと親密度が高かった。



穏やかに眠る見覚えのある顔をしているアイビーの頬にロゼリーは手を伸ばした。

頬に触れる前に、腕を掴まれベッドで眠っていたはずのアイビーの腕の中に引き釣りこまれた。

ロザリーは寝起きのアイビーの頬に触れ、温もりに首を傾げる。


「どうして生きてますの?」

「愛しい妻と成人していない我が子を残して死ねるわけないだろう?」

「よくわかりませんが、私は手に入れましたの。切なる願いは叶うのですわ」

「切なる願いか。君とずっと一緒に、最期を迎えられることかなぁ。残したくないけど、最期に映るのはロザリーだったらこの上なく幸せなんだろうなぁ」


ロザリーは出産後、アイビーからの関心を必要としなくなったため、向けられら視線や感情に無関心になった。

うっとりと幸せそうに微笑むアイビーにつられて、ロザリーは無意識に満足げな笑みを溢した。


「起こしにいかないといけないのに、扉を開ける勇気が出ないわ。旦那様の奥様に向ける感情、ちょっと怖いよね。でも奥様は気付かないから相性はいいのかしらね」

「見返りを求めないのが愛?」

「私達にもよくわかりませんが、坊ちゃんにはまだ早いですよ。先にお食事にされますか?」


扉の外にいる使用人達を悩ませているロザリーはかつて恋した人(早死にしたアイビー)が捨てたものを全て手に入れると決めた。

婚約破棄してまで手に入れたかった恋人(ベルナ)を友人にした。

アイビーを追い出し、侯爵家を手に入れた従兄(ジェイソン)を側近にした。

アイビーが捨てた側近達は、ロザリーに仕える忠臣にした。

アイビーが手に入れるはずだった侯爵領はいずれ、息子に継がせるように整えた。

復讐を終えたロザリーは祈りを捧げ、王都の外れにある修道院に多額の寄付をした。


「どうか幸せでありますように」


かつてのアイビーが手に入れられなかったのか、捨てたのかはロザリーにはわからない。

かつてのロザリーはアイビーに捨てられ、伯爵家を捨てて、修道女になった。

幼い初恋が綺麗なままで終わるように、神に世界の平和と幸せを願う日々を重ねたが、見せかけだけで、切なる願いではなかった。

安寧の場所で心穏やかになるまで祈りを捧げ、時と共に傷が薄れた時に再会しなければ、復讐に囚われることもなかった。

初恋を貫いた伯爵令嬢、復讐に囚われた修道女、復讐を遂げた侯爵夫人、次の切なる願いがどんなものになるかはロザリーにしかわからない。

悲劇の主人公になることは望まず、他人の不幸を願わず、目的のために真っすぐに進むロザリーの人生はどんな時も充実している。

たった一つ(乳母)の絆を残して、全てを失った青年が最期にかつての婚約者に会いたいという切なる願いを持っていたことは生涯知ることはなかった。












*****



王都の外れにある修道院は、他の修道院より設備が整い、警備体制を整えられている。

王家からの慈悲(寄附金)を賜らなくても、運営できている唯一の修道院である。

この修道院に所属できるのは修道院長の許しがある者だけである。

ロザリーは18歳の時に、修道女になることを望み、修道院に受け入れられた。


「良家のお嬢様がどうしてここに?」

「愛していた婚約者に婚約解消を望まれました。婚約者が愛したのは貧しい生まれの少女。私がいる限り、周囲は少女と婚約者を受け入れません。ですから、新たな婚約者のための教育の準備を整え、しばらくの仕事を片付け、失踪することにしました」

「え?」

「他に私にできることは、可愛らしいあの方が幸せになるよう祈るだけ」

「他にいくらでも、あると思うんだけど」

「いいえ。好きな人が別の女性と幸せになる光景を見ながら、好きでもない男に嫁ぎ尽くす私を想像したら、私の周囲の空気が淀みましたの。この気持ちが恨みやよくないものに変わるより、美しいままでありたいでしょう?」

「極論すぎない?」

「初恋ですから。婚約破棄されなければ、愚かなところも可愛らしく、ずっと幸せにお支えしたでしょう。でも、熱に侵された瞳で、一生懸命頼みごと(婚約解消)をされるのは初めてで、心が躍りましたのよ。そして満足しました。愛した人が全てを手に入れ、幸せになることを実際に見なければ願うことができるでしょう?」

