第18話 ほうこく×はんろん
〔概要は知らせてもらっていたけれど、貴女が無事でよかったわ〕
「心配をおかけしました。ノクスお婆様」
ミクスチャ―内にある、外部とのホログラム通信を行うための広い円形の部屋の中心に佇む老婆に、心の底から安心したと微笑みながら語り掛けられ、レージーナも微笑みながら答える。
すると、ノクスはひどく驚いたように目を見開いた。
〔まぁ。いい表情をするようになったわね、レージーナ〕
「そうでしょうか?」
〔ええ。いいことだわ〕
祖母の言葉に頬に手を当てるが、特に自覚はないようだ。
演習場での出来事からまだ数日だが、レージーナは劇的に変わった。
まず、以前のように自他ともに厳しくとっつきづらい雰囲気が消え、表情もどこか柔らかくなった。
それに、教室で常に一人で教本や自己研鑽のための資料とのにらめっこも少なくなり、ラティオを始めクラスメイトたちと会話することが多くなった。
それに、放課後にカフェに行ったり、ショッピングを楽しんだりと連れまわされたお陰でいい意味で緩くなった。
〔以前からも言っていたでしょう? 貴女はまだまだ子供なのだから、勉強一辺倒ではなくもっと遊びなさいって〕
「……はい」
まだスコラ・サンクトゥスに入学する前から何かと祖母はレージーナを構っていた。
買い物や美術館に誘ったり、美味しいお菓子を食べられる店だったり、果てはリゾートコロニーへ遊びに行こうと突撃してきたこともあった。
〔確かに、自己研鑽はすることに越したことはないの。でもね、それだけが人生ではないの〕
「……はい。ようやく、分かった気がします」
祖母からすれば、孫娘はどこか危ういと感じていた。
家庭的な事情でそうするしかなかったのが大きな理由だが、幼い頃から軍人──ステラーコーパスのパイロットになるためのあれこれを詰め込まれてなお、より上を、もっと上を目指せと扱かれてきたレージーナ。
常に張り詰め、余裕が一切ない状態でちょっとした衝撃で破裂してしまう風船に似ていた。
彼女のスコラ・サンクトゥス入学は早い段階で決まっていたので変更は出来なかったが、ノクスは同年代が多くいる環境で孫が歳相応の娯楽を覚えてくれたら、と期待していた。
そして入学してしばらくして、今回の騒動だ。
孫がどうなっているかはスコラ・サンクトゥスの運営側から報告を貰っていたが、自分の目で見るまで信じないと自分が持てる権力全てを使って直通回線を準備させたのだ。
そうして久しぶりに顔を合わせた孫は、随分と心に余裕を持っているではないか。
〔どう? お友達はできた?〕
「はい。頼りになる、とっても素敵な友人ができました」
〔あらぁ。それは良かったわぁ〕
祖母からの質問に、レージーナは頬を赤く染めながら答えた。
祖母、大満足。
〔機会があったら、ぜひ紹介してね〕
「ええ。お婆様のお眼鏡にも適うと思います」
〔そぉう? 今から楽しみ……なに?〕
孫のドヤ顔をこっそり録画しつつ、うんうん頷いていたノクスだが、遠くから騒がしい声が近づいてきたのを訝しみ、すぐ近くの秘書に声をかける。
「お婆様? どうかなされたので?」
〔ちょっと待って。不埒な者が入ってきたわ〕
「大丈夫なのですか!?」
〔安心しなさい。とはいえ……〕
〔レージーナ!〕
突然の大声に、レージーナの体がビクリと震えた。
その声はよく知っている人のものだ。
物心ついた時から、常に彼女へと重圧をかけてくる。
〔入室の許可は出していませんよ〕
〔母様は黙ってて! これは親として必要な事です!〕
横を向いていた祖母を押しのけるようにホログラム通信に姿を現したのはレージーナの母、ドミナ・グラウィスだった。
きちっとしたスーツ姿で、全てを敵視しているような鋭く厳しい眼差しを自らの娘に容赦なく向ける。
〔レージーナ、あの報告は事実なの?〕
「……」
〔答えなさい! いつからそんな愚鈍な反応をするようになったの!?〕
レージーナの体が、自分の意志とは無関係に震える。
幼い頃からドミナは威圧的で、娘相手と言えど態度を変えることはない。
〔まったく! 英才教育を施したというのに、訓練機を相手に無様に負けるとは! 情けない!〕
まるでこの世の終わりを嘆くかのように天を仰ぐ。
レージーナは唇を噛む。
インユリアたちに襲撃されたあの件はミクスチャ―全域に放送され、自分が負けたこと、そして泣き喚いた光景が数多くの者に閲覧されてしまったのだ。
大部分は同情的で、話題に出すことを避ける傾向にあった。
ただ、逆に積極的に話題にする者たちもいた。
レージーナを敵視する者たちだ。
彼女たちは訓練機相手に成績優秀者が負けた、という一部分だけを誇張して大声で叫んでいた。
「管制室を占拠されて、武装した機体が四機。そんな状況で非武装の機体に乗って打破しろなんて……無理!」
