第5話 きたく×さんよう
ミクスチャ―内部には人が生活するという事もあって朝、昼、夜で照明がきちんと切り替わる。
時刻はすでに夕焼けを終えて星々が映し出される夜へと移っていた。
午後のカリキュラムを終え、四人の友人と放課後の施設案内を十分楽しんだラティオは自分たちに与えられた居住施設へとホクホク顔で帰宅した。
「ただいまー」
「おや、お帰り」
リビングへ顔を出せば、彼女とともにミクスチャ―へとやってきた面々が思い思いの恰好で寛いでいた。
「おーラティオ、どうだったー初めての学校は?」
「うん。すっごい楽しかった。友達もできたよ」
「そっか! そりゃよかった!」
笑顔のラティオに全員が頬を緩め、中には彼女をよくできました! と撫でまわす者も。
彼女たちはラティオの姉貴分兼持ち込んだステラーコーパスの専属整備員たちだ。
「おやお帰り。楽しかったようだね」
「お婆ちゃん、ただいま」
「チーフと呼びなって言っているだろうに」
困った子だ、と苦笑を浮かべたのは一人の老婆。
とはいえ座っている姿勢は良く、未だ衰えを見せない彼女こそ、整備班のまとめ役でありラティオにお婆ちゃんと親しまれているチーフだ。
「すっごいんだよここ! 学校の中に美容院とかネイルサロンとかエステとか、喫茶店とかいーっぱいあるの!」
「ふふ、そうかい」
チーフの横へ勢いよく座ると、ラティオは年相応の笑顔で彼女に甘える。
よしよしと髪を梳いてやりながら話を聞くその光景はまさに祖母と孫娘だ。
「あー腹減ったー。ごはんマダー? ってラティオじゃんお帰りー」
「ただいまリベラ」
猫のようにチーフへじゃれ付いていると、また一人リビングへと姿を現した。
彼女はリベラ。年頃はラティオとほぼ変わりない若者で、親友だ。
「リベラも学校通えばいいじゃん?」
「やめとく。今更めんどくさいし、じゃじゃ馬の世話だけでも大変なんだから」
「えー」
「それより、ほら」
気安い会話をしているとリベラがラティオへとイヤーフォンを投げ渡す。
器用に片手で受け取るラティオの表情は明るい。
「ウィス起きたの!?」
「ああ、さっきからアンタを呼んでるよ。ったく、煩くてかなわないよ」
そう言いつつもリベラは笑顔だ。
ラティオはさっそくイヤーフォンを装着し、妹へと呼びかけた。
「ウィスー、ただいまー」
〔ぅおねぇいちゅぅわぁぁぁぁん!〕
「うるさ!」
スピーカーモードでウィスの絶叫がリビングへと響き渡る。
〔おねぇちゃんおねぇちゃんおねぇちゃん! ぅおねぇいちゅぅわぁぁぁぁん!〕
「あはは、ウィス、落ち着いて」
〔これが落ち着いていられる!? おねーちゃんと二日も喋れなかったんだよ! おねーちゃんにうむが不足してしまいました! 早く過剰摂取したい!〕
「うん」
〔さぁおねーちゃん! ウィスのところへハリー! じゃなきゃウィスがそっち行く!〕
「やめな!」
二人の掛け合い、というかウィスの暴走をチーフが一喝して止める。
「まずラティオは風呂だ。それから皆で夕飯。課題があるならそれをすませてからお喋りしな。あと夜更かしはだめだよ」
「うん分かった」
〔えーおばーちゃんひどーい! ウィスはおねーちゃんにうむをいっぱい摂取しないと〕
「なんだいその、おねーちゃんにうむってのは」
〔おねーちゃんといちゃいちゃすることで溜まるの!〕
「なら風呂の中でお喋りすればいいさ。のぼせないようにね」
「はーい」
〔うへへへへへ、おねーちゃんのお風呂。監視カメラあったっけ? 保存しなきゃ〕
「んなもんはないよ!」
〔えー!〕
「馬鹿なこと言ってないで、さっさとしな」
*****
静かな室内にホロキーボードを叩く乾いた音のみが響く。
白い壁紙、備え付けのベッドと机と本棚。ほぼ手を加えられていない寮の個室はあまり生活感がない。
