第七話『れぽーとと先輩
早いもので、研究所に来てから半年が経った。
「もう〜!またこんなに散らかして!!」
桃色の髪を一本にまとめた、メイド服姿の少女に怒鳴られる。少女は羊のような巻き角を頭部に携え、掃除道具一式を手に携えている。
「う・・・だって研究が・・・」
「研究なら研究室でやってよ!なんで自室にこもったまま出てこないの!?」
「ごめんね。ベルちゃん」
「もう、ほらフィリスちゃんは部屋の外に出てて。掃除するから!」
彼女の名前はベルちゃん。私の専属メイドだ。
アポテオシス魔術研究所で働く魔術師にはそれぞれ専属の使用人がつき、ベルちゃんは私のお世話をしてくれている。
ベルちゃんとは、同年代な事もありとても仲良くしている。人の名前を覚えるのは昔から苦手なのだだが、ベルちゃんとは魔術の話が合うので覚えられた。というのも、このベルちゃん。魔族だから魔術学校に行けないだけで、とても優秀な子なのだ。学校で私の次に優秀だったあのエンラ君の次くらいには優秀だろう。
魔族と人類。
授業では数百年前に勇者によって和解したと教わったが、共存はしていても格差はあるのだ。それこそ貴族社会のアポテオシスでは、魔族が学校に通える事は難しいだろう。勿体無いものだ。
「フィリスちゃん。フィリスちゃん。どこまで剥がしていいの?」
「え〜と、右の壁の右半分だけ残してくれれば・・・」
「このベッドの裏側あたり?」
「そうそう」
ベルちゃんは壁の隅に手を当てて、そこから出っ張る紙の端を掴む。
ズズズズズーー
糊付された紙を引き剥がすように、ベルちゃんは壁紙を剥がす。私のメモで真っ黒になった壁の下から、元々の純白の壁が現れる。
「もうっ。なんで研究所の人ってノートじゃなくて壁に書いちゃうかな?」
「いや・・・ノートも使うんだけど・・・」
「まあ床には文字を書けないようになってるだけ良いか。この壁の落書きだって、一応はすごく価値のあるものだしね」
アポテオシスの魔術師に用意された部屋の壁紙は、いつでも剥がせるようになっている。どうやら昔から研究者というのはどこにでも文字を綴ってしまうようで、それの対策として部屋自体がノートに改造されている。
そして今剥がされた壁紙だが、図書館の地下にある保存庫で未来永劫管理されるらしい。私的にはもう必要のない部分なのだが、規則によって捨てる事はないらしい。ベルちゃん曰く、使用人が勝手に捨てたり破ってしまったら重刑らしい。
「そいうやフィリスちゃん。部屋に篭ってから10日たったけど、そろそろ研究室に行かなくて大丈夫?」
「え?もうそんなに経った?」
アポテオシス研究所の勤務内容はかなり自由な物で、基本的には任意の場所で自分の研究に没頭しても良いのだが、一つだけ約束として、最低でも十日に一回は研究室に顔を出さないと行けない。生存確認を含めた研究の進捗報告だ。
そういえば、半年に一回のレポート提出期限も近づいている。
提出しがてら、たまには外の空気を吸うか。
パパッと部屋着の上から白衣を着る。
「え・・・フィリスちゃん。着替えないの?」
「うん、ちょっと外に出るだけだし」
「そう?う〜ん・・・ちょっとそこ立ってて」
ベルちゃんは私を制止して、その可愛らしい顔を私の首筋に近づける。
「クンクン・・・うわっ!!フィリスちゃん!最後にいつお風呂入った!?」
「ええと・・・いつだろう?」
「五日前だよね。五日前かお風呂濡れてなかったもん」
知ってるのならなんで聞いたんだろう。
「入った方が良いかな?」
「まあ研究室の人達は全員同じ感じだけど・・・フィリスちゃんは一応女の子だしね・・・」
「う〜ん・・・良いや。面倒臭い」
「ええ〜??気にしようよ〜」
***
今日も今日とてレオナルド所長の目力は強い。
私の姿を見るや否や、所長は太陽よりも明るい笑顔で挨拶してくる。
「やあやあフィリスちゃん!久しぶりだね、元気かい!?」
「はい。元気でやってますよ」
