麻婆豆腐すら甘くなる(後)
「デート? って、来週の土曜?」
帰宅した康太に早速相談すると、熊さん然とした顔に複雑な表情を浮かべた。
背広を脱ぐ動作も止まっている。
「そ。私の同期の圭って覚えてる? 圭に新しい恋人が出来たから、四人でどうかって」
あーあの子か、と呟いて動きを再開した康太から背広を受け取る。所定の場所にかけてから振り返ると、康太はじっとこっちを見ていた。
「何よ」
「いや……うん。いいんじゃないか。来週な。何も予定ないし」
慌てて視線をそらし、頷く様子が怪しい。思いっきり何かあると白状しているようなものじゃない。
「こ、う、た、サン?」
「あー……いやホント、大丈夫だから」
康太は伊達に私との付き合いが長くない。
態度から何かあるのは明白なのに、問い詰める隙をみせなかった。普段の小さな部分では私に譲ってくれる康太だけど、大事なところでは一生敵わないんだろうなぁ。
さて。
圭の彼氏はどんな人物だろうかと気軽にダブルデートを受けたけれど、いざ当日を迎えると大後悔していた。積極的でなかった康太なんて、もっとだろう。
「俺が飲んでるの、ブラックなのにカフェオレ飲んでる気分なんだけど……」
「分かる……。話聞いただけでも、麻婆豆腐も甘かったもん」
「それ早めに情報共有すべきだろ……」
「そうね……ごめん」
遅めの昼食をとりに入った定食屋でこそこそと会話をする、私と康太。
原因は勿論、圭達だ。
事前に聞いていた通り、夏目の目つきは前知識がなければ『喧嘩売ってるのか上等だお買い上げしましょう』的な、ね? いや、やらないけど。……多分。
まぁそれはいい。かなりどうでもいい。
問題は、ふとしたタイミングで、圭と夏目氏の間には甘い空気が漂う事だ。
ぶっちゃけお腹いっぱいすぎる。
二人とも良識ある大人なので、目に余るようないちゃつきをするわけではない。むしろ拍子抜けするぐらい触れ合いが少ない。……見ていると、夏目氏がしり込みしているのが分かった。このへたれ属性が、と思った私は多分悪くない。
それはさておき。
触れ合い少なく、いちゃつきも少ない。それなのに甘ったるい空気を蔓延させているのは、ふとした拍子にみせる夏目氏の眼差しだ。
目は口ほどに物を言う、が至言すぎる。
圭のこと、好きだなーって思ってるのがもろ分かりだ。少しは隠せよあんたの風貌とあってないぞと八つ当たりめいた感想を持ってしまうほどには。あ、隠してるからふとした拍子にしか見せないのか。
「圭……あんた、大物だわ」
何が凄いって、あれだけ愛情だだもれされても平然としているのが凄い。
照れもせず、愛されてるのよ当然よと奢るのでもなく。……うん? つまりあれが標準装備ってこと? でも圭の話を聞く限り、最初から恋愛感情ありきの関係ではなかったはずだし。……分からない。
「そんなことないよ。それに、いきなりどうしたの?」
ちなみに、初対面の自己紹介を終えた私たちが向かった先は水族館だった。私と圭が並んだ後ろを、男二人が言葉少なく歩く、というのが大半の時間だった。その間に男たちは静かに友情を育んだらしい。
私たちが後ろの男連中に話しかけたのは鰤の水槽をみながら「今度四人で鰤しゃぶでもする?」というどうしようもない事だったり。いや、あれだ。羊を愛でた後でジンギスカンを堪能する北の大地と同じだ。
水族館を堪能した後、定食屋で焼き魚定食を食べて一息ついたのが今。大変美味でした。
何故定食屋なのかというと、単に駅ビルのなかで一番すいていたから。やはりイタリアンとかのほうが休日は混んでいる。決して、魚を見たあとに魚を食べたかったからではない……はず。
「んー、いろいろと?」
答えになっていない返事をしてから、視線を斜め前の夏目氏に移す。気付いたのだろう。「何だよ」的な鋭い眼光が向けられた。多分、何か用かと訝しんでいるだけだろう。
「とりあえず、すっごく圭が愛されてるのは分かった」
しれっと言ってみたら、圭は「えっ」と呟いて硬直し、夏目氏はお約束のように飲んでいた水で噎せた。康太は「俺しーらね」的な顔をして我関せずを装っているけれど、肩が震えていた。
「良かったわね」
「よ、よか、って、いきなり何言って……!」
「照れちゃってまー可愛いこと。ねーそう思いません?」
にんまり笑って夏目氏に同意を求めると、睨まれた。でも目元が赤いので照れ隠しと分かる。圭もだけど、こっちの反応も可愛いな。康太から軽く小突かれたのは「やりすぎるなよ」という警告だろう。分かってますってば。
「私に言われるまでもないだろうけれど、圭のこと、幸せにしてくださいね」
立ち上がりかけていた圭が、体から力が抜けたように椅子に座りなおした。へたりこんだ、が正しいか。
「泣かせたら承知しないから」
言いながら、まあこの様子じゃ心配ないかとも思っていた。
圭は気付いているだろうか。こうして場を整えて会った以外でも、圭の恋人に対して肯定的な発言をしたのが初めてだと。
私は良くも悪くも同性の友人だから、圭の選択や人生に意見はしても強制は出来ないし、しない。私に康太がいるように、圭にもいいパートナーが現れてほしいと思っていた。値踏みするようなことをして悪いなと思う気持ちがないわけじゃないけれど、夏目氏なら大丈夫だと思う。少なくても今までの男とは違う。
「……泣かせるつもりはない、けど」
真剣な顔と声で宣言された……のはいいとして。
けど? って、え、続くの? ここは『泣かせたりなんかしない』で締めるところじゃないの? 凄く、びっくりした。
