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金曜の飲み会は送別会だった。私が入社した頃からお世話になった人が定年退職をむかえたので、仲のいい面子が集まって企画したのだ。
主賓を含め六名だけの小さな送別会。
義理で集まる人もいる部署の飲み会とは違って、親しいメンバーだけの送別会はほっこりした気持ちにさせてくれる、いい時間だった。昔の話のなかには、私が入社する前のこともあって(そりゃそうか)、なかなかおもしろかった。今の社会では許されないような無茶を色々やってたんだなぁ。昭和の頃は、モニター計測しながら酒盛りしてたって何それ。聞かなかったことにしよう、と同年代は目と目で会話をした。
二次会に行く人もなしで、飲み会帰りとしては早い時間帯にみんなで駅に向かって解散。主賓が定年をむかえる年齢なのでそこまで体力ない、というのも少なからずあったけれど、幸せな空気を家庭に持ち帰りたいと考える人が多いようだ。私は一人暮らしだから帰っても分かち合う家族はいない。それだけは残念に思う。
最初はビールを飲んでいたけれど、途中からは主賓にあわせて日本酒に切り替えていた。普段飲まないお酒だからか、ふわふわした状態で最寄駅で降りた。酔っ払いの一歩手前ぐらい?
「田中さん?」
部屋に向かって歩いていると、後ろから声がかかった。振り返った先には、黒のロングコートを羽織った人がいた。
「あ。夏目さん。こんばんはー」
ぱっと心が上向く。いるじゃん、今の気持ちを伝える相手。
「随分遅いんだな」
あれ? なんだか不機嫌? 気のせいかな。アルコールが入っているせいか、いつもより頭がまわらない。
「今日は送別会だったんです。そういう夏目さんだって遅いですね」
足取りはしっかりしてるし、少し不機嫌かな? って以外は普段通りなので飲んだ帰りではなさそう。
「あー……そういや飲み会って言ってたっけ。そう考えると早いほうか。俺は仕事帰りなだけ。明日、呼びだされちゃたまらんからな」
帰る先は同じ建物だ。自然と並んで歩く。仕事帰りなら、不機嫌の原因はそれかな。自分は残業して帰ってるのに、電車内に酔っ払いがいると理不尽な気持ちになるし。って、私がまさに酔っ払いだ。いやいや、一歩手前だから。大丈夫……かどうかはさておき。
「そっか。お疲れ様です。こっちはいい送別会だったんですよー。中田さんって、名字の並びが逆だからって理由で目をかけてくれた人だったんです。怒るんじゃなくて、叱ってくれる人。すこーし厳しいけれど、導いてくれる人でした」
今時、叱ってくれる人はあまりいない。
「ふぅん。って、危ないな」
角を曲がるときに少しふらついてしまった。咄嗟に夏目さんが支えてくれたので、大丈夫だけど。あ、初めて触った。でも秋冬もののコートごしだから、体温は伝わりづらい。
「ふふふ。大丈夫ですよぅ。それでね、中田さん、いい人なんですよ。人として尊敬出来るし……好きだなぁ」
「……その中田って、男?」
「そりゃあそうですよ」
こくりと頷く。手をひく力が少しだけ強くなった。
うちの会社はまだ体制が古いところもあって、女性で定年をむかえた人はいない。
「へぇ」
冷え冷えとした声音の理由がわからなくて、首を傾げる。
ああ、でも、そうか。私にとって中田さんは親しい人だけど、夏目さんにとっては違う。
顔見知りの職場の人の話なんて聞かされる側は楽しくないだろう。せっかく分かち合える相手がいたと思ったのに……残念。いや悪いのは私か。かろうじてその程度の判断力はあってよかった。
「ごめんなさい。夏目さんは酔っ払いの言葉なんて聞いても楽しくないですよね」
「いや酔っ払いだからっていうか……いいよ好きなだけ話せば。話したいんだろ。あんたには借りがあるし、話ぐらい聞くさ」
「じゃあお言葉に甘えてあと一言。私も、あんなふうに惜しまれて定年退職出来たらいいなぁ」
「………………………………は?」
「きゃっ」
いきなり立ち止まられて、つんのめりそうになった。
「夏目さん!」
「定年? って、え?」
目を白黒させる、ってこんな顔のことを言うのか。
「どうかしました?」
なんだか今日の夏目さんはおかしい。再び歩き出すけれど、さっきより歩くのが早い。
「どうって……あー、うん。なんでもない。こっちが早とちりしただけ。気にすんな」
「寒いんですか? 耳赤いですよ」
「気のせい。……でもないな。色々分かったんだよ」
「何が分かったんですか?」
「酔っ払いに話す内容じゃない。それよりあんた酒弱いんだな。あまり飲まないほうがいいぞ」
