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10.お楽しみは週末に

 イーディスが妻となってから三ヶ月経った今では部屋はすっかり整頓されている。

「はい、次はこれです。資料はクリップで付けてあるので、それを見ながら大丈夫だと判断したら、ここにサインしてください。って、こっちの書類、締め切りが二ヶ月前じゃないですか!」

「あ~それなら催促されたやつを送り返しているから大丈夫」

「では破棄しておきますね。それでこっちの二週間前までのは……」

「初めてみた」

「今すぐチェックしてください! 送り状と封筒書いておきますから」

「助かる」

 妻というよりも秘書、いや夏休みの宿題を最終日直前まで放置していた息子の世話をしているようだ。キースはやる気こそあるのだが、管理能力に欠けている。


「そろそろ水飲む時間ですよ〜」

「喉乾いてない……」

 その上仕事中はイーディスが世話してやらねば食事はおろか、水分補給すら忘れるほど。

 とはいえ、三ヶ月もすればこの生活にも慣れる。

「一口でいいから! ほら口つけて」

 かれこれ数刻は水分を口にしていない彼にカップを押し付ければ、渋々ながらに口をつける。当初は妻としてここまで世話を焼くつもりはなかったのだが、仕事中のキースに近づけるのはイーディスしかいないのだ。この部屋の書類は全て管理者とその配偶者しか見てはいけないらしく使用人はおろか、彼の血縁者ですらも奥まで立ち入ることは許されない。出入りは最低限。部屋に入ってきても一~二歩の辺りでピタリと止まって、物はそこに置いていくのだ。壁に並べられた箱がそんな彼らによって配置されたものだったと知ったのはつい一ヶ月前のこと。手伝ってくれとぼやいても無駄だったのだ。

 そんなルールがあるせいで使用人達は見えないラインよりも先に進んでくることはなく、かといって声をかけたところでキースが返すのは空返事。そのため飲み物放置は当たり前、軽食を用意してもらっても放置という状況が生まれていく。

 箱の謎が解けた時にようやく痩けた頬は精神状態の問題ではなく、彼の性格的なものだと理解した。健康な姿をマリアに見せると決心した後でこれなのだ。夢の外ではしっかりと食事を摂っていた彼は、ただマリアとイーディスが一緒にいたからに過ぎない。食事が大好きなイーディスにはにわかに信じがたいが、これが食に感心がないタイプというやつなのだろう。

「そろそろ食事が運ばれてくる時間なので、それが終わったら休憩に入りましょう」

「ん」

「じゃあ私はちょっと便せんの補充に」

「便せんでしたらこちらに」

 ついでに足りない備品も補充しようと考えて振り返れば、そこには見覚えのある人がいた。シルバーグレーの髪を後ろに撫で、執事服をぴっしりと着込んだ彼はギルバート家の執事長・ギンペルである。彼は食事を載せたカートの下段から便せんの他にも、ちょうど補充しようと思っていたインクやシーリングワックスも取り出して備品棚に置いていく。ちなみに入り口付近に設置されたこの棚もカレンダー同様、イーディスの考案である。隣には郵送物を置くための机とチェック表が置かれている。

「ちょうど取りに行こうと思っていたんですよ~。ありがとうございます」

「今朝お邪魔した際に数が減っているのを見かけたものですから。それにしても棚を置くなんて考えてもみませんでした」

「引き出しに入れると残量がわかりにくくて……」

 部屋の掃除が終わってすぐにイーディス用のデスクも導入してもらい、初めは引き出しの中に入れて管理していた。けれど残量の減り具合を見てもまだ足りるから後で補充しようと後回しにし続け、気付けば欲しい時に手元にないということが何度かあった。すぐに済むからこそ後回しにしてしまうものである。だから見えるようにした。手が空いた時に見る習慣を付けておけば、まだ足りるかもという時でもとりあえず補充しておくという選択肢が取れる。ギンペルを筆頭に、使用人が気付いて補充してくれることもある。

