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◇◆◇◆




「おや、坊じゃないか。久しぶり……と思ったら珍しい連れだな」

 ぼ、ぼん?

「おやっさん、もうとっくに三十こえてるんだからいい加減それやめてくんない」

「まだまだ若造じゃないか」

 豪快な笑い声をあげた店主らしき人は、私を見てにやりと笑った。

「でもまあ今日はやめてやるよ。カウンターも座敷もあいてるから好きなところ座んな」

「あー……どっちがいい?」

 軽快なやりとりを呆気にとられていたら話をふられて驚いた。

「えっと……カウンターで」

 テーブルや掘りごたつならともかく、座敷は苦手だ。普段正座しないので足が痺れる展開になるのは目に見えている。選べるならと希望を告げると、夏目さんは少し嫌そうな顔をした。座敷が良かったのかな。

「カウンターだともれなくおやっさんが会話はいってくるけど」

「いいですね。せっかくだからお勧めとか聞きたいです」

 ああ、そう。ぶっきらぼうに言って、夏目さんはカウンター席に私を座らせた。

「嬢ちゃん、飲み物は」

「え。じ、嬢……ではないんですが……」

「俺より若いんだからいいんだよ」

「……じゃあビールを」

 よくない! と言いたかったけれど、勢いに負けてしまった。願わくば、あまり呼ばれませんように。先週の誕生日で三十を迎えた女が、お嬢ちゃんと呼ばれて返事するのは精神的ダメージがでかい。

「苦手なもんあるか」

「納豆としし唐ぐらいです」

 しし唐? と横から問われた。

「あれって、時々辛いのあるじゃないですか。でも見た目では全然分からなくて。天然ロシアンルーレット感がちょっと……」

 納豆について言及されないのは、好き嫌いが分かれる食べ物だからだろう。

「その辺避けて、出していくから待ってろ」

 どん、とジョッキが。次にお通しだろう小鉢(切干大根だった。大好き)が出された。

 私たちの他にお客さんもいるし、必要以上に店主は会話に加わってこないらしい。

「とりあえず、お疲れ様」

 ごち、とジョッキをぶつけて、乾杯をした。

 このお店にメニューはあるけれど、夏目さんは開いたことがないらしい。いつも「お任せ」で頼んでいるのだとか。だから苦手なものを聞かれたのか。箸の進み具合なんかを確認しているので、多すぎず少なすぎずで出してくれるのだそう。

 飲みに行く場合、チェーンの居酒屋ばかりになるので、そういうお店は初めてでわくわくする。

「焼鳥って、串から外して食べちゃダメなんでしたっけ」

 恵美と行く場合、串盛り合わせはバラせばいいつまみになるのでさっさと串を抜き取っている。でも本来は駄目なんだよって聞いたことがあった。確か会社の飲み会で、少し苦手な上司が得々と語っていたのだ。

「好きにすれば? 男ならともかく女だったら食べづらいとかあるだろうし。おやっさんは美味しく食べてくれたらいいって人だから気にすることない」

 カウンター向こうの店主は、会話が聞こえていたのだろう。小さく頷いた。

 せっかくなので、言葉に甘えてさせてもらおう。




 皮、ねぎま、砂肝、もも、なんこつ、ハツ、ちょうちん、レバー、ぼんちり、手羽、つくね、せせり、ふりそで、、、あとなんだっけ。

 お馴染みの部位から、これどこ? という部位まで。色々ありすぎて全部は覚えきれなかったけれど、どれもこれも美味しかった。食べ過ぎたぐらいだけど、美味しくて箸がとまらなかったのだ。

 美味しいけれど肉ばかりじゃなあ……というタイミングを見計らって出される野菜串も美味しかった。ちなみに、しし唐は夏目さんにだけ出されて、一つ当たりだったらしい。

 極めつけは、最後に出てきた雑炊だ。鳥の出汁が出ていて、しばらくは他の雑炊を食べれないとすら思った。というか、言った。夏目さんと店主には笑われたけど、いいじゃないの別に。

