頼れる便利屋?
龍之介の咥えたタバコからポロリと灰が落ちる。
短くなったそのタバコを灰皿に押し付け、次の一本を取り出しながら口を開く。
「あんたも青波出身なのか。よく無事だったな」
その言葉には少しの優しさと気遣いが含まれているように感じた。
「ええ、私はあの時祖母の家に預けられていたから…」
苦い思い出に美咲は目を伏せる。
「すまない、嫌な事思い出させちまったか」
龍之介がバツの悪そうに目を逸らす。
「いえ、もう昔の事だから…それで、依頼は受けてもらえますか?」
龍之介はタバコを大きく吸い込み、煙を吐き出した。
窓から差し込む光に照らされ、煙の渦が巻き上がる。
「さっきも言ったが俺はアルカディアからの依頼は受けない。……シヴィタスとも出来るだけ関係を持たないようにしている」
「そんな…」
「だが…あんたは同郷だ。そのよしみで今回は特別にその依頼、受けてやるよ」
そう言うと龍之介はニヤリと笑みを浮かべた。
その言葉に思わず美咲の顔も綻ぶ。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
頭を下げる美咲に龍之介が言葉を続ける。
「じゃあとりあえずその肩っ苦しい喋り方やめてくれねぇかな……? 元ベルトで鳳灯街で働いてんなら、本当のあんたそんな感じじゃないだろ?」
痛い所を突かれてギクリと笑顔が引き攣る。
シヴィタス住まいで立ち居振る舞いに気を使うようになったが、どうも肩が凝って仕方ない。
「ありがとう…じゃあここからは気を遣わず話させてもらうわね」
「そうしてくれ。シヴィタス相手にしてるようで俺も面倒くさい」
龍之介はデスクに乗せた足を組み替え軽く手を振る。
「この記憶の持ち主だけど、恐らくベルトの住人だと思うの」
「ほう、それは何でだ?」
「メモリスに上げられる記憶は、違法な記憶を排除するために、持ち主のサインが入っているの。青波の記憶にもサインがあった。だから私はそのサインの主を探して会いに行った」
美咲はそこまで話し、息を吐く。
「けど、その人物は記憶の持ち主じゃなかったの」
「しかしそれだけで持ち主がベルト住人とするのには、無理があるんじゃないか?」
龍之介が当然の疑問を口に出す。
「ええ、そうね。けど、そのサインの人物というのが違反メモリス配信者だったのよ。本来メモリスは自分の記憶以外の配信は禁止されているんだけど、その配信者はベルトで違法に売買されている記憶を買って、自分の記憶であるかのように配信して小銭を稼いでいる人物だったのよ」
「そんなもん検閲に引っかかってすぐ停止されるんじゃないのか?」
「法に引っかかるようなアングラな記憶はそうかもしれないけど、あの程度の風景映像なら見逃されるわ。もちろん誰かが通報したらアカウントは止められるでしょうけど」
美咲が肩をすくめる。
「なるほど、シヴィタスにもある程度のガス抜きは必要って事か」
「シヴィタスにいてもベルトにいても、人間の本質は変わらない。完璧な統制では人間は耐えられないという事なのかもね」
美咲自身、今のシヴィタスを少し窮屈に感じている。
龍之介はそんな彼女を横目で見ながら、灰皿にタバコの灰を落とした。
「まぁ、そんなわけで恐らく記憶の持ち主はベルトにいるんじゃないかと考えたの」
「それで俺の所に来たってわけか」
「そう、職場に来る客からあなたの噂を聞いてね」
「俺の噂ねぇ…どうせ碌なもんじゃないだろ」
龍之介は苦笑しながら新しいタバコに火をつける。
「頼りになる男だって言ってたわよ」
そう口に出しながら部屋を見回し、デスクにだらしなく座る龍之介に目を戻す。
