6.潰れた読書日
剣術大会の日。メイドの声で起こされたイーディスは寝ぼけたままメイクを施され、ドレスに着替えさせられる。まだ日が上がったばかりで開会式までは時間がある。だが剣術大会はここ数回で確実に観客が増えている。彼らのお目当ては連続で優勝をもぎ取っていくリガロである。剣聖の孫の快進撃を一目見ようと朝から会場に押し寄せるのだ。貴族と平民で用意されている席が異なるとはいえ、どちらも席は販売ではなく自由席。会場に来た順番が遅ければろくな席を獲得することすら難しい。上位貴族ともなれば使用人を派遣して席を確保させるのだが、イーディスくらいならそんな手間のかかることはしない。それに下級貴族の使用人が席を確保したところで上級貴族の使用人に買収されるのがオチだ。毎回朝一番で会場入りするイーディスは何度とその現場を目にしている。正直、会場に行くのすら面倒がっているイーディスとしては、行ったという事実のみが大切で、席なんてどこでもいい。どうせ賛辞の言葉を並べたところでリガロはろくに耳を傾けることすらないのだ。表彰式の直前に足を運んでおめでとうございますと形ばかりの言葉でも十分ではないかと思うほど。だが妙にテンションの高いメイドの前でそんなことを告げる勇気などない。ぼうっとしながらもなんとか朝食を完食し、馬車に乗り込む。こくりこくりと首が前後に揺られ、頭が揺れる度に押し寄せる睡魔。なんとかいつもの最前列の席を確保した時にはもう限界を迎えていた。
「リガロ様の順番になったら起こしてちょうだい」
「お、お嬢様!?」
貴族の令嬢が外で寝るなんて恥ずかしい行為であることは理解している。だが開会式までの一刻半+シード権を獲得したリガロが出てくるまでの時間は到底我慢出来るようなものではなかった。今まではリガロという興味の対象が存在したからこそ起きていられただけである。徐々に増えていく観客の話し声ですらも今のイーディスにとってはほどよい入眠用BGMと化す。そして焦ったメイドが防寒対策として用意してくれていたストールを被せてくれたと同時に眠りの世界へと落ちていった。
「……具合が悪いのか?」
「朝が早かったのでまだお眠いようで。リガロ様のご活躍の前には起こすようにと……」
「どうせ最後まで勝ち上がるんだ。起きるまで寝せといてやれ」
「かしこまりました」
眠りの世界を漂う中で、イーディスはリガロの声を少しだけキャッチしていた。睡魔は相変わらずべったりと身体にへばりついており、まぶたを開く力はまだない。ゆらゆらと揺れる真っ暗な繭に包まれ、これは夢かと結論づける。彼が大会に誘うだけでもありえないというのに、わざわざ開始前に様子など見にくるはずがない。心配そうな言葉も全てまやかしだ。記憶を取り戻す前のイーディスが望んでいた彼からの気遣い。もうとっくに恋心なんて枯れたはずなのに、まだ頭はそれを求めているのだから不思議なものだ。どうせ聞かせてくれるならマリアの声が聞きたい。身体の弱い彼女と直接会うことは叶わない。だからこそ夢に望む。リガロなんかお呼びじゃないのと強く念じれば、彼の声はどんどんと遠くへと流れていく。けれど代わりにマリアの声が聞こえてくることはなく、音はぴたりと途切れた。
「お目覚めになりましたか?」
「ええ……今はどの辺り?」
「三回戦の五試合目です。リガロ様はこの回も危なげなく勝ち進み、四回戦の出場は確定しております」
「そう」
メイドの報告を聞きながら会場の中心へと視線を注ぐ。毎回新たな参加者が混じるが結果は大体同じだ。大きく変わるのは二位から八位くらいなものだ。上位層は特に実力が確立されていて動く気配がまるでない。あくびをかみ殺しながら青サイドと赤サイドの戦いを見守っていく。どちらも見覚えのある顔で、剣術大会での彼らの勝率はイーディスの頭の中に入っている。今日も青の彼が勝つのだろう。そして次で確実に負ける。ベスト十六まで残る実力はあるのだが、何故か幼なじみの彼に勝った途端に弱くなるのだ。今までのスピード感は完全に失われ、カチンコチンになってしまう。極度の緊張体質らしいと耳にしたことがある。馬鹿らしいと思うが、彼のように何かしらの理由があって勝ち抜けない者は多い。もちろん格上の者への忖度で負けるケースもあるが。毎回似たような試合になることに変わりはない。いつも通り、青側の彼が勝ち抜いたのを確認し、イーディスは退屈な試合を眺める。それからもずっと同じ光景が続き、ベスト八が決定するまでにもう一眠りしそうになった。それでも目が覚めたままだったのは、彼が真っ直ぐにこちらを見つめていたから。