閑話4 ゆうげん×じっこう
スコラ・サンクトゥスの敷地内は広大で、多くの建物が乱立している。
その中の一つ、教官たちの執務室がある棟へとラティオとレージーナはやってきた。
演習場での件から数日が経過していたが、改めてアロ・イラ教官に迷惑をかけた謝罪と無謀な提案に協力してくれた感謝を告げるために。
「教官、怒ってるかな?」
「多分大丈夫じゃないかなぁ……結構ノリノリだったし」
不安げなレージーナをラティオが安心させるように言う。
あの事件以降、レージーナ自身と彼女を取り巻く環境は大きく変わった。
まずレージーナは良く言えば孤高、悪く言えば取っ付きづらい態度であったが、敗北を経験して少し弱気になってしまった。
成績優秀者としてプライドを持ち、それに恥じない実力を持っていると自負していたのに、敗北し、泣き喚く醜態を晒したのだ。
しかもミクスチャ―全域へ放送されている中で、だ。
もう以前と同じ態度は取れない。
さらにインユリアたちから受けた剥き出しの悪意に晒されたことが大きな負担となっていた。
スコラ・サンクトゥスには専属のカウンセラーも常駐している。
毎年、多くの生徒がなんらかの不手際を起こして、それを気に病んでしまう事例が後を絶たない。
そこでカウンセラーが生徒たちのケアをして、少しでも退学者を出さないようにしている。
それでも一定の数が去って行ってしまうのが現実だ。
レージーナも事件の後、精密検査をして体に異常は見られなかったが、心の方は目に見えず分からないということでカウンセラーと面談した。
下手をすれば彼女ですら再起不能になってしまうのではないかと不安視されたが、結果は多少は不安定ながらも良好。
レージーナはスコラ・サンクトゥスに残り、このまま学業に励むことを望んだ。
精神的外傷になっていてもおかしくはない事件を経ても、レージーナは生来の生真面目な気質とわずかに残った自尊心で踏ん張ったのだ。
それ以外にも仄かな想いを抱いたラティオと離れたくないという思春期の乙女な思考も大いに作用した。
それに、クラスメイトたちが彼女を暖かく迎え入れてくれたことも大きい。
あの時、クラスメイトたちは何もできず、ただ見守る事しかできなかった。
正直な話、以前のレージーナは鼻持ちならない奴としてあまり受け入れられていなかった。
それが変わったのは、インユリアたちに襲われ、機体を擱座させられ、泣いている姿をみたからだ。
あれがもし自分だったら?
その先の予想に全員が身を震わせた。
想像だけでも恐ろしいのに、それを実際に体験したレージーナの恐怖はいかほどのものか。
教室で弱弱しい態度の彼女を見てクラスメイトたちはさもありなんと納得し、彼女に優しく歩み寄った。
まるでレージーナが転校生みたいに扱われたと言ってもいい。
クラス一同が彼女を受け入れたのと同じく、他の多くの生徒たちも彼女に対して同情的だった。
皆、あんな襲撃を受けたら怖いわと思い、被害者のレージーナを見守るように動いてくれている。
逆にレージーナへさらに追い打ちをかけようとする者たちもいる。
他の企業推薦組が主だが、その中でも専用機持ちとそれに近い場所にいる生徒は顕著だ。
彼女たちに対して他の生徒は成績だったり企業のことを持ち出されてマウントを取られ、中々レージーナを庇うには力不足な面がある。
そこでラティオが率先して前に出た。
彼女のスコラ・サンクトゥスでの成績はまだ発表されていないが、入学試験より難度の高い編入試験をクリアしていることから成績は優秀であろうと予想されているし、専用機持ちで、事態を収拾した功労者である。
「何か文句ある?」
昏く濁った眼で見つめられながら問われれば、論破できる説得力のない彼女たちは不満ながらも引き下がらざるを得ない。
ラティオ自身も、レージーナを守ると約束したので、実行したまでだ。
そんなこんなで、レージーナはここ数日、ラティオにべったりで、その縁でオルニットたちとも交流している。
「えーと、ここだね」
立ち止まったのはアロ・イラ教官に与えられた執務室。
緊急時にはそれぞれの個室がシェルターにもなる設計のため、ノックではなくインターホンをポチっと押す。
しばし待ち、二人で顔を見合わせ、もう一度押そうとしたら扉が開いた。
滑らかにスライドしたドアの向こうから姿を現したアロ・イラ教官は……艶めかしかった。
頬は上気して、汗で髪が肌に張り付いている。服装も乱れていて、大きく開いた胸元からは圧倒的な質量が零れ落ちんばかりに主張し、荒い息で上下している。
「……なんだ、お前たちか。どうした?」
ドアの枠に肘をつき、寄りかかるように姿勢を傾けたアロ・イラは軽く驚いたように目を見開いた。
「あの、今お時間大丈夫ですか?」
「なにをしていたんです?」
質問に質問を返すのはどうとかはさておいて、ラティオは常識的にお伺いし、レージーナはジト目で教官を問いただす。
「ふん。少々体を動かしていてな。まぁ短時間なら問題ない」
二人の視界には、アロ・イラの向こうにパーツを組み替えて様々なトレーニングに対応できるマルチトレーニングマシンや転がった酒の空容器、多分洗濯していない脱ぎちらかした服やらなにやら。それに黒い服の女がソファに座っているのが見えた。
部屋が汚いのは二人して納得した。
室内にいる女は教官や講師たちが着るような服装をしていることから同じ教職の人員だと推測できる。
ただ気になるのが、俯き、まるで自分を抱きしめるように身を丸め、震えているように見えた。
あとかすかにモーターの駆動音が聞こえてくるのは何なのだろうか?
