第2章 特務機関Metatron
第2章でございます。
今回はジェイドに保護されたサラが彼らの組織で目覚めるところから始まります。
ちなみにタイトルの英語部分はメタトロンと読みます。
ちょっと説明部分が多くなっていますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
なお、今回は黒孩子について触れています。ご注意下さい。
深い…深い闇が私を包んでいく…。
冷たい……悲しい……痛い……。
ここに…居たくない…。
こんな…冷たく苦しい闇に…飲み込まれたくない…。
私は……。
「おかえり…サラ…」
第ニ章 特務機関Metatron
「はぁ…はぁ……な…なに…今の夢…。」
なんて夢見が悪いんだろう。私は首に流れ落ちる汗を手で拭いながら思わずそう呟いた。真っ暗な暗闇の中、ただ一人彷徨っていたのだ。そこは光も届かないような場所で、居るだけで様々な負の感情が頭に流れ込み、冷たささと悲しさで酷く心が痛い世界だった。なんとかしてこの世界から抜け出そうと踠いていると、何処からか伸びてきた手に足を掴まれ、更に深い闇へと引きずり込まれるという恐ろしい夢だ。何より、目覚める直前のあの声…。全身鳥肌が立つくらい不気味だった。それに…―
「…『おかえり』って…どういう意味…?」
「あら、起きたのね。」
突然の声に驚いて振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。ハーフリムの眼鏡を掛け、白衣を身に纏ったその人は、屈託のない笑顔で私の顔を覗き込んでいた。
「いやぁ、良かったわねぇ。怪我もしてないみたいだし。本当に不幸中の幸いよ?」
未だ状況が掴めていない私に対し、白衣の女性はどんどん話を続けていった。本当に突然の事過ぎて理解が追いつかない…。そもそも、ここは何処なのだろう。学校…ではないみたい…。でも病院というには窓もなくどこか閉鎖的だ。
「…あの…私…。」
「おー、嬢ちゃん。目ぇ覚めたか。」
事情を白衣の女性に聞こうと声を発した瞬間、私の声は第三者の声によって掻き消されてしまった。
「なんだ、鼻が効くねぇ。やっと零以外の女にも興味を持ったの?ジェイド。」
「違ぇよ。助けた身としては気になるだろう?だからこうやって様子見にきたんじゃないか。」
ドアから入ってきたその声の主はは背の高い外国人の男性だった。襟足が少し長い金髪がキラキラしていてとても綺麗だ。どうやら彼が私を助けてくれたらしい。でも…私は彼に何から助けてもらったんだろう…。自分が何をしていたのかも思い出せない。
「…あれ…。私…一体何で…。」
「あぁ、色々あったからね。記憶が混濁してるのよ。落ち着いてゆっくり思い出してごらんなさい。」
白衣の女性に優しくそう言われ、私は言われた通り心を落ち着かせてから意識を失う前の記憶を懸命に探った。確か…。
「私…。そうだっ、確か…亡者に襲われて…。」
そうだ。私は綾を探している途中で亡者に襲われたんだった。
「そう。貴女は亡者に襲われ、捕食されそうになっていたの。その時、任務で偶然居合わせたこのジェイドが助けてくれたのよ。神宮寺サラさん。」
「え?どうして私の名前…。」
まだ名乗ってもいないのに…何故この人は私の名前を知っているのだろう。突然の事に私は思わず白衣の女性と距離をとった。考えてみれば、色々と怪し過ぎる。この状況さえも異常だ。亡者から助けられたなんて…。上手いことを言ってこの人達も私を食べようとしているんじゃないだろうか。
「あぁ!ごめんなさいね。どうしても身元確認が必要だったから荷物の中の学生証調べさせてもらったの。私は花咲葉。ここの…『特殊能力化学研究所』の所長を務めてるの。」
