アイドル皇女パンドラの結婚
カナロア帝国第五皇女パンドラは、カリスマアイドル皇女である!
12歳での鮮烈な社交界デビューを飾ってから、その整った目鼻立ち、輝く金髪、透き通る白い肌という美貌でたちまち社交界の華となった。
「パンドラ皇女よ!見て、あの髪の結い上げ方!素敵だわ!またあの方から流行が始まるのね」
「今日もお美しい所作、立ち姿。そしてあの輝く笑顔!今宵もたくさんの殿方に求婚されるのでしょうね……!」
社交界ではファッションの最先端を行くパンドラから流行は始まるのだった。
そんなパンドラの元に一人の貴族の青年が現れ、跪き告げる。
「パンドラ皇女殿下!私は侯爵家の者!どうか私と、婚約してくださいませんか!」
「どなたか存じ上げないけれど、ありがとう……!でも私の愛は、皆のものですから!」
お決まりのセリフで婚約の申し込みを断ると、周りから歓声が上がる。それがアイドル皇女のパンドラという女なのである。
今日もたくさんの紳士淑女からの熱視線を受けてパンドラは光り輝く、偶像として……。
社交界が終わり、パンドラの自室にて―――
「ああーつかれたあ……。もうわたし田舎で隠居生活が送りたい……」
「パンドラ様?何を仰ってるんですか!パンドラ様はみんなのアイドル、その美貌で笑顔を振りまき流行の最先端を往く、カリスマアイドル皇女なんですから!そんなこと言わないでください!」
だらりと足を広げて下着姿でベッドに突っ伏すパンドラはだらしないことこの上ない。
そう、アイドル皇女はパンドラの真の姿では無い。侍女のライラのプロデュースの賜物だったのだ!
本当のパンドラに笑顔を振りまく愛想はないし、流行の発端となれるようなセンスもない。
ライラに叩き込まれた所作、姿勢、笑顔、そして完璧に調整された服装や宝飾がアイドル皇女パンドラを作っているのだ……。
「もうわたしもいい歳だし、アイドルは引退しようよライラ〜」
「何言ってるんですかパンドラ様!第五皇女のパンドラ様は母君の地位も低く後ろ盾も心もとない……良いお婿様を捕まえるにはアイドルでもなんでもやるしかないんですよ!これはパンドラ様の為に言っているんです!」
ライラの言うとおり、パンドラはこのカナロア帝国の第五皇女で、これといった後ろ盾のない、本来なら捨て置かれても仕方ない身分の皇女なのである。
20歳になったパンドラはもう結婚していてもおかしくない年頃である。
しかしこうしてカリスマアイドル皇女として社交界の華となったからには、半端な相手とは結婚できない。
「どこぞの貴族などとは結婚できません!やはりここは王族を狙っていきましょう!エピファネイア王国の王子なんかどうでしょう。今度の舞踏会には招待されているみたいですよ!」
ライラが気炎をあげている。
しかしパンドラは乗り気ではなかった。
アイドル皇女としての私しか知らない殿方と結婚したならばパンドラは永遠にアイドルとしての演技を続けなければならないだろう……。
素はだらしなくセンスのないパンドラはそんな事をやっていく自信がなかった。
社交会も来客もない日はアイドル皇女パンドラはお休み。パンドラが心から安らげる絶好の機会だった。
今日のパンドラは質素なドレスにすっぴん、適当に梳かしただけの髪の毛で、日当たりのいい中庭で紅茶を飲みながら日向ぼっこをして過ごす……。
まさに天国と言っていい日だった。
「ああーダラダラさいこー!カリスマアイドル皇女なんてクソッタレだわ。わたしはこうして隠居生活を送るのよ〜」
大きな独り言である。
本来なら誰も聞いていないはずの独り言。それを偶然聞いてしまった人影がひとつ。
ジョセフ・モーリス辺境伯その人である。
いつかの社交会にて―――
「まあ、モーリス辺境伯だわ……」
「本当にニコリともしないのね、険しいお顔……」
「先程など私睨まれてしまいましたわ!」
モーリス辺境伯は国境に面した領地を持つ大貴族である。国境を侵してくる蛮族共を皆殺しにしたとか串刺しにしたとか恐ろしい噂の絶えない辺境伯は、噂通りニコリともしない。その大きな体躯で常に険しい顔をしていて、一言も発さなかった。
彼は唯一国内では独身の公卿で、また、アイドル皇女パンドラに求婚したことがないのも彼だけだった。
……そんな辺境伯が宮廷の中庭を訪れたのは全く予定外の出来事であった。
「失礼ながら……パンドラ皇女殿下、ですよね」
