土塊要塞 シュラク
シュラク内部 三階通路
ミリルは二階の通路から向けられる不敵な笑みに気づいていた。
今夜の見張りが楽しみでたまらないのだろうか。ミリルに視線を送るその人物は、右から左へと唇を舐めた。
ミリルの見張り担当日はよく変更される。
このシュラク中でその意味を知らないのは子供くらいだった。
ミリルはやっと視線に気付いたふりをして、即席の笑顔を貼り付けた。
「おはよう、ミリル。今日はこの階を回ってくれるかな?」
となりの部屋から出てきた住民に声をかけられた。
「あら、おはようございます!」 「わかりました、任せてください!」
ミリルはいつものように明るく応対し、カゴを抱えて洗濯物の回収へと向かった。
・
シュラクから程近い川
ミリルは冷たい水に手をつけた。
ミリルを含む五名は、二つ重ねたカゴから洗濯物を取り出して川の水で洗い始めた。
木の板に布を擦っている間は、誰しも手より口のほうがよく動いてしまうものだ。
小川端で小さな会議が始まった。
「カイちゃんは最近どうだい。」」 「あの子はいい笑顔をするもんだな。」」 「全くだ。」
うふふ、あはは
「こんな時代に生まれるのも可哀想だったがな。」 「イヤな時代になったものねぇ」
「そう言えばミリルさん、ラッル君は最近この仕事で見かけなくなったわね。」
「えぇ、そうなんです。あの子は遠出の仕事をしたいとよく言っていましたから。」
その後も、狂人を見た噂などペチャり、クチャり。
その内に洗濯は終了した。
ミリル達五名は再びカゴを重ね、行きより重くなった洗濯物を抱えてシュラクへと戻った。
シュラクの入り口では、昼前の食事を済ませ、出発の準備をするラッルを見つけた。
「ラッル、今から出るのね? くれぐれも気をつけて。」
短く切られた栗色の髪に、比較的大きな目、目線の高さはミリルと変わらない。
ミリルの子ラッルは、そろそろ青年と呼べるほどに大きくなった。しかし、心配してしまうのは親として当然だ。
「大丈夫だよ、母さんこそ無理しないで。」
軽い抱擁を交わし、ラッルを見送った。
洗濯物を干し終え、食事を済ませると、太陽はシュラクの直上に近づいていた。
ミリルは次の仕事へと向かった。
・
山抜けの隠道
ラッルは道を探していた。
シュラクを出発してからずいぶん経った。
太陽はだいぶ傾いている。
ラッルの仕事はシュラク周辺の偵察、そして山々の探索だった。
「ラッル、ここまでだ。もう帰らなくては暗くなる。 雨に降られても困るしな。」
共に行動する男性が後ろから声を掛けてきた。
「・・・そうですね、ジーバさん」
偵察、探索の仕事は二人一組での行動を決められている。
このジーバは自らラッルの相方に名乗り出た。
それは明らかにラッルの母親に良い顔をするためだった。
「早くシュラクへ帰ろう。 お前を危険な目には合わせられない。」
ラッルは唇の内側を強く噛み締め、拳を握った。
もう少し探索を進めても、日暮れまでに帰ることはできる。
雨なんて大したことはない。
しかし、この保護者でも気取ったかのような男は、早くシュラクへ帰りたくて仕方がないようだった。
ジーバは仕事中の彼からは考えられないような早足で、帰り道を先導し始めた。
握られたラッルの拳や嫌悪の視線には全く気付いていなかった。
・
シュラク入り口
ラッルはシュラクへ帰ってきた。
思った通り、まだ日は暮れていなかった。
ジーバは腹が減ったなどと言って、そそくさとシュラクの中へ入っていった。
入り口近くで、何人かが集まって立ち話をしているのが目に入った。
ラッルはその中にカイを見つけ、探索の道すがら採っておいた小さな果実をあげた。
「ほら、カイ、お前の好物だぞ」
カイは満面の笑みを見せ、嬉しそうに食べ始めた。
はは、どういたしまして。 カイにそう言うと、ラッルもその場を離れた。
「ラッルか、今日の探索はどうだった。」
フサックが奥からやってきて、ラッルにいつも通りの質問をした。
「特に成果はありませんでした。」
冷静にそう伝えると、フサックはご苦労だったとラッルを労った。
フサックはこれから中枢会議に向かうようだった。
ラッルはまだ中枢会議に呼ばれる年齢ではない。
それにラッルにとって、シュラクの今後などは知ったことじゃないし、興味も無かった。
片付けも終わり食事場へ赴くと、そこにミリルの姿を見つけた。
「ラッル、おかえりなさい!」
明るいミリルの声に、ラッルも明るく返した。
「ただいま母さん、あっ、食事は済んだ? まだなら一緒に食べよう、部屋にいるね」
「うーん、ごめんね、母さんは今日見張の仕事になったの。だからこの仕事が終わったら、そっちに行くのよ。」
はっ? 見張りは二日前にも担当したばかりじゃないか。
おかしいよ、またなの?
