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おつかれさまのパン職人

作者: 黒いたち
掲載日:2023/03/11

 なにかを殴りたい気分だ。

 きれいに右ストレートを決めるのではなく、不格好(ぶかっこう)に両手でボカスカなぐりたい。


 残業おわりの午後九時二分。

 駅で事故が起こったらしく、電車はとても混んでいた。

 すしづめ状態でなんとか乗りこみ、手すりにつかまり息をはく。

 

 理不尽な上司、ずるい同僚、生意気な後輩。

 どこにでもある、たいしたことのない話。

 それがなぜか今日に限って、私の業務に集中した。

 きっとかれらは「責任感」を、最寄りの駅に落としたのだ。


 ガタン、と電車がゆれ、となりのサラリーマンがぶつかる。

 チッと舌打ちが聞こえて、私は反射的に謝った。





 

「なんで私が謝らんなんの!!」 


 ぺちん。

 怒りの方言をぶつけたパン生地は、気の抜ける音をたてた。


「資料がおそい! 人のせいにすんな! しゃべってねーではたらけ!!」


 ばちん、べちん、ぽちん。

 まとまらない生地は、台にひっついてぐちゃぐちゃになる。


「あはー? 私の心が可視化(かしか)したかなぁ?」


 ゆびでかきあつめ、また台にたたきつける。

 パン生地はこねるもんじゃない。たたきつけるものだ。


「クソハゲ! チビデブ! ぶりっ子がぁ!!」


 たたきつける。たたきつける。たたきつける。

 そのうちにパン生地が憎らしくなり、うえからこぶしでなぐりつけた。


「――痛ったぁ」


 にぶい音とともに、骨まで衝撃がひびく。

 そりゃそうだわ。アラサー女の貧弱こぶしが、木のこね台に勝てるかよ。


 涙がこぼれる。痛いから。


 まとまらないぐちゃぐちゃの感情が、どんどん気持ちを暗くする。


「……なんで私が」


 誰かを悪者にしなくては収まらない。

 だから、押しつけやすい人間を生贄(いけにえ)にえらぶ。

 悪くないのに謝った。屈服したのではない。大人の対応をしただけだ。なのに謝ったとたん、ほらおまえのせいだっただろと開き直るおまえたちは何だ。

 

「くっっそぉぉおお!!」


 野太く叫び、服のそでで目をこする。

 パン生地をあつめ、またこね台にたたきつける。


 私はあんな人間にはならない。私だけは私を潔白だと知っている。でも、このむなしさは何だ。戦えばよかったのか。(あらが)えばよかったのか。だれもが納得せざるをえない正論をお見舞いして、完膚なきまで全員をやりこめることができたなら――。


 ぐちゃぐちゃの感情のままでこねつづける。

 そして気づくと、パン生地はまとまって、表面がつやめいた。


「あ……」


 こね終わりの合図だ。

 おわった。

 おわったんだ。

 もうおわったじゃないか。


 しばらく私はしゃがんでいた。






 オーブンに天板を入れる。

 ちいさなパン生地が、みるみるふくれあがっていくのを見るのが好きだ。

 白かった表面が、どんどん色づいていくのが好きだ。

 イーストのにおいが、香ばしくなっていくのが好きだ。

 だから私は、庫内に魅入(みい)られる。


「3……2……1……」


 終了音。

 とびらをあける。

 ひっつかんで、焼きたてをかじる。

 

「熱っ!!」


 舌より指をヤケドする。

 おてだましながら皿にのせ、片手ずつ流水で冷やしながら、こりずにパンをほおばる。

 おいしい。

 死ぬほどおいしい。

 ぐちゃぐちゃな負な感情が、ぜんぶ死んでしまうほどに。

 

 あっというまに食べ終え、こんどはちゃんとミトンをはめて、オーブンから天板を取りだす。

 ヤケドしないように皿にのせ、きちんとテーブルに座って合掌する。


「いただきます」


 パリッとした外皮(クラスト)に、ふわっふわの内相(クラム)。焼きたては、ふれるだけでへこむほどやわらかい。

 小麦の甘さがしっかりしていて、嚙むごとに香りが鼻にぬける。


 たいせつにひとつずつ食べていく。

 全神経を収集させ、焼きたてパンを味わう。

 どこから食べてもおいしいし、何口目でも変わらずおいしい。

 これつくったひと天才だわ。自分最高。はい拍手。


 自画自賛しながら笑う。

 あれだけ怒っていたことが、いまでは何だかおかしい。


 今夜の私はマイナスをプラスに変えることができた。

 それだけで満点だ。


 そうやって、自分を認めて生きていこう。

 ぐちゃぐちゃな生地が、おいしいパンになるように。

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