バッカスの疑問
※本編であえてぼかしたor書かなかったことにも触れているので、人によってはお話のイメージがガラリと変わる可能性があります。
とある昼下がり。花束を手に、バッカスは王都からほど近い墓地に来ていた。目的の場所まで近づくと、そこには見慣れた人物の姿があった。
「ザイル様」
「バッカスも来ていたのか」
「実家に用があってシンドレアに戻ってきていたものですから」
今日は冷たい土の下に埋まった男の命日である。けれど墓石の前に置かれているのはザイルが供えたであろう花だけで、彼の家族はおろか、友人でさえも姿を見せる気配はない。彼の墓参りに来るのはこれが初めてだが、こうして顔を見せにやってくる者が少ないのだろう。家族ですら最期の方は彼を厄介に思っていたようで、彼の死を看取ったのはザイルだけだと聞いた。
彼はリガロの暴走のトリガーを引いた男で、誰よりも近い場所で高濃度の魔を長時間浴びていた。魔のドームがなくなった後、イーディス・リガロと共に救出され、メリーズの癒やしの力により一命はとりとめたものの、数ヶ月と持たずになくなった。
事件後に周りの聞き込みと彼自身を調べてみたところ、例の事件よりもずっと前から大量の魔に犯されていたことが判明した。特殊体質なのか、彼の魔は測量計に引っかからなかった。そのため発覚が大幅に遅れた。だがイーディスとの一度目の訪問で発覚したからといって彼の救出が間に合っていたかと聞かれれば怪しいものがある。彼が初めに魔に犯されたのは二十年以上も前のことだったのだから。
彼が魔に犯されたキッカケとイーディスとリガロに執着していたことは強い関わりがある。
彼は二十年以上前の剣術大会でリガロに勝ち、優勝をもぎ取った経歴の持ち主であった。当時を知る者によれば、相当な実力の持ち主で、当時六歳であった彼に勝っても不思議ではなかったのだという。けれど多くの者は彼の勝利を祝福せず、あろうことか不正だと言い張った。リガロが負けるはずがないと。剣聖に依存しきった社交界の貴族達は剣聖の孫の敗退が信じられなかったのだろう。その出来事はリガロの将来を大きく歪める原因でもあったが、同時に勝利した少年の人生も大きく歪めたのである。華々しい経歴になるはずだったそれは、彼にありもしない悪い噂を背負わせ、彼は歩く度に中傷された。それでも彼は剣を握ることを止めなかった。彼もまた、剣聖に憧れる一人の少年だったのだ。もう一度、リガロに勝てば今度こそ実力を証明できる。そう信じて参加した剣術大会で、彼は大敗した。勝負にもならなかったそうだ。
そして彼は前回の勝利がまぐれであったこと、リガロ側に何かしらの要因があったことを悟った。その要因こそ、最近彼の婚約者になったイーディスであることを突き詰めるまでさほど時間はかからなかった。こうして彼はリガロに尊敬混じりの執着を向け、イーディスを強く憎むようになった。リガロに唯一の敗北を刻んだ相手がイーディスだと思い込むことで、完全に精神が魔に犯されることを防いでいたと思われる。
言ってしまえば、彼もまた被害者だったのだ。
だがそれを公にすることは叶わない。新たな形でバランスを取ろうとする社交界やシンドレアという国にヒビを入れることになるからだ。彼の家族が息子が魔に犯されていたという事実を公表することを拒否したというのも大きな理由の一つである。国からの多額の保証金を受け取った彼らは事件からまもなく王都を去った。すでに国を出て行ってしまったのかも知れないが、彼らの現在を知るよしもない。
バッカスに出来ることは、真実を知る数少ない人間としてシンドレアに足を運んだ際には花を供えるくらいなものだ。
「どうか安らかに眠ってくれ」
墓石の前で手を合わせて祈りを捧げる。
立ち上がってから一礼すれば、すぐ後ろで待っていてくれたザイルから声をかけられる。
「もう昼食を取ったのか?」
「いえ、まだ」
「よければ一緒に食べないか。屋台だが美味い店を知っているんだ」
バッカスはザイルの誘いを受け、屋台で昼食を買ってからフライド家別邸へと足を運ぶ。かつてリガロが暮らしていた屋敷である。一度は例の会場と共に国の施設にするかという話も持ち上がったのだが、結局フライド家の持ち家として落ち着いたらしい。