以前そんなことを言ったが、ただミリルを困らせるだけに終わった。
「そっか、わかった。 無理しないでね。」
ラッルの声は急に暗くなった。
それでも、何も気付いていない顔を装って、笑った。
「えぇ、ご飯しっかり食べなさいね!」
ミリルも何も気づかれないように表情をつくって、笑っていた。
・
道外れの暗窟
自分とウリは雨宿りをしていた。
少し前に始まった小雨は、今では立派に雨となり、服から染み込んで自分達の肌を濡らしていた。
体温が奪われることを心配する必要はない。
しかし、視界と足元が悪いのは不都合だ。
そこで自分達は、ウリが見つけた洞窟で雨が去るのを待つことにした。
濡れないように気を使った袋から、布、少量の油、打ち金、打ち石を取り出した。
時間は夕暮れといった頃で、雨雲の色だってわかる。
つまりそれほど暗くはないが、今のうちに松明を作る練習をしておこうと考えた。
握りやすい形に整えられた打ち金を、対の手で持つ打ち石に叩き擦った。
植物からとったこの油は貴重らしいので、だんだんと足していって適量を探した。
最後に、携行していた木の棒を取り出して、松明を完成させた。
思っていたより時間がかかってしまった。
しかし、その間も自分とウリの間に会話は無かった。
ウリは松明の火をじっと見つめていた。松明も火もウリの顔を暖かく照らした。
以前もこうだった、
「・・・火が、好きなのか?」
ウリは松明から視線を外し、自分の方を向いて話し始めた。
「、あそこ、、いたの。 みんなヒト。・・・なぜ、えーと、んー」
「ウリ。君はウリだ。」
「んン、ウリ、たくさんウリ見た。」
シュラクでのことを言っているのだろう。
ウリはしゃべるための口を持たない。しかし、どこからか発声することは可能だった。
ウリの目は、どうゆうことだと自分に問いかけていた。
カイブツ、シュラクにいた彼らはそう言って扉を閉めた。
自分とウリの体は、シュラクにいた彼らとは大きく異なる。
彼らは、食事を摂らねば生きてゆけない。休息をしなくては。水を得なくては。そして、死んでしまっては生きてゆけない。
体がエーテルで構成される自分達は違う。食事、休息、水などは必要ない。体が壊れたとしても、時間が経てば元に戻る。通常、エーテルで構成されるものに明確な死は存在しない。
そして、この地にはこう言われていた。
死なぬものども、いつか全てを忘れ、人を殺むる。
体をエーテルで構成されるものは、いつかボウキャクとなる。
そしてこの地は、数十年前にボウキャクによって滅ぼされた。
生き残った者達は山に登り、隠れ、細々と、しかし連綿と暮らしを続けているらしい。
シュラク、あれはそんなコミュニティーの一つだったようだ。
シュラクにいた者達はエーテルでできた者全てをカイブツだと卑下し、『敵』としているのだろう。
無論、自分もウリもカイブツなんかではない。
しかし、覆せそうもない偏見を初めて目の当たりにして気分は落ち込んでしまっていた。
「あの人たちは、そうだな。初めて見た、、、いや初めて会った人のことを怖がっているんだよ。」
ウリの綺麗な瞳がこちらを覗き込んでいた。
自分がウリに言った言葉をゆっくりと理解している、そんな様子に見えた。
ウリの表情が曇った。
どうしたんだろう、何を考えているか分かりづらい。
ウリは自分の顔でも松明でもない、洞窟の奥を見た。
自分もそちらを見たが、見える範囲には何もいない。
フブぐ、ヌぐアァぁぁああアァああああぁ
奥から響いてきたその声に、洞窟が揺れたような気がした。
声、そう、これは声であると自分は認識していた。
実際洞窟は揺れた。声の後に、大きな石の壁が倒れたような音が聞こえてきた。
勝手に息が荒くなる。雨水か汗かわからないものが、頬を流れた。
ウリ、ウリは!?