「そうかそうか。食堂で見た事ないからしっかり食べているか心配だったんだ!」
「ああ・・・」
食事は部屋に運んでもらっているのだ。食堂に行く時間が勿体無い。
レポートを所長に提出する。所長はレポートを読む時だけ目を細める。コーヒーを啜りながら、高速で頷いている。
「うんうん!やっぱりフィリスちゃん的には魔素と音の関係を掘り下げるには、雷の性質の魔力が一番だと思ってるんだね?」
「はい。ただ音の性質についてはまだ疎い部分があるので、少し魔術学から離れて物理学を学び直しています」
「なるほどなるほど。じゃあポルス・ソースの『音のメカニズムと空気振動』を読んでおいた方がいい。君のメインテーマである『蓄音』とは分野が違うが、知識として入れておけ」
「ああ、その本でしたら、もう司書が私の部屋に届けてくれていると思います」
「流石だな」
「ありがとうございます」
卒なく終わった。
せっかくだし、食堂で昼を食べてから部屋に戻ろう。
「あ、フィリスちゃんちょっと待った」
所長に呼び止められる。
「この前フィリスちゃんが依頼した振動版が完成したらしい。開発局に取りに行っておいで」
「そうですか。ありがとうございます」
アポテオシス魔道具開発局とは、その名の通り魔道具を開発する組織だ。私達のような、研究者の描いた理論を元に、それを現実に具現化してくれる。
学生の頃は学校のクラブに依頼をしていたが、今の私はアポテオシス研究所の一員。世界でもトップクラスの発明家達に依頼ができる。
どんな物が出てくるのか楽しみだ。
昼食は後にして開発局に向かおうとすると、私のデスクの横に座る男性と目が合う。綺麗な青髪をクシで弄る、高貴な雰囲気を纏うイケメン。研究所に似つかわしくない清潔さだ。
研究所五年目のアンプラ・ソールス先輩だ。
アンプラ先輩は私を見るや否や、失礼にも大きなため息をつく。
「はあ・・・平民。貴様、臭うぞ。庶民はそもそもが臭いのだから、せめて毎日風呂に入って欲しいものだ」
「アンプラ先輩。女性の匂いをとやかく言うのは、あまり宜しくないですよ」
マギア先生とベルちゃんが言っていた。
しかし先輩に鼻で笑われる。
いやまあ、露骨に、これ見よがしに、鼻をつまんでいるのだが。
「女性??貴様みたいな身だしなみに気を使えない庶民はレディーにカウントされない。この俺を見ろ。毎日しっかりと風呂に入り、髪を整え、服にシワ一つない。まさに貴族であり紳士である、この俺を。それに比べてここの研究所の奴らは・・・どれだけ頭が良くてもマナーがなってない」
アンプラ先輩は自身が貴族である事に異常な程に誇りを持っている。故に平民上がりの私に対して厳しいし、他の職員のマナーにも厳しい。
生理的に受け付けない人だが、なまじ魔術師として優秀なだけ無視はできない。
いや、どちらかというと先輩が私を生理的に受け付けていない。
「そうだ平民。貴様のレポートの下書きを勝手ながら読んだぞ。お前の『魔力を情報として魔石に保存する方法』だが、もし困っているなら助けてやる。俺が今研究中の『魔石に保存される魔力について』に通ずる物がある」
「え?良いんですか?じゃあ、よろしくお願いします。あ〜でも・・・今からちょっと用事があって」
「なら今夜、俺の部屋に来い」
「え??」
いきなり部屋に誘われるとは思わなかった。思わず変な声を出してしまった。
しかしアンプラ先輩は淡々と諭すように言う。
「別に変な意味はない。平民を抱く趣味などないしな」
「はあ・・・」
確かに、アンプラ先輩が私に向ける眼差しは動物などに向ける物と変わらない。
しかしそんなんいハッキリ言わなくても。
「じゃあ、また今夜に」
「ああ。あと、もう一度いうが開発局に行く前に風呂に入れ。アポテオシス魔術研究所の一員である自覚を持て。研究所の品位を落とすような行動は看過できない」
研究所を出ようとすると、最後の釘刺しをされる。
私、そんなに臭いかな?