ザイルは屋敷のチャイムを三度鳴らしてから、持っていた鍵でドアを開けた。それが何かの合図だったのだろう。階段から降りてきたリガロの弟は「俺は二階にいますから帰る時は鍵締めていってください」とだけ告げて再び戻っていった。なんでもこの屋敷は主に彼が作業場兼保管場として使っているらしい。二階の一室はまるまるウェディングドレスの保管場所となっているそうだ。
「いつでも二人の結婚式が挙げられるように、っていつからかそれが口癖になってな。本当にあの子は幸せそうに笑うんだ」
「それはリガロ様とイーディスの?」
「いくつになってもあの子にとって一番のカップルはあの二人だから。青の花嫁って店だってイーディスさんのためにわざわざ作った店なんだ」
ザイルは孫の活躍を心底嬉しそうに話してくれる。彼が家族を大切に思っていることはよく分かっているつもりだ。
だからこそ分からないのだ。
「ザイル様はなぜあの時、俺をイーディスと会わせたのですか?」
なぜバッカスとイーディスを会わせたのか。
あの日、バッカスが彼女に会ったのはたまたまではない。学園入学の少し前、ザイルからイーディス=フランシカという娘の存在を耳にしていたのだ。
少し変わった少女がいる。是非会ってみるといいと、わざわざ見た目や好きな本のタイトルまで教えてくれた。あの時のバッカスはただ、友人らしい友人のいない知り合いの子どもを気遣ってくれたのだろうと思っていた。実際、彼が昔から度々レトア家の領地に顔を見せては孫と同じ年のバッカスの様子を気にしてくれていたから。だが今になって思うと不自然すぎた。
「読書が趣味の者同士話があうと思って」
「それだけじゃないですよね。あなたはイーディスがどういう人間か知っていた。彼女がフランシカ家に現れる特別な子どもだったから、俺やリガロ様、そしてマリア嬢と引き合わせた」
「……聞いたのか」
「はい」
「私はただ、奇跡を信じてみたかっただけなんだ。彼女の父が私の心の支えになってくれたように、彼の子ども達も、と。イストガルム国王は私の話を信じた訳ではなかったが、娘に友人が出来たらそれは幸せなことだろうと少しの間だけこの国に滞在させてくれることになった」
ザイルは子ども達に次々と舞い降りた奇跡を大事そうに胸に抱く。彼の幸せそうな笑みに、バッカスは肩に篭もった力が抜けていくのを感じた。
イーディスという少女はフランシカ家に稀に生まれる特別な子どもだった。
いや、正確にはイーディスは全ての人間にとって特別なのではない。
リガロ・バッカス・マリアの三人のような生まれた時から強く魔の影響を受ける者達や、ローザのような強い魔を身近に感じたことがある者達にとって特別な存在なのである。太陽の下にいればほのかな光に気付きづらい。だが暗闇の中であればその光は強く目に焼き付くのである。
イーディスが特別な存在だと気付いたのは、リガロがカルドレッドにやってきた後のこと。
彼は魔の研究に大いに協力的で、今までのようなオーブやマントに吸い取らせるといった間接的な方法ではなく、彼本人から大量のデータを取ることが出来た。彼ほど高濃度の魔のデータが取れたことで今まで以上に研究の幅が広がった。そして研究を進めるうちにとある疑問がバッカスの頭に浮かぶようになった。
『なぜイーディスはこれほど多くの魔に耐えることが出来るのか』
リガロはイーディスを思うことで耐えていた。これはレトア家が代々そうしてきたのと同じ、魔の一部を変換させる方法である。マリアもまた長年無意識的にリガロと同様のことを行い、現在は定期的にカルドレッドで魔を回収することで正気を保っている。
だがイーディスにとっての依存対象は何かと考えた時、それらしいものが見つからなかった。魔の影響を強く受けた者達の支えになっているのに、だ。それだけではない。聖母として活躍し出したイーディスの魔の数値が一向に上昇しないのである。各地にオーブを設置しているとはいえ、全く変動がないというのはおかしな話だ。
引っかかりを覚えたバッカスは『イーディス』という人物について少し調べてみることにした。
