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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO Ⅱ  作者: ハナサワリキ
一・青の記憶
2/5

目覚めよ、便利屋

 雨の鳳灯街(フォンデンジェ)

 ゲートの向こう、シヴィタスは快晴だったのに、ベルトに出た途端ガラリと天気が変わる。


 鳳灯街のメイン通りは露店が立ち並び、雨だというのに人で溢れていた。

 紅王会(ホンワンフイ)が取り仕切るこの街は、さながら大陸の都市の一部を切り取ったかのように雑多な様相を呈しており、変化に富んだ装飾が施された建物を赤い飾り提灯が彩る。


 あちこちから怒声とも罵声ともとれるような声が飛び交い、街を活気付け、通りに並ぶ露店からは香辛料の香りが立ち上り、胃袋を刺激する。


 シヴィタスに移るまで暮らしていたこの街が、美咲は好きだった。

 今もこの街のカジノで働いてはいるが、住むのと通うのとでは、まるで別物だ。

 シヴィタスでの暮らしは静かで平穏だが、どこか落ち着かない。


「こんなこと言ったら、彼に怒られるかな……?」


 あれだけ憧れていたくせに。つくづく、わがままだ。



 街の雑踏を抜けたところでHUDのマップを呼び出す。


「…っと、青海区(チンハイク)…だったよね」


 鳳灯街は大きな歓楽街だが、街から一歩踏み出ると途端に様子が変わる。

 長く続くプレハブ住宅、その上にトタン板や廃材で作られた住居が組み上げられ、多層化した迷路のような構造になっている。

 まばらに商店や工場のような建物も見えるが、その殆どが本来の目的のためには使われず誰かの棲家になっていた。

 街灯など無い路地は雨とはいえ昼間なのに薄暗く、ゴミと下水の混ざった、鼻につく匂いが漂う。

 シヴィタスと比べると、およそ人の住む場所ではない。

だが、ここにも暮らしがあり、そこに生きる者たちがいる。

  ——これが、ベルトだ。


 路地の向こうから子供たちが駆けてくる。

 裸足のまま、雨に濡れた汚れた路地をものともせず走り抜ける。

 ベルトの逞しさを、改めて痛感する。


「ねぇ君たち、ちょっと聞いてもいいかな?」


 美咲が声を掛けると、子供たちはピタリと足を止めた。


「なーに、姉ちゃん?」


「この辺にART(アート)っていう便利屋さんがあると思うんだけど、知らない?」


「あーと…? 知ってる?」


 子供たちが顔を見合わせるが、知っている子はいないようだ。


「そっか…ありがと、自分で探してみるわ」


 美咲が笑顔を向け、歩き出そうとしたその時——。


「あ! もしかしたら龍之介のとこじゃない?」


「あー! そういや、あのおっさん便利屋とか言ってた気がする!」


「いっつも酒飲んで寝てるから忘れてたよ」


 子供たちが口々に湧き立つ。


 その言葉に、一抹の不安を覚えながら美咲が口を開く。


「そのおじちゃんの所に案内してもらえるかな?」


「いいよ! こっちー!」


 駆け出す子供について行く。


「こっちこっちー!」


 迷路のような路地裏を、子供たちはくねくねと駆け抜ける。

 慣れた足取りに、ついていくのがやっとだ。


「はぁ…はぁ…ちょっと待って…」


 もう、どこをどう進んできたか分からない。

 帰りのことを考え、不安になり始めた頃——

 子供たちの足が止まった。


 見つめる先には、薄暗い廃工場。


「ほら、ここだよ!」


 子供が指差したのは、ボロボロの木板。

 そこには、汚い字でARTと書き殴られている。


「ここ……?」


 想像していたより遥かに酷い佇まいに、美咲は言葉を失う。

 そんな彼女を尻目に、子供たちが声を張る。


「おーい!龍之介ー!!」


 呼びかけには何も返ってこない。


 こんな場所に、本当に人が住んでいるのだろうか?