『特殊能力化学研究所』?聞いたこともない名前の研究所だ。しかも特殊能力だなんて…。ますます怪しい…。私がジッと疑念の視線を向けると、葉さんは「ありゃ…」と声を漏らし、頰を掻きながら笑みを浮かべた。その笑顔は、とても予想外の反応だ。すぐに本性を曝け出すと思っていたが、そんな様子は一切垣間見えない。むしろ、目の前で穏やかに会話を進める葉さんとジェイドさんがあまりにも自然で、怪しさの欠片も悪意も感じられない二人に対して、私は気がつくと警戒を解いていた。
「で、サラちゃんはなんであんな廃ビルにいたんだ?」
「あぁ、そうそう。私もそれが気になっていてね。なにがあったの?」
「廃ビル…ですか?いいえ、そんな所行ってません。私…、友達を探していたんです。実はここ数日、ずっと連絡取れなくて…心配で…。そしたら、探している途中で亡者に襲われて…。」
葉さんとジェイドさんからの質問にありのままの事実を告げると、葉は少し考え込むように腕を組んだ。
「どの辺りに行ったの?」
「えっと…A町です。友達の家がそこにあるので。」
「おかしいわね。A町は一般人が入れないよう、その地区一帯にいる人にマインドコントロールをしていた筈なのに。…葵の能力をすり抜けたってこと?うふふ、ますます貴女に興味が湧いてきたわ。徹底的に調べ尽くしたい気分。」
葉さんはブツブツと何かを呟きながら私を舐めるようにじっくり見つめると、頰を染めながら怪しい笑みを浮かべた。その笑みが少し気味悪く、ブルっと身震いをした。思わずジェイドさんに救いを求めて視線を泳がせると、彼は小声で「諦めな、この人マッドサイエンティストだからさ。」と笑いながらに私に告げた。…正直、その情報はもっと最初に欲しかった…。やはり怪しい人に関わるべきではなかったと私は心底後悔していると、今度は目を爛々と輝かせた葉さんに両肩を思い切り掴まれてしまった。
「うん!やっぱり、亡者達を一瞬で殲滅した謎の光も貴女が影響しているのかもしれない!」
「え⁉︎な…何の事ですか?」
突然この人は何を言い出すのだ。亡者を殺した光?全く身に覚えの無い事を言われ、私は困惑を隠せなかった。
「葉姉さん、待った。流石に初っ端から飛ばしすぎだって。サラちゃん混乱してるぜ。」
「あぁ、ごめんごめん。私の悪い癖なんだ。夢中になっちゃうとついね。」
ジェイドさんのお陰で鼻息を荒くしていた葉さんは落ち着いてくれたけれど、葉さんの口走った言葉に対しての疑問が私の頭をぐるぐると回っていた。
「…あの…なんなんですか?亡者を殺した光って…。」
「あぁ…実は俺が君の悲鳴を聞いて駆けつけた頃には、亡者達はもう死んでいたんだ。一人だけ残っていた生存者から詳しい話を聞いたら、君が放った光が襲ってきたと証言していた。」
「そんな…。私、そんな化け物みたいな力なんてない!」
そんな事…ありえる筈ない。今まで十七年間生きてきて、一度だってそんな非科学的な経験は一度もない。あぁ…だめだ…。全てがあまりにも突然で、あり得ないことばかりで頭がついていかない…。
「大丈夫。きちんと実験と調査を行えば判ることよ。だから暫く貴女の身柄は預からせてもらおうと思うの。」
困惑する私をよそに、葉さんはどんどん話を進めてしまっていた。実験だなんて…調査だなんて…、そんなもの自分の意思と関係なく決められるだなんて許されるわけない。人権侵害も甚だしい話だ。
「そんなの…協力できません!私、帰らせてもらいます…。」
「それは困るな。君の気持ちも解るが、事態が深刻なんでね。」
私がベッドから立ち上がろうとすると、ドアの向こうから低い男性の声が響いた。ガラリと戸を開く音を立てて入ってきたのは、きっちりと黒いスーツを着込んだ細身の男性だった。年齢は三十から四十代くらいだろうか。眼鏡の奥から覗く瞳はとても優しそうだ。