初めに目をつけたのは彼女の友人達と婚約者との出逢いである。バッカスも含め、彼らはイーディスと出会うことによって人生を大きく変えている。マリアの婚約者であったために関わったキースと、乗馬が流行ったことで病の大規模流行を免れることが出来たメリーズはともかく、リガロ・マリア・ローザ、そしてバッカスとの出会いは本当に偶然だったのか。
軽く話を聞いてみたところ、リガロは祖父の紹介で婚約者になり、マリアは父に連れられたお茶会で声をかけられたーーまではいい。問題はローザである。このとき、初めて彼女とイーディスが親しくなったきっかけが渡り廊下付近の茂みから声をかけたことだと知ったバッカスはひどく驚いたが、注目すべきは彼女が声をかけた理由である。
「イーディス様なら、闇の中から救ってくれるような気がしたのです」
「なぜそう思ったんだ? そのときまで深く関わることはなかったんだよな?」
「リガロ様を変えたのはイーディス様だからというのと、父がフランシカ家は特別だと言っていたからでしょうか」
「ヘカトール公爵とフランシカ男爵は交流があったのか?」
「それが、分からないのです。夜会でお会いした際もそこまで親しくしているようには見えませんでした。それに父がフランシカ家について語る時は決まって様子がおかしくて」
「様子がおかしい?」
「父は貴族らしい人で、感情を外に出すことは少ないのです。けれど、フランシカ家の話をする時は感情がにじみ出しているといいますか、必要な情報を取り込むのではなく関心や興味が向いているといいますか……。父がそんな顔をするのはフランシカ家の話をする時だけで、私と王子の婚約解消が決まった時も、フランシカからは目を背けるなと言われたほどです」
「それほど特別な存在であった、と」
「はい。今も父から定期的に手紙が送られてくるのですが、私の体調を気遣う文と共に必ず彼女との仲が上手くいっているかと尋ねてきますわ」
具体的に何か行動を起こした訳ではないとはいえ、ローザは父の言葉が強く頭に残ったのだと。あの言葉があったからこそローザはイーディスに興味を持つようになり、リガロが明るくなったのも彼女のおかげと確信。茂みから声をかけるに至ったらしい。
その出逢いは本当に偶然なのだろうか?
悪夢と現実を混同するつもりはないが、キースの悪夢ではローザはイーディスと出会うことなく魔に犯されている。もし出会わなければ彼女は今頃……と考えると、仕組まれたことのように思えてしまうのだ。
なにより、イーディスが特別な少女であると仮定すればマリアがイストガルムではなく、シンドレアで育ったのも何かしらの理由があるのではないかと思えてくる。歴代の慈愛の聖女は全員イストガルムで育てられ、国内で一生を終えている。剣聖が魔を集める役割を果たしているため、歴代の慈愛の聖女達よりも負担は軽くなっているとはいえ、シンドレアに移り住む必要があったのだろうか。なにより、彼女の身体的負担を減らすためにシンドレアに連れてきたのならば、なぜギルバート家の令息であるキースを婚約者になどしたのだろうか。生かそうとしているのか、殺そうとしているのか分からない。
マリアとイーディスとの出逢いは二人が七歳の時。リガロとイーディスが出会ってから一年近くもあれば、周りのおとな達がイーディスという少女をある程度知ることが出来たのではないか。
リガロは幼い頃からザイルを通してカルドレッドに監視されていた。彼の婚約者であるイーディスもまた観察対象に含まれていても不思議ではない。いや、カルドレッドという場所の性質上、確実にイーディスに異常が起きないか観察しているはずだ。だが彼らが介入してくることはなかったし、イーディスに異変が起きることもなかった。
全てたまたま。
たまたま物事が進んだだけだと片付けることは出来る。それでもバッカスには偶然のようには見えなかった。フランシカ家には何かしらの謎があり、物事の背後に剣聖 ザイル=フライドがいるような気がしてならなかった。だがフランシカ家に関する文献は極端に少なく、レトアの書庫に並んだ書物でも目立った動きはなかった。謎を解くには情報が圧倒的に不足している。