「正直なところ図太くない女の扱いなんて分からない。だから努力するけど何かあったら頼む」
何言ってんのこの人。
「すごく……堂々と、きりっと宣言したわりに内容はへたれ……」
「はっきり言い過ぎだよ……」
圭がぼそっと呟く。だけどその顔は真っ赤で、嫌がっていないのは一目瞭然だ。
「俺のプライドなんて、どうだっていいものだろ」
「要するにそれだけ圭が大事と」
「……」
あ、視線そらされた。
ええとですね……こうもストレートに表現されると白旗をあげるしかない。
「……うん、なんかごめんなさい。盛大に惚気られて、今、どういう反応していいのか分からない」
「惚気じゃねーし」
「素ってことよねー。今なら激辛カレーも食べられるかもしれない」
ブラックコーヒーとか、お弁当に入っている麻婆豆腐なんて話にもならない。
あの後、何故か男二人が結託して「じゃあ今日はここまで、解散」となった。今日あったばかりの相手とその連携はなんだと問いたい。
「お前さ、あんまり人のことに首つっこむなよ」
康太の運転する車で二人きりになってからお小言までもらってしまった。
「いつもじゃないもん」
助手席で拗ねる。
「……って、どこ向かってるの?」
さっき通り過ぎた標識は、家とは違う方向に向かっているものだった。
「ドライブ」
「むちゃくちゃシンプルな回答をドウモアリガトウ」
「だって、今日はデートなんだろ」
「……あの二人にあてられた?」
さもありなん、だ。
「うわあ、懐かしい」
連れていかれた先は、私たちが大学生時代に何度かデートで来た事もある海のみえる公園だった。
当時は公共交通機関を使って来たけれど、今は車だ。コインパーキングに止めてから歩くだけで体が冷える。さすがに師走を目前にしたこの時期は寒い。そのおかげか、殆ど人はいなかった。
「覚えてるか」
「そりゃあ覚えてるわよ。何度も来たよね」
「最後に来た時のことは?」
「……いつだっけ?」
社会人になって、行動範囲が変わったからか、いつしか来なくなっていた。
「そういうやつだよな……。知ってたし、その男前な性格も惚れた弱みだからいいんだけどさ」
「何よ」
後半だけ聞くと悪くないセリフなのに、深いため息とともに言われると……。
「手、出して」
展開についていけなくて固まる私の左手をとって、康太は……。
「え。な、なに、どうしたの、ホント。やっぱり圭たちのいちゃいちゃっぷりにあてられたんでしょ」
だって。
左手薬指にはめられたのは、間違えようもなく指輪で。私好みのシンプルなデザインのくせに、中央で輝く石の存在感ときたら。ただのファッションリングではないぞと自己主張している。
「俺と結婚してくれ。ちなみにあてられはしたけれど、それが理由じゃない。それだったら指輪なんて準備出来てないだろ」
「あ、そっか」
じゃあどうして。
今さら、なんでこのタイミングで。
「三十になってもまだ付き合っていたら結婚してもいいって、恵美が俺に言ったんだよ。その時は同じ日付同じ場所でって指定付きで」
悩んでいたらあっさりと種明かしをされた。
「き、記憶にございません……」
「そんなことだろうと思った。でなきゃ今日に用事いれないよな」
「……もしかして、今日の話をした時に微妙な反応だったのって」
「そりゃお前、ようやくプロポーズ出来るって日に人と会う予定いれられたらさぁ」
うわ、ごめん。
「水族館であの強面の彼氏さんに事情説明して、早めに解散するよう協力求めたから大丈夫」
だからか! って、ちょっと待ってよ。
「ちょ、それって圭まで話が伝わってるってことじゃあ」
「何か問題あるか?」
「ないけど!」
でも私の頭がついていっていない。
「え、じゃあおばさんに一緒に住むなら籍いれちゃいなさいって言われた時にまだ早いって答えてたのは」
「まだ三十じゃなかったからな」
「私の三十の誕生日は!?」
「指定された日付じゃなかった」
「律儀すぎる!」
結婚するにはあと一押しや勢いが足りないとか思っていたのは私だけってこと?
「だって、今日まで待てば、結婚してくれるんだろ。確実なタイミングがあるんだったら、待つさ」
「……康太は別に結婚にこだわってないんだとばかり」
だから、別に今のままでいいか、で今日に至っていると思い込んでいた。
「まさか。凄く拘ってるぞ。こだわり過ぎて、博打打てなかっただけで」
「ばか」
視線をおとすと、どうしても薬指が視界にはいる。
「なあ。俺、恵美に言われた通りプロポーズしたんだから、返事ぐらいくれないか」
返事?
「返事なんて、そんなの……前にここに来たときに言ってるじゃない」
「恵美は覚えてないくせに」
頭を撫でられる。
その手つきが優しくて、泣きそうになった。
「康太のくせに生意気」
「はいはい」
いつか三宅恵美になる。それは決定事項で、あとはいつか、だけが問題だった。いつその日が、どんな風にくるのか考えたことぐらいある。
洒落たレストランでディナーの後に指輪を渡される、とか。あるいは逆に部屋でのんびりしてる時にじゃあ結婚するかって話になるとか。
こんな寒空の下でなんて、一度も考えたことがない。たとえそれが(記憶になくても)私のリクエストだったとしても、だ。
やはり私は康太には勝てない。勝負事じゃないし、勝てばどうだってものでもないけれど。
少しの悔しさとたくさんの安心感に包まれる。
「喜んで、以外の回答なんてあるわけないでしょ」
「……居酒屋かよ」
「ご都合主義」タグが全力でお仕事してる件。
後日談はあともう1話で終わりです。最後は主人公の圭視点に戻ります。