「遅かったじゃない、神居。」
「ああ、すまん。任務報告を支部長へ行っていたんでね。…君が神宮寺サラ君かな。」
その人は私の前に立つと、優しい笑みを浮かべてそう語りかけた。それに対して小さく返事を返すと、今度は私へ向けてその手を差し出してきた。
「俺は神居八雲。特務機関Metatron日本支部の副支部長を務めてる。本来なら支部長が組織を代表して挨拶すべきだが、生憎海外へと出張していて不在なんだ。申し訳ない。」
「はぁ…よろしくお願いします…。」
思わず挨拶し返してしまったが、神居と名乗るこの男の登場により、私の置かれた状況はより悪くなった気がした。これでは逃げようにも逃げられない…。
「突然の事で驚いているだろう。君に今の状況を説明する必要があるね。きちんと説明をするから俺達の話を聞いてくれないか?」
「…きちんと話してくれるなら…。」
誠意を持って自分を説得しようとする神居に、彼ならきちんと真実を話してくれるだろうと、私は話を聞く事をしぶしぶ承諾した。確かに、色々わからない事だらけで自分がどう動くべきなのか、正しい答えが出せない状態だ。ここは一度素直にこの人の話を聞いて冷静に判断するのが得策だろう。
「ありがとう。ではここを案内しながら話そう。葉もジェイドも一緒に来てくれ。」
神居さんの後に続き、私達は施設の廊下を進んでいた。廊下も先程の部屋と同様で窓一つない。まるで特撮映画等で出てくる基地みたい。
「まずはこの組織について説明する必要があるね。特務機関Metatronは国際組織でね。日本以外にも世界中に支部が存在するんだ。一部権限においては総理大臣や大統領をも凌ぐ権力を持っている。」
名も知らぬ組織だったが、どうやらそれなりに権力があると言うことは国家的な秘密組織なのだろう。まさかそんな大層な場所に自分が立っているなんて嘘みたいだ。
「そして、ここは我が組織が運営する特殊能力化学研究所という施設でね。主に亡者を倒すエージェントの育成と薬の開発を行っているんだ。」
「え…。亡者を倒すって、そんな事出来るんですか?」
『亡者を倒す』だなんて、そんな話聞いたことがない。出会ったら最後、その胃袋に収まるしかない筈だ。それに彼らはもう死んでいる存在。もう死んでいる存在をもう一度殺すだなんて…。
「彼らにだって命はある。蘇れば心臓だって再び動き出すさ。違う所と言えば、寿命がなく、殺害されない限りは死に絶える事は無い事。死者である為、生殖機能が働かない事。そして、特殊な力を持っている事。」
「特殊な…力?」
神居さんのその言葉は、私の中にストンと落ちてきた。そうだ…。考えてみれば、最初に亡者と遭遇した時、決してあり得ないことが起きた。瞬間移動とも言えるその現象は、神居さんが言う特殊な力だったのかもしれない…。だとすると、どうやって亡者を殺すのだというのだろうか。人智を超えた力を持った亡者と非力な人間では、勝ち目などないのに…。
「…そう…。君が今感じているように、亡者と人間では明らかに人間が不利だろう。だからこそ、この施設が存在しているんだよ。」
「それって…どう言う事ですか?」
「ああ!そこについては、特殊能力科学研究所・所長である私から説明するわ。どうすれば亡者と対等に戦えるのか、答えは至極簡単よ。昔から言うでしょ?目には目をってね。だから、私達は人間が亡者と同様の特殊能力を持った人間を造る事にしたの。」
葉さんの口から発せられた言葉は、実に非科学的な言葉だった。特殊能力を持った人間を…つまりミュータントを造るなんて…。SF映画さながらの内容だ。そんな事どうやって成し得ると言うのだろう。
「ちょっと科学的な話になっちゃうんだけどね。亡者を生け捕りにしてそのDNAを採取してーむぐっ!」