手詰まりかと悩んでいた時、思ってもいなかった方向から彼女のことを知るきっかけが訪れた。
兄に「娘をカルドレッドで引き取って欲しい」と相談を受けたのだ。
バッカスの姪に当たる彼女は今年で六歳を迎えたが、一向に家族への執着が見られないらしい。レトア家は代々家族への強い執着を以てして魔を組み伏せてきた。執着が弱ければ魔に打ち勝つことが出来ない。バッカスも姪と似たような性質だったのだが、物語に浸ることで魔に飲み込まれずに済んだ。だがそれは学生までの話である。あのままイーディスと出会わなければ、本だけでどうにか対処出来ていたかは怪しいものがある。だが姪にはバッカスにとっての本ですらない。
万が一、暴走を引き起こしたとしても正気に戻すためのトリガーが存在しない。だから早めにカルドレッドに向かわせ、自身の力で制御する手段を身につけさせるか、魔法道具などのアイテムを手に入れさせろということだろう。
バッカスがずっとつきっきりで世話をするとなると難しいが、カルドレッドには少ないながらも子どもがいる。最近はリガロやイーディスが子ども達に剣術・馬術に簡単な勉強などを教えている。姪が一人加わったところで困りはしないだろう。
「兄さん、一つ聞いて良いですか?」
「なんだ」
「今まで俺たちみたいな子どもが生まれた時はどうしていたんですか?」
バッカスの暴走だってレトアの人間では手を付けられない。現状、止められるのはイーディスただ一人である。だがリガロの一件といい、似たような暴走がいつ起きるかは分からない。魔法道具の発生だって最近起きていないだけでいつ起きるのか予測が出来ない。オーブで吸い上げれば問題ないなんて簡単に考えることは出来ない。そのいつかに備えて、カルドレッドでは現在それらの研究を進めていた。だからこそ暴走を見慣れているレトアがどうしてきたのかが気になった。レトアの長い歴史の中で、バッカスと姪のみではないだろうと。
すると兄は分かり易いほど慌て、目線を逸らした。
「それは……」
「兄さん?」
「そんなこと、聞いてどうするんだ」
「研究に役立てようかと」
「………………殺していた」
「え?」
「レトアが行うのは強い繋がりでお互いを抑えつけるだけだ。他と同様に魔による暴走を止める術を持っていない。あの一件だって、彼が彼女に強い執着を持っていたから治められたに過ぎない。止める術もなければ、暴走を起こす可能性が高い者を放置することは出来ない」
家族に執着出来なければ死、か。
自分の家族でなければひどい行いだと顔を顰めたかもしれない。だがバッカスは幼い頃から家族の強い執着を見てきた。リガロの一件で、魔の暴走の恐ろしさも目の当たりにした。レトアで見たものや自身の身に起きたものよりも大規模な被害を起こしたそれを前に自分は何も出来なかった。イーディスが内部から魔を消費しなければ彼らを見殺しにする他なかった。
だからこそどれほどの被害を起こすかも分からぬ者を排除しようとすることは合理的であるように思えてしまう。例えそれが自分の兄弟姉妹の命であろうとも、一人の命と多くの他人ならば多数を取る。ひっそりと葬ることでレトアは現在の状態を保ってきたのだろう。実に聖母の兄弟の末裔らしい判断だ。その血を自らも引いていると思うと可笑しいような悲しいような不思議な気持ちで胸がいっぱいになる。
「なぜ俺は生きているのですか」
「お前が六歳の頃、殺される予定だった。けれどザイル様が止めてくれた。もしもバッカスの暴走が確認された時には必ず殺すからと」
「ザイル様が? なぜ?」
「それは俺にも分からない。だがカルドレッドでバッカスが暴走を引き起こしたと聞いた時、あの人は約束通り殺しに向かった。……必死に止めたけど、ザイル様の目は本気だった。約束だからと言われた時、ゾッとしたよ。あの時の恐怖は一生忘れることはない。先に弟を殺そうとしたのはこっちだっていうのにな……。だから、俺は娘をカルドレッドに、あのフランシカの血を濃く引く娘に託すことにした」
