19.見捨てないで
「……捨てないでくれ」
「捨てているつもりはありません」
「イーディスに見捨てられたら、俺はどうすればいいか分からなくなる」
「そんな難しいことではないでしょう。今までの生活から私が抜けるだけです」
「初めて出会ったあの日から、イーディスが俺の全てだ。……愛しているんだ。ずっとイーディスだけを見ていた」
だから、どうか。二番目でも構わないから。愛してくれなくても構わないから。捨てないでくれーーと。悲痛な声をあげるリガロにイーディスの胸が痛んだ。何も意地悪で言っているのではない。イーディスだって共に生きれるのなら喜んで手を取ろう。だがそれは許されない。
「リガロ様」
「イーディス」
イーディスは微笑みながら伸ばされたリガロの手を優しく包む。けれどそれを受け入れることはせず、ゆっくりと突き返した。
「イーディス=フランシカはカルドレッドの中でだけ生き続ける亡霊のような存在です。あなたとは、生きる世界が違う」
「なら俺も死して同じ存在になろう」
「無理です」
「なぜ!」
「私は領主兼聖母で、リガロ様は剣聖だから」
「っ」
カルドレッド領主が剣聖を殺したとなれば、民衆たちが黙っていない。反乱だって起きるかもしれない。そうなればカルドレッド職員たちが整えた環境は全て無どころかマイナスになる。ゲートの一件で亡くなった方たち、そしてなによりあの日剣聖になると決めたザイルの苦労も全て無駄になってしまうのだ。恋愛感情で台無しにするには犠牲が大きすぎる。
イーディスは建物とシンドレア国内の様子を確認してからカルドレッドに戻り、今までの生活を送る。
リガロは体調が万全になるまで休んでから、再び剣聖として活躍を続ける。
それでいい。この形こそが最良だ。
剣聖が守るべきはたった一人の女ではないことくらい、リガロも分かっているのだろう。ベッドから出て、今度こそちゃんと別れの言葉を告げようとした時だった。
「なぁ一ついいか?」
重々しい雰囲気が満ちる中、断ち切るかのようにバッカスが手を上げた。それにはイーディスとリガロだけではなく、他のメンバーも目を丸くする。ローザは慌てて、バッカスの手を下げて小さな声で彼を叱る。
「バッカス様、お二人は今大事なお話をしている最中ですので」
「いや、それは分かっている。でもさ、折角主要メンバー集まっている訳だし、提案しておきたいことがあって」
だがバッカスに反省の色は見えない。それどころか「あ、メリーズ嬢、呼んでこないと」と軽く呟いて、頭にはてなマークが並ぶ者達を置いて部屋を出た。かと思えばすぐにメリーズを連れて帰って来て、サクッと話を再開する。
「それで俺からの提案なんだが、リガロ様を死んだことにするのはどうだろう?」
「え?」
「重症の状態で城に運び込んだと八日前に発表して以降、報せは出していない。回復して目を覚ましてからはずっとこの部屋に篭もっていて、リガロ様が回復したと知っているのもごく一部。なら国を守って死んだことにすれば、彼は英雄となる。元々剣聖は魔に関する事件から生まれた象徴的存在だし、剣聖の最後に相応しい終わり方だといえる」
「それは、そうですけど……」
英雄として終わるまではいい。だが今回のような事件があった後に剣聖が抜けるのは穴が大きすぎる。人々はそう簡単に剣聖の死を受けいれられるものなのだろうか。ザイルはもうかなりの高齢だし、リガロの後継者もいない。それにシンドレアではまだ聖母が浸透していない。オーブだけで発生する魔をカバーできるかどうかは怪しいものがある。
なにより、死んだことにしても、人々がリガロを象徴として認識しつづければ彼に魔が集まり続ける。いや、今までとは形の違うものとなり彼の首を絞めるかもしれない。ならば現状維持を続ける方がいいだろう。
「どうせリガロ様はイーディスのこと忘れられないし、ここでシンドレアに置いていっても魔を作り続けて、またいつ暴走するか分からないし。だったら連れて帰ろうぜ!」
「でもそんな簡単にどうこう出来る問題でもないでしょう!」
バッカスは明るく言うが、ただの男爵令嬢だったイーディスとは訳が違う。死亡届を出してさようならとはいかない。リガロは特別な存在なのだ。だがイーディスの訴えはバッカスには届かない。
「そうでもないと思うがな~。どう思う?」
顎を撫でながら他の人達にも意見を求める。イーディスの声は届かなかったが、彼らが言ってくれればきっと分かってくれる。そう信じて、口をつぐんだ。けれど彼らの意見はイーディスが思うものとは違った。
「シンドレアとしては、今後同規模の暴走が起こった場合に同様の対処をするのは難しいと説明すればなんとかなるかと。実際、今回はイーディス様とバッカス様が比較的近い距離にいたのでなんとかなりましたが、カルドレッドからシンドレアまでの距離を考えると手遅れになっていた可能性も高いかと」
「説得が難しいようだったらギルバートも力を貸そう」
「イストガルム王家も手を貸しますわ」
「リガロ様亡き後の穴は私とアルガ様に任せてください! 剣聖がいなくなったから、なんて陰口たたく輩は全力で叩き潰しますので!」
全員がリガロ死亡計画に賛同した。それどころか力を貸すとまで言ってくれる。メリーズだけ妙に物騒だが。背中から取り出した木の小づちを何に使うのかは探らない方がいいのだろう。
「みなさん……私は、」
彼らの好意は嬉しい反面、素直に受け取る勇気がない。これはイーディスとリガロだけの問題ではないのだ。イーディスの選択が今後の未来を大きく左右する。自分勝手に今まで積み上げられてきたものを無駄にすることは出来ない。だから賛成できないと続けなければいけないのに、喉の奥で詰まったそれはなかなか声にはならない。息が苦しくて、涙が零れる。
「イーディス。ダメそうだったらその時また一緒に考えよう。何度でも付き合うからさ、だから風化するなんて言うなよ」
「っ!」
覚えていたのか。驚いて視線を上げれば、バッカスは楽しそうにニッと笑う。彼だけではない。他の友人たちも任せてくれと胸を張っている。イーディスのワガママに付き合ってくれようとしている。彼らの頼もしい顔で、イーディスはワガママになろうと決めたことを思い出す。あの時と今は状況が全く違うけれど、きっと彼らにとっては同じなのだ。なら、間違うかもしれないことを恐れるよりも進む道を選びたい。差し出された手を取って、イーディスは立ち上がる。
「わかりました。それでは早速で申し訳ないのですが、リガロ様死亡のシナリオを考えるのを手伝ってもらってもいいですか?」