 改めて建物を見上げる。

 元は何かの部品を作る工場だったのか、シャッターの上の看板には、かすれた文字で畑山製作所と書かれている。


「出てこないなぁ」

「どうせまた寝てるんじゃない?」

「入っちゃおうぜ!」


 子供たちが何やら勝手に相談し、遠慮もなしにシャッター横の扉に手を掛ける。


「あっ、ちょっと待っ…」


 ガチャッ。


 美咲が声を掛ける間もなく、扉が開く。

 ベルトで鍵も掛けずにいるとは、何とも不用心だ。


「おーい、おっさーん! いないのかー?」


 扉の向こうは薄暗く、埃っぽい。だが、子供たちは気にも留めずズカズカと踏み込んでいく。

 美咲もため息をつき、続く。


 扉をくぐると、埃とタバコの匂いが鼻をついた。


 思わず鼻を抑える。


 目の前には階段。階段の隅には、錆びついた古い機械が無造作に転がっている。

 工場だった頃の名残りだろうか、壁には上への矢印と『事務所はこちら』の文字。


 子供たちはすでに階段を登り始めている。


「ちょっと待ちなさい! 返事もないのに勝手に入るなんて……」


 美咲の言葉が届いていないのか、子供たちはもう階段の上まで登り切っていた。


「あ、ほらいた!」

「やっぱ寝てるー」

「うわっ、酒くさっ!」


 子供たちの声に、美咲も慌てて階段を登る。


 子供たちの後ろに立つと、部屋の中から異臭が立ち込める。

 埃やらタバコやら酒やら体臭やらの混じった匂いに、思わず顔を逸らす。


「くっさ……」


「龍之介ー! 起きろー!」

「お客さんだぞ!」

「臭いから窓開けようぜ!」


 子供たちは口々に勝手なことを言いながら、部屋に入っていく。


 恐る恐る中を覗き込む。


 混沌——と言うのがピタリと当てはまる部屋。


 ソファの上で男が荒い息を吐きながら沈み込んでいる。

ボタンを外してはだけたシャツは、片方の袖だけ通したまま。

 トランクス姿で、片足は床に投げ出し、もう片方はソファの背に引っ掛けられている。


無精ひげの顔は疲労を滲ませながらも、どこか気だるげで、まるで起きる気配がない。


 部屋は荒れ果てていた。

 テーブルの上には、吸い殻だらけの灰皿と酒の空き瓶が転がり、食べかけのインスタントフードが放置されている。

 工場時代の名残を留める事務机には、書類や端末が乱雑に積み上げられ、古びたキャビネットは開け放たれたまま。

 壁には黄ばんだ紙が貼られ、床にはロッカーから引っ張り出したらしい衣類が散らかっていた。

 割れた窓から差し込む光だけが、薄暗い部屋の中をかろうじて照らしている。


 子供たちが騒いでも微動だにせず、まるでこの喧騒すら夢の一部のようだった。


「龍之介ー!! 起きろー!!」


 子供たちが耳元で騒ぐが、男は微動だにしない。


「仕方ない…あれやるか…」


 子供たちが目を合わせ、クスクスと笑う。


「俺こっち持つからお前そっちな」

「オッケー! せーのでいくよ?」


 ソファの陰でゴソゴソと何かをしている。


「ちょっと君たち、何してるの?」


 美咲の言葉には答えず、子供たちは声を合わせる。


「よーしいいか?」


「せーの!」


「えっちょっ…」

 

 ドターン!!


 掛け声とともにソファがひっくり返る。


「えぇ……」

 

 ソファから投げ出された男が、そのままテーブルの角に頭をぶつける。

 その衝撃で、テーブルの上の酒瓶がガラガラと転がり、吸い殻だらけの灰皿がひっくり返る。

 灰が舞い上がり、酒の匂いが一層濃く漂った。


「うぎゃっ!!」


 その悲鳴に美咲は思わず首をすくめる。


「痛そ……」


 その光景を見て、子供たちは腹を抱えて転げ回っていた。


「お…お前らぁぁぁぁぁ!!」


 怒りに打ち震えた男が笑い転げる子供達の頭上に迫る。


「やべっ」

「逃げろ!!」

「じゃーな龍之介!また遊ぼうぜ!!」


「おい待て!……ん!?」


 逃げ出す子供達を追い掛けようと振り向いた男がやっと美咲の存在に気付く。


「あんた誰だ…?」


 美咲は目の前の出来事について行けず立ち尽くしていた。

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