「ごちそうさまでした」

 店を出て、軽く頭をさげる。

「あれだけ美味そうに食べてもらえると、こっちも嬉しいよ」

 店主にも言われたけれど、幸せをかみしめながら食べる姿は、全身で「美味しい!」と訴えていたらしい。料理を提供する側、あるいは奢る側としては大変結構だとも言われた。

「食べ過ぎたんじゃないかと心配ですが……」

「この店はブランド鳥は使っていないから、案外安いし」

 安くて美味しいって、素晴らしい。

「あの。私、夏目さんにお話しがあって」

 食事中の会話は見事に食べ物の話しかしていない。どこの部位とか。これはタレより塩が美味しいとか。食感がおもしろいとか。

 夏目さんに伝えたいことは、ある。

 だけど会話に加わっていない時でも、夏目さんと普段から交流のある人に聞こえる場所で伝えていいことではなかったので、やめた。夏目さんが気まずくなって来れなくなったら申し訳がない。

「俺もある」

「なんですか?」

「……」

 じゃあお先にどうぞ。軽い気持ちで問うと、ため息をつかれた。なんでだ。

「移動しよう。茶でも飲むか?」

「じゃあ、最寄駅まで戻りましょう。私たちが最初にお茶をしたお店で」

 我ながらいい提案だ。

 夏目さんの話が何かは分からないけれど、私が伝えたいのは、二人の間柄が始まったあの店がふさわしい。……正確には、始まったのは玄関前だけど、さすがにあそこで話をするのは近所迷惑だ。





 変われば変わるものだ。

 最初にこのコーヒーチェーン店で夏目さんと話をしたときは、恐怖心や猜疑心ばかりだった。

 それが今ではどうだ。

 ドキドキはしているけれど、意味合いが全く違う。今のドキドキは、ときめきに近い。

 ……三十にもなって、ときめきとか気持ち悪いか。

「そっちの話は?」

「えー……そうですね。その、なんていうか」

 促されて、いやいやそちらお先にどうぞとかのやりとりをする気力もなかったので大人しく口を開く。

 どう告げるか。

 一週間、ずっと考えていたことだった。だから言葉の準備は出来ているはずなのに、いざ声にのせようとするとあと一歩の勇気がでない。

「私たちの関係って、ご近所さんですよね」

「……まあそうなる、かな?」

 一瞬、目を見開いて驚きの顔を見せた夏目さんだけど、すぐに表情を取り繕った。

 感情を表にださないようにしているのだろう。いつもより顔つきが剣呑だ。相変わらず目つき悪いし(聞いたけど、別に視力が悪い訳でもないらしい)、何考えてるか分からないし。通常比五割増ぐらいで、凶悪な顔になっている。

 ……でも、不思議と怖いとは思えなかった。

 人となりを知ったからだろうか。

「だから……えっと、三十にもなって言うセリフじゃないのは重々承知のうえなんですけど、その、」

 言おうとしているのは、これ、小学生のセリフじゃない? というのはずっと思っていた。でも他にいい単語が考えられなくて。

「お友達になってください!」

「……」

 さすがに想定外だったのだろう。夏目さんはフリーズした。

「夏目さんとご飯食べるの楽しかったんです。期間が終わって、一人だと寂しくって。友達には人恋しいんだろうって言われました。その通りです。でもただのご近所さんに、人恋しいからって理由でご飯作って押し掛けるほど愚かで都合のいい女にもなれないし、なりたくもない」

 遮られないのをいいことに、言葉を連ねる。

 膝の上でぎゅっと手のひらを握る。そこに視線を落とした。どんな顔をしているのか、みたくない。でも気になる。相反する感情を持て余していた。

「でも友達なら、有り、ですよね? 男女間でも友情は成立するし、余りもののご飯をお裾分けするぐらい普通ですよね? だから、」

「あのさ」

 たった三文字。

 それだけで、夏目さんは私の言葉を止めた。

 恐る恐る顔をあげた先で、夏目さんは何かに刺された表情を浮かべていた。

 私の言葉の、どこが刺さったの? そんな要素あった?

