1 結婚を焦る聖女様
『……私は大剣を抜き、天騎士と共に邪神竜と正面から対峙する事となった。お互いに間合いをはかりながら、少しづつ距離を詰めていく。
近付けば近付くほど、強い恐怖と不安が私を襲った。
大剣を持つ手が自然と震え、呼吸も上手く出来なかった。邪神竜が放つ邪悪で強大な魔力、それに心が押し潰されそうになって、立っているのもやっとの状態だった。
だけど、その時、辺り一面に広がっていた雷雲が割れ、天から神々しい光が差して私を優しく包んだ。同時に、心の中に直接響いてくるような美しい声を私は聞いた。
それが女神アルテライトが語りかけているものだという事は、私にはすぐにわかった。女神様は私にこう語りかけて……』
そこまで読んでサキは分厚い本を無造作に閉じた。タイトルは『聖女サキの回想録 〜邪神竜討伐に至るまで〜』
サキにとっては、世界で一番読む気がしない本ではあったが、同時に人生の中で一番読んだ回数が多い本でもある。一度ならず赤ワインを零したりしているので、見た目はかなり汚れている。買い替えた方が良いのでは、と勧められた事もあったが、そうねぇ、と返事をしただけで、今もずっとそのままだ。
サキは読めればいいと思っている。
他者からすれば、その分厚い本は聖女サキの輝かしい功績を記した自叙伝という位置付けになる。しかし、本人からすれば、それはウソばかり書かれているトンデモ本でしかない。にもかかわらず、そのウソを暗記レベルで覚えて、さも自分がやりました感を出しながら他者に話さなければならないというのだから、考えてみればなかなか業が深い事をしてるのよね、私、とサキはたまに思う。思ったところで自分のせいではないし、今更どうしようもないしと、気にしない事にしているのだが。
だって、全部、教会が悪いんだし。私、悪くないし?
聖女認定された際、聖アルテライト教会から何名かの枢機卿がサキのもとに遣わされた。彼等はサキに『聖女』たる事を求めた。曰く、上品、清楚、優雅、献身、温和、淑女、清廉、謙虚、等々……。いわば一般大衆が思う『聖女』のイメージを崩さないよう振る舞う事を要求した。当然と言えば当然ではある。下品で野蛮で淫乱な聖女などいない。仮にいたとしても世間は聖女として認めないだろう。
「まあまあまあ、上品とか優雅とかそれぐらいならね。私、元から全部そうだし」
適当な事を言うサキを完全無視して、教会内部で勝手に話は進められた。服装も少しよろしくないと、サキには白色系の長く上品な衣装が何着も用意された。美人でスタイルが良いだけあって、何を着せてもサキは基本似合うのだが、しかし、教会の聖職者達はサキがどれを着ても微妙な顔を見せた。陽気が滲み出ているようなその表情と、好奇心旺盛そうなその目が、どうしてもサキを聖女らしく見せてくれなかったのだ。酒場の新人客引き娘と言われた方が余程しっくりくるのだが、その点については彼等は妥協する事にした。
「それと、言動についても同様です。常に気品を持って発言して頂きたい」
「バッチリよ。任せて」
「そういうところを直して頂きたいと申し上げています」
聖アルテライト教会としては、サキが何かやらかして教会の権威にまで傷をつけられては困るのだ。故に、サキには御目付役として2名の神殿騎士があてがわれ、名目上は護衛として付き従う事となった。邪神竜を倒す女にどうして護衛がいるのか、という当たり前の事は誰も言わなかった。
聖女は聖女らしく。神聖にして、誰もが敬い、誰からも愛される存在でなくてはならない。
それが教会の言い分だった。
その延長線上として、サキと邪神竜との戦いも大幅に改竄と捏造をされ、原型などとうに消えている。邪神竜を倒した日は快晴だったし、女神の声などサキは今まで一度も聞いた事がない。そもそも宗教には興味がなかったし信じてもいなかった。もしも神様がいるのなら、この世に数限りなくいる不幸な人間を放置しておくはずがないと思っている。自分の回想録を読んでいて、誰よこの女と思った事は何度もある。