「えっ!誰!?今の聞いていたの!?」
「はい、ジョセフ・モーリス辺境伯です……。偶然通り掛かり……聞いてしまいました……。まさかあのアイドルと呼ばれる皇女殿下が……」
「……あ、ああ〜!どうしよう!こんな姿見られてしまった!!!ライラに怒られる〜!!」
こんなすっぴんのだらしない姿にさっきの台詞を聞かれてしまったとあっては、アイドル皇女パンドラのイメージダウンひいてはライラからのお叱りは避けられない。
パンドラは悲嘆に暮れていた。
「あの、殿下……僕、誰にも言いませんから……」
「本当!?そうね、そうしてくれると助かるわ……って、僕!?」
このいかつい辺境伯から出た僕という一人称。それにこんなぽやぽやとした喋り方。とても蛮族を皆殺しにするという、あの無口で険しい顔をした辺境伯とは思えなかった。
「ええと、……多分なんですけど、僕も皇女殿下と同じなんです……威厳がないから社交や外交の場では一切喋るな、って……家令に言われて……」
「……た、たしかに外交の場でその喋り方は舐められてしまうかもしれないわね……私は侍女に言われてアイドル皇女ってことで通ってたの」
「そうなんですね……僕達おそろいですね……えへへ……」
なんてこと、あの辺境伯が僕っ子、しかもこんなにぽやぽやして喋るだなんて……パンドラは戦慄していた。それと同時に思いついたことがあった。
「辺境伯、突然こんなこと言ってしまって驚くと思うのだけれど、わたしたち結婚しましょう!」
「ええっ!僕達がですか……!」
「わたしたちこのままだと一生演技したまま暮らさなきゃいけないのよ!でもあなたとわたしなら、もうバレてしまったから大丈夫!素を出して喋れるもの!」
「……それは……とても嬉しい申し出です……殿下……!」
辺境伯は相変わらずのぽやりとした笑顔で答えた。
とりあえず今日は一緒にお茶しましょうと、ライラにお茶をもう一人分用意してもらった。
辺境伯に素を出してしまったことは大変怒られたけれど、なんとかなだめた。
―――こうして、アイドル皇女パンドラと恐ろしき辺境伯の奇妙な交流は始まったのだった。
―――ある日の舞踏会
「見て、パンドラ皇女殿下よ!今日もお美しい……」
「あの髪飾り、なんて素敵なのかしら!みんなこぞって真似するでしょうね!」
今日もカリスマアイドル皇女パンドラは笑顔を人々に振りまく社交界の華だった。
ただひとつ違うのは……
「パンドラ皇女殿下があのモーリス辺境伯に微笑みかけてらっしゃるわ!」
「モーリス辺境伯ったら睨み返すばかりでなんて失礼なのかしら」
パンドラは辺境伯にもアイドルスマイルで微笑みかけたが、帰ってきたのは鋭い目付きでの睨みだった。
でもパンドラは知っている、その実際はぽやぽや僕っ子なのだと。おかしくなってパンドラはくすくすと笑った。
「睨まれてもさらに笑いかけるなんて、パンドラ皇女殿下はなんて素晴らしい方なのかしら」
今日の舞踏会でもパンドラと踊りたいという殿方の数は計り知れない。パンドラは内心うんざりしながら、それでもアイドルスマイルで、一人一人相手していくのだった。
そんな舞踏会も終わりを告げ―――
「ああーつかれたあああ!!もう足が痛い!やってらんないわ!もう!」
舞踏会の会場からは遠く離れた、噴水と人工の水路のある広場。パンドラは地べたに座って靴を脱ぎ、水路に足を浸していた。
「パンドラ皇女殿下……誰か来たらまずいのでは……」
モーリス辺境伯も一緒である。
「大丈夫よ、この辺いつも誰も来ないもの。貴方も今日も肩肘張って疲れたでしょう?お互いにお疲れ様会ってことで!」
パンドラはいたずらっぽく笑った。
あの時のアイドルスマイルとは随分違う。辺境伯はそう思った。
「……パンドラ皇女殿下、今日は僕にも微笑みかけてくれましたね」
「パンドラでいいわよ。わたしたち結婚するのよ?」
「……忘れてました、パンドラさん……」
「でも睨み返してくれたわね!」
「……笑ってもダメだといわれてるのでー……」
「じゃああなたなりの微笑みという事ね!辺境伯!」
「……僕のこともジョセフと呼んでくださいよ……」
「そうね、ジョセフ、今日はお疲れ様!でも貴方と踊れないのはなんだか残念だわ……」
パンドラは水路の中に立つ。
「ジョセフ、あなたも来て!冷たくて気持ちいいわよ!」
「……えっと、ちょと待って下さいー……」