「まぁ、簡単にいうと薬を作ったんだ。それで人間に特殊能力を与えることができる。」
また鼻息を荒くして早口で語る葉さんの口を突然ジェイドさんがその大きな手で塞いだ。ジタバタと暴れる葉さんを尻目に神居さんは何事もなかったように私に説明を続けた。
「んもう!ちょっと!何するのよ!」
「だって葉姉さん、絶対テンション上がって暴走すうだろ?説明は端的に素早く。あんたに話させてたら一夜漬けになりそうだ。さ、副支部長さん。続き続き。」
「ああ。どこまで話したか…。あぁ、能力者を造る薬の話だったね。薬の名は『覚醒薬・アダムカダモン』。亡者のDNAを元に製造したんだ。名の通り、神人になれる画期的な薬だよ。」
覚醒薬・アダムカダモン。詳しくは判らないが、なにやら危険な香りのする薬である事は間違いなさそうだ。神居さんが得意げに薬について語るという事はそれなりの実績が既にあるのだろう。
「その薬を飲めば、誰でも力を得られるのですか?」
「いいや。勿論強い副作用はある。体が拒否反応を出し、それに絶えられたかった場合、薬を投与されたものは死に至る。」
神居の言葉に私は思わず目を見開いた。それではまるで人体実験だ。そんな非人道的な事が許されていいのだろうか。そもそも、どう薬を投与する人間を選ぶのだ。
「…勿論、誰彼構わず投与しているわけではないよ。それに、投与する事で被験者にも徳はある。この薬はね、万病の薬でもあるんだ。不治の病や致命的な障害がある人間に投与するとたちまち完治するんだ。だから俺達は身寄りがない子供や病や障害を抱えた子供達に、生活や健康な体を対価にして薬を投与しているんだよ。そして、能力が覚醒した子供達を我々は『グリゴール』と呼んでいる。」
「でも!生き残ったとしても成功したら結局亡者と戦わせるんでしょう?もしそれで死んだりしたら…本末転倒じゃないですか!あんまりだわ…人の命をなんだと思っているんですか⁈」
神居さんの説明に私は湧き上がる怒りを抑えられなかった。だってそうでしょう…。それじゃあ人の命を弄んでいるにすぎない。
「…そうでもないぜ。」
私が神居さんに食ってかかっていると、それを制する様にジェイドさんが口を開いた。
「元々死んだような生き方だったんだ。人間らしい生活をさせてもらって…俺はここの組織に感謝している。だから大事なものを守る為の戦いでたとえ死んだとしても、俺は悔いはないよ。」
そういえば、彼は亡者から私を救ってくれた人だ。つまり、彼は『グリゴール』なのだ。彼も薬を投与され、辛い目に遭っているはずなのに…どうしてこんな事が言えるんだろう。
「ジェイドさんは…。」
「サラちゃん。俺ね、黒孩子だったんだ。」
「…へ…ヘイハイ?」
聞いたこともない言葉に私が目をぱちくりとさせると、ジェイドさんは「あぁ、そうか。」と独り言ちた。
「国外の話だし、若い子はそりゃ知らねぇわな。黒孩子ってのはな、所謂中国の『一人っ子政策』の落し子だよ。戸籍持たない…国民と認められなかった子供の事さ。学校でちょっとは習っただろ?」
確かに歴史の授業で名前は聞いた事がある。だけど、詳しくは何も知らなかった。国民として認められなかったなんて…この人は一体どんな苦しみを抱えているんだろう。
「父親は知らない。俺が生まれた頃にはもう居なかった。だから俺はずっと母親と二人で生きてたんだ。でも五歳の時、その母親に捨てられてさ…。四年間俺はストリートチルドレンとして生きてた。食う為にチャイニーズマフィアの汚ねぇ仕事を手伝ったもんだ。」
両親がいない…。その辛さは私もよくわかる…。私にも両親はいなかった。物心つく頃から養護施設に預けられている。けれど彼は家族だけでなく、居場所すらなかった…。それを思うと、心の中がチリっと痛んだ。
