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◇◆◇◆




 あの男性(夏目秀人と名乗った)は、私より三つ年上だった。頼んでないけど免許証を見せてくれたので名前と年齢は正しい。『ひでと』ではなく『しゅうと』と読むそうだ。サッカーやってるんですかって聞いたら嫌そうにやってないって返された。きっといつも聞かれるんだろうなぁ。


 誕生日を迎えているので三十三歳だ。そして独身。

 そんなある日、上司からお見合いの話をもってこられたとか。お相手は取引先の中小企業の娘さん、二十八歳。今時そんなのってあるんだ、というのが夏目さんには悪いけれど正直な感想だった。

 夏目さんは全力で拒否した。

 会社関連のお見合いだなんて、面倒そうな匂いしかしない。断っても断られても取引先との間が微妙になる。万が一うまくいってしまっても夫婦喧嘩とか下手に出来無さそうで息がつまる。

 そもそも何故夏目さんに話がいったかというと、「誠実な仕事ぶりを見て社長さんが惚れこんだから」というからタチが悪い。私がどちらの立場だったとしても断固拒否しただろう。盛大に夏目さんには同情しておいた。娘さん的にもいい迷惑なのではないだろうか。

 十分ぐらいいかにお見合いが嫌かを語ってくれたけれど、聞き流したのでよく覚えてはいない。とにかく嫌なんだな、というのだけは伝わってきた。

 そんな夏目さんは拒否するために「彼女がいる」と嘘をついたそうだ。……そうか、嘘なんだね。寂しいね。まあ私が言えた事じゃないけど。

 しかも自棄で「うちで料理を作ってくれる彼女」という捏造までしたらしい。なんでそんなすぐバレる嘘を……と呆れたら、「とにかく必死だったんだよ」と返された。

 運が悪いことに、その嘘が信じられた。多分だけど、実際に夏目さんは誠実なのだろう。だから嘘をつくなんて思われなかったのではないか。


 なんだ今までそんな気配皆無だったけど、ちゃんと彼女いたんだな。そりゃあ悪いことをしたな。


 そんな流れで、無事にお見合いはなかったことになりかけたらしい。でも何故か盛り上がった同僚が(多分親切で)「今度泊まりにいった時に台所チェックしてきますよ」と申し出てしまったらしい。相手が取引先なだけに、自己申告の彼女をそのまま信じるよりは、他者が証言したほうがいいだろうという判断だ。幸い、今月末に彼との家呑みの予定が入っている。

 きっと同僚はちゃんと断れるように気を遣ってくれたんだ……と呟く夏目さんの視線は疲れ果てていた。




「つまり私に彼女になりすませと?」


 夏目さんの置かれた状況には同情するけれど、それは無理だわー。

「いや、さすがにそこまで頼むつもりはない。見ず知らずの相手に嘘をつかせるのは申し訳ない」

 だから、と夏目さんは続けた。

「うちの台所をつかいこんだ形跡だけつけてほしいんだ。見えてしまったけど、あれだけ買い物してるってことは自炊してるんだろう?」

 なるほど。話がつながった。

 惣菜ではなく食材を買いこむ同じ建物に住んでいる相手がいたから「今困っている問題を解決できる」と意気込んだ結果が、あのやりとりだ。うん、納得はしたけれどやっぱり当時は怖かったよ!

「そりゃあしてますけど。私に頼まず自分で自炊すればいいじゃないですか」

「一番最初にチャレンジした。無理だった。危うく火事になりかけた」

「……何やってんですか」

「あと包丁で指をきった。そういう傷を増やすとばれる。料理の出来る知り合いもいない。実家は地方だから近所に住んでいない。つまり頼める相手がいないんだ」

 なるほど。

「実際に俺の食事まで作ってくれなんて図々しいことは言わない。ただ、あんたの部屋じゃなくてうちの部屋で調理して持ち帰ってくれるだけでもいいんだ。あいつが部屋に来たときに納得できるだけの状態にさえしてくれれば。なんだったら材料費はこっちで負担する」

「……」

 食費と水道光熱費を一部負担してくれるというわけだ。余裕ある生活を送っているわけではないので、少しだけぐらっときたのは認めよう。

「夏目さんの状況は理解しました。同情もしています。ですが無理です」

 でも、頭をさげた。

「やはり初対面の俺では信用出来ないか」

 自分でも無茶な提案だと自覚していたのだろう。小さくため息をついた。

「その理由もありますが、何よりもとても拘束されるんです」

「え? なんで? 同じところに住んでるから、ちょっと出るだけだろ」

 きょとんと首をかしげる仕種は犬っぽいくてなんだか可愛らしかった。

「確かに移動距離は短いですけどね。でも同じ階に部屋を借りていて会うのは初めてですよね。つまり生活時間帯が違うんです。仕事をしていたら残業もあるでしょう。そういう時には行けませんよね? 今日は夏目さんのところでご飯作ろうと思って何も買いたさずに帰ったら駄目だった、となったら大変なんですよ」

