ありがとう、夢の新婚旅行。
日程 、七日目 。
行き先『日』世界。
「まふるちゃん、まふるちゃんっっ」
手を振りながら駆けてくるケイトが、側に来て嬉しそうに跳ねた。
「ようやくこの姿に戻ったっ」
ちゃんと人間だ。
「でも中身は猫だけどね」
念のため言うけど、と人差し指を立てながら念を押してくる。
私も変わってるけれど、ふふ、君も変わってる。
「ふうん、やっぱり猫なんだ」
私は納得したフリをして、頷いた。
「本質は変わらないんだ」
「僕は、僕だからね」
私より10センチほど高い場所から、覗き込んでくる。
「……楽しい楽しい、新婚旅行も今日で終わりだよ」
「うん、わかってる」
私はニコッと笑うと、ケイトもニコッと笑ってくれた。
人間のケイトは。
顔は、普通。でもまあ、日本人のそれじゃない。背も、普通の男子くらいだし。頭は、良いかどうかなんてわかんないけど、たぶん良い。
「いやあ、猫だから、わかんないか」
「ん? 何?」
唐草模様の風呂敷を広げた場所は、太陽の上。
「太陽って言っても、まふるちゃんの世界とはちょっと違うよ」
「うん、まあ何となくわかる。月だって、メロンパンだったし」
と言っても、その太陽は何千度? 何万度? よくわからんけど、とにかく熱い。
「でもこの風呂敷を敷けば、大丈夫‼︎ 火傷の心配なし‼︎」
広げた風呂敷は前よりすっごく大きくなっていて、ごろんごろんと転がっても風呂敷からはみ出すことはないし、全然熱くないし暑くない。
「まふるちゃん」
横になってごろごろと転がっていた私の隣に、同じくごろごろとしながら寄ってきたケイトは、私の名前を囁きながら、腕を絡めてくる。
「もう週末だよ、いちゃいちゃしてもいい?」
そうっと、私の身体を引き寄せて、そして頬に手を当てた。
「いちゃいちゃって、ケイトくんってば」
私はケイトの顔が近づいてきて、急に恥ずかしくなった。
「だって、僕たち恋人同士なんだからさ。別にイイでしょ」
髪をすいっと撫でられて、一層顔が火照ったのを感じた。太陽の熱とは違う、私の頬の熱さ。
じっと、見つめてくる視線に耐えかねて、私は目を瞑った。
「キスしたい」
ほうっと、吐いた息が唇にかかる。
「まふるちゃん、好きだよ」
ふにっと唇が重なって、ぶわっと震えが全身に走った。
ケイトの唇は離れていって、そしてまた重ねられた。次には深く、深かった。
「ん、」
私は息継ぎもできず、そしてケイトを真っ直ぐに見ることもできず、ケイトが求めるままに唇を合わせた。
「まふるちゃん、好きだよ」
目をそっと開けると、そこにはトロンととろけたようなケイトの視線。
「あ、」
思ったが最後、私の身体はケイトによって攫われた。
✳︎✳︎✳︎
「さあ、まふるさん、身体拭きますからね。ちょっと失礼しますよー」
自分が腕を上げたような気がした。けれど、実際はこの見かけちょっと年配の看護師さんに腕を上げてもらっているのだろう。意識は内には残っているけれど、意思は思い通りには伝わらない。
筋肉も神経も血液も骨も細胞も、『笠井まふる』を形成する全てのものが、私の脳からの命令を無視し続けているのだ。
私はもう、寝たきりで。 しかも、こんなに歳を取ってしまった。
それなのに、こうして一週間も楽しい旅行に行けるとは。
そう、愛する恋人に案内されて。
「もう、思い残すこともないなあ」
声には出ていないはずなのに、年配の看護師さんは私の足を温めたタオルで拭きながら、え? まふるさん、何か言った? だって。
「今日は日曜日だから、あのハーフの……違った、クオーター? の、可愛いお孫ちゃんも来てくれるよー。楽しみだねー」
そんな大きな声で言わなくても、ちゃんと聞こえていますよ。
『ねえ、まふるちゃん、ずっとこうして一緒に眠ろうね』
耳元で、ケイトの声。
(明日は月曜日だよ。仕事に行かなくちゃ)
私が言うと、ケイトは笑った。
『いいよ、いいよ。仕事にでも何でも、行きたいところに行っておいで。まふるちゃんが帰る頃、僕はちゃんと家にいるからね』
私が、ほんとうに? と訊くと、ケイトが笑って言った。
『うん、結婚って、そういうモンでしょ』
(……ありがとう)
胸がいっぱいになる。
(ありがとう、こんな拗れた私なんかを、好きになってくれて)
そして、結婚までしてくれて。
もうすぐ、いくよ。ケイトくん、あなたの側に。
「さあ、できた。まふるさん、気持ちいいねー」
看護師さんの声が、病室に響いて消えた。