「強くも弱くもないですー。今日は、素敵な時間だったから気分がいいだけで」
「あ、そう」
そんなこんなで夏目さんと雑談しながら歩くと、帰りつくのはあっという間だった。
駅から徒歩五分の立地を、残念に思ったのは住んでから初めてだ。
「じゃあ、おやすみなさい」
玄関の前でわかれた時、ほんの少しの寂しさと、たくさんのぽかぽかした気持ちに包まれていた。
土曜は、電話で起こされた。
「……もしもし」
休みの朝から電話をかけてくるようなのは母親ぐらいしかいない。だから相手の名前すら確認せずにとった。
「夏目だけど、二日酔いとか大丈夫か」
「……」
予想外の声に、頭が真っ白になった。
なつめってだれ。
じゃなくて! 誰って、知り合いで夏目さんなんて一人しかいない。
「あ。ええと……はい、大丈夫です!」
慌てて布団から出た。いや、見られてないから。頭の隅でセルフツッコミをしつつ、必死に頭を回転させる。
「今日、約束していたけど覚えてる? 二日酔いなら別の日にしようか」
「覚えてますし二日酔いにはならない体質なんで問題ありません!」
昨日の帰りに会った時は嬉しかったけれど、今となってはいい事じゃなくて悪い事に分類したくなる。
なんというか……一人で酔っぱらう姿を見せるのって、微妙だよね……。ふわふわしたいい気分のまま、自分勝手なことをぺらぺら喋ってしまった記憶は残っている。いっそ酔って記憶をなくしたほうがいいのだろうか。それはそれで「何やったの私!」とやきもきするから駄目か。
「それは羨ましいな。一応、夕方五時オープンの焼鳥屋のつもりでいたけど、店かえる?」
夏目さんの気配りがありがたい以上に心苦しい。
そりゃそうか。仮にも飲み屋に行く前日に、酔って帰ってる姿を見かけたら「こいつ大丈夫か」って心配になるよね。
「あの、昨日はご迷惑をおかけしました。夏目さんに問題がなければ、私は本当に大丈夫なので」
「迷惑ではなかった」
電話の向こうで苦笑したのが分かった。昨日は日本酒が敗因(?)だったので、今日はビールだけにしようと心に決める。ノンアルコールですますのは、焼鳥屋に行くのに不向きだから、せめてビールだけと。複数種類を飲まなければそこまで酔うこともない。
それから待ち合わせの時間と場所を決めて、通話をきる。掛け時計を見ると、時間は十一時になろうかという頃だった。
「……何やってんだろ私」
夏目さんに伝えたい言葉があったはずなのに。前日に醜態さらすとか、馬鹿じゃないの。
同じ建物に住んでいるけれど、待ち合わせは駅になった。
最寄駅から二つ先の、乗換駅。今日の目的地である焼鳥屋さんはここから少し歩いた先にあるそうだ。地味に楽しみだったりする。
「夏目さん、お待たせしました」
改札を出た先にある柱の前で立っている夏目さんに声をかけると、一拍置いてから「え?」と呆けられた。
「どうかしましたか」
「髪が昨日より短い」
「ああ、昼間、美容院にいってきたんです。ずっと行きたくって」
待ち合わせが駅になったのはお互いに済ませたい用事があったから。
私の場合は美容院だ。カラーリングもしたいので、平日の仕事帰りは時間的に厳しい。となると休日なんだけど、予約がとれなかったり天気が悪くて外出する気分になれなかったりでずるずると伸ばしていた。今日なら夕方に用事があるし、と電話をしたら丁度予約がとれたのでこれ幸いと行ってきたのだ。
「冬なので、短くしました」
短くといっても、肩につくぐらいの長さはある。
「……その理屈が分からん。夏は短くて寒い時は長いほうがいいんじゃないのか」
こっちだ、と案内しながら、夏目さんは首を傾げた。
「これぐらいの長さだったら、夏は不向きですね。ほら、夏って暑いじゃないですか。だから結べる長さがないとキツイんです」
「そういうものか」
完全に理解はしてないようだけど、とりあえずの納得はしてくれたようだ。もしくは聞いても分からんと理解を放棄したか。
「ああ、ここだけど。大丈夫か?」
立ち止まったのは、なるほど、恵美と二人だったら選ばないお店だった。
お世辞にも綺麗といえない店構え。いや、正直に言おう。建物が古い。そしてメニューが表に出ていないので、初見で入る勇気はなかなかもてない。きっとグルメ系のクーポンサイトにも登録はされていないだろう。口コミサイトにはのっているかもしれない。
ただし建物は古くても手入れは行届いている。店員や常連に長く愛されたお店なんだろうなって思えた。チェーン店では味わえない手作り感は、あたたかい。
「もちろんです」
むしろ楽しみなぐらいです。
頷くと、夏目さんはがらりと引き戸をあけた。