「男の趣味が悪そうね」

「騙されやすく、お馬鹿なところも、両親に愛でられる才能の持ち主のフォローは大変でしたが、安堵の笑みを見れば報われたもの」

「両親に溺愛される甘ったれ…独り立ちできるのかしら?」

「ロザリーが、情報の手に入らないここに来たのは賢明な判断だったかも。現実逃避には最適よね。どんな事情でも歓迎するわ!!」

「ありがとうございます」


歓迎会の日、お酒に酔ったロザリーの話は修道女達の酒の肴になった。

特別な修道院にいるのは、訳ありの者ばかり。

平穏を望む者ばかりで、争い事とは無縁の王都で一番穏やかな場所だった。


「ロザリーの声は澄んでいますね。ロザリーは追悼歌の担当を任せましょう」


結婚や葬儀など祭事は教会で神官達によって行われるため、修道院では祭事は行わないが、ロザリーの所属する修道院は他とは事情が異なった。

教会で祭事を行えない訳ありの者も、修道院では受け入れ、礼拝堂で極秘で祭事を行っていた。

祭事を受けられるかは、身分やお金ではなく、切なる願いがあるかである。


「院長様に認められるかよ。私達もわからないから、深く考えないほうがいいわ」


院長に認められるかどうかで修道院で受け入れられるか決まる。

所属する修道女は多才な者が多く、刺繍、料理、楽器の演奏、絵など何かしらの特技を持つ者ばかりだった。修道女達の作品はバザーで売られるが、バザーとは名ばかりの高値のつくオークションである。

芸術に魅入られるもの、修道院に入ったため会えなくなった美しい修道女に連なる品が欲しいもの、それぞれである。圧倒的に後者が多かった。


「切なる願いっていうか、容姿端麗で資金を稼げるスポンサーがいるか、生活を豊かにする素質のあるか、利益になる者しか」

「ロザリー、仕事よ。余計な詮索はいけないわ」

「そうね。ごめんなさい」


ロザリーは先輩の言葉に頷き、思考を放棄した。

修道院に所属すれば、本人と院長の許しがなければ還俗できない。

部外者が入れるのは、礼拝堂のみである。

修道女が利用する礼拝堂は別にあるため、外部の者と修道女が偶然会うことは決してない。

外出にも院長の許しと手続きが必要で、外からの情報はほとんど入らず、不自由な面もあるが、外部の事情に煩わされたくない者には極楽のような場所である。

切なる願いを持ち、修道女になることを選らんだ者が自ら出ていこうとすることはないので、修道院の在り方に不満を持つ者はいなかった。

それはロザリーも同じだった。


修道女達はそれぞれ才に合った役目を与えられている。

ロザリーは、葬儀の際に追悼歌を歌うこと。

天へ旅立つ者や関係者の情報がまとめられた聞き取り用紙をもとに、一曲作り歌う。

聞き取りを望まない者には、定番の追悼歌ですませていいと言われているが、切なる願いで葬儀を望む者は、聞き取り役に熱い想いを語るため、聞き取り用紙が分厚くなることもある。

ロザリーは追悼歌を作るために、小説と同じ厚さの聞き取り用紙を読み始めた。


子宝に恵まれない高貴な夫婦はしばらくすると男児を授かった。

老夫婦は愛息子が苦労しないように、最高の教育と側近候補、優秀な婚約者を用意した。

成長した少年は聡明で2歳年上の婚約者ではなく、留学生の同級生の少女に恋をした。

聡明な婚約者との婚約を破棄し、初恋を適えたが順風満帆にはいかなかった。

老夫婦が亡くなり、後継の椅子は親戚に奪われた。

恋人はいなくなり、流行り病に倒れた青年の隣の残ったのは乳母だけだった。

社交界では流行り病に罹ると神の加護がないと囁かれる。

流行り病で亡くなれば、教会に寄付をして、極秘で神官を呼び、親族だけで密葬し、しばらくして出奔したため籍を抜いた、旅の途中で事故死等と公表する。

葬儀もされず、放り出されて修道院に駆け込んだ乳母の事情は記載されていないが、貧しい家なら密葬せずに、追い出すかもとロザリーは想像した。


「全てを持っていた者が落ちていくお話を美しいものに変えないとねぇ。恨みは悪いものしか生まないもの」


ロザリーは残された乳母の気持ちが前に向くように願いを込めて歌を綴った。

葬儀の場で、穏やかに眠る、天へ旅立つ者の顔を見て絶句した。

徹夜で考えた歌は頭から吹き飛んだ。


「ありえない。絶対に許さない」


ロザリーの小声のささやきは誰にも聴こえなかった。

ロザリーはいつも祈りを捧げる像に振り返り、声高らかと叫んだ。


「神様、私は真摯に祈りを捧げ、睡眠を削って追悼歌を作り、捧げて参りました。見返りの一つをくださってもいいでしょう!!」

「修道女様?」

「復讐してやる!!神様!!どうか切なる願いを叶えてくださいませ」


乳母が恨みにのみ込まれないように、乳母を思いやり徹夜で作った追悼歌が披露されることはなく、復讐に目をギラギラさせるロザリーの耳に小さな笑い声が聞こえ、目の前が真っ暗になった。




最後まで読んでいただきありがとうございました。

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