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2021年 大学祭企画

口下手

作者: 北原拍手

 聞きなれた犬の鳴き声が近づいてくる。今日はかなり長かったな。夜の八時か。おかげで今朝開いたばかりの書物は残り数ページだけとなった。食後の時間にでも読み終えよう。

 今日の獲物は決めている。残り物のキャベツを使った回鍋肉だ。肝心なのは肉の分厚さ、キャベツの火の通りだ。ざくっしゃきっ。 これに限る。

 回鍋肉を漢字で表記するあたりこだわりが強そうと思われたかもしれないが、全くもってその通りである。学生時代から付き合っていた女性の給仕をしていた甲斐あって大抵の食事は作れるようになったが、中華は特に自信がある。うちの娘のお弁当でも中華の日が一番評価が高い。

 玄関が開く音が聞こえる。噂の娘の帰宅である。しかし、いつもと違う。あの歌が聞こえない。 機嫌が良い時、彼女の散歩の相棒は決まってアースウィンド

ファイアーだ。ばーどぅだ、ばーどぅだ。それが帰宅の合図である。時間にルーズな彼女は、大抵十分くらいで飽きて帰ってきて、鼻歌交じりに玄関を開け、今

日の夕食について尋ねてくる。

 今日はなに? 野菜妙めはこの間も食べたじゃない! なんて。

 そうじゃないということは、よほど落ち込むことがあるのだろう。のそのそとローファーを脱ぎ、マスクを外し手洗いうがい、ソファに腰を下ろし愛犬を撫で

まわしている。彼も大変だろう。夜は涼しいとはいえ二時間も散歩に付き合わされ、返ってきたかと思えば首が取れんばかりの勢いで撫でまわされる。

 少しは嫌がってもいいんだぞ。

 ご主人の元気のなさを察してか今日はおとなしい。私が抱くときもそのくらいおとなしくしてくれたら可愛がりようがあるというのに。


 丁度いい。回鍋肉は娘の好物である。明日は私達にとって大切な日だ。これを食べて機嫌を直してもらおう。

 キッチンに立ち手を洗い、包丁、まな板を出す。まずはキャベツを一口サイズより少し大きめに切る。火を通すことで縮まることを見越して切るのがポイント

だ。肉は焼肉用の豚バラ肉。これを半分にし、油が出るまで優しくカリっと妙める。このサイズ感、香ばしさがキャベツと合うのだ。ニンニクも忘れてはいけな

い。しっかりとみじん切りをすることでたれに旨味がしっかりと溶け込む。翌日のことなど気にせずガシガシみじん切りすべし。あとは干からびる直前の野菜た

ちをざくざくと切って妙めるだけ。

 豆板醤と甜面醤は一対一で、ここにコチュジャンを加えるのが我が家流だ。香りが立ってきたら完成だ。


 皿に盛りつけ、あらかじめ炊いていたご飯をよそい、スーパーで買ったサラダと共に食卓に並べる。匂いで察知した娘が暗い顔で椅子につく。

 キャベツと肉を一口、あぐりと食べる。ゆっくりと噛みしめる。そうして続けて白米をかき込む。暗い類が暖かみを帯びてくる。そこからぽつりぽつりと会話

が生まれる。

 今日のホイコーローはニンジン入りだね。あんまり合わないね、なんて。

 我が家では愛犬も共にリピングで食事をする。三人一緒にいる気がするから。ぽちはお母さんに一番なついていたから。娘が絶対に譲らない我が家ルールのひ

とつだ。


 今日の散歩は長かったな。

 部活で他パートともめちゃってね

 そうか。


 ぽちは、今日はおとなしかったな。

 お父さんだけでしょ、吠えられてるの。

 そうだっけ。


 お父さん、話下手だよね、なんて茶化されながら、夜は更けていく。



 片づけは娘の当番だ。散歩と回鍋肉の甲斐あってか、少しは元気を取り戻したみたいだ。リビングで残りの数ページに目を通しながらキッチンを見る。ばーどぅだ、ばーどぅだ。いつもの鼻歌を口ずさむ彼女。昔見た光景が思い起こされる。


 君はこの風景を見ているかい。君が好きな歌を、君が愛した犬を、君が好んで食べた料理を、君の娘も好いてくれているんだ。こんな素敵な子を残してくれて、本当にありがとう。


 時計の針はちょうど真上にきている。明日お義父さん達に渡すための書類をまとめる。住民票、親権に関するもろもろ。寂しい気もするが、仕方がない。

 離れていても、家族。そんなきれいごとがあるのだろうか。空を見上げると、夜の黒に星々が輝いていた。


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