「でも九歳の時、仕事をしくじってマフィアに追われる身になっちまったんだ。…怖くてよ…。このまま俺は殺されて、臓器売買の商品にされるんだって思ってた。そんな時に助けてくれたのがこの組織の日本支部長さんだったわけ。公安当局で戸口籍も調べてくれたんだけど、黒孩子である俺の情報は出てきやしなかった。そんな俺に…、存在すら否定された俺に居場所と家族をくれたのがこの組織だ。グリゴールになる事だって俺自身が決めた事だ。だから俺は自分がモルモットだなんて思ってない。良いじゃねえか。戦って誰かを守って死ねるなら本望だ。体をバラされて知りもしねぇ奴の体に入れられるよりずっといい。」
ジェイドさんのあまりにも深い闇を抱えた幼少時代の話に、私は自分が恥ずかしくなった。親の顔を知らないとはいえ、私は大人たちの愛を一身に受け、なんの苦労もなく今まで生きてきた。それなのに、ちっぽけな正義感で善人ぶって、彼の存在を汚したような気がして…。恥ずかしさと惨めさが一気に押し寄せてきたのだ。私が何も言えないまま俯いていると、そっと暖かなぬくもりが私の頭に触れた。咄嗟に顔を上げると、優しい翡翠の瞳が私を見つめていた。
「ごめん。そんな顔させる為に言ったんんじゃねぇんだ。」
「…いえ…。私、何もわかってなかったんですね…。ジェイドさんは幸せそう。ここにいるから幸せなんですね。」
「…納得はしてくれたかな?」
私達の会話中、ずっと立ち止まって様子を伺っていた神居さんは、話の着地点が決まったのを確認したのか、ずっと閉ざしていた口を開いた。
「あ、はい!すみません…生意気な事言って…。」
「いや、いいんだよ。至極普通の反応だ。さぁ、話を続けよう。」
神居さんはそう優しく微笑むと、また長い廊下を歩き始め、他のみんなもそれに続いた。なんだ。もっと非人道的な酷い組織なんだと思ってた。辛い現実もあるけれど、それを選んだのもグリゴール本人だ。もっと知りたいその事実に私は少し安心し、彼らの後に続いた。
「ここで能力を覚醒させたグリゴール達は、研究所の被験体から我が組織・Metatronのエージェントに昇格するんだ。そして、レベルにあった任務をそれぞれにこなしてもらっている。ちなみに、任務は基本、政府や警察組織等から依頼を受けて行なっているよ。」
神居さんの説明で、なんとなくはここがどんな組織なのかというのは理解は出来た。けれど、頭が理解していても、やはり夢物語なのではと思ってしまう部分もあった。グリゴール達の力を私は目の当たりにしたわけではない。もしかしたら…悪い夢なんじゃないだろうかと思ってしまう。きっと目が覚めたら家にいて、学校に行ったら綾がちゃんと来てるんじゃないだろうかと…。
「神居。」
そんな現実逃避をしていると、神居さんを呼ぶ新たな声に私はハッと顔を上げた。神居さんを呼んだのは、黒髪ショートカットの黒いレザージャケットを羽織った女性だ。左目には眼帯をし、隠されていないもう片方の瞳に鋭い眼光を宿らせていた。なんだろう…。初めて逢った筈なのに、どこか懐かしい…。
「あぁ、零。何か用かい?」
「これ、沙苗があんたにって。今回の任務で発見された遺体の身元が載ってる。」
「ありがとう。」
「…それじゃあ、確かに渡したから。」
「零、待ちなさい。何処に行くんだ?談話室に召集命令を出したろう?」
「…それ、私も出なきゃならないの?」
モヤモヤとした気持ちを抱きながら、何気なく零が神居に手渡した書類が目に入った。あれ…?まさか…。書類のある箇所に、私は思わず視線を奪われた。そこに見覚えのある名前が記されていたからだ。
『上条 綾』と…―
「…綾…。あの!さっき…この書類…遺体の身元が載ってるって…。」
信じられなくて、私は思わず二人の会話に割り込むように声を上げた。