「あんたってホント、俺の予想のつかない言動するよな」

「そう……ですか」

「こっちから声をかけて、無理な頼みを聞いてもらった身ではあるけれど、その話には頷けない。ごめんな」

 ふるふると、小さく首を横にふる。

 謝罪してほしいことでは、なかった。

 分かっていたことじゃないか。

 依頼と、報酬で成り立っていた関係だと。今日、焼鳥屋に連れていってもらったことで、二人の間にあった約束事はすべて消化された。

「大丈夫です。じゃあ普通のご近所さんとしてこれか」

「俺があんたとの間に持ちたいのは友情じゃない。愛情だ」

 これからもよろしくお願いしますね、とは最後まで言わせてもらえなかった。

 遮って言われたのは……。

「え?」

 頭が真っ白になった。


 今、夏目さんは、なんと言った? 


「あ、い、じょう……?」

 こくりと頷く夏目さんの顔は赤い。

 じゃあ聞き間違いでも、自意識過剰でもないのか。

 愛情って、……愛情!?

「だから、俺とあんたの間に友情は成立しない」

「それは、そう、ですね」

 なるほど。確かに成立しない。

 頭の隅で納得している自分がいた。残りの大部分は思ってもないことを言われて混乱している。

「ごめんな。怖いだろ」

「え?」

 怖いって、何が?

「知らない間に自分によからぬ感情を持っていた男の家にあがってたり、飯食ったり、飲みにいったりって、怖いか気持ち悪いかのどっちかじゃないか」

 ああ、そういう怖いか。

 怖いのが普通だよね。そうだよね。

 そのはずなのに、自分の中のどこを探しても、マイナス感情は見あたらなかった。

「むしろ、嬉しいかな、って」

「……店出てもいいか」

「はあ。いいですよ?」

 いきなりどうしたんだろう。

 前払い形式のお店だから、食器を片づけて外にでる。

「急に店の中だとおもいだして。隣の席に人いたし、さすがに恥ずかしい」

 ……そ、そういやそうだった。

「そこまで考えられませんでした」

 あれ、聞かれてた可能性があるのか。私のお友達になってください発言からずっと。

 複数人だったら自分達の会話に集中していて聞こえてない可能性は高いけれど、一人のお客さんだったよね。……一人の時って、盗み聞きするつもりはなくても、聞こえるよね……。ああ……。

「往来でしゃがみこまないでくれ」

「己の羞恥心と戦ってるんです。放っておいてください」

「ほっとける訳ないだろ」

 ほら、立って。

 ごく自然にのばされた手を、おそるおそるとる。

「ううう……」

「恥ずかしいのは一人じゃないから。二人一緒だと、まだマシだろ?」

「そういう問題じゃないです」

 救いは、地元出身者ではないので、知り合いに見られたり聞かれたりしていた可能性が低い事だろうか。

 そのまま手を引かれて歩き出す。昨日もこんな感じで、手首をつかまれて歩いたな。手をつなぐじゃない辺りが私たちの距離を表している。

「俺は、見たとおり愛想が底辺で。咄嗟に頼れる女の知り合いもいないぐらい、縁遠い男なんだ。そんな男に臆せず頼みを聞いてくれて、うまい飯作ってくれて、普通に会話してくれて。簡単に堕ちた」

 私たちの住む建物の前を素通りした。この先にあるのは、公園だ。

「言い訳がましいけれど、最初からそんなよこしまな気持ちがあったわけじゃない。単純に困っていて、ようやく見つけた解決方法だと思ったから飛びつく勢いで頼んだんだ。後から考えたら、堕ちる要素しかないのに、そんなの思いつかないくらい追い詰められてた」

 それは分かっている。半歩前を歩く夏目さんに見えていないと分かっているけれど、頷いた。

「なあ……嬉しいって、どういう意味」

「嫌われてなくてよかったなって」

「その程度なら、言わないほうがいい。俺みたいに女に免疫のない男はすぐに期待するから」

 なにを。

「期待だけじゃなくて、つけ込む悪い男もいる」

 夏目さんは立ち止まり、振り返った。視線があう。

「俺に出来る限り大切にする。都合のいい女だなんてもう思わせたりなんかしない。だから、俺と付き合ってくれないか」

 視線が強くて、そらせない。

「……つきあう……?」

 馬鹿みたいに、単語を繰り返す。

「好きだ」

 だれを。なんて、考えるまでもない。

 こんなシチュエーションで他の女性の名前を出す人じゃない。

「……とは言ったものの」

 夏目さんはバツが悪そうに視線をそらす。途端に圧迫感が半減して、ほっと息をついた。

「オトモダチ宣言された後じゃ、見込みないことぐらい分かってる。今日だって最初に誘った時の反応が『フライパン返す』だし、話があるって言ったら店の前でハイドウゾだし。だから……なるべく早く諦めるようにするから『ご近所さん』として会えば挨拶するぐらいは、まあ、許してくれ」