ウリは石だらけの床に尻餅をついていた。
そして、その瞳は明らかに怯えに染まっていた。
「ウリ、ウリ待て! ウリ!」
一瞬自分の方を見たウリは、恐怖の表情のまま、荷物も持たずに駆け出した。
くっそ、まずい。
慌てて、自分も後を追った。
洞窟の外は雨でいっぱいだった。
バシャバシャと泥まみれの地面を走って、ウリを追いかけた。
距離はそれほど開いていない
「どこ!? どこなの!?」
ウリはそんな言葉を叫びながら走っていた。
バシャん
ウリが泥に脚を取られて大きく転んだ。
その間に自分との距離は詰まった。
バシャバシャバシャ
なんだ、この足音は
自分は足音の方を見た。
そいつは後方、約十五メートル。
四本の脚、いや三本の脚と片手を使って爆走していた。
残った方一本の腕は、突進の方向へ伸ばしている。
そんな今にも頭から地面に突っ込みそうな体勢で、恐るべき速さを保っていた。
ボウキャクだ。
速い。
追いつかれてしまう。
ウリは転んだままだ。
自分は泥に滑りながら踵を返して、ボウキャクの方を向いた。
ボウキャクはどんどんと迫ってくる。
自分の数歩後ろにはウリがいた。
回避、するわけにはいかない。
脇を締めて、左手で盾の革紐をしっかりと握り、右手は左前腕部に巻かれたもう一本の革紐の位置で左手を押さえた。
泥を巻き上げながら、ボウキャクは接近してきた。
自分の中に怖さはあった。それはボウキャクに対してではない、ウリの身に危険が迫っていることに対してだ。
ボウキャクはもう目と鼻の先だった。
衝突の瞬間、自分は両手で盾を力強く押した。少しでもボウキャクの突進の角度がずれるように押した。
自分の体は数秒、宙を舞ったように思えた。
実際は一秒も無かったかもしれない。
そして、全身で泥の中に落ちた。
すぐに顔を上げた。
ウリは!?
幸いにも突進の角度はズレてウリは無傷だった。
ボウキャクは上半身を地面に擦りながら停止していた。
起き上がったウリは再び走り出した。
「ウリっ!、くっ」
ボウキャクも立ち上がった。
こいつの速さは危険に過ぎる。
自分がこのボウキャクをどうにかしなくては、ウリを追いかけても危険だ
ボウキャクの頭は自分の方を向いていた。
走り去るウリに一瞬視線を移し、すぐに戻した。
「とにかく! まずはあんたをどうにかする」
ボウキャクに向けてそう言い放った。
っ痛、、
左手首の少し上に痛みがあった。
触れてみるとさらに鋭い痛みがした。
その痛みを我慢しながら、左前腕の革紐を締め直し、剣を引き抜いた。
戦闘、開始だ。
狂人の鎧 (左腕部)
一部の者が好んで使う、半端の鎧。
この類いの鎧は左腕部が最も堅牢であり、肩から指先までを覆うように造られている。
所有者は口を揃えてこう言った。
「胴や頭に、守る価値無し。」