聖アルテライト教の教義の中には7つの大罪というものがあるのだが、その中に嘘や欺瞞は入ってない。なるほど、こういう理由なのかしらね、などとサキは皮肉めいた事を思う。神聖な教会と言えども少なからず闇の部分は存在するのだった。
故に、サキは邪神竜討伐の件についてはウソをつく事に罪悪感は感じていない。ただ、1年に一度だけ、この本の印税を貰う時だけは少し気まずい気持ちで受け取っている。詐欺を働いているようで居心地が悪いのだった。お金は大事だから貰う物はしっかりと貰うのだが。結構な金額になるので、受け取らないという選択肢はない。この本が王国の歴史上一番売れた本だというのは、サキにとって皮肉と言えるかもしれない。自伝を出している他の偉人達はどうだったのかしら、と彼女は思わずにはいられない。
まあ、今の生活費のほとんどはこの印税頼りなんだから、文句があってもあまり言えないんだけど。
世界にたった一人の聖女という身分でありながら、サキの懐事情はあまり陽気とは呼べない。聖アルテライト教会がサキに与えたのは名誉と名声と衣装だけで、金銭に関しては1クランもくれなかった。雇用関係にないのだから教会としては当然の事なのだが、しかし、聖女だって生きていく上にはパンと水がいる。つまりは、それを買う金がいるのだ。自伝めいた本を出す羽目になったのも、結局はお金に困っての事だった。まさかここまで改竄される事になるとは思ってもいなかったのだが。
そのせいでサキは、社交界へと出かける際には、自分のありもしない武勇伝を予習復習する必要が生まれてしまった。皆が知っていて当の本人だけが知らないという珍事を起こす訳にはいかないからだ。最近はもう話題にされる事は滅多にないが、事故というのはいつ起こるかわからない。あまり気を抜く訳にもいかないのだ。
「……聖女様、そろそろ出発されたほうが。馬車の用意も既に整っておりますので」
お付きの神殿騎士に言われ、サキは壁の時計を一瞥してから軽く頷いて立ち上がった。今夜はとある伯爵家の次男の結婚の前祝いパーティーに出席する予定だった。結婚する花婿には興味が全くなかったが、その場に参加する予定の独身男性には興味があった。
ルード伯爵家三男、ライザー・ルード。
まだ顔を見た事はないが美男子だと聞いているし、私と同じで数少ない魔力持ちだから向こうにとっても都合が良いはず、年齢も21とまあまあまあ、6歳年下ぐらいはギリ許容範囲でしょ、とサキは勝手に思っている。性格も悪くないらしいから、これは可能性があるかも、と密かに期待もしていた。
聖女となってから5年、サキはそろそろ切実に結婚がしたかった。
この国の結婚適齢期は20〜24歳ぐらいまでと言われている。大体の男女がそれぐらいまでに結婚をするからだ。しかし、サキは現在27歳。3年もオーバーしている。なのに、婚約者もいなければ恋人もいない。このまま時が過ぎていけば、その状況はずっと永遠に続くのではないかと思われた。少なくとも、サキはそう思い焦った。
……このままだと、どう考えても良くないわよね。……とにかく誰か良い人を見つけて、結婚しないと。
その為に、サキはここ一ヶ月の間、貴族達の催す晩餐会や舞踏会に積極的に参加していた。どこかに良い男はいないかと、まるで木の実を探す野生動物さながらに。しかし、それがなかなか見つからないでいた。いるのはサキの好みに合わない男ばかりで、結婚を考えるにはとてもとても。全員が貴族なのだから、少なくとも将来性や安定性についてはサキは選り好みをしていないのだが、それでも魅力を感じる男は誰一人としていなかった。