ジョセフもモタモタと靴を脱いで裸足になり、水路の中に立った。
「さあ、舞踏会の続きよ!踊りましょ」
そうして二人だけの舞踏会が水路の中で行われたのだった。二人がお互いにだけ見せられる自然な笑顔。二人は濡れるのも構わず踊り続けていた。
「僕はアイドルの時の作られた笑顔より、今の自然なあなたの笑顔の方が好きです……」
「アイドルの私じゃなくてわたしをほめてくれるの?そんなの初めて、嬉しいわ……」
「……これからも見せてくださいね……パンドラさん」
「ええ、あなたも社交会には顔を出してね、終わったらこうして遊びましょう」
「……はい!」
それからというもの、ニコリともしない恐ろしき辺境伯は社交会や舞踏会に顔を出すようになり、しかし何も喋らず時には人を睨むので気味悪がられるようになった。
しかしその実、
(……パンドラさん、今日も完璧な笑顔だな……でも作り物の笑顔だ……。僕だけがあの自然な笑顔を知っている……)
と優越感に浸って密かにくつくつと笑っていた。
―――またある日の社交会、その終わったあと
「ああー今日も疲れたわ……肩がこって仕方ないわ!」
「僕が揉みましょうか?」
「え?ほんと?じゃあお願いします」
辺境伯はその大きな体躯に似合わず繊細な手つきでパンドラの肩を揉んだ。
「ああー最高……あなた上手なのね……」
「……よく祖父の肩を揉んでいましたからー……」
「……蛮族を皆殺しにする恐ろしい辺境伯が肩揉みなんて、なんだかおかしいわね……!」
「皆殺しなんてしてないですよ……!争いにならないように、慎重に外交してるのに……」
辺境伯がしょぼんとする。
「ごめんなさいね、ジョセフ。結局まだあなたのこと色眼鏡で見てたんだわ……。これからはわたしも本当のあなたを見るようにするわ……」
「嬉しいです……パンドラさん……」
「またこうやって会えるように、社交会には来てね……」
「はい、必ず来ます……!」
それからというもの、社交会や舞踏会のあとには必ず二人で会うようになった。
作られた自分の演技をしなくていい関係が二人には心地よかった。お互いの前だけでは本当の自分でいられる。そのことはお互いにとって救いだった。
そして辺境伯はついに覚悟を決めた。
パンドラに求婚しよう。と。
社交会や舞踏会の度にパンドラは誰かに求婚されている。自分と結婚しようと言ってくれたが口約束に過ぎない。気が変わって誰かの求婚を受けてしまうかもしれない。そんなことは最早辺境伯には耐え難い事だった。
―――ある舞踏会の日、その終わったあと
「……今日はお話があってきました……」
「ジョセフが?珍しいわね、なあに?」
「……ぼ、僕と結婚してください……!」
跪きパンドラの手を取った辺境伯が告げる。
そして、小さな箱を掲げる。その中には綺麗な宝石の嵌った指輪……。
「……私の愛は皆のものだから……」
「……そんな」
「なんて、ウソよ!!ありがとうジョセフ!大好き!!」
パンドラは指輪を取り左手の薬指に嵌めた。そしてジョセフに抱きついた。
「わたし、幸せだわ。誰かの作ったアイドルじゃない、こんな本当はだらしのない、センスもない女なのに、求婚してくれる人が現れるなんて……」
ジョセフに抱きとめられたパンドラは涙ぐんでいた。
「僕こそ……こんな頼りげのない……ぼんやりした僕に結婚しましょうと言ってくれる人が現れるなんて思わなかったから……」
ジョセフもパンドラをギュッときつく抱きしめる。
「お父様にお許しを貰いに行きましょう!」
「ええ!今ですか……!」
「善は急げよ!」
そうして皇帝陛下の前に出た二人だったが、婚約はあっさりと許された。
しかし納得しない者が一人……パンドラの侍女、ライラである。
「私のつくりあげたカリスマアイドル皇女パンドラ様が!辺境伯風情と結婚なんて……!」
「ライラ……」
「納得できません!パンドラ様はどこかの王族と結婚すべきです。皇女なんですよ……!国内の貴族となんて……!」
「ライラ、わかって。わたしを本当に愛してくれるのはジョセフだけだわ。だらしのない姿を見ても、求婚してくれたの」
「確かにだらしないパンドラ様が結婚したあともアイドルを保てるなんて思ってませんでしたけど!」
「ひどいわね!」
「結婚さえしてしまえばこっちのものだと思って……パンドラ様のためを思って私は……!」