話の流れから考えれば、二十数年越しに約束を実行しようとしたザイルに託すか、ザイルから遠ざけるのが妥当ではないか。カルドレッドはともかく、なぜここでイーディスが登場するのだろうか。それも『フランシカの血を濃く引く娘』なんて、フランシカに特別な何かがあると言っているようなものだ。バッカスはここに知りたがっていた情報があると直感した。
「それはどういうことですか」
「なんでもない。忘れろ」
「これは俺にも関係あることでしょう? 教えてください。フランシカ家に何があると言うんですか」
「……何もない」
「何もなければ本来殺す予定だった娘を託すはずないでしょう」
教えてくださいと詰めよれば、兄は困ったようにため息を吐いた。けれど隠したまま娘を託すことは出来ないと悟ったのだろう。周りに人がいないことを確認してから、声を潜めて「これはごく一部の人間しか知らない秘匿事項なんだが」と教えてくれた。
「フランシカ家は魔法道具の暴走の中心地に居ながらも無傷で生還した男の末裔だ」
天然物の魔法道具は近年発生していない。イーディスの所持している魔道書も魔王が作ったものが何かしらの要因で作り替えられただけで、完全な天然物とは言えないらしい。
だが今よりもずっと昔、何度か魔法道具の暴走が起こっている。災害認定されるほど大きな被害を出しているようだが、詳しい資料は全く残されていない。その最たる理由が被害を知る人間の多くが息を引き取ってしまうからである。助かったとしても、精神に異常を来たし、とてもではないが正確な状況を伝えることは出来ない。だからこそ事実を知ることは難しい。
だが被害状況や発生した原因を正確に報告出来た者がいたーーそれが後にフランシカ家初代当主となる男である。中心地にいながらも精神異常も見られなかったことから、彼は経過観察が必要と判断された。その間、男が国外に出て行くことを恐れた国は彼に住む場所と地位、そして金を与えた。それがフランシカ家誕生の理由である。だが男はいつまで経っても精神異常を起こすことはなく、一人の女性と結婚して子を成した。経過観察のための爵位は一代限りの予定で、男の死後、子ども達は平民として生きる予定だった。だが長男が成人を迎える頃、フランシカ一家は再び魔法道具の暴走に巻き込まれた。妻は亡くなってしまったが、男は再び無傷で生還した。……一番下の子どもを連れて。生き残ったのは彼と子どもの二人だけだった。そして子どもの方もやはり精神に異常が見られない。兄弟や母が亡くなったことに悲しんでこそいたが、何かに怯えて叫び出すようなことはない。
シンドレアは彼と彼の子どもが魔に強い耐性を持っているのではないか? と考えた。
少なくともこの時点で災害地から魔に犯されず生還したのはこの二人だけ。予定よりも長期間彼らを観察する必要があると、一代限りの爵位を継続させることにした。男と子どもになんと伝えたのかまでは記録には残っていないが、彼が了承したことだけは確からしい。こうして二代目に引き継がれたフランシカ男爵家はシンドレアという場所で子孫を残すようになった。するとフランシカには度々魔に強い子どもが生まれるようになった。代を重ね、血が薄まるごとにその性質を継ぐ子どもの数は減っていったが、今もまだ魔に強い子どもが生まれるそうだ。
「その子どもこそ、イーディス=フランシカであり、彼女の父親だ。まさか二代続けて生まれるとは思ってもみなかったがな」
「だから彼女はドームの中に侵入することが出来た?」
「分からない。レトアはもう長いことあの家を観察しているが、魔に強い耐性を持っているというのも推測の域を出ていない。確証を得られたことといえば変わり者ばかりのフランシカ家で、その性質を持った子どもが輪をかけて変わり者だということくらいだろう」
「確かにイーディスは変わっていますけど、今聞いた情報だけでは彼女が特別扱いされる理由には足りていないような気がします」
「……その子どもは魔に犯された者やそれに近い者を惹きつける。実際、お前やリガロ様、マリア様、ローザ王子妃がそうだったように、過去にもフランシカに強く引かれた人間は多数存在する」
「それが、フランシカの謎……」
「んー、謎っていうほど大層なものでもないと思うぞ」
「え?」
