異世界とは何ぞや
異世界。
そんな言葉を聞くと剣と魔法のふぁんたじーな世界とか、SF染みたロボットに搭乗するような世界とか、そんな胸ときめく冒険のための舞台を想像してしまう僕がいる。
それは僕がサブカルチャーに頭のてっぺんまで浸かった人間だから、というわけでもなく、アニメや漫画を嗜む一般的な10代男子としては珍しくもない(アニメやマンガを生きていて一度も見たこともない10代男子は存在しないし、いるとするならそれこそ「異世界」の人間であると僕は確信している)考えであると思うものの、それも今となってはやや想像力の欠如であったと、認めざるを得ないだろう。
異世界。
今までの僕からすれば、それは苦行のような人生を逃避させてくれるような友であり、恋人であった。
アニメであったり、漫画であったり、ここではないどこかへと想像の翼を羽ばたかせてくれる素晴らしいものあった。
あった。
過去形である。
じゃあ、今では?
「異世界」が現実となった今では、こう思う。
それは今までの常識が通じない、世にも奇妙な誠理解に苦しむ世界なのである、と。
まあ、それでも、「前」に比べればやっぱりマシではあるのだけど。
〇
僕が異世界に来てから17年が経った。
それならお前は何歳なのか、と疑問に思うのかもしれないが僕は今でもピチピチ(死語?)の男子高校生である。
そう、男子高校生なのである。
まったくもって意味が分からないが、僕は男子高校生なのである。
今までの人生(前、は置いておいて)で繰り返し首を傾げる疑問ではあるが、終わらない疑問であるし、益体のないことでもある。
えも知れぬ違和感を抱えながら、とはいえ今日も何が変わるでもなく、僕は「母」と二人っきりの夕食後、これだけは変わらない腹いっぱいの怠惰と共にソファでだらけながらテレビを見ていた。
テレビにはボディビルダーもかくや、という筋肉美を惜しみもなく晒す「美女」たちが、恐ろしいことにブーメランパンツ(もっこりしているパンツが最高にいやらしい、というのが田中くんの談だ)とあざといまでの猫耳で、筋張った尻をふりっふりにして踊っていた。
きっとやっすい金で作ったんだろうな、と思う素晴らしいはずのモエモエな歌詞もその野太いダミ声がすべてを台無しにしている。
地獄絵図とはまさにこのことだろう。
だが、これでも大人気モエエロユニットであるようで、テレビに映っている観客はそのペンライトを振りかぶって高い声で「男らしい」歓声をあげていた。
「いっつもテレビに出ているわねぇ、この子達」
晩酌用に作ったのか、きゅうりの一本漬けをぽりぽり齧りながら「母」が呆れたような声で呟いたので、これ幸いとリモコンを握る母に振り返る。
「ねぇ、チャンネル変えていい?」
「あら、なんで? 好きでしょ、男の子はこういうの」
「いや、分かっていて言っているでしょ」
「まあ、そうだけど」
腑に落ちないのか、ため息を吐きながら母がリモコンを渡してくれたので、適当にぽちぽちと番組を回してみたが、結局お笑いに落ち着いてリモコンを放り投げた。
「あんたもねぇ、いい加減彼女の一人くらいつれてきなさいよ」
「まあ、そのうちね」
「そんなこと言っていると、高校生活なんてあっという間に終わっちゃうわよ」
「まあ、そのうちね」
テレビではところ変わって「男」のお笑い芸人たちがまわし姿で組んずほぐれずの大合戦中である。
芸人連中なのでそこまで見目麗しくはないのだが、少なくともあの地獄絵図よりマシであるし、何より結構、おっ?、と思うのがいなくもない。
いなくもないのである。
しかもまわし姿で、「男」たちはそのおっぱいをポヨンポヨンと弾ませているのである。
ぐへへ。
「はぁ」
母のため息が聞こえるが、母から見えるのは僕の後頭部くらいのもので、この緩み切った鼻の下に対してのため息ではないだろう。
「せっかくイケメンに産んであげたのに、損しているわねぇ、あんた」
「イケメンねぇ」
「あら、不満なの」
「そういうわけじゃないけど」
もちろん感謝はしているが、僕の価値観からすればイケメンではない。
また思考の坩堝と化そうとした僕の脳内に、チャイム音が響いた。
「今日は早いのね」
その容姿に違わず酒豪である母が何杯目かも分からぬグラスを置いて玄関に歩いていくのを横目に、僕ものんべんくらりと立ち上がった。
「父」を迎える母に続いて僕も居間から顔だけ出して「おかえり」と声をかける。
「ただいま」
ウェーブのかかった栗毛色の髪に、今にもボタンがはじけ飛びそうなぴちっぴちのジャケット。階段を上がるときにはそのぱんぱんのタイトスカートからくっきり映るパンツを眺めたいと願うのは「女」の性だが、スカートから伸びるすらりと伸びた脚はそんなお尻に比例してカモシカ(実際のカモシカの足は太いだろう、とは言ってはいけない。比喩表現である)のようである。
やや気弱そうな面影を眼鏡が強調する、どこに出しても恥ずかしくない、このエロエロなサラリーマン(誤字にあらず)は僕の「父」であった。
「もう、夕飯がいるなら言ってくれないと困るわよ」
「いや、遅くなるはずだったんがね。予想以上に取引先との飲みが盛り上がらなくて。はは、駄目かもしれんね、これは」
一応、食べてきたよ、と返しながらお土産を渡す父に母は呆れ顔だが、手渡されたお土産が母好物のつまみだと気づいたのか、その厳つい顔を綻ぼせた。
160cmもあるかないかといった、小柄な父と並ぶと「母」は対照的である。
180cmは超えるであろう、その体は先ほどのエロモエアイドルほどではないにしろ、骨太の体であろうな、と透けてみえるガタイの良さであり、短く刈った頭の下にはごん太眉毛と彫りの深い日本人離れした顔がぶら下がっている。
それが父自慢の「女房」であり、僕の「母」なのである。
母なのである。
母なのである。
この世は誠、不可思議な世界であった。