唯一室内で人が持ち込んだものといえば壁際に寄せられたキャリーケースと、机上にある古めかしい写真立てくらいなものだ。
ホロキーボードを無感情に叩き、やがて操作を終えた彼女はディスプレイを消して椅子に寄りかかる。
人体工学に基づいてリラックスが出来るように自動で硬さや位置を変えた椅子は柔らかく彼女の小さな体を支えてくれた。
「はぁ……」
溜め込んでいたものを吐き出すように、大きく深呼吸するのはレージーナ・グラウィス。
日中の鋭さはどこへやら。彼女は今、全身を脱力させたまま呆けたように天井を見上げていた。
「疲れた……」
漏れ出た言葉は静かな室内に溶けていく。
目を閉じると思い出されるのはこちらを見下し、蔑む凶暴女──インユリアの顔。
レージーナとインユリアは共に企業組と呼ばれている企業推薦の生徒ではあるが所属は別だ。
企業組の生徒はほとんどが自らの派閥内で自分が企業に認められようと──専用機持ちになれるよう足掻いている。
だが、インユリアは他派閥のレージーナへと敵意剥き出しで勝負を挑んでくる。
「……迷惑よ」
理由は、知ってしまえば単純な話だ。
学年で最優秀生のレージーナを倒せば、自分は学年最強だと証明できる。
今現在の成績はデータベースで閲覧でき、レージーナは総合評価Aプラス。座学もそうだがシミュレーターでも高い評価を叩き出している。
対してインユリアは総合評価C。操縦技術は中々だが戦い方が汚く、全ての扱いが雑。さらには座学はさぼりまくり、手下のストゥルティと呼ばれる生徒たちを使って好き勝手している。
そんな鼻つまみ者たちが何故退学にならないのかと言えば、こんなのでも企業が関わっているからだ。
軍の学校とはいえ、出資している企業の影響力のせいで断行はできない。
かと言って企業が手綱を握るかと言えばそうではない。
企業側にとって推薦したとはいえ生徒は替えが効く消耗品だ。自社製品の有用性を示すためのパーツに過ぎない。
だからインユリアとその手下たちが好き勝手してもどうでもいい。
「……ぁぁ、殺したい」
ストレスは溜まっている。
いっそのことステラーコーパスで叩き潰してやりたい。
だがそれは出来ない。
そもそもステラーコーパスは私怨で操縦できる訳ではない。
機体は学校側で厳重に管理されているし、稼働できるのは演習区画や周辺宙域のみ。さらには機体の制御系に制限が組み込まれていて、演習区画の管制室で全ての機体が支配下に置かれている。
もし訓練中に暴走したり、私怨での喧嘩に使ったりすればすぐさま管制室のオペレーターがその機体を強制的に止めることが可能だ。
ならば個人で、となってもそこは軍の学校。屈強な教師や治安維持のための部隊があるのですぐに制圧される。
ならばインユリアらを制圧しろと叫びたいが、企業の後ろ盾が邪魔をする。
「ああもう……どうせならあのまま殺らせてくれればよかったのに」
思い返すのは本日の昼食時。
溜まりに溜まったストレスで冷静に対処できなかった、というのは言い訳に過ぎない。だが事あるごとに自分を見下す存在に対して無視をするにも限度がある。
つい売られた喧嘩を買ってしまった。
殴りかかってくる相手に、本気で潰そうと体が反応したのは幸いだった。
レージーナは同年代と比べても小柄だ。大体の人間が外見で彼女を弱い存在だと侮る。
彼女は舐められるのが一番嫌いだ。
だから座学も操縦技術も、体術だって血反吐を吐いても修練した。
その修練の結果がインユリアとの諍いで発揮できたのは彼女にとって喜ばしいこと。
ただ、出来ることならあのまま拳をいなしてあの醜悪な顔面を蹴ってやりたかった、というのが素直な気持ちだ。
「……ラティオ・ウィンクルム。邪魔をして……っ」
邪魔をしたのは編入生。
今時珍しい眼鏡をかけた、どこか抜けたような少女だ。
