17.聖母
「本当に、あなたの行動は予想がつかない」
「っ、誰!?」
ぐっすりと寝こけたイーディスは何者かの声で飛び起きた。剣を抱えた状態で声の主と向き合う。真っ黒なローブを被ったその人の顔は見えない。死神のマストアイテムである鎌も見当たらない。だがローブの中に何かしらを隠し持っているとも限らない。身を固めたまま、少しずつ距離を取る。
そんなイーディスの姿に、相手はふふふと楽しそうに笑うだけ。
「攻撃なんてしませんよ。あなたは、初めて出来たお友達ですから」
「とも、だち?」
「ずっと一人だった私に、あなただけが手を差し伸べてくれた。嫌われるだけの存在に笑いかけてくれた。人の優しさを思い出させてくれた。光をくれた」
「あなたは、誰?」
「初めの名前なんてもう忘れてしまいました。なので、どうか私のことは聖母とお呼びください」
「あなた、が、聖母?」
フードを取った聖母の顔はマリアによく似ていて、イーディスは思わず「嘘……」と声を漏らしてしまった。
「私の顔、モリアによく似ているでしょう? だからか、モリアは今までの聖女の誰よりも私の影響を強く受け、同時に私もまた彼女からの影響を強く受けていました。もうとっくに衰えていた力を二度も使えるほどには」
「二度ってまさかここは魔道書の中?」
「大量の魔に飲み込まれる前にこちらに連れ込みました。あちらの状況が整い次第、外に出すつもりだったのですが……まさか死ぬために鍵を見つけるなんて」
「えっと、その……すみません」
魔道書が見つからなかった時点でその可能性を考えておくべきだった。
流れる映像に気を取られて、他の方向に爆走してしまったようだ。頭を抱える聖母に申し訳なさが募っていく。身を縮こませるイーディスに彼女ははぁ……とため息を吐く。そして真っ直ぐとイーディスを見据えた。
「あなたが望むのなら、このまま魔界にお送りすることも出来ます。ですがもし。もしもまだ生きても良いと思うのなら、どうか戻っては頂けませんか?」
「生きてもいいの?」
「あの子達もあなたの帰りを待っています」
聖女がパチンと指を鳴らすと、スクリーンが真っ暗になる。そして新たな映像が始まった。
『イーディス、ごめん。好きになってごめん。守れなくてごめん』
『戻ってきてください』
『俺がもっと早く到着していれば……』
『置いていかないで』
『もう一週間だぞ。マリアをまた何年も待たせるなよ』
友人達は本の置かれたベッドを囲んでいる。悲壮感を貼り付けた顔が並び、各々イーディスへの言葉を紡ぐ。キースだけ「遅い」「早く帰ってこい」だの少しとげとげしい気もするが、ずっと謝罪の言葉を紡ぐリガロよりはずっとマシだ。リガロを見ていると、怒りが沸々と沸き上がる。
「好きになってごめんはまだ許せるとして、守れなくてごめんって何よ。私、守って欲しいなんて思ったことないし」
「ふふっ、イーディス様らしいですね」
「帰って文句言ってやらなきゃ!」
「ではあちらの世界に戻しますね。そちらの剣、お借りさせていただいてもよろしいでしょうか?」
リガロの剣を手渡すと、聖母はそれを天井へと掲げながら何やら呟いた。すると剣はぐにゃりと歪み、本へと形を変えていく。これが元の世界へと戻る鍵なのだろう。前回の聖母像の右手に載せられた本といい、つくづく本と縁があるらしい。
「本に手をかざし、帰りたい場所を思い描いてください」
「ありがとうございます。けど、戻る前に一つだけ聞いておきたいことが」
「なんでしょう?」
「なぜ、リガロの映像だったんですか? 前みたいに別の世界に飛ばすことも出来たのでしょう?」
「リガロ=フライドへの恩を返しておこうと思いまして」
「恩を、返す?」
「あまり拘束しても恨まれそうですし、話はここまで」
これ以上は話す気はない。そう告げるように、聖母はイーディスの手を取って、開いた本の上に載せた。あとは大好きな彼らのいる場所を思い描くだけ。
「どうかお元気で」
「いろいろとありがとうございます! 今回も前回も。いつになるか分からないけれど、私もちゃんと恩を返しますから」
「あなたからはもう返しきれないほどもらっていますよ。楽しかったわ。ありがとう」
聖母はにっこりと微笑んだ。心底嬉しそうに。だからイーディスもこれ以上の長居をすることなく、元の世界に戻ることにした。
「さようなら、聖母様」
そう告げて、自分の居場所を思い描けばイーディスの身体は柔らかな光に包まれた。