 許すとか、意味が分からない。

 どっちかっていうと悪いのは私ではないだろうか。見事にフラグをへし折る反応しかしていない。

「失恋男の勝手な言い分だけど、あんた、ちょっと隙がありすぎるから気を付けたほうがいい。俺があともう少し割り切っていたら、あるいは理性がすりへってたら、簡単に連れ込んで、押し倒せてた」

「でも夏目さんはそれをしませんでした」

 それどころか、昨日まで指一本ふれなかった。

「俺が意気地なしだったからだ」

「相手を傷つけるような意気地なら、なくていいです」

「それを持っている男のほうが多いって話だ。心配でたまらないから、頼むから、気をつけてくれ。強制力も何もない、ただの頼みだ」

 手首を掴んでいた手がはなされる。

 手放しては駄目だと、本能が叫んだ。

 ここで、手放したら本当にこの人は私を諦める。


 ……それは、嫌だ。


 人恋しいとか寂しいとか。どちらも本音だけど、全てじゃない。

 だって、誰でもいいわけではないから。

 夏目さんが、いい。ようやく気付いた。

「嫌です」

 初めて私から触れた。

 左手の薬指と小指だけ、かろうじて掴めた。

 夏目さんはぎょっとした顔で、左手を見てから、慌てて私を見た。

「嫌って……自衛しないとあんたが痛い目見るだけだぞ」

「そっちじゃなくて。夏目さんは、詰めが甘いんですよ」

「詰め?」

「同僚の人は、今後二度と来ないんですか? 次来た時に台所が使ってない様子だったらおかしいでしょう」

「……あ」

 ちなみに私が気付いたのも今だ。うっかり度では人のことを言えなかったりする。

「それに、あともうひと押しで落ちそうなのに、あっさり諦めるとか言うし!」

 私ってば、駄々っ子みたいだ。

「……あの反応で分かるかそんなもん」

「だって仕方ないじゃないですか。私、告白されたの初めてだったんですよ。いつも私から言うか、向こうから言ってくれる時だって『付き合ってあげようか』だったし。どう反応していいか分からない」

「……それ言われて付き合うとか、人を見る目がある、ないってレベルじゃないぞ」

「自覚ぐらいあります。最初に会った時だって、人を見る目がないって自己申告したじゃないですか」

「そうだけど。っていうか、何これ。よく分かんないんだけど、俺は何をどうすればいいわけ」

「もう一声。次はちゃんと頷くから、口説いてください」

 競りじゃないんだから、と呟いたのが聞こえた。聞こえないフリをした。ここで反応したら話がそれる。じっと掴んだままの夏目さんの左手を見る。

「私、振られる原因になったこともあるぐらい、身持ちはかたいですよ」

「その方がいい。つか安心した」

 作り笑いじゃなくて、心底ほっとした顔されると安心する反面、微妙だ。私はそこまで魅力ないのだろうか。

「口説くって言ったってなぁ。俺だって経験ないぞ。……ああ、そうだ」

 じゃあもういいです、と言いかけた時。夏目さんの表情が明るくなった。

 


「俺の部屋の台所を、引き続き、あんたの色でそめてほしいんだ」




最後まで読んでくださってありがとうございます。


この後、ご飯作ってる期間中に誕生日過ぎたんだよと知らされた夏目氏が「言ってくれよ!」と叫んだり(慌てて翌日ケーキ買ってきたのはお姉さんの教育のたまもの)、恵美さんに紹介されて「私の親友不幸にしたら承知しないからね」と脅されてたじたじになっていたりするんでしょうが、なんだかんだ幸せな日々を送る二人だと思います。

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