姿勢はいい。体もパイロットとして訓練しているようでしなやか。座学はまだよく分からないが、編入試験を突破してきたということはそれなりにあるのだろう。
ただ、彼女も企業組ということだ。
調べたら新進気鋭の技術屋集団。スコラ・サンクトゥスへやってきた生徒はラティオただ一人。
そして、専用機を最初から所持している女。
レージーナですら持っていない、特別を最初から与えられている女。
舌打ちの一つも出る。
「でも、動きは見事だった」
身を起こし、机に頬杖をつく。
殴りかかってきたインユリアに対し、踏み込み、食器とはいえナイフを喉元に付きつけるその動き、技術は見事としかいいようがない。
どうせならそれで喉を掻っ捌いてくれれば手放しで称賛してもいい。
「変な奴」
椅子から飛び降りると、彼女は気分を変えるために風呂場へと歩いて行った。
*****
殴る。
殴る。殴る。
一心不乱に殴る。
グローブをした拳がサンドバッグへ叩き込まれる。
「ああああああああっ! くそがぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
大ぶりなストレートがサンドバッグを大きく揺らす。
それでも身の内で燃える怒りは収まらない。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
全身汗まみれで床に座り込むのは褐色の長身を持つインユリア。
ここは所属する企業が保有する専用のトレーニング施設だ。所属する者であれば誰でも使えるが、今は彼女一人しかいない。
「くそが」
頭に拳を叩きつけ、歯を食いしばる。
思い返されるのは、食堂での一件だ。
今一番気に入らない女、レージーナが噂の編入生と喋っているのを見かけ、軽くちょっかいをかけてやったら生意気にも反論されたのだ。
普段から暴力衝動が抑えきれないインユリアはすぐにキレ、殴るべく拳を振り上げた。
そこに躊躇は無かった。
ただ衝動に突き動かされて、そのままあの憎たらしい顔面をぐしゃぐしゃにしてやろうとして──止まった。
止められた。
犯人は、あの編入生。
食器を自分の喉に付きつけてきたのだ。
「……っ!」
ただの食器程度なら問題はなかった。いくらナイフとはいえ鍛えて硬くなった彼女の皮膚ならば軽傷で済む。
なのに彼女が止まったのは──編入生の、ラティオの目を見たからだ。
ラティオの瞳は黒。
陽の光をたっぷりと取り込む食堂ならば、その瞳はキラキラと輝いているはずだった。
なのに、あの時見たラティオの瞳は闇のように黒かった。
見たのはたった数秒だ。
それなのに恐れを知らないインユリアは得体のしれない不気味さを覚えて気が付けば大きく距離をとっていた。
「あああああああああああああっ!」
跳ね起きて再びサンドバッグを殴る、殴る、殴る。
脳裏にあの黒い目がちらつく。
吸い込まれてしまいそうな、悍ましいあの黒い目が、インユリアの心を焦がす。
「がぁっ!」
怒りでない。憎しみでもない。
その感情の呼び名を、彼女は知っている。けれど、眼を逸らす。
何故ならば自分がこの世で最もいらないものだと捨て去ったものだから。自分の中にはもう無いのだから。
その感情を、自分が見下している弱者に対して覚えることなどないのだから。
「ぐ……っかは」
いくら鍛えようと、限界は来る。
衝動の赴くままに体を動かし続け、ついに彼女は大の字に倒れこむ。
肺が痛い。呼吸するたびに甲高い音がする。全身がだるい。それら全てが煩わしい。苛立ちは消えず、ずっと燻り続ける。
「ぜってぇ許さねぇ……レージーナ、編入生。どんな手を使ってでもぶっ殺してやる! ぜってぇだ!」
照明が眩しい天井を睨みつける。
その瞳はより燃え盛る憎悪の炎を宿していた。