「……うーん……」

 自分の都合で作業できるか、始められるか。けっこう大きい。

「それに私も定時で帰るときもあれば、残業だってあるし。好きな時間に作り始めたいかな」

 今まで話してみて悪い人ではないと思うけれど同情だけで受けるほどの付き合いが夏目さんとの間にはない。それを信用と呼ぶか、信頼と呼ぶかは人それぞれだろう。

「鍵預けようか?」

「初対面の人間にそんなもの渡さないでください!」

 別の詐欺を疑いたくなるからやめてほしい。

「あ、そっか。初対面だった」

「ちょっと、」

 忘れるようなことじゃないでしょう!?

「いや、俺って目つき悪いし愛想もないだろ。だから初対面の女と話続かなくて。でもあんたとは違和感なく話してたから、初対面感なかった」

 なんでいきなりデレるの。

 違和感なく話が出来ているのは、私からしても驚きだった。違和感どころか、会話の間合いが心地いいぐらいだ。そう、これきりで縁を失ってしまいたくないと思うぐらいには。

 それにしても……目つき悪い自覚はあったのか。

「別にそこまで敬遠するほどじゃないと思いますけど」

「……だといいな……」

 本気でそう思って言ったのだけど、夏目さんの傷口に塩をぬる事になってしまったようだ。

 すごく遠い目をしている。なんかごめん。

 ……。

 …………。

 ああ、もう。私ってたいがい馬鹿だな。

「……夏目さん。私って人を見る目がないんです」

「は?」

 いきなり何言い出すんだって、顔に書いてあった。

「この人優しいなって思っても実は優柔不断なだけだったり、八方美人だったり。まあ要するに私がそれだけの人間ってことでもあるんですけどね」

 いやそれは的なことを言おうとしただろう夏目さんを視線でとどめる。

「それで、夏目さんの第一印象は『嫌だ、怖い』でした」

 ひくり、と夏目さんの顔が引きつった。

「だから信じていいかなって」

 一転、呆気にとられた顔になる。なかなか見れるものじゃあない。というか、夏目さんって地味に表情豊かだよね。

「人を見る目がない私の第一印象が良くないものだったから、逆に信じてもいいって気になりました。たった今」

「……たった今って、あんたさあ」

「田中です。田中圭」

「じゃあ田中さん。あんたかなり変な事言ってるの分かってる? って話を持ちかけた俺が言っていいセリフじゃないよな」

「じゃあやめましょうか。私はどっちでもいいです。元々は夏目さんの事情ですから」

 にっこり笑って言うと、夏目さんは、うぐっと言葉に詰まる。

「……ちなみに三連休のご予定は?」

「非実在彼女とデート」

 つまり予定はなしと。

 夏目さんって冗談言えるのね。あまり上手ではないけれど。

「じゃあ明日はお試ししますか」

「試すって?」

「明日、土曜の昼と夜に、うちで作ったご飯を持っていきますね。よそいきじゃなくて私が自分で食べようと作る分のおすそ分けです。それで味が納得出来たら、条件を相談しましょう。そして、合意できたら日曜に買い物に行って夏目さんの部屋でご飯が作れるだけのもの揃えましょう。嵩張るのもあるから車があれば出してください」

「は? え?」

「台所は借りるのに、自分の分しか作らないなんてあんまりです。だから、夏目さんが私のご飯なら水道光熱費と材料費出してもいいやと思えたら、やりましょう」

「……ええと、時間的都合は問題ないんだっけ?」

「よく考えたら、仮に夏目さんに彼女が存在してたとしても毎日ご飯を作りにくるわけないですよね」

「まあな」

「月末までに『この台所を使っている人がいる』感を出すなら、七、八回ぐらい使えば上出来でしょう。それぐらいならお互いの予定をあわせればどうにか出来るんじゃないかと」

 一瞬、夏目さんは呆けた。

「あ……そっか。あれ? そうなのか? それぐらいでどうにか誤魔化せるもの?」

「大丈夫です。心配なら、まな板や鍋を直前にうちのものと交換してもいいですよ。使った形跡は存分にありますから」

 でもまあ、まずは私のご飯に及第点をもらえるかどうかですね。そう言うと、茫然としたまま夏目さんは頷いた。

 ……なんか、私のペースになってる?



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