「あんた…確か今日の…。…確かに…これは今回の一件で収容された遺体の身元リストだけど…。それがなに?」
聞き間違いであって欲しかった…。けれどその言葉が私の淡い期待を打ち砕いた。嘘だ…。綾が死んだなんて何かの間違いだ…。
「…友達の名前が…載っていて…。『上条 綾』って…。何かの間違いですよね?」
「上条…?あ、あの女子高生か…。サラちゃん、気の毒だけど…確かにその子の遺体…現場にいたぜ…。」
ジェイドさんの残酷なその一言に、私は思わず目を覆った。なんて事だろう…。綾が死んだなんて…。私は親友の無惨な死に涙が溢れた。止めどなく流れる涙が指の隙間止から伝い、床に悲しみの雨を降らせていく。
「もしかして…探してた友達?」
優しく肩を抱きながらそう聞いてくる葉さんに、私は声なく頷くしかできなかった。ここ数日、ずっと異様な不安感に苛まれていた。最悪の事態として、綾の死は予感していたのだ。だからこそ、そうなる前に見つけ出して助けたかった。助けてあげたかった…。
「どうして…。なぜ…こんな目に遭わなければならないの?なぜ人は亡者に捕食されなきゃならないの⁈昔はうまく付き合っていたんでしょ?…どうしてこんな…。あまりにも理不尽じゃない!」
「…だからだ…。」
何処にもぶつけようのない怒りを叫ぶと、神居さんの低く、そして芯のある声が私の耳に届いた。はっと顔を上げると、神居さんはまっすぐ私を見つめていた。その瞳は曇りなく、思わず魅入られる程だった。
「その理不尽を許さない為に我々は存在しているんだよ。」
神居さんはそう言うと、また再び長い廊下を歩み出した。強い決意のこもった言葉に、思わず私は心打たれた。この人は、本当にこの不条理を断ち切ろうとしているんだ…。私は涙を拭い、その大きな背中の後を追いかけた。
暫く歩いていると、神居さんはある部屋の前で立ち止まり、ゆっくりと振り返ると先程の意思のこもった瞳で再び私を見据えた。
「サラ君、君には可能性がある。その秘められし力…。覚醒すれば亡者から人々を救う為の力となるだろう。俺はその可能性に賭けたい。だから、我々に力を貸してくれないか?」
神居さんの突然の申し出に、私は自らの手を握りしめた。彼らが勝てば…いつか人々が理不尽に命を奪われる事も無くなるだろう。人と亡者が互いを尊重しあって生きる時代がやって来るかもしれない。いつになるかは分からないけれど…人々がこんな悲しみに暮れる事もない。けれど…私にそんな力などあるのだろうか…。たとえ力があったとしても…役に立つのだろうか…。
「…私……。」
「…サラ君…。君のやりたいようにすればいい。その力に関しては調査する必要はあるが、君は民間人でもある。やりたくなければ断ってくれても構わない。ゆっくり考えてくれればいいよ。」
神居さんは決して無理強いせず、だた優しく私にそう告げた。正直、自分でもどうしたらいいのか分からず、神居さんのその申し出は有り難かった。とりあえず、私の力とやらについて自分でも理解する必要がある…。私は生唾を呑み込み、神居さんの顔をまっすぐと見つめ返し、覚悟を決めた。
「わかりました。調査にはご協力します。その後の事は…また答えさせてください。」
「ありがとう。」
神居さんは私の言葉を聞いて優しく微笑むとと、部屋のドアに手をかけ、その扉を開いた。そして神居さんは改めて私と対峙し、その手を伸ばした。
「ひとまずは…ようこそ。特務機関Metatronへ。」
続く
第2章、如何でしたでしょうか。
なかなか難しくなってしまいました…すみません…。
サラの順応性の良さが凄まじいなと思うのですが、順応性良くないと進まないのでしょうがないという思いでやっておりますw
次回は他の組織のメンバー出す予定ですので、引き続きご愛読頂けると幸いです。