「ライラがわたしのためを思ってアイドルにしてくれたのも全部わかってるわ、ありがとうライラ。この恩は一生忘れない。」
「パンドラ様……!私一生ついて行きますからね!もし社交の場に出ることがあればまたアイドルに仕立て上げて差し上げますから!モーリス辺境伯!!」
2人のやり取りを呆気に取られて見ていたジョセフはビクッとして答える。
「……っは、はい!」
「パンドラ様を不幸せにしたらこのライラが許しませんからね……!一生をかけて呪います!」
「……パンドラさんは僕が必ず幸せにします……!」
ぽやぽやと、しかししっかりとした眼差しでジョセフは答えるのだった。
「……しかしこうなったからにはパンドラ様にはアイドルの引退を宣言してもらわなければなりませんね……」
「へ?」
「アイドルは去り際も大切なんですよ!私が演出します!パンドラ様主催の舞踏会で、最後の晴れ姿を皆にお見せしましょう!」
「まだアイドルやるの〜!?」
パンドラは抗議の声を上げたが、無駄に終わった。
―――パンドラ皇女殿下主催の舞踏会
「今日の舞踏会、パンドラ様から重大な発表があるそうよ」
「ついにご結婚なされるのかしら?パンドラ様のハートを射止めたのはどんな殿方なのかしら!」
今日も完璧にアイドルとして作られたパンドラが姿を現すと、ザワザワは静まった。
「今日は私主催の舞踏会においで下さりありがとうございます!どうぞ存分にお楽しみ下さい!そして最後には私からお伝えしたいことがあります」
パンドラの言葉に再び会場はザワザワとし始める。
「どうぞそれまで舞踏会をお楽しみくださいね!」
そうしてパンドラはいつも通りのアイドルスマイルを見せる。
舞踏会では数え切れないほどの殿方と踊り、婦人方にはそのファッションで流行の最先端を示す、カリスマアイドル皇女パンドラ。
しかしそれも今日でおわり。
それを知るのは相変わらず険しい顔でニコリともしない恐ろしき辺境伯その人だけだった。
「さて、名残惜しくはありますが、舞踏会は終わりの時間です。そこで私から重大発表があります!」
パンドラの宣言に人々が耳を傾ける。
「私、カナロア帝国第五皇女パンドラは、ジョセフ・モーリス辺境伯と結婚いたします!辺境伯、こちらへ」
会場はシーンと静まり返った。聞き違いか?あのカリスマアイドル皇女パンドラ様が、あの恐ろしき辺境伯と結婚すると言った?
しかしパンドラの隣にジョセフが並ぶと間違いではなかったと途端にザワザワと賓客たちは騒ぎ出した。
「そしてこの結婚に伴い、私パンドラは社交界を引退し、普通の女の子に戻ります!」
キャーという悲鳴さえ聞こえるなか、パンドラの社交界引退は宣言された。
「皆さん、今まで私を愛してくれてありがとう!私もみんなを愛していたわ!!」
その言葉と共に持っていた赤い薔薇にキスをすると、床に置き、パンドラは辺境伯を伴って舞踏会の会場を後にした。
去り際のセリフにも歓声のような悲鳴のような声があちこちから上がり、舞踏会は幕を閉じた。
鮮烈なで社交界デビューを果たした第五皇女パンドラは、社交界引退もまた鮮烈に飾ったのだった。
―――舞踏会を後にして、モーリス辺境伯領へと向かう馬車の中
「ああー!やった、やったわ!!!これでアイドル皇女パンドラはお終いよ!!!」
「……パンドラさん……お疲れ様……」
「でもあなたはまだ気を張って黙ってないとダメなのよね……」
「僕はいいんだよ、パンドラさんを幸せにするためにも、がんばるよ」
「私の前だけでは、どうかそのままのあなたでいてね」
「……パンドラさん、ありがとう。」
ジョセフが頬に手を添えてくる。パンドラは目を閉じて彼の唇に自分の唇が触れるのを感じた。
「……えへへ……キス、しちゃった……」
「……恥ずかしいことわざわざ言わないで……」
「おふたりとも?誰かいるのを忘れてません??」
「……っ、ライラ!」
二列になった馬車の座席の後ろ側から、ライラが顔を出す。
「それに社交界は引退したとはいえ、外交など公の場に出ることはあるんです、その時はまた、アイドル皇女パンドラ様に戻って頂きますよ!!」
「いやあああ!わたしは田舎で隠居生活が送りたいのよ!!!」
パンドラの叫びは夜空中にこだましたのであった。
読んで下さりありがとうこざいました!
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