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8.少しの変化

「出かけよう!」

 馬に乗ってやってきたリガロを見た時、イーディスは目を疑った。一日で人はこんなにも変わるものだろうか。何事かと屋敷から出てきた使用人や両親は彼の変化に驚いていたようだが、イーディスに好意的だと理解するや否や頬を緩ませた。彼らは遠駆けをしようと言い出すリガロを止めるどころか「それはいい」と賛同する。これは悪夢か。リガロは婚約者の歪んだ顔なんて目に入っていないようで、楽しそうに愛馬を紹介する。そしてあろうことか彼は自らの前にイーディスを座らせーー爆走した。

「早い早い早い」

「話していると舌噛むぞ」

「そう思うならスピードを緩めてください!」

「ははははは」

 何が楽しいんだろう? 変なものでも食べたのか、と本気で疑いながらイーディスは口を閉じる。舌を噛まないようにではなく、胃の中からせり上がる物を吐き出さないようにこらえるためである。せめて朝食を食べる前に馬に乗ると分かっていたら食事量を減らしたのだが、あの時は何も知らなかったのだ。うっと声をあげそうになりながら、遠くを眺める。黙ったイーディスを乗馬に慣れたと勘違いしたのかリガロは「速度をあげるぞ」と一言告げて馬に新たな指示を出した。



 目的地に付いた頃にはすっかりイーディスの顔は青白くなっていた。服が汚れるのも気にせずに砂浜に腰を降ろし、隣に座るリガロに寄りかかる。

「あああああああ辛い」

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。……気持ち悪い」

「水飲むか?」

「いります」

 水筒を受け取り、ゆっくりと傾けて少しだけ口に水分を含む。けれどすぐに吐き気がこみ上げ、水筒を口から離すハメになる。海を眺めながら、ふうっと息を吐き、何度も同じような行動を繰り返す。少しずつ回復していく体調と徐々に正常化していく頭で、イーディスはふと思った。

「鍛錬、しないんですか?」

「俺がいなくなったら支えがなくなるだろう」

「適当にそこら辺に寄りかかっているので大丈夫です」

「体調の悪い婚約者を放っておく男があるか」

「散々放っていた人に言われたくありません。それにこの不調だって、リガロ様がもっとゆっくりと走ってくれれば」

「帰りは善処しよう」

「お願いします」

 話はこれで終わりだ。彼はそのまま剣を手に鍛錬を始めるかと思ったが、一向に立ち上がる気配はない。それどころかイーディスの髪を弄り始める。

「綺麗な土色だよな」

「もしかして褒めてます?」

 それは褒めているのかけなしているのか。ギロリと彼に視線を投げれば、特に気にした様子もなく「栄養が豊富そうでいいじゃないか」と続けた。おそらく褒めているつもりなのだろう。数年前の彼はもっとそれらしい褒め言葉を口に出来たはずだが、すっかり脳筋に成長した彼にそれを求めるのは酷というものなのだろう。イーディスとて褒められたところで嬉しくもない。他の令嬢に言ったら固まるどころか、乾燥しきった大地のようにヒビが入るんだろう、と想像してクスリと笑いが溢れた。

「? 俺何か面白いことでも言ったか?」

「いえ別に。ところでなぜ海なんですか?」

「イーディスは海が好きなんだろう。初めて会ったときに俺の髪を海みたいだと褒めてくれた」

「……そんな前のこと、よく覚えていましたね」

「覚えていたというか思い出したんだ。剣を振るう意味も」

 イーディスとのエピソードはともかくとして、剣を振るう意味を見失っていたというのか。一心不乱に剣を振っておきながら? 

「お祖父様のようになりたいんですよね」

 ずっとそれを目標にしていたはずでしょう? と確認を取るように口にすればリガロは「ああ」と短く答えた。そしてイーディスの髪から手を離すと海を見つめた。

「俺もいつかはこうなれるんだろうか」

 お祖父様のように、ではないのか。彼の中でお祖父様と並ぶ大きな目標が存在するということだろうか。捨てられるモブの役目を担っているだけのイーディスとは抱えるものが違うのかもしれない。男爵令嬢が彼を支えるなんて所詮無理な話だったのだろう。イーディスは彼に寄りかかるのは止めて身体を丸める。

「目標ってただの指標であって、必ずしも同じになる必要はないのではないでしょうか」

「どういうことだ?」

「なりたい自分のイメージを固めすぎても自分の首を締めるだけってことです。リガロ様はリガロ様。お祖父様はお祖父様。別の人間です」

「……それもそうだな。じゃあちょっと剣を振ってくる。イーディスは目の届く範囲にいてくれ」

「見ててくれとは言わないんですね」

「見ていても暇だろ」

「はい」

 そう答えれば、彼は「だろうな」と笑う。立ち上がり、すぐ近くで素振りを始める彼の背中は今までの何倍もたくましく見える。イーディスはその背中をしばらく眺めた後で、綺麗な貝殻探しに移る。以前、手紙の中でマリアは海を見たことがないと話していた。物語のヒロインの思い出の品となったものは用意出来ないが、少しでも綺麗なものを見つけようと砂をかき分ける。日が暮れるまでずっとリガロは剣を振り、イーディスは貝を探し続けた。彼女が喜びそうな桜色の貝殻が見つかった頃にはすっかりと日が暮れていた。いつもと同じだけの時間のはずなのに、読書をしていた時よりもあっという間に過ぎてしまった。

「帰るか」

「帰りはゆっくりめでお願いします」

「遅くなるかもしれないが」

「少しくらいいいですよ」

 少しだけ変わった彼となら、期間限定の時間を楽しく過ごせるかもしれない。



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