逆に、口説いてくる男は大勢いた。サキは聖女であり、おまけに美人である。彼女と結婚をしたいと望む男は相当数いたし、そこに歳の差は関係なかった。むしろ、年下の方が圧倒的に多く、もっと正確に言えば、サキより年上の独身男性がほとんどいなくなっていた。夜会などで年下の男に囲まれ、逆ハーレム気分を味わうのは決して悪い気はしなかったが、しかし、それだけであり、サキの結婚までのゴールが近付いたという事ではない。
「まったく、困ったものね。私の大人の魅力に見合う男が全然いないんだもの。もっと私をときめかせてくれる男はいないのかしら」
なんて事をサキは強がって言っていたが、前半部分はともかくとして、後半部分は本気でそう言っていた。あらゆるタイプの美男子から言い寄られても、サキはまるでときめかなかった。会話をしていてもろくに心が踊らず、恋の予兆すら感じなかった。たまに、あ、この人ならイケるかも、と思う相手も何人かはいたのだが、最終的には違った。何か違うのだ。サキの恋愛心に響くものが、彼等には何一つなかった。舞踏会で一緒に踊っている時も、夜会で密かに愛の言葉を囁かれている時でさえも、サキの心拍数にはほとんどの変化がなかった。本人でさえ困惑するほどに。
変ね。ここって多分ときめきポイントのはずよね? 私の心臓おかしい? 何の反応もしてくれないんだけど。もっと頑張ってよ、ほら。今、口説かれてるんだから。ドキドキしてくれないと、この人の事を好きになれないじゃないの。
当然、好きにはなれなかった。結果、数多くの美男子から言い寄られたにもかかわらず、そのアタックを全てかわす事となった。貴族間では、恋人イコール結婚相手のような風潮がこの国にはある。下手に恋人を作って、やっぱりごめんなさい、あなたの事を好きになれないの、別れましょう、なんて言おうものなら、社交界でどんな噂をされる事やら。男に大恥をかかせる危険人物とみなされ、金輪際、寄ってくる男が一人もいなくなるかもしれない。そんな危険を冒す訳にもいかなかった。
なのに。
「あら、サキ様はまだ婚約相手も恋人もいらっしゃらないのですか……。それはまあ……。流石、聖女なだけあって本当に貞淑な御方ですのね」
うるせーーー!!! 黙れーーー!!!
舞踏会やパーティーでの会話。そう叫びたかった事がこれまでどれぐらいあったか。聖女と言えど人間。ましてサキは邪神竜を討伐した事によって聖女となっただけで、元を正せば田舎生まれの田舎育ちのド平民。それがいきなり上流階級に放り込まれ、結婚するなら格式を合わせる為に貴族か王族となどという一方的な条件を半強制的に教会や世間から付けられてしまったのだ。一般庶民とも結婚していいと言うのであれば、サキにはまだ心の余裕があっただろう。なのに。鬱憤が溜まって当然と言える。
「ですが、サキ様はとても素敵な御方ですから。きっと運命の巡り合わせが宜しくなかっただけですわ。本当にお労しい限りです。私も陰ながら応援しておりますので」
表立って応援しろよーーー!!! こっちは焦ってんだぞーーー!!!
このまま無意味に時が過ぎていけば、当然、言い寄ってくる男性の数も減っていくだろうし、まして、良い男ほど別の誰かにさっさと取られていく。この国の貴族の数は比較的多い方だが、それにしたって無限という訳ではない。結婚相手を強制的に親に決められてしまう者も少なからずいるし、相手がどんどんと絞られていく。
サキとしては、このまま一人取り残され、運命の相手が永遠に見つからずにずっと独身のままでいる、なんて事だけは絶対に避けたかった。
そう、夢見る乙女の期間なんてとうに過ぎたのよ。情熱的な恋愛なんてもういらないから、早くいい人を見つけて早くお嫁に行きたい。早く幸せになりたい。子供も3人ぐらいは欲しい。魔力持ちは老化が極端に遅いから、まだ何十年も体は若いままだけど、子供を産むにはまず相手が必要なのよ。
その為にも今日の本命、ライザーと親しく交流する事をサキは馬車の中で改めて強く決意するのだった。どうか今度こそ好みのタイプでありますように、と願いながら。