本当に頼りになるのかしら。
「……ま、とりあえずやれる事はやってみる。もし俺に用がある時はここか、近所にあるグリズリーズ・ネストってバーに来てくれ。大体そこにいる」
そうか、インプラントが無いから通信も出来ないんだった。
不安しかないが、今はこの男に任せるしかない。
「分かったわ。私は鳳灯街の鳳華閣というカジノにいるから、必要な時はそこに来て。玲瓏の名前を出せば私に繋いでくれるはず」
龍之介は目を合わせず、ただ頷く。
すでに別のことを考えているようだ。
そんな彼の様子を見て、美咲は小さくため息を漏らす。
「じゃあ、失礼するわね」
その言葉に軽く手を振り返す龍之介を背中に、彼女は事務所を後にした。
表に出ると、雨は止んでいて、先程の子供達が路地で遊んでいるのが見えた。
一人が美咲に気付き、手を振る。
「あ、さっきの姉ちゃん!」
「君たち、さっきはありがとね」
「龍之介と話、出来たの?」
「ええ、用は済んだわ。……ねぇ、あのおじちゃんはどんな人なの?」
美咲の問いかけに、子供たちは腕を組み、首を傾げる。
「うーん…一日中寝てる」
「酒ばっか飲んでるよね」
「この間、あそこでこけてそのまま路上で寝てたよ」
子供たちの言葉に、思わずため息が漏れる。
はぁ……最悪な相手に依頼してしまったかもしれない。
「でも……」
子供の一人が口を開く。
「龍之介、めちゃくちゃ強いよな」
「うん、強いね」
「サングレ・ネグラの連中が来た時、一人で十人ぐらいぶっ飛ばしてたよね」
サングレ・ネグラ——サウスゲートを牛耳るカルテル。
まさか、あの男が……?
「十人を一人で?」
「うん、サングレの奴らがここのみんなを脅してたんだ……そしたら龍之介が来て……凄かったよな!」
「何やったのか全然見えなかった!」
「龍之介かっけー!!」
イマイチ要領を得ないが、なるほど——只者ではないらしい。
「そっか、よく分からないけど、凄いおじちゃんなんだね」
「そうだよ、たまにみんなの困り事聞いてくれたりする」
「うちの壊れた屋根、直してくれた」
「婆ちゃんが腰痛めた時、病院までおんぶしてくれたって言ってた」
ふうん……街の人間からは好かれているみたいね。
少しは期待してもいいのかな。
「ありがとう、みんな。じゃあ、私はそろそろ行かないと」
美咲が手を振ると——
「うん、またね!」
子供たちも笑顔で手を振り返す。
人懐こいベルトの子供たちを見て、美咲の顔にも自然と笑みが溢れた。
——子供、いいな。
ふと、“彼”の顔が思い浮かび、ハッとする。
いけない。もうこんな時間……
確か今日は「帰りが早い」と言っていた。
急いで戻らないと——“彼”に……
見上げると、曇った空が夕焼けに染まり始めていた。
胸の奥に、暗い靄がじわりと広がる。
視界の片隅に、淡く光るホログラムが浮かぶ。
——着信:伏見 翔
彼の名前がHUDに表示されると同時に、微かな電子音が脳内をかすめた。
美咲は、思考で応答を選択する。
「もしもし……」
『もしもし? 美咲か?』
彼のやけに優しい声が、直接脳内に響く。
『良かった、心配したよ』
「うん、ごめん。もう帰るから」
『今日は早く帰るって言ったろ? 一緒にご飯を食べる約束だったじゃないか』
「うん……ごめん……なさい」
『待ってるから、早く帰っておいでね』
ツー、ツー……
通信が、一方的に切られる。
「………」
美咲は、ため息をつくこともなく、ただ無言のまま足を踏み出した。
どこか重たい足取りで、シヴィタスへと続くゲートへ向かう。
空はすっかり夕闇に染まり、街のネオンが濡れた路地にぼんやりと滲んでいた。