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9.ゼロよりはマシ

「今日の動きの確認だが……」

 報告を聞きながら頭の中ではイーディスのことばかり考える。イーディスを見送って生徒会室で会議をする時間が一番憂鬱だ。今頃、バッカスと仲良くしているのだろうなんて余計なことを考えてしまうのだから。バッカスならマシだと思っていてもやはり羨ましいという気持ちまでは割り切れない。

「イーディスに会いたい」

 ポツリと溢せば、前方からは深いため息が聞こえる。

「これで何度目だ」

「今日だけで五度目だな」

「一旦休憩を挟むか。……リガロ、これ使っていいから」

 そういってスチュワート王子がリガロに渡したのはオペラグラスだった。リガロもイーディスも観劇には興味がないため、使ったことはないが使い方は分かる。だがこんなものを寄越してどうしろというのか。週末に演劇に誘えとでも? リガロが眉間にしわを寄せて考え込めば、アルガは「あっち行って外覗け」と親指で窓を指す。イーディス達のいる東棟の方向だ。言われた通りに窓に立てば、ちょうど図書館の窓が見えた。オペラグラスも使用すれば中が、イーディスにピタリとくっつくマリアの姿がよく見える。バッカスはイーディスの斜め前に座っており、彼は正常な距離を保っている。マリアを見てから彼を見たということもあり、少し心が落ち着いていく。

 しばらく観察していると、イーディスの表情はコロコロと変わっていく。お茶会では一度も見せたことのない表情だ。リガロの前でもあそこまで表情が豊かではない。マリアだけではなく、キースとバッカスにも心を許しているのだろう。そう思うと覗き見てしまったことへの罪悪感が沸き上がる。

「返します」

「もういいのか?」

「覗いているだけじゃ何も進みませんから」

 フライド家もフランシカ家も二人の結婚には乗り気である。リガロだって一日でも早く結婚したいと思っている。だがこのまま公爵になったフライド家に、本を詰め込んだだけの屋敷に招けばいいのだろうか。もっと彼女を知りたい。イーディスに会えない時間が増える度に彼女への想いが強くなる。

 今週は海に行こう。海はイーディスの好きな場所だから。「また海ですか?」なんて言われることもあるけれど、彼女の瞳はいつだってキラキラと輝いていることを知っている。本当はもっといろんなところに連れて良ければいいのだが……。授業中もそんなことを考えているとハッと名案が頭に浮かんだ。イーディスは海が好きだが、リガロが見せる海はいつも昼や夕方の海だ。朝の澄んだ空気の中にある、全てを飲み込んでしまうほど真っ青な海は見せたことがない。よしと思いつき、フランシカ家にも手紙を出した。前日の夜はなかなか眠れず、イーディスからもらった馬のぬいぐるみを抱きしめて時計盤を何度も確認した。いつもよりも時計の針がゆっくり進んでいるような気がして、使用人に別の時計を用意させて確認したが、どれも正常。壊れてなどいなかった。



「今日も海は青いな!」

「そうですね~」

 一睡もできずにやってきた海は頭の中で思い描いていたよりもずっと綺麗だった。ここでイーディスも喜んでくれれば良かったのだが、どうやら話が伝わっていなかったらしい。眠たげな彼女は朝早くに起こされたと少し不機嫌であった。バッグの中からシートと布を取り出して砂浜の上に広げると、その上でバックを抱えて丸まった。コクリコクリと首を動かすイーディスは今にも眠ってしまいそうだ。

「寝るのか?」

「まだ眠いので」

「ならこれでも羽織っておけ」

 伝達ミスがあったとはいえ、イーディスに非はない。昨日も一緒に登下校したのだからその時に伝えておけば良かったのだ。大事なことは自分の口から伝えなければと反省する。リガロがジャケットをかけると、うつらうつらしていたイーディスの瞼はぴったりとくっついた。そしてすうすうと小さな寝息が聞こえてくる。馬に乗っている時も眠いのを我慢していたのだろう。

「無理をさせてしまったな」

 温かくなってきたとはいえ、まだ朝の海は寒い。海風だって吹く。ジャケット一枚かけた程度では寒く、砂浜よりもベッドで寝た方が気持ちいいことなんて分かりきっている。それに慣れない学園生活で疲れも溜まっているかもしれない。屋敷で過ごせば良かった。今日は、いや今日も反省することばかりだ。剣を振りながら結局自分には剣しかないのだと痛感する。

 昼過ぎに起きたイーディスの口から『バッカス』の名前を聞くと、彼のような男の方がイーディスに相応しいのではないかとさえ思えてくる。

「彼とは仲が良いようだな」

「ええまぁ。好みが合いますし、彼は身分差を気にするような人ではないので話しやすいんです」

「やはりイーディスは読書をする男が好きなのか?」

「いえ、そういう訳では」

「ならどんな男が好みなんだ!?」

 自分もまだイーディスの好みに近づけるかもしれない。そう思うと自然と彼女の手を掴んでいた。どんな男が好みなんだ? と繰り返せば彼女の眉間には皺が刻まれていく。けれどこれは拒絶ではない。困っている表情だ。イーディスが喜ぶことは分からない癖にこんなことは分かる自分が恥ずかしい。けれど恥じるのは今でなくともいい。それこそ彼女がいない朝の生徒会室で反省タイムでも設ければいいのだ。

「俺はイーディスのことなら何でも知りたい!」

 ずずいと顔を寄せれば、イーディスは深いため息を吐いてから「男性の好みですよね」と聞き返してきた。なかなか引かないリガロに呆れているようだが、このチャンスを逃すつもりはない。

「ああ見た目でもいいし、内面でもいい」

「見た目は不快感を与えるような見た目でなければあまり気にしません。内面は……気遣いの出来る人は男女問わず好ましいと思います」

「寝不足の婚約者を連れ出すような俺とは真逆のタイプか……」

 単純なことだが、それがなかなか難しい。気遣いが出来る上に趣味が合うバッカスなんてイーディスの好みなんじゃなかろうか。バッカスが姉妹のようだと言っていてもイーディスの方はそう思っていないなんてこともあり得ない話ではない。それにこの先、バッカスのような男がイーディスの前に現れないとも限らない。まだ見ぬ男にさえも勝てる自信が持てない自分が情けなくて、リガロは肩を落とす。

 イーディスは困ったように「あくまで私は、ですから!」と付け足すが、リガロが知りたいのはイーディスの好みだ。他の女がどんな男を好こうが関係ない。目の前の女の子にさえ好いてもらえればそれでいい。……それが一番難しいのだが。彼女を無視し続けた自分が、気遣い皆無男の自分が憎らしくてたまらない。

「好みは人それぞれですし、それに好きなタイプと実際好きになる人って案外違ったりするじゃないですか!」

「本当に?」

「本当本当。憧れと現実は別枠ですし、ちょっとしたところにときめいたらその人しか見えなくなったりするものです」

「トキメキ……」

「そう、トキメキ! トキメキは大事です。男の人に安心感を求める人もいますけど、それは振り向かせた後! まず心の片隅にでも居座らなければ意味がありません!」

「心の片隅くらいにはいるはず……」

 恋愛対象かどうかはさておきとして、こうして一緒に出掛けることが出来る仲であることには違いない。少なくともゼロではない。好感度が低くともスタートラインから踏み出せているだけで、まだ知り合っていない男達よりは先に立てているはずだ。イーディスといる時だけでも前を向けと自分に言い聞かせる。大丈夫。まだ大丈夫、なはず。今は信じるだけだ。不安はサンドイッチと一緒に咀嚼して、腹の中へと流し込んだ。



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