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6 進んだ先にある、どちらかの未来

 サキがいつからクレイに恋をしていたか。それはサキ自身にもわからない。ただ、気が付いた時にはクレイの事をどうしようもなく好きになっていた。


「ねえ、クレイ」


「何だ?」


 そう優しい口調で返すクレイの声が好きだった。普段は少しキツい目付きが柔らかくなるのも好きだった。私が何も言わないでいると、何をしてほしいのか考えるクレイが好きだった。私が何か言うと、安心したような顔になるのも好きだった。こんなに好きだって自分でも思ってなかったのに。もしも、もっと早く気付いていたら、違う人生が待っていたかもしれないのに。


 ……その想いにはっきりとサキが気付いたのは、聖女になって2年が過ぎようとしていた頃で、つまりクレイとは離れ離れになってだいぶ経った後だった。


 その頃のクレイはライザニア地方の発展に精力的に取り組んでいて、領内から出る事はほとんどなかったし、サキはと言えば、ミュージカルの公演で国内各地を回っていたので、二人はほとんど会う事はなかった。それは現在においても大して変わっていない。サキは王都にいるし、クレイはライザニア地方にいる。馬車で行けば約一ヶ月もかかる距離に。


 心の距離という点で言えば、サキは常にクレイの至近距離にいた。だが、物理的にはかなり離れていたので、易々と会えるものではなかった。1年間、一度も会えなかった事すらあった。月に一度、近況報告として定期的な手紙のやり取りはしているが、それだけだ。声を聞く事も姿を見る事も滅多に出来なかった。


 普通なら、1年か2年でこの恋は終わっただろう。距離が離れれば離れるほど、恋愛感情も薄れて消えていく事が多いからだ。


 だが、それでもサキの恋心が消えるという事はなかった。


 そして、消す事も出来なかった。


 消すにはクレイの存在はサキの心の中で大きくなり過ぎていた。クレイへの気持ちを忘れるという事はサキの人生の幸せだった部分全てを忘れる事に等しい。サキが路頭に迷わなくて済んだのも、孤児院の子供達を救う事が出来たのも、子供の頃からの夢だったミュージカルを公演する事が出来たのも、全てクレイのおかげだったとサキは思っている。サキの良い思い出の中には、必ずクレイがいたし、これからもそうなる事をサキは心の底から望んでいた。


 だが、クレイはそんなサキの気持ちに気付かず、初めて出会ってから実に9年もの長い期間が過ぎたというのに、ついぞサキに告白をしてくる事はなかった。私はクレイの事が好きだよ、こんなにも好きなんだよ、とサキなりに精一杯アピールもしていたというのに。もうサキの結婚適齢期はとうに過ぎているというのに。


「俺にとって今のサキは手のかかる妹みたいなものだからな」


 昔、クレイに言われた言葉が思い出される。結局、サキは諦めるしかなかった。他の良い男を見つけて、その人の事を好きになるしかなかった。もしも時間がもっとあれば、サキは絶対に諦めなかっただろう。だが、サキはもう27歳だった。ここでクレイの事を諦めなかったら永遠に結婚出来ないような気がした。いつ崩れるかもわからない崖の上に立たされているようで、これ以上は待っている事が出来なかったのだ。


「だから……。頑張って、クレイ以外の結婚相手を見つけようとしてたのよ。でも、みんな、全然好きになれなくて……」


 涙目でそう事情を話すサキを見て、イリスはようやく納得した。そりゃ、そんな熱烈な片想いしてたら、他の男を好きになる訳ないでしょう、と。ハヅキもようやく得心した。サキがやたら好みにうるさかったのは、結局のところ、クレイを基準にして考えているからだと。好きな相手が格好良く見えるのは当たり前なのだから、それを基準にしたら他の人は低くなって当然だろう。ましてクレイは絵に描いたような美男子だし、付き合いの長いサキなら他に良いところを幾つも知っているはずだ。比較したら、他の人間が勝てる訳がない。