クラスメイトたちは揃ってそう言い、レージーナの味方でいてくれる。
〔はぁ、負けたショックで声を出すことすらできなくなったの?〕
「ちょっと黙ってくださる?」
体はまだ震えが止まらない。
ドミナを前にすると委縮してしまう。
威圧的な声に、謝罪の言葉を吐き出してしまいそうになる。
でも。
ラティオの笑顔を思い返せば、胸に暖かなものが広がる。
彼女の声を思い返せば、勇気が湧いてくる。
「状況を正しく把握していない人が喚き続けないで。呆れてものが言えなかっただけ」
〔貴女……親に向かって〕
「怒鳴りつけるだけ、課題を押し付けるだけの人を親とは言わないわ」
自分には味方がいる。
それがこんなにも心を強くしてくれる。
レージーナは腹に力を入れた。
「私を襲ったのは無法を働き備品を奪って私物化したテロリストたち」
〔だから何? 負けたことは仕方がないと開き直るの?〕
レージーナの反論を嘲るドミナ。
グッと拳を握る。
「管制室を占拠され、機体を停止させられたわ」
〔言い訳はもういいわ〕
「武装も無しで四機を相手にしたの」
〔それをどうにかするのが貴女に施した教育なのよ!〕
「御自分でやってみては? 出来るものなら」
〔っ!?〕
クスリと笑いながら煽れば、ドミナの表情が劇的に変化した。
屈辱に。
ドミナの苛烈な教育は、自分にパイロット適性がないことの裏返しだ。
祖母の姉が高名なパイロットで若くして戦死してしまったことで、軍関係者はグラウィス家に変な期待を寄せる者たちが出始めた。
──彼女の血縁なのだから、才能はあるだろう?
馬鹿馬鹿しい、妄想にしか過ぎない考えだ。だが、それを素面で話してくる者が一定数いた。
祖母は、姉は姉、私は私と強い心をもっていたので惑うことはなかったが、馬鹿は矛先をドミナに向けた。
成長するにつれ馬鹿どもは妄想を膨らましていき、いつの間にかドミナは軍に入ったら多大な戦果を挙げ、エースパイロットになって名を轟かせる英雄候補だと確定した事実のように決めつけてしまったのだ。
周囲の圧力でパイロット科に進んだが、結果は惨敗。適性がないという事実が知らしめられた。
そうすると馬鹿どもは自分たちが勝手に盛り上がっていただけなのに裏切られたと今度はドミナを徹底的に蔑んだ。
ドミナからすれば、何を勝手に! といったところだ。
そのまま無視するか、馬鹿どもが黙っていればいいのに騒ぎは収まらず、結果、ドミナの心は歪んだ。
その歪みが巡ってレージーナを完璧で無敵なエースパイロットへ育てるという行動の原動力となった。
ドミナも被害者と言えよう。
だが、レージーナからしてみれば一方的な加害者でしかない。
だから、そんなに言うなら自分でやってみろと煽ったのだ。
〔なまいきな……っ!〕
「データは後でお送りしますので、是非シミュレーターでお楽しみください。ああ、結果も教えてくださると助かります。大口を叩くのですから、さぞや素晴らしい手際で鎮圧なされるのでしょうね?」
小馬鹿にしてやれば、今にも血管を破裂させそうなほど怒り狂って、
〔貴女用の機体は凍結します! 訓練機でせいぜい頑張る事ね!〕
喚きながらディスプレイから姿を消した。
扉の開閉音が聞こえたので、退室したのだろう。
〔フフ、フフフ、アハハハハハハハッ!〕
静まり返った部屋に、ノクスの笑い声が響き渡る。
我に返ったレージーナは緊張から解き放たれ、床にペタリと座り込んだ。その時、下半身に湿り気が感じられて慌てて気を引き締める。
孫がそんなことになっているとは気付かず、ノクスは腹を抱えて笑い続ける、
やがて限界が来てむせてしまい、秘書が慌てて背中をさする。
〔あー、久々に愉快な気持ちね。フフフ、レージーナ、言うようになったわね〕
「……はしたないところをお見せして、申し訳ありません」
恥ずかしくて顔を真っ赤にして俯く孫へ、祖母はニコニコしながら言う。
〔いいのよ。それでいいの。貴女はもっと感情を表に出していいの〕
座り込んだままのレージーナへ、ホログラムのノクスが寄り添う。
〔もっと遊びなさい。もっと楽しみなさい。今まで十分に厳しい訓練をしてきたのだから、取り返す気で学生生活を楽しむの。友達と一緒に〕
レージーナの頬に手が添えられる。
ホログラムだから質量も熱もない。
だが、レージーナは祖母の思いやりの心を感じ取った。
〔それが未来の貴女の、とても貴重な財産となるわ〕
ウィンクされ、
「はい!」
レージーナは元気よく返事をした。
グラウィス家は親子仲は壊滅しています。
祖母と孫は仲がいいんですけどね。
ちなみに、アニマ、アニムスとルビが違うところがありますが、仕様です。
この世界での父母の呼称のようなものです。
男はいませんので両親とも母という表記ですが、役割の違い的なふわっとした感じで一つ。




