小説家を目指す人に聞きたい!
このエッセイは、小説家を目指す人にいくつか言いたいんです。
僕も小説家を目指してる内の一人なので一緒にがんばりましょ。
まず話したいことですが、めちゃくちゃに敷き詰められている自作小説を見返しみてると、意外と誤字かあることが多くないですか?僕はその現象がめちゃくちゃ多くて、そんなこと起きてて小説家を目指せるのかなって思ってます。たぶんこのエッセイでもどこかしらミスはあるんですが、その現象が起きたとき、なーんかイライラしません?たぶん僕だけなんですがね。それに、外国人の小説の翻訳を読んでいるとたまに翻訳ミスがあったりすると気になっちゃって、読んできた一部を忘れちゃうこともあります。プラス敷き詰められてると同じ文章を読んじゃって読むスピードが止まっちゃうのもなんかなぁってなるんですよな。この現象に名前をつけるとしたらゲシュタルト崩壊なんですかね?まぁなんでもいいですけど、要は敷き詰められた文章すら読めないと小説家は厳しいのかなと思ってるんですよ。
今わざとめちゃくちゃに敷き詰めたんですが、へんな所がありました?
ないならいいんですが、たぶん話が右往左往してて脈略のない話を羅列してるんですよ。
僕の癖なのかわかんないんですけど。
本になっている人の作品を見ると、大抵余分ごとは少なくてほとんどストーリーがめちゃくちゃうまく敷き詰められてるんです。
まぁいくらか後にめちゃくちゃ丁寧に手直ししてるので当たり前ですが、なんかそれ見てると自分の作品ってあからさまに夢に憧れながらも何もしてなくて、ショボくてキモいオタク笑、と思われてんだろうな……となんか悲しくなっちゃうんです。
自意識過剰というのはもちろん書き始めてから3年目である程度察しました。
コメントで付いたんです。
「こんな作品誰が詠むん?文脈被りすぎじゃね?主人公自慢しかしてないやんwおんなじことしか繰り返してないしめちゃくちゃ」とね。
文章はそのままではないですが、実際のものは大体これを敬語に言い換えてオブラート10枚くらいで包んでいるような文章でした。
たぶん根は優しい人なんでしょう。
今でもその感情は覚えてます。怒りもありましたが、悔しさが大きかったですね、「うるせえ!」と打ちそうになりましたが、何も言わず作品ごと消しました。50部くらい書いてたんですがねぇ……。
そこから、上記にあることみたいに思うようになって、このエッセイはその気持ちが爆発して書いてるんです。
もう上に書いてあること忘れた!いらつく!
ものの15分くらい前に書いた内容も覚えてないようじゃ僕はなにも書けないですよね?
このままだと、夢が夢のままになっちゃう!ってめっちゃ怖いです。
というか、めっちゃとかめちゃくちゃって使ってる時点で僕は間違ってるし向いてないかも……。
上のような自分が憎いです。
もう3年は悩んでますし、あの時よりだいぶ鬱ることもなくなってきたので、そこはよかったです。
心の中の言葉を文にすると、
このくらいの文章すら読めないなら小説家を目指すのは無理w。
という文章でしか表せない、悔しいような妬ましい感情が渦巻いています。
皆さんどう思います?
では、ただの愚痴でした。