16.イーディスの身に起きていたこと
夜会が終わり、全員で王子の自室へと向かう。
ドアがパタリと閉じられた瞬間、ローザが動いた。スチュワート王子に事情を説明してくれと言い出すか、メリーズを罵倒するか。どちらかだろうと予測していたが、そのどちらでもなく、彼女が向かったのはリガロの前だった。今にも泣き出しそうなほどに顔を歪め、胸元につかみかかった。
「早くイーディス様の元に行ってください」
「ローザ嬢?」
「私は良いんです。王子の婚約者なら仕方ないって思えます。けれどイーディス様は……婚約を解消されて当たり前なんて、嘆くことすら諦めなければならないなんてあんまりすぎます!」
「婚約解消って俺はそんなつもりは!」
「周りはそう思わないんです! イーディス様の立場は、強くないから……」
ローザはリガロを掴んでいた手をだらりと落とし、悔しそうに唇を噛みしめる。
剣聖の孫には相応しくないーー他の令嬢からそう詰めよられているイーディスを何度も見てきた。リガロがイーディスと親しくしていると知ってか、最近ではめっきり見ていないが、それもリガロが近くにいたからだ。マリアと一緒に行動していれば問題ないと思っていたが、学園外ならどうか。この数ヶ月、リガロがイーディスの元に現れるのは登下校・週末にのみ限定されていることくらい少し調べれば分かること。またマリア・キースとの接触は学園内に限られる。いくらフランシカ家にある程度の事情を話してあるとしても、裏をかく方法なんていくらでもある。実際、イーディスとローザがどこで出会ったのかをリガロは把握していない。ローザとの接触にだけ限定すれば、王家の諜報部隊にでも聞けば分かるのだろう。だが彼女の一件だけで、リガロの情報把握が完全ではないことが分かる。だがまさか婚約解消されると思われているなんて……。首の後ろを掻きむしり、自分の視野の狭さを嘆く。
混乱で使い物にならないリガロの代わりに、ローザとも親しいバッカスが切り出した。
「ローザ嬢、何があったか話してくれないか」
「バッカス様達にお手紙を出したことがあったでしょう? あの少し前に私達は出会ったのです。同じ女性に婚約者を取られそうになっている彼女なら話も出来るだろう、と。けれどイーディス様は悪意から逃げ惑うだけの私とは違いました。仕方ないことだと割り切り、前を向かれていたのです。それだけではなく、私に勇気と居場所を与えてくれました」
「図書館か」
「マリア様と楽しそうに話している姿を羨ましいと話したら招待してくださったのです。私はあの場所でようやく心を隠さずに済む方々と出会えました。バッカス様もそのお一人です」
「すまない。俺はずっとローザ嬢に隠し事を……」
「バッカス様とキース様が何か隠しているらしいことくらい気付いていましたわ。それにあの場所を、マリア様とイーディス様を大事に思っていることも」
優しく微笑む彼女はその言葉通り、バッカスを信頼している。そしてこの場にはいないキース・マリア、そしてイーディスのことも。大切に思っているからこそ彼女は声を荒げ、頬に涙を伝わせる。
「だから私に悪意が集中していればイーディス様は大丈夫だと思ったんです。リガロ様がいなくても、何かあったらあなた達が守ってくださるはずだと。でも……違った」
「どういうことだ?」
「悪意はずっと前から、警戒をかいくぐって彼女の元に達していた。私がそのことに気付いたのはつい一昨日のことでした。まさか目印に置いたリボンが悪用されるなんて……」
泣き崩れたローザから聞いた話を要約するとこうだ。
ローザはイーディスと二人だけで文通をしていた。手紙を挟んだ本を茂みに残すという簡単なもの。だが途中でローザが視線を感じることが増え、受け渡し場所は互いが手紙の最後で指定した場所に移った。手紙の内容は主に聖女とお互いの婚約者の動向について。愚痴や悩み相談、情報交換がメインだった。その文通は学園の中でのみ行われ、ローザは昨日イーディスが指定した場所に本を置いた。今はイーディスの手の中にあるはずだ。ーーとここまでは大した問題ではない。問題はこの先。一昨日、イーディスから渡された手紙に書かれていた『リボン』の存在だ。ローザからの手紙にリボンが付いていることがあると書かれていたが、ローザがリボンを用意したのは初めの一回だけ。そしてイーディスが挟んだとするリボンはローザの手には一度も来ていない。二人の文通は何者かによって監視されていたのだ。中身が見られているかの確証はないが、イーディスにのみ分かる形で物を残していたということは、何かしらの合図ではないか。
イーディスに悪意が向けられているーーローザの言葉の意味をこの場にいる全員が理解した。
「イーディス嬢の家には警備を配置しているんだよな?」
「ええ」
ゾッとしたらしいスチュワート王子はリガロに確認を取る。フランシカ家には現在、二人の警備が付いている。どちらもリガロの祖父が信頼を置いている相手である。やや高齢のため王城警備メンバーからは外されたが、相当な実力者であることは確かだ。賊になど遅れを取る人達ではない。リガロも彼らの実力は知っているはずなのに、なぜか嫌な予感がする。
「イーディスの元に行ってくる!」
聖女達を放置し、リガロは部屋を飛び出した。