「歴代当主の記録を見る限り、相手が勝手にフランシカに希望を見いだし、勝手に救われているだけ。おそらく近くにいるだけで安心感があるのだろうとのことだ。彼らに特別な力なんてものはなく、ただ単に性格の問題なのではないかと結論づけている当主もいる」
「性格……」
「俺も何人かフランシカの人間を見てきたが、あの一家は興味がないものは容赦なく切り捨てる。さらに血を濃く継いでいる者は人間を個として認識する傾向が強い」
「それの何が特別なんですか?」
「例えばそうだな……お前はスチュワート王子と国王陛下を親子と結び付けずに、あかの他人のように認識することが出来るか?」
「それは、無理でしょう」
「知らないならともかく、知っていれば彼らを親子として認識する。普通の人間ならそうだ。だが彼らはそうしない。本人しか見ていない。興味対象の親兄弟知り合いだろうとその相手に興味がなければ他と同じ。情報の一つとして脳内で処理されるだけ。彼らが魔に興味を持たない限り、それに割かれるキャパシティーは存在しない。故に彼らは魔に犯されることはない」
兄は「これは俺が導き出した推論にすぎないが、な」と付け加えたが、バッカスにはもうそれが答えのように思えた。実際、バッカスが見てきたイーディスは兄の話ほど極端ではないが、やはり興味の差が目に見えて分かるほど。カルドレッドに来てからは気にならなかったが、思えば学園内での生活なんて顕著なものだった。雑踏の声は彼女の耳には届かない。そんな彼女だからこそ聖母として君臨できるのだろう。魔の正体はいまだに掴めぬままだが、彼女達フランシカは無関心こそ最強の盾であることを証明し続けている。そういうことなのだろう。
彼女達に初めから剣など必要なかったのだ。
それを知ったザイルがバッカスという当て馬を使って、リガロとイーディスの仲を確たるものにしようと考えているのだと思ったのだが、目の前のザイルはそんなこと考えていなかったのだろう。
ただ、一人の子どもの命を救いたかっただけ。
彼は正真正銘英雄だったのだ。
「もし俺がイーディスに惚れて、彼から奪おうとしたらどうするつもりだったんですか?」
「彼女が愛した男と結ばれるのを見守るだけだ」
「それで彼が一人になろうとも?」
「あの子が簡単に引き下がるはずがないと信じていたからな。ぶつかった上で負けたならあの子もそれを受け入れるだろう。それに、君に奪われるのなら本望だと思ったんだ」
「信頼して頂けるのは嬉しいですが、俺はそんな人間では……」
「性質が違えど、君はレトアの人間だ。愛した人の幸せを心から願うだろうと信じていた。実際、君は大切なものを守れなかった悔しさと悲しさが引き金となって暴走を起こしている」
「……知ってたんですか」
「ああ。だから君なら打ち勝ってくれるだろうと信じていた」
バッカスの暴走はイーディスを救えなかった後悔から来るものだった。
あの子にリガロへの思いはいつか風化するなんて言わせてしまったことが情けなくて、リガロとメリーズが結ばれる夢を見る度に何も出来ない自分を呪った。夢の外なら自由に話せると、彼女の役に立てると喜びながら、実際は何も出来ていないのだと、何かしなければと思うほど深く魔に引きずり込まれていった。イーディスが無理矢理外に引っ張り出してくれなければ今頃は朽ちて消えてしまっていたかも知れない。
ただでさえ情けない話なのに、シンドレアにいたザイルにも見破られていて、殺そうとしたのすらポーズだったなんて……。
「本当に、あなたには敵わない」
「私はただ信じただけ。今があるのは君達が頑張ったから、大人達が諦めていたことを君達はやり遂げた」
「まだまだ道の途中ですよ」
「それでも立ち止まる気はないのだろう」
「もう二度とあんな悪夢を見たくないですから」
信じていれば必ず奇跡が起こるなんてことはない。
けれど信じなければ奇跡は起きないのだ。
だからバッカスはこれからも奇跡を信じて行動し続ける。
仲間がいるあの場所を、大事な女の子が打ち消してくれた悪夢を再び魔なんてよく分からないものに犯されたくはないから。
ザイルオススメのサンドイッチを頬張って、また頑張ろうと決心するのだった。




