4.マリア=アリッサム
「……さて行くか」
逃げ出したくなる前に進もうと講堂へ向かう。けれどその手は目的地に到着することなく振りほどかれた。逃げたのではない。大切な友人の元へと駆けたのだ。
「イーディス様!!」
「マリア様!?」
なぜマリア嬢がここにいるのか。イーディスから以前チラッと話を聞いた限りだと彼女は身体が弱く、学園に入学することは出来ないとのことだった。確かに儚げな印象の少女だ。お茶会で見かけたこともない。だが初めて見る彼女はどこか『聖女』に似ていた。メリーズとは違い、今にも消えてしまいそうな見た目だが纏う空気感が似ているのだ。本当に彼女がイーディスの友人なのだろうか。身体の弱い彼女を騙る別人ではないか。目の前の少女はイーディスの心をもてあそぼうとする悪魔ではないか。
「イーディス」
離れろと目の前の二人を睨めば、イーディスはしょんぼりと肩を落とした。
「すみません。マリア様と学園に通えると思わず、ついはしゃいでしまいました」
同時に彼女を囲んでいた空気が変わった。少女の表情が無になったのだ。あんなに美しく笑っていた少女が人形にでもなったかのようで、一瞬でも疑った自分が恥ずかしくなった。イーディスから手を離し、そして威嚇したことを詫びるために深く頭を下げる。
「イーディスから話は聞いている。これからも彼女と仲良くして欲しい」
「もちろんですわ!」
すると彼女はにっこりと笑った。儚さなんてどこにもない。
講堂に入ってから冷静になった頭で情報を整理する。そしてようやく彼女達こそがメリーズの友人役を断った女子生徒とその婚約者かと気付いた。マリアの婚約者は聖女を避けたいがために時間割を用意しろと言い出すような男である。面倒くさい相手だと思っていたが、今となっては彼らと一緒にいる限り、イーディスは聖女と接触することはないと安心感さえ抱くことが出来る。守りたいと抜かしておきながら託すことしか出来ないのだから情けないな。自分のふがいなさを実感しながら、壇上をぼおっと眺めた。
式が終了してすぐにイーディスを馬車乗り場まで送り、そこから馬小屋の管理者と話をしに行く。そんな流れを頭に描いていたリガロだったが、まさかの事態が起きた。王子がしきりに早くこいと合図を送ってくるのだ。気付かないふりをしようとしたが、王子から指示を受けたのだろう紫頭のバッカスがこちらへと向かってきている。見覚えのない男が声をかけてきたらどこで知り合ったのかと不審がられるかもしれない。分かっていて、彼を送ったのだろう。いや、王子直々に来られるよりもずっとマシか。だがイーディスになんと言い訳するべきか。早くしないと彼がこっちへ来てしまう。けれど焦りばかりが先行してしまい、適当な言い訳など浮かばなかった。
「悪いが先に馬車まで戻っていてくれないか?」
「何かご用事でも?」
「すまない。済んだら俺もすぐに行くから」
訝しむイーディスの瞳は次第に嫌悪を孕んでいく。怪しい行動を取っていることは自覚しているからこそ、胸が抉られるような思いだった。けれどそこに救いの手が現れた。
「だったら私達と一緒に取る授業を決めませんか?」
マリアだ。その隣の彼女の婚約者、キースも入学案内を捲りながら「いいな」と存外乗り気である。
「カフェテリアが解放されているらしい。帰ってくるまでイーディス嬢は俺が見てるから行ってくるといい」
「感謝する」
クイッと顎で王子達の方向を示して早く行けと伝えてくる彼は事情を知っているからか、リガロに協力的のようだ。ただマリア嬢の希望を叶えたいだけかもしれないが、少なくともイーディスを預けておくには不安がなかった。後で話を通しておこう。そう決めて生徒会室に向かったリガロだったが、そこでメリーズは衝撃の事実を告げた。
「会場内に私以外の聖女が、銀色の髪を持つ聖女がいらっしゃいました」
銀色の髪と聞いてリガロの頭に浮かんだのはマリア=アリッサムだった。イーディスの友人にして不思議な空気を纏う少女。王子はもう一人の聖女か、と呟きながら顎を撫でる。
「疑いたくはないが、メリーズ以外の聖女がいるという情報は入ってきていない」
「ですが彼女は確かに聖女です」
「どのあたりにいたんだ?」
「リガロ様の二つ隣です」
「リガロの? リガロ、君の二つ隣に銀髪の女子生徒はいたか?」
「イーディスの友人が銀髪です」
「イーディス嬢の友人?」
王子はきょとんとした目で見て来るが、リガロとてまさか学園にマリアがいるとは思っていなかったのだ。
聖女と似ていると感じたが、まさか本物の聖女だったとは。聖女が二人いるという話は聞いたことがないが、他でもない聖女がそれを言うのだから自分の感覚というものも馬鹿に出来ない。騒然とする室内で、マリアを敵に回さずに済んだことにリガロは心底ホッとしていた。




