23.真の反対は偽
「さいっあく……」
ヘカトール家に向かうため、馬車に乗ろうとしたイーディスの前にリガロが現れたのだ。あれから何も接触がなかったのでてっきりもう切り捨てられたものかと思っていたが、そうでもなかったらしい。額に汗を浮かべながら馬を降りると、ちらりと馬車に視線を投げた。
「イーディス、どこか行くのか?」
「ええ、つい先日急に予定が空きましたので」
「……すまない。今日はその代わりにドレスを贈らせてもらおうと思ってマリッド家と話を通してあるのだが」
「申し訳ありませんが、約束がありますのでまた後日にして頂いてもよろしいでしょうか?」
弟にでも機嫌を取ってこいと言われたのか。結婚だなんだと言ってくれていたらしいが、聖女様と良い関係になったと言われれば確実にそちらを選ぶ。ローザと出会い、王子への嫌悪感を再燃させたイーディスにはリガロへの嫌悪感だけしか残らない。フランシカ家は所詮格下。最近の彼の態度に心を揺さぶられていたが、散々放置されていたことは忘れない。何がゲームとは違うだ。リガロ=フライドは興味がなければ放置するような男なのだ。本質は何も変わらない。尽くすだけ、思うだけ無駄だ。イーディスのことを彼がもっとよく見ていたのならば、ここでドレスなんてアイテムは贈らないだろう。今までの行動や贈り物だって誰かに言われたから『良い婚約者』なるものをリガロなりに演じていただけに過ぎないのだろう。イーディスとて危うく陥落しそうになった。だがもうその手に乗ってやるつもりはない。残り時間が短いならこちらも好きに行動させてもらうまでだ。
「それは構わないが、その……約束とは」
「今週マリア様がずっとお休みになっていらしたので」
「ああ、マリア嬢の見舞いに行くのか。なら仕方ないな。お大事にと伝えてくれ」
「では」
過去にイーディスはマリアの見舞いに行ったことはない。そんなことにも気付かない婚約者が大嫌い。馬車に乗り込んだイーディスは「やっぱり脳筋って嫌いだわ」と吐き捨てた。
「ようこそヘカトール家へ」
「お邪魔します」
玄関まで出迎えてくれたローザ様は嬉しそうに手を合わせる。今日はメイドと一緒にケーキを焼いたの、と楽しそうに話す彼女だが、空元気のように見える。自慢の庭に案内する道中に挙げてくれたお茶もケーキもイーディスではなく王子に食べて欲しいのだろう。婚約者を放置して他の女に現を抜かすような男だが、ローザ様にとっては大切な思い人なのだから。咲き誇る花を眺めながらこの光景も少し前までは二人で見ていたのかと思うと少し悲しくなってくる。
「急なお誘いだったのに来てくれて嬉しいわ」
「ちょうど予定も空いてましたので」
「そうなの? いつも休みの日はリガロ様と過ごしていると聞いていたのだけど」
「彼は今、聖女様のことで頭がいっぱいですから」
「そう、リガロ様も……」
「私達は元より仲の良い婚約者ではありませんから」
気にしないで欲しいと告げたつもりが、ローザ様は大きく目を見開いた。そして悲しげに顔を歪めた。
「そんなこと言わないでください。私、王子の隣で何度もリガロ様がイーディス様を愛しているのだとおっしゃっている姿を見てきましたわ。今はその、少しお心が他の方に向かっておりますが……でも以前の関係は否定なさらないで」
「リガロ様が変わられたのは今回が初めてではないのです。以前は特定の相手がいらっしゃらなかっただけ。けれど今回は真実の愛に目覚めたのでしょう」
「真実の、愛……」
『真実の愛』ーーそれはなんと都合の良い言葉だろうか。高尚なようで薄っぺらい。真の反対は偽である。つまりそれを掲げる者は他の全てを、過去の愛を『偽物』にすることにした。最悪にして最低の言葉であり、イーディスが最も嫌う言葉である。そんな言葉を口にするほど、イーディスは怒っていた。




