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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO Ⅱ  作者: ハナサワリキ
一・青の記憶
5/5

藍の残響

 カロン


 夕闇に包まれた部屋の中、龍之介は手のひらの上で煤けた鈴を転がしていた。


 今になって青波出身の人間と出会うとは。

 これは何かの因果なのか。

 ……いや、ここは元青波だった土地だ。

 むしろ今まで出会わなかったことの方が不思議か。


 窓から差し込むシヴィタスの光が、ぼんやりと部屋を照らす。

 ルミナシティ——アルカディアの理想郷。

 エテルナ・スパイアから放たれるルミナスエネルギーは、シヴィタス全域を藍碧色に染め上げる。

 ベルトに届くのはその残りカス。

 そのわずかな電力ですら、ナイトリングに優先的に回され、ベルトの住人たちは慢性的な電力不足に悩まされている。


 いや、もうそんな環境に慣れ切って、悩むことすらしなくなったのかもしれない。

 金のある者は自家発電で明かりを灯し、そうでない者は早々に床に就く。

 ベルトの夜は早い。


「さて……そろそろ出るか」


 煤けた鈴をポケットに仕舞い、龍之介は静かに立ち上がった。


 ***

 

 雨上がりの青海区(チンハイチュー)には、ひんやりとした空気が漂い、遠く鳳灯街(フォンデンジェ)の喧騒がかすかに響いていた。

 この時間、街は静まり返り、明かりの灯る建物は数えるほどしかない。

 ここは紅王会(ホンワンフイ)に雇われた労働者たちが集まる地区で、ベルトの中では比較的治安がいい方だ。

 それでも、たまに他所から来たゴロツキが街の人間にちょっかいを出す。


 関わりたくはないが、目の前でやられちゃ見過ごすわけにもいかない。

 そうやって助けているうちに、いつの間にか便利屋稼業をやる羽目になっていた。


 そうなると、今度はあちこちから「屋根を直してくれ」「病院に連れてってくれ」「チンピラが暴れてる」などと、好き勝手な依頼が舞い込むようになる。


「まぁ……何もしないでいるよりゃいいか」

 

 そんな風に考えながら、この街で過ごしてもう二年になる。

 依頼をこなせば、それなりの報酬——と言っても大した額じゃないが、食うには困らない程度の実入りはある。

 たまに今回のように、大きめの報酬が期待できる仕事も舞い込む。

 特に目的もなく、ただ生きている龍之介にとって、この街は妙に居心地のいい場所だった。


 ***


 鳳灯街に近づくと、街の喧騒はより一層大きくなる。

 青海区とは対照的に、人の流れも灯りも夜通し途絶えることはない。

 露店から漂う香辛料の独特な香りに、思わず腹の虫が鳴る。


「……とりあえず、腹ごしらえでもするか」


 立ち並ぶ屋台の一つに腰掛けると、忙しそうな店主がチラリとこちらに目をやる。


「羊肉串、花生毛豆,再来一瓶啤酒。(羊肉串(ヤンロウチュアン)花生毛豆(ファションマオドウ)、あとビール)」


 龍之介はこの街に住む前、世界中を回っていた。

 その時覚えた言葉で、多少の意思疎通なら出来る。

 インプラントを持たない龍之介は、翻訳機能も使えない。

 不法滞在者(ゴースト)である彼の、最低限の処世術だった。

 

 店主は返事の代わりにもう一度龍之介を一瞥した。


 少し待つと、料理とビールが乱暴に目の前に置かれる。

 愛想のかけらもないが、ここではそれが普通だ。


 目の前には、串に刺さった羊肉が熱気を立てながら横たわっている。

 クミンと唐辛子のスパイシーな香りが鼻をくすぐり、胃が食欲を訴えた。


 龍之介は一本手に取り、かじりつく。

 炭火で炙られた肉の表面はパリッと香ばしく、噛むほどにクミンの風味が広がる。

 脂ののった部位からはじゅわりと肉汁があふれ、ピリッとした唐辛子の刺激が舌をかすめた。


「……チッ、熱いな」


 舌先を鳴らしながら、目の前のビールをひと口。

 冷えた液体が喉を流れ、スパイスの辛さと脂の濃厚さをさっぱりと洗い流す。

 夜風にさらされた汗がひんやりと冷えて、ようやくひと息つけた気がした。


 隣の皿には花生毛豆——殻付きの茹でピーナッツと枝豆が盛られている。

 片手で殻を割り、中の実をつまむ。

 ほのかに塩が効いており、しっとりとした食感が口の中に広がる。


 特別うまいわけじゃない。

 だが、こうして酒を飲みながら適当に腹を満たすには、ちょうどいい。


 龍之介は串をもう一本取り、歯で肉を引き剥がしながら、ぼんやりと鳳灯街のネオンを眺めた。


 ガッシャァァァン!