「ところで今日のご飯は……」

「白身魚のバターソテーです」

「もしかしてこのバター、ギルバート産ですか」

「え、ええ。よくわかりましたね」

「ギルバート家が酪農に力を入れているのは有名ですから。今度はチーズも食べてみたいです」

「申し訳ありません。酪農は最近力を入れ始めたばかりでして、チーズの生産は手がけておらず……」

 図書館でキースが完成間近と話していたので、この世界でも完成しているとばかり思っていたのだが、どうやら夢の中と外とではギルバート領の動きも異なるようだ。ちょっとした雑談のつもりだったのだが、深々と頭を下げるギンペルに申し訳なさが募っていく。

「こちらこそすみません。どこかと勘違いをしていたみたいで」

 他に食べ物は何を作っているのかと話を逸らせば、ギンペルの表情も次第に元に戻っていき、調子を取り戻していく。今後は中と外の知識が混ざらないように、こちらの世界のギルバート家についても調べなければと決心する。

「では坊ちゃま、温かいうちにお食べてください」

「これが終わったら食べる」

「それとイーディス様からリクエストを受けていた夕暮れパンナコッタですが、今日のおやつにお持ち致しますね」

「本当ですか!? 楽しみにしています」

 ギンペルを見送り、るんるんと食事用のテーブルの上に昼食のセットをする。カップにお茶を注ぎ終わったタイミングでちょうどキースの仕事も一区切りがついたらしい。こちらに移動してきたキースは椅子を引きながら問いかける。

「夕暮れパンナコッタってなんだ?」

「マリア様と文通していた時に話題に挙がったデザートです。ベリーとオレンジを混ぜたソースがかかっているんですよ」

「食べ物もあるのか」

「料理長さんがマリア様に伝えたい料理はないかと聞いてくださりまして、遠慮なく頼んじゃいました」

 聞かれたのはつい昨日のことだったのだが、もう作ってくれたらしい。ちょうど該当する本が手元にあったので、資料として貸し出してはいたが、それにしても早すぎる。材料が手元にあったのだろうか。『フォトブック作りに役立てて欲しい』とキースの両親からプレゼントされたカメラの出番はまだまだ先だと思っていたが、早速役立ちそうだ。るんるんで焼きたてパンを口に運ぶ。

「今頃、大量のパンナコッタを作っているだろうな。明日からいろんな奴に似たこと聞かれるぞ」

「どういうことですか?」

「ギルバート家の人間は皆、マリアを愛しているからな」

「よく分かりませんが、そんなこと言われると食べ物以外もいろいろ頼んじゃいますよ? ギルバート家の財産を食い荒らす悪女め! なんであんなのと結婚したんだ……とか親戚の方々から言われても遅いですからね?」

 ギルバート家は大陸でも指折りの名家だ。総資産だってフランシカ家の数十倍はあるだろう。イーディスが全力でかかったところで食い荒らせるレベルではない。だが人は慣れるものだ。豪遊に慣れれば欲だって出てくるかもしれない。甘やかしすぎはよくないと遠回しに告げれば、キースはなんてことないように言い放つ。

「誰も文句なんて言わないさ。ドレスやアクセサリーだってねだってくれてもいいぞ?」

「マリア様のお出かけ服、テーマを決めて何セットか作るのもいいかもしれませんね」

「明日にでもデザイナーを呼ぼう」

「一日じゃ終わりませんよ。週末にしましょう。そこまでに急ぎのものは仕上げて、三日間くらい吟味しましょう」

「なら針子も呼んでおこう」

「よし、午後からは頑張りますよ~」

「おう!」

 図書館でマリアが言っていたようにお揃いのドレスを作るのもいいかもしれない。一瞬、そんな考えが頭を過った。けれどすぐに揃えたところでここにはバッカスとローザはいないのだと却下する。マリアが作りたかったのは読書メンバーとのお揃いだ。ここで三人だけで揃えるのは違うような気がした。

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