 イリスは小さく溜め息をついた後で、サキに謝った。


「すみません。何も事情を知らないくせに、好き勝手な事を言って」


 そして、サキを優しく励ました。サキのこんな弱っている姿を見るのは初めての事だった。どうにか元気付けないと。真剣にそう思った。


「サキ様、クレイ様の事を忘れるのは今は難しいかも知れませんが、でも、その内必ずサキ様の運命の人は見つかります。サキ様はこんなに綺麗でこんなに魅力的なんですから。クレイ様よりもっと素敵な方が必ず現れます。そもそも、こんな可愛らしいサキ様の魅力に気が付かないなんて、クレイ様の方がどうかしてるんです。絶対、女を見る目がありませんから、あの人。そんな人の事はさっさと忘れた方がいいんですよ。絶対にそうした方がいいです」


 そう熱弁してる最中の事だった。横からハヅキがビックリな事を言いだした。それはイリスにとってもサキにとっても衝撃的な事だった。


「でも、もしかしたら、お互いに兄妹としてしか見られてないと思い込んでる可能性はありませんか? つまり、クレイ様も聖女様と同じ事を思ってずっと苦しんでいる可能性も。クレイ様もあの歳で独身ですし」


 サキにとって、それは闇夜を照らす希望の光のようにも、消そうとしていた火に油をドボドボと注ぐ放火魔のようにも見えた。


 一方でイリスはと言えば、ついさっき、クレイの事を女を見る目がないと罵り、しかもとっとと忘れた方がいいとまで言っている。


 何で今、このタイミングで言うの、とイリスは思った。私、たった今、クレイ様の事を諦めさせようとしてたんだけど。いや、言うのはいいよ、言うのは。でも、もう少しタイミング考えてくれない、ねえハヅキ? だが、そんなイリスの視線を無視して、ハヅキは言葉を続けた。


「前に一度ありましたよね。確か3年ぐらい前の事だったと思います。クレイ様がいきなり訪ねて来た事があったじゃないですか。覚えていますか?」


 そう、それは3年前の夏。ミュージカルの公演をしたいとサキが初めて言い、絶対にやるべきではないと教会から猛反対を食らっていた時だった。私はどうしてもやりたいのに何度言っても絶対ダメだって言われる……やっぱり無理なのかな……。そうサキが諦めかけていた時の事だ。無性にクレイに会いたくなって、サキは自分の気持ちをそのまま手紙に書いて出した。


『かねてよりお話ししていた公演の件ですが、聖アルテライト教会は頑なに反対していて、折れそうにありません。教会だけでなく、他の親しい人からもやめた方が良いと言われています。正直な事を言えば、今、クレイにとても会いたい気持ちです。今度、折を見て会いに行くかもしれません。その時は宜しくお願い致します』


 その手紙を受け取ったクレイはすぐさま返事を書いて出した。普段はサキ同様、硬い文体で手紙を出していたが、この時は違った。


『待ってろ。俺から行く』


 そして、あろうことか手紙が到着する前にサキの元についていた。すぐさま馬を飛ばして、速達でも13日かかる道程を10日で駆け抜けて来たからだ。


 突然の来訪に、驚いて固まっていたサキに対して、クレイはいつも通りの柔らかい口調で言った。


「来たぞ。どうした、急に。俺に聞いてほしい事があるなら、聞くぞ。話してみな」


 そしてサキが、公演を開けそうにないから落ち込んでいる、諦めかけていると打ち明けると、クレイは一転して強い口調で言った。


「何でだ。何で諦める必要がある。聖女が歌や踊りや劇をして何が悪い。子供達を楽しませようとして、何がいけない。俺は、それをとても良い事だと思うし、とても素敵な事だと思うぞ。だから、やるんだ。お前がやりたいとずっと思っていた事だろう。だったら意地でもやり通せ。頭の固い教会連中なんか、お前が力ずくでも黙らせてやれ」


 ……結果、サキは本当に力ずくで教会を黙らせた。クレイのあの言葉がなかったら絶対に実現しなかった事だったとサキは今でも思っている。


 しかし、弊害もあった。


 以来、サキはクレイに会いたくなっても、会いたいと手紙に書く事が出来なくなってしまったのだ。書けば絶対にまたクレイは会いに来る、そう確信していたからだ。忙しいクレイに二度もそんな事をさせる訳にはいかなかった……。


「聖女様」


 不意にハヅキに呼ばれ、サキは現実に帰ってきた。そう、覚えてる。というより、忘れられない。その3日後にクレイからの返事が遅れて届いた時には思わず笑ってしまったけど、クレイから貰った手紙の中でそれが一番好きな手紙になったんだから。