 突然、背後で何かがひっくり返る音が響いた。

 龍之介が片手に串を持ったまま目を向けると、大柄な男たちが三人、一人の老人を囲んでいた。


「おいジジイ! テメェ、どこ見て歩いてやがんだ!!」


 男の一人が老人に詰め寄る。


「ヒ…ヒィッ……あ、あんた達が急に立ち上がるから……」


 どうやら、老人が男たちにぶつかり、男の持っていた食べ物を落としたらしい。

 あるいは、男たちがわざとぶつかったのかもしれない。

 どちらにせよ、この街じゃよくある光景だった。


 龍之介はため息をつき、手にした串を弄びながら呟く。


「……面倒くせぇな。俺の見えないとこでやってくれよ……」


 怯え震える老人に、男はさらに詰め寄り、怒声を上げた。


「うるっせぇな! 今日は玲瓏(リンロン)ちゃんが休みでイラついてんだ! ちょっとツラ貸せ!!」


「わ、悪かったよ…! 許してくれぇ!」


 玲瓏……確か美咲のカジノでの源氏名か。

 あいつ、意外と人気あんのか。


 龍之介がそんなことを呑気に考えている間に、男たちは老人を引きずり、路地裏へと消えていった。


「誰か助けてくれ!」


 路地裏から老人の悲鳴が響く。


 はぁ………………


 龍之介は深いため息を吐くと、皿の上の料理をかき込み、それをビールで流し込む。

 HUDから露店の支払い専用ウォレットに送金し、軽く手を上げた。


「おっちゃん、美味かったよ。ごっそさん!」


 ***


 路地裏に投げ出された老人は、頭を抱えながら必死に懇願する。


「や、やめてくれ! 頼む……!」


「まぁ、そう怯えんなって。ほんの数発殴らせてくれりゃ、俺もスッキリするしよ」


 男がニヤニヤと笑みを浮かべながら、拳を鳴らした。


「ヒェェェ……!」


 その瞬間——


「あ! 爺さん! こんなとこにいたのか!」


 背後から、やけに飄々とした声が響く。


「も〜、こんな時間にうろうろして……仕方ねぇなぁ」


 突然現れた龍之介に、拳を振り下ろしかけていた男が動きを止める。


「お、あんたたちが爺さん見つけてくれたの? もう爺さんったら、すっかりボケちまってさ。急にいなくなっちまうもんだから困ってたのよ。ありがとね」


 龍之介はそう言いながら、拳を振り上げた男の肩をポンと叩いた。


「ギャアァァァッ!!」


 男の腕がダランと下がり、悲鳴が上がる。


「い、イデェェェ!!」


「テ、テメェ何しやがった!?」


 周りで見ていた二人が、慌てて身構える。


「ん? どうした? 肩でも抜けちまったか?」


 龍之介は涼しい顔で、うずくまる男に近づく。


「どれどれ、ちょっと見せてみな」


 そう言いながら、今度は反対の肩をポン、と叩いた。


「ウギャァァァ!!」


 男の両手が力なくぶら下がり、顔には涙が滲む。


「テ、テメェ……ブッ殺してやる……!」


「おーおー、そんな姿で威勢がいいねぇ。でも、お生憎さん——俺は忙しいのよ」


 龍之介は呆気に取られている老人に手を貸し、身構えたままの二人を横目に歩き出す。


「さ、爺さん。家帰るぞ」


「お、おい待ちやがれ!」


 背中に怒声が飛ぶ。

 龍之介は足を止め、ゆっくりと振り返った。


 路地裏の薄暗い明かりが、彼の藍色の瞳を鋭く照らし出す。


「……俺は忙しいって言ったよな?」


 その一瞬で、男たちの身体が凍りついた。


「あ……藍色の瞳……おま……いや、あんた、もしかして——」


 男が震える声で言いかけた瞬間、龍之介はそれを一瞥すると、何も言わずに老人と共に路地を抜け、大通りへと消えていった。


「くそ、追うぞ!」


 一人が叫ぶ。

 だが、先ほどまで騒いでいた男がそれを制した。


「……やめとけ」


「は? なんで——」


「——あいつ……インディゴ・エコーだ」


 そう呟いた男の声は、微かに震えていた。


「インディゴ……? なんだって?」


「傭兵やってた奴なら誰でも知ってる。戦場を駆ける藍の残響、(あお)き亡霊……都市伝説か何かだと思ってたが……まさか、本当に存在するとはな……」


 男がゴクリと唾を飲み込む音が、静まり返った路地に響いた。

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