閑話2 せんぱい×こうはい
夕暮れがスコラ・サンクトゥスの校舎を鮮やかに照らす夕刻。
空き教室に二人の生徒が佇んでいた。
「先輩……私たち、とんでもないことをしてしまったんじゃ……」
胸の前で両手を合わせ、不安げにしているのはカチューシャで前髪を上げ、おでこを晒している小柄な生徒。
「大丈夫だって。前から言ってるでしょ?」
それに答えるのは、三つ編みを左肩に流している生徒。
その表情は明るく、歯を見せながら快活に笑っている。
「でも……」
「もう、心配性なんだから」
「心配にもなりますよぉ」
情けなく、すでに泣きそうな後輩を、先輩は苦笑しながらよしよしと頭を撫でてやる。
「私たちのこの行為は、スコラ・サンクトゥスの運営側、つまりは軍の方から許可されているのよ? 合法……っていうと語弊があるかもだけど? お咎めはないのよ」
「でもぉ……」
プルプルと小動物のように震える後輩を、先輩は抱きしめる。
身長差のせいで後輩の顔が自身の豊満な胸に埋まり、後輩がうーうー言うたびに小さな振動が感じられる。
軽く力を込めれば、応えるように後輩の手も腰に回り、抱きしめ返される。
先輩は満足そうに口の端を吊り上げた。
「大丈夫。私の先輩たちも、そのまた先輩たちもやってきたことだから。今までバレたことはないし、やり切ればメリットしかないんだから」
彼女たちが何をしたのか。
それは、所属する製造科の保管している熱線銃をとある集団に横流ししたのだ。
もちろん替えのものを用意し、管理データ上では過不足なしのまま。
スコラ・サンクトゥスには公に出来ない、裏の伝統というものがあった。
それは、時々備品を私的に使い、騒動を起こさせるというもの。
インユリア・ジョクラトルたちが私的にステラーコーパスの運用をした事件がいい例だ。
ただの不良生徒がコソコソと動き回っただけで熱線銃やステラーコーパスなどを奪い取れる訳がないのだ。
インユリアたちの凶行の裏には、裏の伝統に携わる者たちの活動があったのだ。
空き教室で抱き合う二人は、先も述べたように脅された、という体でインユリアたちに熱線銃を渡した。
この行為は、先輩からすれば連綿と受け継がれてきた伝統行事でしかない。
何故なら彼女も、自身の先輩に誘われてこの伝統に参加し、内情を知ったから。
どうしてこんな、違法な活動が続けられてきたか。
それには色々と理由があるが、強いて言うならレクリエーションの一環である。
スコラ・サンクトゥスは軍の人材育成機関。
しかし実態としてはただの学校だ。
軍の施設なのに、仲良しこよしの温い環境。
緊張感も焦燥感もない。
ここを巣立てば多くは軍人となり、中には最前線へ赴き命を懸けて作戦を遂行しなければならない。
なのに温い環境で育った人材が使い物になるのか?
なるわけがない。
だからと言って苛酷にすれば育つ前に折れてしまう者が続出するのは目に見えている。
その折衷案として、時たま騒動を敢えて起こさせ、緊張感を持たせようとしたのが発端だ。
スコラ・サンクトゥスの歴史を紐解けば、結構な頻度で生徒たちのオイタが発見できるだろう。
では、この伝統は誰が主導しているかといえば、それは警備部だと言えよう。
彼女たちはミクスチャ―の治安維持を目的として発足している。武装も人員も充実しており、練度も高い。敵が攻めてくればイの一番に出撃する部隊だ。
でも、温い学校でそこまでの装備は出番がない。
それにミクスチャ―がある宙域は連邦宇宙軍の勢力圏で、資材搬入用の貨物船も多く行き交うために航路の安全を保つために軍の巡回が密にされ、正直ここへ敵が来る確率は限りなく低い。
訓練を続けるのは当然だが、出番がないのにいつか来る有事に備え続けるというのはモチベーションの観点からすれば、とてもじゃないがもたない。
なら、意図的に出動できる理由を作ればどうだろう?