「忘れる訳がないでしょ。覚えてるわ」


「そうですか。それなら単刀直入に言いますけど」


 ハヅキは照れもせずに言った。


「私はその時のクレイ様を見て思ったんです。クレイ様は聖女様の事を愛しているのだと」


「あ、あい?」


 直球過ぎる直球ワード。普段はまず聞く事のない言葉に、サキはかなり動揺した。だが、ハヅキは気にしなかった。


「はい。単に妹のように思っているだけでは、あんな事はしないと思います。ただ、会いたいと聖女様が言っただけで、クレイ様は御自分の仕事もあるでしょうに、それを全部放り出して10日もかけて全速力で来られたんですよ。普通は絶対にしないと思います。聖女様を愛してない限りは」


「えっと、その……」


「ハヅキ、お前、よくそんな事を真顔で言えるな。こっちが恥ずかしくなるんだけど」


 イリスが本当に照れたように言った。サキも同様に頬を軽く染めていたが、それはどちらの意味でか。


 とはいえ、ハヅキはパンにジャムを塗るぐらいの感覚で愛という単語を使っているので、特におかしい事を言っているとは思わなかったし、気にも留めなかった。それより気にする事は他にいくらでもあった。


「聖女様、これは確認なんですけど、聖女様の方からクレイ様に、兄みたいに思っている、と仰った事はありませんか? よく思い出して下さい」


 ハヅキの問いに、サキは俯きながら小声で答えた。どことなく、申し訳なさそうに。


「……それは、あるわ。だいぶ昔に。何回か」


 ハヅキは小さく息を吐いた。やっぱり、と顔には書いてあったが、それを言葉にはしなかった。


「……では、もう一つ確認なんですが、妹のように思っているとクレイ様に言われたのは、いつですか? つい最近の事ですか?」


「ううん、それもだいぶ昔よ……。同じタイミングで言ったのよ、クレイも私も」


「それなら、今の聖女様のように、妹ではなく女性として意識している可能性は十分にありますし、兄だと思われていると未だに誤解しているかもしれません。一度、きちんとクレイ様に確かめた方が良いのではありませんか?」


「でも、確かめるって、どうやってよ。クレイに直接聞けって言うの。私の事を女として見てるかって?」


「それは流石に直接的過ぎるので良くないとは思いますが……。ただまあ……」


 ハヅキは最終的にこう締めくくった。


「一度、クレイ様に会いに行かれてはどうですか。最後の確認の為に。他の結婚相手を探すのはそれからでも遅くないと思いますが」


「…………」


 結局、サキは小さく頷いた。


 かくてサキ達は、後日、南の辺境であるライザニア地方へと向かう事になる。馬車でおおよそ一ヶ月の道程。旅が進むにつれ、サキが段々と落ち着かなくなってきている事については、二人の神殿騎士は話題として挙げなかった。当然だと思っていたからだ。好きな相手に自分をどう思っているのかを確かめに行くのだから、期待と不安が大量に入り混じるのは当たり前だろう。緊張しない訳が無い。とはいえ……。


 帰りには、それがどうなっているか。


 サキのいないところでハヅキとイリスは小声で話し合った。


「私は7割方上手くいくと思ってるんだけど……イリスはどう?」


「……何とも言えない。歳が結構離れてるから、本当に妹だと思ってる可能性も十分あると思ってるし。五分五分ってところじゃないの」


 何にしろ、サキが振られた時の事を全く考えない訳にはいかない二人だった。上手くいくならそれでいい、だが、駄目だった時は……。あまり考えたくはなかったが、泣くサキを慰めつつ、長い長い帰り道を行く羽目になるのだろう。二人は心に響く慰め文句を考えつつ、旅を進める事となった。


「でも、こういう心配がさ、無駄に終わるのが一番いいんだよね。そうならないかな」


 イリスの言葉にハヅキも頷いた。そして、言う必要のない事を言った。


「もしダメだったとしても、いっその事、振られた方が気持ちの整理もつくと思うの。最終的には、悪い結果にはならないと思う」


 イリスは肯定も否定もせず、結局、何も言わなかった。


 ただ、それならどうしても成功させたい、という強い思いが湧き上がってきていた。

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