「先日の件で」
「ん?」
「緊急事態とは言え、私の出撃を許可して下さったお礼と、ご迷惑をおかけした謝罪を、と思って」
「わたしも、教官のおかげでこうして無事に復帰できましたので」
ラティオとレージーナの言葉に、アロ・イラは快活に笑った。
「なぁに、気にするな。あの時はああするしかなかった。ただそれだけだ」
「あの……何か不都合はありませんでしたか?」
「不都合……半年程給料カットくらいだな」
「すみませんでした」
「ハハハッ! 子供が気にするな」
もしかして、と思い質問したが、やはり処分はあったのだ。
あの時間はアロ・イラが監督責任者であり、見ようによってはレージーナが単騎でさっさと演習場へ出たのを見過ごしたから起こった出来事だと言える。
こじつけじみてはいるが、アロ・イラ教官が独断専行を容認せずに一斉に出ればもっとやりようがあったのではないかと問われた。
それに、いくら教官に権限が割り振られていたとしても、他の部署を動かしてまだ使用されない通路を稼働させたりしたのだ。
軍の規律、教育機関の規則を遵守するという名目の下、アロ・イラ教官にも処罰が適応されるのが世の理不尽さ。
ただ、上の方も内情を理解しているからこそ給料の減額程度で済ませた。
これでアロ・イラ教官を放逐などしようものなら他の教官たちから抗議が殺到し、大混乱に陥っていたことだろう。
「教官職は高給取りでな? そこまで散財していないから半年くらいなら余裕で乗り切れる」
姿勢を正したアロ・イラ教官は二人の頭に手を置き、
「責任を取るのは大人の仕事だ。お前たちは自らの可能性を探るため、大いに励めばいい」
アロ・イラ教官と視線を合わせたラティオも姿勢を正す。
ばゆんと揺れたそれに悔しそうな目を向けるレージーナ。
「ここを巣立てば自らの脚で立って生きていかなければならない。なら、ここにいる間に様々なことを存分に学び、試し、身に着けろ。そのサポートや尻拭いはしてやる。そのための私たちだ」
「「はい!」」
威勢のいい返事に、満足そうに笑う。
「よし。時間は有限だ。有意義に使え」
「わかりました」
「ありがとうございます」
「当分先だが、次の実機演習からは厳しく指導してやる。すぐに実戦に出てもやっていけるくらいにな」
「望むところです」
レージーナへ目をやれば、やる気に満ちた強い視線を返される。
アロ・イラ教官は内心で安堵した。
彼女もレージーナのことを心配していたのだ。
訓練兵や新兵というのは心が折れやすい。今までも挫折し、軍を、学校を去っていった人間を何人も見てきた。
出来ることなら何とかしたいが、教官とはいえただの人間だ。出来ることには限りがある。
こればかりは当人が選択をするしかない。
だから、レージーナが踏ん張って残ってくれたことに感謝すらしている。
「ならばこれまで以上に自己研鑽に励め。以上だ」
「「失礼します!」」
敬礼と返礼を交わし、アロ・イラ教官がドアを閉める。
そこで終われば良かったのだが。
ドアが閉まる寸前、室内からかすかに聞こえてきていたモーターの駆動音が大きくなり、
「んあああああああああああっ!」
「はははははははははあははっ!」
中にいた女の声だろうか。悲鳴と、アロ・イラ教官の高笑いが聞こえてきた。
ドアが完全に閉まり、静寂が戻る。
「なに?」
「さあ?」
気にはなったが、再度インターホンを鳴らすのは憚られたために二人は踵を返す。
きっと、なにかの操作を失敗して、想定外の動きをしてしまったのだろう。それに驚いて中にいた女が悲鳴を上げて、教官が笑ったのだろう。
きっと、ナニか粗相をしても笑って済ませられる程ナカがいい関係なのだろう。
そう結論付けて二人は歩く。
「急ごうか。皆待ってるだろうし」
実はオルニットたちとこれからカフェに行ってスイーツとお喋りを楽しむ予定なのだ。
「行こう」
「うん」
自然な動作で差し出されたラティオの手をしっかりと握るレージーナ。
軽快な足取りで二人は友人たちとの待ち合わせ場所へと急いだ。
これにて完結!