逆転の発想で、警備部は敢えて素行の悪い生徒たちを煽ったりしたが、あまり芳しくない。
フラストレーションが徐々に溜まり、やがてその行動はエスカレートしていく。
備品の横流しをして、規模を大きくしていったのだ。
ただ、警備部の人間が直に動くとバレた時に面倒なので、今度は生徒たちを巻き込み始めた。
それぞれの科の生徒たちの中から条件に見合う人員をピックアップし、褒美をちらつかせて協力させ、どんどん騒動を起こさせることで自分たちが思う存分愉しめる環境を作り出したのだ。
「大丈夫、大丈夫だから」
まるで赤子をあやすように、先輩は後輩へ繰り返す。
この二人も──正確には先輩の方だが──警備部が主導するレクリエーションの協力者だ。
先輩の方も彼女の先輩から誘われて、今の後輩のように不安に駆られたが、今では慣れたもので堂々としている。
「これに協力すれば、ご褒美がいっぱいあるの。食堂は無料だし、単位だって保証されるし、学費だって免除される。実際、助かっているでしょう?」
くぐもった声とともに後輩の頭が上下し、擦れた部分が甘い痺れを覚える。
警備部がピックアップする人材の共通点としてはあまり自己主張しない性格で、経済的にあまり恵まれておらず、将来は軍に入って安定的な給与を得たいと思っている生徒が多い。
もっと細かな基準があるだろうが、大雑把に言えばこれだろう。
このような生徒に優遇措置として金銭面を援助し、単位を保証し、役割を全うすれば卒業後の進路も保証する。
こうなれば、藁にも縋る思いで協力し始め、逃げ出せないように絡めとられる。
「私も、私の先輩も最初は怖かった。でもね、私の先輩も役割を全うして、希望の部署に推薦で入れたの。それで故郷に仕送りできたって」
美味しい話には裏がある。
だが、その裏を受け入れてしまえば、結局は美味しい話なのだ。
「私もね、あまりお金がない家だから助かってるの。もしこれをやらなかったらご飯も切り詰めながら必死に勉強して、学生生活なんて楽しめなかったんだと思う」
スコラ・サンクトゥスには特待生制度もあるが、その競争率はとんでもなく高い。
先輩は平凡な一般人だ。突出した才能というものはない。
そんな彼女が特待生になりうる未来など欠片程もなかった。
可能性が少しでもあったなら、彼女も企業に見いだされていただろう。
だから、彼女は自分の先輩に誘われた時に頷いたのだ。
そして巡り巡って今度は自身が先輩となって抱きしめている後輩を誘ったのだ。
彼女もまた、平均より劣った生徒で、金銭的に困窮していて、好みだったから。
「私がいるから。心配しないで」
優しく語り掛けながら、彼女は思い出す。
自身が先輩と慕った女のことを。
彼女もまた、不安に震える少女を抱きしめてくれた。宥めてくれた。愛してくれた。
それに安心して、心酔して、この人がいてくれれば大丈夫と、この人さえいればいいと身も心も委ねた。
結果は、彼女もまた愛する自身の先輩を追っていってしまった。
あれだけ愛を囁いてくれたのに、あっさり捨てられた。
彼女にとって少女は真に愛する人の代わりだった。持て余す感情と情欲を消費するためだけのお人形だった。
絶望というものを身をもって知った。
「せんぱい……」
後輩が胸から顔を上に向け、視線を合わせる。
潤んだ瞳が、とてつもなく彼女の心を揺さぶる。
「大丈夫。私がいる。あなただけじゃない」
微笑み、頷いて見せれば、ようやく後輩は表情を緩めた。
(そう。私は貴女を裏切らないから)
抱きしめる腕に、ほんの少しだけ力を込めてより密着させる。
(私は裏切らない。だから、貴女も私を裏切らせない)
後輩の体温を感じながら、このまま溶けて一つになりたいと切に願う。
(ねぇ。早くここまで堕ちてきて?)
後輩のトレードマークたる広いおでこに口付けを落とす。
リップ音に後輩の体がもぞもぞと動く。
恥ずかしいようだ。
(貴女をもう離さないから)
もう一度、口付けを落とし、今度は強く吸う。
この娘は私のものだと刻みつけるように。
学生が大暴れできたのは内部にそういった抜け道があったんだということで。




